「お姉ちゃん。今日、お兄ちゃんの事お願いね」
しいちゃんの真剣な眼差しを受けて、私は深く頷く。
「ええ。しっかり見守るわね」
私たち二人で秘密を共有してから数日。
今日は私とひっくんで2人きりのデートだ。
あれ以降今まで辛うじて残っていた兄妹としての線引きを超えるように、私たちは常に2人か3人でずっと一緒に居るようになっていた。
ひっくんを離さないように、どこにも行かせないようにと。
それは…お風呂の時もそう。あの時のことは何度思い返しても顔が赤くなってしまう。
「…変なこと考えてるでしょ。言っとくけど、私がいない場所でお兄ちゃんに"変なこと"したら許さないから」
「ふふっ。しいちゃんも一緒がいいわよね」
「その色々誤解を産みかねない言い方はやめて」
事実だけど。とボソッと呟きジト目で睨んでくるしいちゃんを思わず抱きしめたくなってしまうけど、ひっくんがリビングで待ってるからとしいちゃんの部屋を後にする。
「お待たせ、ひっくん!…今日も素敵ね」
シンプルなジャケットスタイルだが、素材が良いからこういうシンプルなスタイルの方がひっくんの美しさ、カッコ良さを引き出していて思わずうっとりとしてしまう。
「雫もいつも通り綺麗だよ。こんなに凝った髪の毛のセット、大変だったでしょ」
「んっ…」
髪型を崩さないように頭を撫でてくれるひっくんの手を感じて、身体が熱くなる。
ああ。好きな人に触れられる事がこんなにも気持ちいい。
背中を駆け抜けるゾクゾクとした刺激が余計に身体を火照らせる。
「もうっ。こんなに甘やかして、わたしの事をどうするつもり?」
「ごめんごめん。ほら、行こうかお姫様。…なんてね?」
ウインクをしながら私の手を取るひっくんを見て、また胸がキュンとしてしまう。
私もひっくんの手を強く握ると、そのまま腕に抱きついてしまった。
「ええ。…今日はずっとこのままよ?」
「望むところだよ」
この後玄関で靴が履けなくて普通に離れた。
シブヤの街を2人で歩く。何か目的がある訳じゃないけど、目に入った店にフラッと寄ったり近況を話しながら歩いたりと、充実したデートだ。
「そろそろ休憩しようか。歩くの疲れちゃったし」
「そうね。じゃあ近くに良いカフェがあるから入らない?前に皆で行ったことがあって、凄くケーキが美味しかったの」
「じゃあそこに行こうか。雫のおすすめしてくれる店なら間違いないし」
「もう。褒めてもなにも出ないんだから」
嬉しい言葉に思わず指を深く絡め直す。
好きな人の体温を感じる度にドキドキしてしまうのは、いつまでも変わらない。
今こうしてひっくんが生きている。それだけで私は頑張れるの。
それを実感するようにひっくんの綺麗な顔を横目で見ていると、前から見知った3人組が歩いてきた。
「えっ?雫ちゃん!?」
「嘘っ!?あんた達こんな所でなにしてんのよ!」
「隣の方は…?」
変装しているみのりちゃんに愛莉ちゃんに遥ちゃん。
私もびっくりしているけど、皆の方が明らかに驚いている。
もっとも愛莉ちゃんは元々ひっくんの存在を知ってるからか、ここにいることに対してびっくりしてるみたいだけれど。
当たり前よね。
なぜならアイドルにとって恋愛はご法度。
なのに私が男の人と腕を組んで、恋人繋ぎをしながら仲睦まじそうに歩いているんだから。
本当なら兄だと説明して今すぐに誤解を解くべき。でもひっくんを、お兄ちゃんを皆に紹介するのは…怖い。
…私やしいちゃんとはスタートラインが違う。
血の繋がってない赤の他人。
恋人にだって、夫婦にだってなれてしまう関係。
わかってる。ひっくんが私たちのことを愛してくれていることを。
家族としても…異性としても。
それでも怖くて仕方ないの。
私たちのお兄ちゃんを取られるのが、どうしようもなく怖い。
「雫、大丈夫だよ。ほら、良かったら改めてみんなの事紹介してくれる?」
「…ひっくん」
私の不安でいっぱいな心を察したように、ひっくんは私の手を優しく、尚且つ強く握ってくれる。
不思議なことに、また不安が消し飛んでしまう。
「皆、良かったら前行ったカフェでひっくんのこと紹介させてくれるかしら?」
「改めて初めまして。雫の兄の日野森響です」
ひっくんの口から出る兄という言葉が、私の心を少しだけ蝕む。
咄嗟に気にしていない振りをするが、愛莉ちゃんの表情が少し変わったのを見ると既に気付かれてしまったかもしれない。
「雫ちゃんの、お兄さん?」
「相変わらずそっくりね、2人とも」
「…へぇ。愛莉は前から知ってたんだ?」
「ええ。雫が口に出さない日はなかったし、良く迎えに来てたしね。…相変わらずね、響」
困ったようにひっくんを見て微笑む愛莉ちゃん。
そこに特別な感情はないと理解しているのに、どうも落ち着かない。
「相変わらずってどういう事かな?愛莉」
