機動戦士ガンダムSEED Gladius   作:プワプー

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おまたせしました。
後編です。


PHASE-52 光り輝く天球・伍 ‐転回・後編‐

 行政府にて国家安全保障会議が行われている最中、その議題の、ある意味中心的人物となっているカガリは現在キサカとともに国防本部にあるM1の件でカガリが使用していた部屋にいた。

 それまで使用していた書類や私物を片付けるためである。

 事前にウズミからこの職務から外されることは伝えられていた。

 外されるということに、ただそれだけではない意味も含まれていたのだが、その時のカガリにはそこまで考えが及ばなかった。

 自分の力量不足だった…ただ、その認識だけである。

 それによってシグルドが大怪我をした。命を落としかねないほどのものだった。

 そのことがカガリに大きくのしかかった。

 だから、ウズミの言葉に素直に頷いたのであった。

 キサカもいるのは護衛と同時に、表向きには怪我でしばらく表に出れないとしているカガリが何も知らない第三者と鉢合わせないようにするためであった。

 護衛…

 その言葉にカガリは胸の奥底がズキリと痛む。

 つい最近まで近くにはシグルドがいた、『護衛』という形で。

 シグルドは元気にしているだろうか?

 意識を取り戻したと聞いているが、見舞いには行けていない。

 止められているということもあるが、会って何と言えばいいのかわからなかった。

 思えば、いつもシグルドに守ってもらっているのではないか?

 その時、キサカの元に連絡が入った。

 彼の部下の兵士からであった。

 カガリは片付けを続けていたが、彼らの会話を聞こえてきた事に思わず手を止めた。

 シグルドが機密漏えい容疑だって?

 しかも、拘束に向かった警務隊を返り討ちにして現在も逃亡中とのことだ。

 信じられないっ

 カガリは慌てて外に飛び出そうとした。

 「待てっ。どこに行くんだ、カガリっ。」

 それを見たキサカが慌ててカガリの腕を掴み引きとめた。

 「離せっ、キサカ!?お父様に問い質すんだっ。」

 それに対し、カガリは必死に振りほどこうとする。

 もはや幾度となく繰り返されてきたやり取りではある。だが、今回ばかりは互いに引くことはしなかった。

 「シグルドが…シグルドがそんなことするはずないだろっ!?」

 にも関わらず、彼を容疑者として今も警務隊が追っているのだ。それを指示したのは他なる父ウズミだ。

 「シグルドは私を庇って命を落としかけたんだぞっ。それなのに、なんでお父さまは…っ。」

 「カガリ、落ち着くんだ。」

 キサカは必死に彼女をなだめる。

 無論、キサカもカガリ同様シグルドがそんなことをするとは思っていない。しかし、彼が機密漏えいを行ったという証拠が出されたのだ。ちゃんと証拠としての効力はあるものである。対して、シグルドが無罪であるという証拠はない。しかも、自分たちは第三者から見ればシグルドに近しい関係の者だ。そんな自分たちがいくら彼の無実を叫ぼうと他の者には届かないのだ。

 場合によっては、ここでカガリが出てくることも見越しているのかもしれない。そうすることでカガリの責任を追及できる。それでは何のために彼女を表に出さないようにしているのか意味がない。ゆえに、キサカは懸命に彼女を引き止めていた。

 おそらく、ウズミもそれを考えて指示したのかもしれない。

 とにかく自分はこの後、ウズミに呼び出されている。彼女から引き継がれることになった襲撃犯の追跡調査の任務につくためだ。

 カガリは侍女のマーナが迎えに来て、アスハの屋敷に戻ることになっている。

 それまでになんとか彼女を引き留めようとしていた。

 すると、廊下の向こう側から人が近づいてくる気配を感じた。

 キサカは隠れようと、カガリを部屋の中まで戻そうとするが間に合わなかった。

 誰が来たのだ?

 この場をやり過ごそうとした思っていたが、その人物をみるとキサカは眉をひそめた。

 よりによって…

 こちらにやって来るのはコトーと彼の護衛であった。

 今、一番出くわしたくない人物であったのだ。

 カガリが健在だと知れば、きっとサハクの実権を奪い返すための謀を彼女に向けるかもしれない。

 キサカはカガリを自分の陰に隠して身構える。

 一方のカガリは、はじめキサカの行動に不審がるが、すぐに人が来ているのだと知った。そして、その人物がコトーであることも。 

 小さい頃より、周りの者からサハク家の人間には気を付けるようにと言われていた。特に当主のそれがコトーには、と。

 どうしてかは、カガリにはわからなかった。

 同じオーブの氏族の一員であり国の政に携わる人達なのに、なぜ周りの人達は彼を遠ざけるのかまったくもってわからなかった。

 そのため、分家の人達とはそれなりに関わりがあっても、今まで直接コトーに会って話をすることができなかった。

 それが今回、初めて対面する。

 いつもであれば、カガリからすすんで挨拶をするなり話を切り出すが、今回それができなかった。キサカによって彼の陰に遮られているからだけではない。遠くからでも感じる彼の圧によって阻まれた。

 父と対峙した時とはまったく違う。

 父の場合は、厳かな雰囲気の中にどこか包むような温かさがある。たとえ対峙した言葉でも敬意を払い、その言葉を受け止めていた。しかし、コトーは違った。すべてを近づけさせない冷たく鋭利な氷の刃のような鋭い眼光でそんな空気をまとっていた。

 この両者の距離がいよいよ互いが無視できないところまで近づいたとき、突如思いもよらないところから声があがった。

 「姫様っ。」

 その声の主は、カガリを迎えにきたマーナであった。

 「マーナ殿っ。」

 キサカは今が好機とばかりカガリを連れて、なるだけコトーと護衛と顔を合わせないように、マーナの所へと向かった。そして、急いで彼女に引き渡してこの場を後にした。

 コトーは一瞥しただけで、とくに何も言わず、その姿を見送るだけであった。

 

 

 

 

 さっきのは何だったのだろうか…

 邸に戻る車の中でカガリは、さきほどのことを考えていた。

 なぜ、コトーがあそこにやって来たのだろうか?本来であれば国防会議に出席しているはずなのに…

 「姫様、…あの男に何か言われたのでございますか?」

 マーナは心配そうに尋ねた。

 彼女はカガリがずっと何も話さないのをさきほどの事に関係あると思っているようだった。

 「えっ?いや、何でもないぞ、マーナ。」

 カガリもいきなりのことで面食らった顔になる。

 「まったく…サハクの者はみな意地汚のうございますから。」

 マーナはそのことに気付かないのか厭わしく話し続ける。 

 「コトー様は少し違うのではないかと、ほんの少し、ええほんの少しは思ったこともありましたよ。しかし、先代のご当主やウズミ様の行為を裏切り、五大氏族入りの有力候補だったイクマ様を陥れ、代表首長の座まで虎視眈々と狙っておりまして…。ミアカ様のことだって…。」

 「ミアカ叔母様だってっ!?」

 マーナからその名を聞いた瞬間、カガリは驚く。

 彼女に起こった真実(・・)はウズミから聞いている。

 しかし、マーナの口ぶりからなにかコトーが関わっているような言い方だ。

 「いえいえ、カガリ様。これは、姫様がお生まれになられる昔の話でございますのでそのようなこと…。」

 「マーナっ!?」

 マーナは口がすべってしまったとはっとして、必死にごまかそうとするがすでに遅かった。

 カガリはずっとマーナを見つめて答えを待っている。

 困り顔になったマーナは車内に自分と彼女以外運転手しかいないのに、そっと耳打ちをした。

 「実は…ミアカ様がお亡くなりになる前に、コトー様とのご結婚の話があったのでございます。」

 「けっ、結婚っ!?」

 突然出てきた単語にカガリは驚愕した。

 「はい、他の氏族との結婚話もございましたが…さすがにその話が出たときはわれら使用人を始め、アスハ家の者たちはみな反対いたしました。それはもう、サハクの分家筋とアスハの血筋に近い氏族間での婚姻はございますが、さすがに本家同士とは…先代様も娘をサハクの人間になどと思うておりましたでしょうが、当時の情勢を鑑みればサハク家の力を活かさなければならないという半ば断腸の思いでお決めになられたのでしょう…。」

 結婚。

 その言葉がカガリの中で反芻した。

 まだカガリには誰かと付き合いたいとか、あの3人娘たちがはしゃぐほど恋というものに熱心でもないが、結婚の式場となる神殿の祭壇を訪れれば、そこで誰かと愛を誓いあうといった漠然として程度の思いはあった。

 しかし、自分も首長家の人間。家のために自分が心から選んだ相手ではなく父親が決めた人物と結婚するかもしれない。

 もちろん、カガリ自身、首長家の人間としての責務を果たす覚悟はある。

 しかし、そこに本当に愛があるだろうか?

 それを結婚といえようか?

 ミアカ叔母様はどんな気持ちだったのだろうか?

 心から想う人がいたのだろうか、その人と添い遂げたいと思っていたのか、それとも国のためにと責務をとったのか?

 マーナはカガリの気持ちを置いていきながら話を続ける。

 「しかし、やはり反対の声が強く、再考ということで結婚は延期となりました。その後、ミアカ様はかどわかされてそのままお亡くなりになられたためその話は無いものとして以後、扱われました。」

 そして、マーナはここぞ核心とばかりに力説する。

 「しかし、我々はある疑問を持ったのです。ミアカ様は療養されていた別荘は公になっておらず、他の者が知る由もないことです。なのに、ミアカ様がかどわかされたというのは内部に手引きしたものがいたのではないかと。それに何ヶ月もかかったのは、サハクがミアカ様を人質として、当主に何か脅していたのではないのかと。当時、五大氏族でもないサハクが枢密院の会議に出席していたという話もございますので…。」

 カガリは何も言えず、ただただ呆然と聞いていた。

 「ああっ…おいたわしやミアカ様っ…。先代様も、ウズミ様も、ホムラ様も…どれほどのご心痛でございましたでしょう。」

 マーナは当時のことを思い出し、そして涙ぐむ。

 カガリは大きな衝撃を受けていた。事件にそんな裏の事情があったことだけでなく、その内容にもついてもであった。

 代表の座につくために、権力を得るために謀をする。

 なぜ?

 同じオーブの氏族同士、国のために協力し合うものではないのか?

 お父様は叔母様の死について話した時、その理不尽に怒りをあらわにしていた。もしも、父もマーナ達と同じようにサハクが関わっていたと思っていたら?

 だからサハクを遠ざけているのか?

 それが『政治(・・)』なのか?

 自分に責任がいかないように、シグルドを庇わないことも?

 自分のことを守ってくれたのに?