「別になんでもないわ。それより、あんた達も自己紹介しなさいよ」
「えっと、雫ちゃんと同じMOREMOREJUMP!の花里みのりです!うぅ…眩しすぎるよ〜」
「同じく桐谷遥です。…みのり、さっきから様子がおかしいけどどうかした?」
「その…反対側が…眩しくて」
あら?確かに窓際だけど、逆光ではないはずよね。
後ろを振り向いても何もないし…
「眩しい…?あぁ、そういうこと。そんなのいつもの事だから慣れといた方が良いわよ。」
「確かに。雫も顔が良いけど、雫のお兄さんもその雫をかっこ良くした感じだからね」
「えっ…?」
「なんであんたが驚くのよ、雫」
「な、なんでもないわ!」
「ちょ、ちょっと!落ち着きなさい、雫!」
思わず大きな声が出て取り乱してしまった。
でも、まさかみのりちゃんや遥ちゃんがひっくんの容姿を好意的に思っているだなんて…。このまま取られたら?ありえない事じゃない。
自分らしくないとは思うけど、やっぱりひっくんの事になると私…弱いのね。
「あはは、ありがとう。でも、僕なんて雫や皆に比べたら大したことないよ。みんなの事はライブで見たことあるけど、僕よりもよっぽど輝いてたし」
「ライブ…?やっぱりあの時の…」
「遥?あんた響のこと知ってるの?」
「うん。前にライブに来てくれた時、最前列にいたんだけど…」
「雫以外、興味無さそうに見てた。でしょ?」
「愛莉も気付いてたんだ?」
「えぇ!?」
「ひっくん…」
横目で張本人を見るが、何食わぬ顔でコーヒーを飲んでいる。
それすら絵になっていて思わず顔が赤くなってしまう。
「気にしてるようならごめんね」
「いえ。別に気にしているというわけではないですよ。ライブに来て特定の人物だけを見る人はいるので。ただ、まるで存在していないかのように扱われたのは初めてだったので印象に残ってるんです」
「遥ちゃんを、存在してないように!?そんなの絶対無理だよ〜!」
「ふふっ、花里さんは桐谷さんの事が好きなんだね」
「はい!大好きです!」
「もう、みのり…」
「あんた達も相変わらずね…」
「僕は…昔からあんまり家族以外に興味がないんだ。正直、MOREMOREJUMP!のライブを見に行ったときも、雫だけが目的だった。だから、桐谷さんの目には異質に見えたのかもしれない。改めてごめんね」
「そう、ですか。こちらこそ変な事を聞いてしまってすいません」
話が終わり、再びひっくんがコーヒーを啜る。
テーブルが少ししんみりとした雰囲気になったところで、みのりちゃんが勢いよく立ち上がった。
「あ、あの!またライブきてください!その時はぜ〜ったい、私たちのことも目に入るくらい頑張ります!」
「花里さん…。うん、期待してるね」
「は、はひっ」
「みのり?」
「響。あんたは顔を弁えて」
「え…?あ、ごめん」
みのりちゃんに微笑んだひっくん。
見る人が見ればわかる紛い物の笑顔。
でも、やめて。私たち以外にその笑顔を向けないで。
思わず膝の上に置く手に力が入る。
すると、私の手が暖かくて大きな手に包まれる。
横を見るとこちらを見て安心させるように微笑むひっくん。
…もう。わたしのことがわかりすぎだよ、お兄ちゃんは。
「じゃあ僕たちはこの辺で失礼するね。ああ、お会計は済ませておくからこのままくつろいでいて」
「そんな。そこまでしていただく訳には」
「気にしないでいいのよ、遥ちゃん」
「うん。雫の言う通り気にしないで。普段から妹がお世話になってるから、そのささやかなお礼ということで。これからも雫の事をお願いね」
「…はい。ありがとうございます」
「ありがとね、響」
「あ、ありがとうございました!ライブ、絶対来てくださいね!」
「うん、絶対行くね。それじゃあまた」
「皆、また学校でね」
店を出るとすぐにひっくんの手を握る。
私もひっくんも、何を言う訳でもなく帰り道を歩いた。
シブヤの街は少し日が落ち始めていて、心がどことなく落ち着かない。
もうすぐ家に着くという所で、ひっくんが足を止めた。
「心配しなくても、俺は雫しか見てないよ」
「わかっては、いるの。でも…お兄ちゃんがいなくなったらわたし、生きていけないから。」
「…雫。不安にさせて、ごめん。でも、前より生きるのが楽しいと思えるようになったのは、雫や志歩がいるからなんだ。だから、俺は絶対雫の傍から離れないし、どこにも行かないよ。本当にありがとう、雫」
その言葉を聞いて、思わずお兄ちゃんの胸に飛び込む。
髪型が崩れるのも、周りの人に見られるのも気にしない。
目から溢れる涙が留まる事を知らないでお兄ちゃんの服を汚していく。
それでもお兄ちゃんはずっと、抱きしめてくれていた。
「好き。大好き」
「知ってるよ。…俺も、雫が好きだよ。ほら、帰ろう?もう1人の妹様が家でお待ちだ」
「うん…!」
「…やっと、みつけた」