 カガリは納得できず理解できなかった。しかし、それを反証する答えも見つけられなかった。もはや、カガリはなにがなんだからわからなくなっていった。

 

 

 

 

 人気のない岩岸に釣りをしている老人が1人いた。

 その老人は早朝からこの場所で釣りを始めているが、昼を過ぎても彼の椅子の側に置かれたバケツに魚は1匹もいなかった。

 しかし、老人はそのことを気にしていなかった。

 彼はずっと釣り糸を垂らしたまま、椅子に座っていた。

 すると、老人の足元に置いてある携帯端末の着信を知らせるアラームが鳴る。

 「…私だ。」 

 老人は、それに手を伸ばし電話に出た。

 ただし、携帯端末は置いたまま、あくまで両手は釣り竿を握っていた。

 その格好で、携帯端末の相手の話を聞いていた。

 「なるほど…。」

 やがて電話の相手が説明を終えると老人はうなずく。

 「リュウジョウは謹慎処分、カガリ姫の職務はウズミ氏が引き継ぐということか…。」

 彼が聞いていたのは、さきほど行政府で行われた会議の内容である。

 「まあ…妥当な判断であろう。むしろ、順当(・・)というべきか…。」

 老人はその決定を評した。最後に少しの毒を付け加えて。

 (ええ、それ以外にありませんので…。)

 電話の主もどこか含みを持たせている。なにか思うことがあるようだ。

 だが、それ以上なにも言わずに電話を切った。

 「…やれやれ。」

 電話が切れて、しばらくして老人は嘆息した。電話の相手の意図を理解したからだ。

 「ワシはもう隠居して、悠々自適に残りの人生を送りたいのだがなぁ…。」

 面倒事を引き受けてしまったとぼやきながらも、老人はどこか楽しげであった。

 

 

 

 

 夕方6時のチャイムの音が透き通った空気を振動し、街に響き渡る。

 大抵、この音が鳴れば子供は遊び場から家に帰る時間としている。しかし、1人の少年が自宅とは逆の方向に街中を走り抜けていく。

 齢は8歳ぐらい、ブラウンの髪をしており小さな体に背負っているリュックサックを上下に揺らしている。勢いよく駆け抜けていくが、まるで澄みきった海をそのまま移したような鮮やかな青い瞳は輝いていた。

 今日こそは…。

 少年は胸を弾ませる。

 母親が帰宅する時刻は少し遅くて9時ごろだと言っていた。対して、彼女(・・)は7時ごろだ。

 なら2時間、彼女に会える時間がある。

 大丈夫、ちゃんと紙に行き先を書いて家に置いておいた。

 こんなチャンスを逃すことはない。

 あまりのうれしさに、少年は途中にある雑木林で一旦足を止め、そしてその中へと入っていった。

 「近道っ。」

 道なりに行けばその先の角で曲がっていくが、こちらを通っていく方が早く着く。

 暗くなった時間に通るのは危ないと言われているが、それでも少年はこの道を選んだ。

 それだけ早く会いたいという思いが強かった。

 もうすぐ着くっ

 喜びもつかの間、ふと足に何かが突っかかり、いきおいよく前に倒れてしまった。

 「いててて…。」

 薄暗かったため、地面からでていた木の根っこに気付かず、引っかかってしまったのだ。

 男の子は起き上がり、服についた土を払い落す。

 ついでにどこか擦りむいたところはないかと探すと、ふと目線の先に血のようなものが1滴落ちているのが入った。

 自分の膝やひじをみても、怪我して血が出ているような怪我はなかった。さらに、自分が転んだところより遠い。

 よくよく見ると、その血は、さらに先の方にも落ちていて、もう1滴、さらにもう1滴と続いていた。

 なんだろう…

 不思議に思った男の子はその跡を辿っていく。

 途中、血が藪の方へと入っていき、中をくぐっていった。すると血のあとの先に力なく投げ出されている人の足があった。

 

 

 

 

 外出の用事を終えて、教導部隊のオフィスに戻って来たウィリアムは目を疑った。室内には、人がおらず、いたとしても部隊長であるシキ1人であった。

 すでに時刻は終業時刻を過ぎている。定刻で仕事を終えるのはいいことだが、それでも大抵の人は残っている。とくにその筆頭に挙げられる人物が自分の視界に入る限りいなかった。その疑念を拭うべくシキに報告を終えるとすぐに問いかけた。

 「ハツセ二尉は?」

 「彼女はもう帰った。」

 「帰った?帰った!?」

 あまりにもあっさりとした回答もさることながら、その答えがあまりにも意外すぎて思わず二度言葉に出した。

 「なんか用事があったか?俺、何の引き継ぎもないんですが?」

 特に用事とかでない限り、彼女がシキより早く帰宅するなんて考えられない。しかし、その際の引き継ぎの話もなかったから当惑した。

 「お前、数日前に私が言ったことを忘れたのか?」

 「…何を?」

 「人事部から通達された休暇や手当ての件だ。」

 「ああ、そういえばそんなことあったな。」

 カガリの例の件で自分を含めて一部の部隊の人間は、多くの日が超過勤務であった。もちろん、有事ではない時は(もちろん有事には有事の規約があるが)代休や手当てを受けることができる。とはいえ、あくまで極秘の協力であったためそれを表に出さないようにするために、部隊全体に有給等々の通達をしたのだ。

 「それで、ハツセ二尉、マクシャイン三尉そしてオオシマ准尉がまず率先して定時帰宅、そして休みをとるように指示した。」

 「…その3人?」

 「考えてみろ。仕事の時間の半分をいかにさぼるかを思案する私がとっても誰も何も思わないであろう?」

 「なるほど。」

 ウィリアムは合点がいった。

 エリカから資料を渡され、これから教導隊としての仕事が舞い込んできたために、いくら休みが取れるといっても取ることに遠慮しがちになりがちな部下にシキは一石を投じたのだ。

 その年中サボることに費やす上官の目付にして、仕事に時間を拘束されているクオンとまだ若手のユキヤとリュウに休みを取ることによって、自分も休暇を取ることができるという心理が生まれるといわけだ。実のところ若手はもう1人いるが、彼はシキと同じく、休みというものを有効活用する人間なので効果はないから除外されたのであろう。

 上官として、部隊を指揮する者としてそういった采配もしなければいけないのであろう。

 と考えて、ウィリアムはふと思った。

 「…俺は?」

 思えば、自分もカガリの件で超過勤務していたはずだ。

 「ない。」

 「ないっ!?なんで!?」

 きっぱりと言い切られ、ウィリアムはあまりにもひどすぎると抗議する。

 「俺だって休みが欲しいっ。給料欲しいっ。」

 それに対し、シキは反論する。

 「お前までいなくなってしまっては、誰がハツセ二尉の仕事の代わりをするんだ?さきだって、引き継ぎの事を聞いただろ?」

 「それはいつものクセですっ。勢いで言っただけですよっ。」

 ウィルもここで認めまいと食い下がる。

 「私とて休みを取りたい、さらに欲を言えば彼女の方が仕事はやりやすい。だが、我慢しているのだ。第一、こういう時はお前の方がいいのだ。」

 ウィルはさらに反論しようとしたが、最後の方の言葉の意味を考えたため、次の言葉に間があいた。

 「…何、考えている?」

 「察しがよくて助かる。」

 ウィルの問いかけに、意を得たとシキはにやりと笑みを浮かべる。

 「だ~、だから言いたくなかったんだっ。」

 そこまで言ってウィルは後悔した。

 おそらくM1の件について彼が何かを企んでいるのであろう。外されたことについて不満であるのはわかっていた。確かにウィルも納得していない部分はある。しかし、あえて口に出さなかった。言えば、なにかよからぬことに巻き込まれかねないからだ。

 「なに…たいしたことではない。」

 シキは簡単に言うが、これは上の命令を無視してすることなのだ。一歩間違えれば危険な橋ではある。

 「は~、たくっ…。」

 ウィルは貧乏くじを引かされた気分であった。

 

 

 

 

 そのクオンはというと、自宅へと戻るため本島まで車を走らせていた。

 運転中の彼女は不機嫌だった。

 シキが自分に休暇を取らせた意図は理解している。しかし、彼女は納得できなかった。

 自分が働き過ぎだと周囲から見られているということは心外であり、またそう思われる原因はその上官(・・)にあるのだ。にも関わらず、当人からそのことを言われれば、腹が立たない道理はない。それに、どうも自分を外そうという気も感じられる。

 とはいえ、決まってしまったことを覆すことはできない。

 明日からどうするか?

 特になにかしなければいけないこともないし、何かしたいこともない。

 ルームメイトもその期間に休暇があれば、なにか予定を立てるだろうか?

 あれこれ考えているころ、ちょうど家に着いた。

 オロファト郊外の住宅街にある平屋建ての住居。

 その敷地内の駐車スペースに車を停め、荷物を持って玄関まで歩く。

 その時、ふと、隣の家と垣根になっている茂みに気配を感じ、クオンは立ち止まる。

 一体何が?

 クオンは条件反射で警戒する。

 猫などの小動物とは違う。そして、薄暗いこの時間帯にあまり人は通らない。

 やがて、茂みから何かが動き出した音がした。

 クオンは身構え、そちらに向く。

 しかし、その影が外灯に射線上に入り、その正体がわかると一瞬にして気を緩める。

 「ケントくんっ!?」

 「クオン、お帰りなさいっ。」

 ケントと呼ばれた少年は嬉しそうにクオンに駆け寄った。

 「ケントくん…なんでここに?」

 こんな時間にいるはずのない彼はいることにクオンは戸惑うが、ケントは違った。

 「遊びに来たんだよ。だけどね…ちょっと来てほしいんだ。」

 ケントは君の腕を掴んで来て欲しそうな顔で言う。

 クオンは応じるか迷ったが、やがて彼に応じ、一緒に歩き出した。

 そして、彼に導かれるままついたのは近くの雑木林であった。

 「ケントくん…ここは危ないってお母さんから言われたでしょ。」

 先を行くケントを止めるべきか悩みながら声をかける。

 「ちょっと待っててー。あと、もうちょっとなんだ…。」

 しかし、ケントはなにか探すように地面を見つめていた。

 「あっー、あったっ!」

 そして、それを見つけたケントはさらに奥へと藪の中へと入っていた。

 「ケントくんっ。」

 クオンは彼を追いかけると同時に彼が見つけたもの知るために、その地面を見る。

 すると、そこにはくすんだ赤色の液体、よくみると血であった。

 「ケントくんっ、ちょっと待ってっ!」

 その先にあるものが、少なくともいい予感がしなかったクオンは慌てて彼を追いかける。まだ小さい彼に見せるべきものではないと思ったからだ。

 「お兄ちゃん、人を連れてきたよっ。」

 ケントはすでに目的地である大きな木に辿り着いていた。そして、そこにいる人影に声をかける。そのすぐにクオンは追いつく。

 「ケントくん、何をっ…!?」

 クオンは彼に見せないように後ろに下がらさせようとした時、寄りかかっている人影が視界に入り、驚き手を止めた。

 「…シグルド!?」

 そこにいたのは病院から逃亡したシグルド本人であった。

 彼女の声に気付いたのか、名前を呼ばれたシグルドはゆっくりと顔をあげた。

 「よう…クオン…。」

 腹部の包帯には血がついていて、意識もぼんやりとしていた。

 なぜ、ここに?

 それよりもとにかく今は彼の傷をどうにかしなければいけない。

 おそらく逃亡中に傷が開いたのだろう。

 そう思っていると、後ろの方から誰か踏んだのか木の枝が折れる音が聞こえた。

 ケントはすぐそばにいる。

 自分たち以外の誰かがいる。

 クオンはとっさにケントを後ろに庇い、ホルスターから銃を抜き構えた。

 だが、彼女が撃つことはなかった。

 そこにいた人物にふたたび驚き、そして、顔見知りであるとわかったからだ。

 すると、そこには2人組の男がいた。若い男性と老人。若い方の男性はこちらが銃を向けたことに固まったが、老人の方は動じず、彼女の前へとやって来た。

 「オクセンさん?…なぜ?」

 彼女の目の前にいるのはユゲイ・オクセン。そして、若い方はレーベンであった。

 ユゲイはこちらの聞きたいことを了解しているがまずはとばかりに人差し指を口元近くに立てた。

 

 

 

 

 「これは…いったいどうなっているの?」

 帰宅したクオンのルームメイト、マキノ・イノウエはこの状況に頭を抱えた。

 彼女は行政府情報調査室という政府の情報機関に勤めている。この数日間、先日の襲撃事件における調査および情報収集だけでなく、軍とモルゲンレーテの権限をウズミから奪取しようとするサハク派からシグルドたちを国外に逃がすための計画を立てるなど多忙な日々を送っていたのだ。

 しかし、どちらも順調に事が進んでいるとはいえず、さらにシグルドの一件に関しては、先方の予期せぬ行動によって計画がおじゃんとなってしまったのだ。しかも、打って変わって今度は彼を見つけ出すことになってしまった。

 この数日間の目まぐるしい仕事に一旦区切りをつけ、ゆっくり休もうと自宅に戻ったら、彼女の予想しない状況が待っていた。

 逃亡して行方不明のはずのシグルドがなぜかいて、しかも手当てをうけてリビングのソファで寝ているのだ。また、後の捜査によって判明した共に逃亡したと思われるジャーナリストもいる。さらになぜか前宰相ユゲイもいるのだ。

一軒家賃貸とはいえ、こう人数がいると狭く感じられてしまう。

 「ごめん、マキノ。でも…。」

 クオンはケントの方を見た。

 「だってお兄ちゃん、ケガしてたんだもん…。」

 この状況にいたったのはケントがシグルドを見つけたことから始まる。

 ここに来る途中、雑木林を通っていったのだがそこで身を潜めていたシグルドを見つけたのだ。

 彼がひどい怪我を負っているのを見て、ケントはなんとか助けようとするが自分1人でどうすることもできなかった。そこで、クオンが帰宅するのを待って助けを求めたのだ。

 クオンも初めはシグルドがいたことに驚き、またどうするべきか悩んだが、ケントが真剣に彼を助けたいという思いであることを知り、家に入れ、そして内密に頼める医者に診てもらったのだ。ケントも家に帰らず、ずっとここに残っていった。

 もともと遊びに来たわけだし彼の事を心配しているのだ。

 とはいえ、まだ8歳の子どものためじっとしていられず、リビングには持ってきた学校のドリルやら遊び道具、出されたお菓子が広がっていた。

 ちなみに残りの2人はというと…レーベンは巻き込まれる形でついてきたとのことであり、ユゲイの方は知らない。

 彼曰く、レーベンの取材を受ける予定だったのだが待ち合わせ場所にいっこうに現れず探しにいったら出くわした、というが真偽のほどはわからない。レーベンが元々その予定だったと言っても納得できない。それがあくまで名目であるのではないかと疑うような人間がユゲイ・オクセンなのである。

 そのユゲイは出されたお茶を飲んでくつろいでいる。

 ここ…他人の家ですけど。

 愚痴をこぼしたところで始まらない。

 マキノとしては彼を追う側なので仕事場に知らせるのが決まった手段であるが、そうできるわけもなかった。

 その理由はケントにあった。

 「ねえ、マキノ…お兄ちゃんを助けてあげようよ。」

 ケントはマキノに頼む。

 そう、彼はここにいたる裏事情なので知らず、ただ純粋に彼を助けたいと思っているのだ。

 「お兄ちゃん、なんか追われているみたいなんだ。」

 そして、なぜか核心をつく。

 「お兄ちゃん、もしかしたら秘密のエージェントかもしれないんだ。悪いヤツらを追っていてケガしたかもっ。ねえ、だから…。」

 どうやら状況がテレビで見たドラマの場面と似ているため、ケントはそのように認識したようであった。

 実に子どもらしい発想と思いつつも、これがまただいたい合っているのが面白いとマキノは不覚にも思ってしまった。シグルドのことをケントが想像するようなスパイとかではないが、傭兵である時点で一般人ではないし、追われているのも確かだ。ただし、悪いヤツらではなく軍や政府(私たち)に、だ。とはいえ手負いの人間を捕まえようとする時点で彼にとっては『悪い人』認定か…。

 だからこそ困った…。

 果たしてどう彼に言い聞かせればいいのかとマキノは悩む。

 クオンに目を向けても彼女も同じであった。

 ケントの頼みを引き受けることを安易にできなかった。なにせ、すでに彼は逃亡犯とされてしまったのだから追う自分たちが彼を助ければ命令違反だ。しかし、ケントの思いをくじくことはしたくなかった。だからといって事情を話すこともできない。

 とにかく、彼を危険にさらさないように遠ざけなければいけない。

 「ボクも手伝うよ。ボク、ガンバルからっ。」

 問題はこのように意気込み、そのまま首を突っ込んでしまいそうなケントをどう止めるかだ。

 マキノはしばし考える。

 なかなかいい案が思いつかないマキノはふと時計に目が向きその時刻にあることを思いついた。

 「ねえ、ケント。」

 マキノはしゃがんでケントと同じ目線になり、そして両手を彼の両肩においた。

 「ケントが手伝うって気持ちはうれしいんだけど、もう夜遅い時間になっちゃたのよ。」

 そして、彼に時計を見させるように誘導する。

 時刻は夜9時。

 彼の母親がすでに帰宅し、彼が残したメモを見ているはずだ。

 「もうすぐお母さんが迎えにやって来るから今日はここまでってことで…ね。」

 そうすれば、シグルドのことをどうするか彼がいない場で決められる。

 彼がまた家にくることがあっても、数日の時間はあく。

 次に来たときにうまくごまかせられるはずだ。

 「今日のこと、お母さんに内緒にしてね。」

 しかし、うまく事がいくわけがなかった。

 「えー!?イヤだっ。」

 ケントは不満顔で言う。

 「お母さんにナイショにするけど…でも、それじゃあ、ボクがすることなんてなにもないじゃんかっ。ボクだってお兄ちゃんを助けたいのに…。」

 自分がいない間に決められると気付いたのだ。そして、自分が邪魔者扱いされたと思っている。

 「じゃあ、ボク、今日、ここに泊まっていい?明日、学校休みだしっ。そしたら、ボクも手伝うことできるよっ。」

 ケントは自分も仲間に入れてもらうよう懸命に訴える。

 「えっと…。」

 マキノはどう返答してよいものか困惑する。

 話がおかしな方向になってしまった。

 なんとか彼を遠ざけようとしたのに逆効果となってしまった。

 そもそも、自分たちはシグルドのことを、『助ける』とも『助けない』とも一言も言っていないのだが、彼の中ではすでに『助ける』という選択しかないようだ。

 「クオン…。」

 マキノは助けを求めるようにクオンに目を向けた。本当は、そうさせたくなかったが…。ケントもまたクオンの方に駆け寄り、同じように訴えるのだった。

 「ねえ、クオン…いいでしょ?今日、ここに泊まっていい?」

 それは彼女であれば、自分の願いを聞き入れてくれるという期待感を持っていた。それほどケントはクオンのことを信頼していたのだ。

 ごめん、クオン…

 マキノは心の中で謝った。

 クオンはしばし困ったような表情で答えあぐねていたが、やがて意を決して口を開く。

 「それは…できないわ、ケントくん。」

 「そんなーっ。」

 ケントはがっかりとした表情でうつむく。

 「…クオンもボクを仲間外れにするの?」

 ケントはさびしげに言う。それを見たクオンは眉を落とすが、彼に諭すように答える。

 「違うわ。いい、ケントくん?このお兄ちゃんが追われているっていうことはケントくんが危険な目にあうかもしれないってことなのよ。私たちはその危険からケントくんを守りたくてその追っている人達にケントくんを知らせないようにしたいの。それに今日、この家に泊まるってお母さんからいいかどうかも聞いてないでしょ?」

 「じゃあ、お母さんが来たときに聞くよ。それじゃダメ?」

 「それでもダメよ。」

 クオンはケントに言い聞かせる。

 「この家に遊びにくることだって前もってお母さんに聞かないで、ただメモだけ置いてきたんでしょ?」

 「…うん。」

 「何も知らないお母さんが、家に帰ったら暗くてケントくんがいなかったら、メモをみるまでとてもとても心配すると思うわ。それなのに、家に泊まるっていったらお母さんの気持ちどうなる?」

 「だって…そうじゃなきゃクオンに会いに行けないし…。」

 ケントは言い訳するが、口をもごもごさせて小さく言うだけだった。

 「どんな理由があっても、ちゃんと自分で言ってそしていいって言わないとダメだって教わったでしょ?」

 ケントはうつむきながらうなずいた。

 「でも…ボクが助けたいって言ったのに、なにもしなくていいの?」

 自分が言っておいて、安全なところでそれを見ていることができないと思っているようであった。

 「大丈夫よ。ケントくんのその気持ちだけでもきっとお兄ちゃんも喜ぶから。それに私たちがケントくんの代わりにちゃんと助けてあげるから。それともわたしたちじゃダメ?」

 「そんなことないよっ。ボク、クオンのこと、信じているよっ。…じゃあ、絶対に・・絶対にお兄ちゃんを助けてね。」

 「ええ。」

 ようやく、ケントが折れたところで玄関のベルが鳴った。

 誰が来たのかは、これらの会話を推し量れば明白であった。

 「ほらっ、帰る支度を始めなくちゃ。」

 クオンは立ちあがり、ケントにうながす。

 「…また、遊びに来るね。その時、教えてね。」

 「ええ。だけど、遊びにくるときはちゃんとお母さんに言ってからね。」

 そう言うと、ケントはうなずいて出していたものをリュックにしまい始めた。

 そして、クオンは訪問者の応対するために玄関に向かった。

 「…僕たち、どこかに隠れた方がいい?」

 これまでずっと彼女らの会話を聞いていたレーベンはそっとマキノに耳打ちする。おそらく、来たのはケントの母親だろうが、リビングまで入ってくることを考えると自分たちの姿が見られないようにした方がいいのではないかという懸念があった。

 「大丈夫よ、どうせ玄関までだから。」

 しかし、マキノの返答はそっけないものであった。

 レーベンは少し訝しむが、それ以上聞くことはできなかった。

 クオンが玄関を開けると、黒い光沢がありしわひとつないスーツを着こなし、そのスーツに負けずに無駄のないしゃきっとした立ち姿をした30代の女性が立っていた。

 ケントの母親、ラナ・リンデンである。

 「ケントは?いるのでしょ?」

 ラナは挨拶もなく、ただ用件のみをクオンに告げた。その口調はぞんざいなものであった。

 「ええ、リンデンさん…。」

 やがてリュックを背負ったケントが玄関まで出てきた。

 ケントの姿を認めたラナはクオンに対して向けていた態度を一変して彼に柔和な笑みを浮かべた。

 「ほら、ケント。明日、学校が休みだからってもう夜遅いでしょ?さあ、帰りましょ。」

 ケントは俯いたまま、コクリと頷き、差し出されたラナの手を繋ぐ。

 「今日の夕飯は魚よ。」

 「…ロコモコがいい。」

 「こんな遅い時間だと食べきれないでしょ?また今度ね。」

 ラナはすでにクオンが眼中にないとばかり、ケントを家の前の道路に停めた車へと連れて去って行く。

 途中、ケントが名残り惜しそうに、ほんの少しクオンへと目を向けるが、それまでであった。クオンもまた最後まで見送らず玄関を閉めた。

 「いったい何なのさ…あれ?」

 物陰でこっそりと見ていたレーベンは唖然とした。

 あの女性の身なりはしっかりとしており、立ち居もそれにふさわしいものだ。おそらく礼儀作法もしっかりとしているはずなのだが、応対したクオンに対してはとても冷たいものであった。とても恐ろしいぐらいに…。

 彼らが帰った後、リビングに戻って来たクオンは申し訳なさそうに顔を向ける。

 「…ごめん、マキノ。」

 「まったくよ、ほんと…。」

 マキノも溜息をつくが、どこかあきらめたような感じであった。

 「いったい…何?」

 それに対し、2人の会話にレーベンはまったく理解ができなかった。

 彼女たちは何を話しているのだと?

 レーベンはまったく気付いていないが、帰り際にケントが言った言葉を了承したことによって自分たちはシグルドたちを助けなければいけなくなったのだ。

 もちろん、答えを控えることはできたが、あの子の真剣なまなざしにそれはできなかった。

 「まあ…ケントは完全に『助ける』って前提だしね…。」

 そうやって決めたなら、頑として意思を曲げることはしないのだ、ケントは。

 それをまず説得できなかった自分が悪い。

 そのため、マキノはもう過ぎたことと気にしていなかった。

 問題は、この後だからである。

 「てなわけで…。」

 マキノはレーベンとソファで寝ているシグルドに向き直った。

 「あんたたちを何がなんでも、匿って逃がすからね~覚悟しておきなさいよ。」

 「なんか…ヤケクソみたいな顔で言われても…。」

 レーベンは勢いに押され気持ち後ずさった。

 たしかにありがたいといえばありがたい話である。

 実のところ、レーベンは病院から逃走したシグルドを拾って車で逃げてきたのだが、その経緯も事情も一切知らない。本当に、ただ巻き込まれただけなのだ。

 だから、逃げている最中、シグルドが意識を失った時は大慌てだった。この後どこに隠れればいいかも聞いておらず、ここの地縁もない。

 とはいえ、これはシグルドの問題だ。

 自分がここでしゃしゃり出てしまったら、それこそ共犯確定になる。

 応じていいのかと悩んでいるその時、ソファから声がした。

 「おい、なに勝手に決めてるんだ。」

 それまで寝ていたはずのシグルドが目を開けていたのだ。

 「狸寝入り?…いつから起きていたの?」

 レーベンはこの状況の説明を求めないシグルドの様子から寝ているふりをしているとわかった。まあ、そっちの方が話は早いが…。

 「こんながさつでうるさい声が聞こえてきちゃ否応なく目を覚ますか。ただ、起きたら起きたでいろいろ大変だから、な。」

 「…まあ、そうだね。」

 マキノとケントのやりとりの最中にシグルドが起きればたしかに話がややこしいことになったであろうと簡単に想像できたため、レーベンは納得してしまった。

 「それよりも…。」

 まだ動くと痛みが走るのか、顔をしかめながらシグルドは上体を起こしてマキノに向き直った。

 「おまえら、俺を『追う側』なんだろ?なのに、俺を逃がす手伝いなんてするんじゃないっ。」

 シグルドに支援を断られたマキノはムッとした。

 「あのね~。誰の助けなしにどうやって逃げるつもりなのよっ。もう容疑者として手配した以上、片目つぶって国外に脱出なんてできなくなったからね。」

 そもそも、こんなややこしい事態になったのは誰のせいだ。

 そう不満に思っているが、シグルドから意外な言葉が出てくる。

 「俺は逃げる(・・・)なんて一言もいってないっ。」

 「じゃあ、どうするつもりなのよ?」

 「襲撃犯を追いかける。」

 驚くべき発言に開いた口が塞がらなかった。

 それもそうだ。

 すでに契約は無効になったようなものだ。にも関わらず、なにかあるわけでもなく彼自身は任務を遂行しようとしている。しかも、その襲撃者の正体についてこちらの調査でも未だ不明なのだ。

 「…襲撃犯を知っているの?」

 マキノは訊いた。

 いくらなんでも何の当てもなく探すほどシグルドは無鉄砲ではないことは知っている。

 「…その勢力の一部の人間を、な。」

 シグルドはそう答えるとなにやら意味ありげに笑みを浮かべた。

 「親父から聞いてないのか?」

 「リュウジョウ准将から?」

 どういうことだ?

 マキノは疑問を抱いた。

 軍でその情報を得ているのであれば情報調査室と共有するはずだ。しかし、それがきていない。もしかして、本土防衛軍で独自の任務で動いている。

 シグルドはさらにぼそりとつぶやいた。

 「…とはいっても、親父自身の中で留めているのかもしれない。それをウズミが勘付いているかもしれない。」

 「…なにそれ?どうしてウズミ様も?」

 マキノはわけがわからなかった。

 たしかにこの一件は彼が引き継いだが、それを知ってのことなのか?

 「まあ、あくまでも推測(・・)だ。だが、もしそうだったならば、俺につっぱねられうことを想定して国外脱出の道筋を用意したのもうなずける。」

 「…どういうこと?」

 しかし、シグルドはこれ以上マキノの疑問に答えるようなことはしなかった。

 シグルドは立ち上がり着てきた上着をはおる。

 「俺たちはもう行く。すこし休ませてくれたことは礼を言う。だが、ご覧のとおり首を突っ込めばお前たちにも危険が及ぶんだ。」

 そして、レーベンへと目を向けた。

 「あの少年に今度会ったら、礼を言っておいてくれ。おかげで助かったって。この後のことは俺たちでなんとかする。行くぞ、レーベン。」

 レーベンはやはり自分もついていかなければいけないんだと半ばあきらめ顔であった。

 彼が出て行こうとするが、マキノはふたたび彼らを止めた。

 「ちょっと待ってっ。あなたたちが襲撃者を知っているならなおさらよ。」

 「おまえなぁ…それじゃあ職務規定違反になるぞ?」

 「アンタに協力することと調査室に話を持っていくこともたいして変わりはしないわ。」

 「おいおい…。」

 シグルドは呆れまじりの溜息をついた。

 一応の礼として含みのある言葉で襲撃者を追う助言をしたのだが、変な方向にやる気は出させてしまったようだ。

 「それで事が進むなら、藁だってつかむわ。」

 「それに…。」

 それまで黙っていたクオンが口を開いた。

 「あなたが逃げ切ったにせよ捕まったにせよ、その足取りは追う。なら、この家で匿ったことは明らかになるわ。…そうでしょ?」

 「…クオン、お前もかよ。」

 「私はケントくんがあなたを助けてくれるように頼まれて、それを引き受けたのよ。」

 「おいおい…。」

 要するに、ケントのその頼みは自分を助けることだから襲撃者を追うということも助けに入るという解釈だ。

 「かつてあなたがしたことを同じよ。」

 「いや…俺は貸し(・・)を作ったつもりないんだが…。」

 「なら、これも私がしたいこと。それでいいでしょ?」 

 2人の様子にレーベンはシグルドに耳打ちした。

 「…どうするの、シグルド?」

 それはシグルドも困った事態となってしまった。

 確かに、彼女たちの力を借りれば襲撃者を追いやすい。しかし、その襲撃者のうちの1人、あの男(・・・)がいる以上、簡単にうなずけなかった。

 自分がそいつを知った経緯(・・)、あの事件(・・)に彼女たちを近づかせたくなかった。

 しかし、ごまかして彼女たちを引かせることもできない。

 「そんなに困っているのであれば、いい方法があるぞ?」

 すると、それまでこれまでの成り行きを見ていたユゲイが口を開いた。

 ちょうどお茶を一服終えたとこであった。

 「そういえば…なんでユゲイ様がここにいるんですか?」

 マキノはこの招かれざる客に訊いた。

 「もう忘れたのかい、マキノ。ワシはそこのジャーナリストとの…。」

 「その建前はいいですっ。」

 何かの考えがあってこの人がやって来たのは明白であった。

 その本心を問いたかったのだ。

 「まあ…たしかに建前は抜きにしようか。」

 ユゲイもあっさりと認め、ここに来た理由を話し始めた。

 「実はワシのところにも、此度の一件についての話が入って来たのだよ。それを耳にしたとき、どうもきな臭いものを感じ取ったのだ。そこで、この事件を詳しく知っていそうなシグルドを探していたのだ。」

 「ああ、そうか。だけど、シグルドが逃亡中だから一緒にいるレーベンを探していたってことね。」

 マキノは納得した表情になった。

 「そうだ。それで、シグルド…ワシに雇われないか?」

 ユゲイの唐突な言葉に一同、驚く。

 「いやいやいや…ちゃんとワケはあるぞ。」

 みんなの反応が意外であったことにユゲイは話を付け加える。

 「さっき言ったように、この一件に違和感を覚えた。しかし、ワシは隠居の身でありなんの役職にもついていない。そんな人間が国事に関わるのはちと回りくどくて面倒なのだよ。そこで直接動かせて、かつ遂行能力のある人物を探していたのだ。」

 「それが…俺、ということか。」

 「そうだ。それに、君たちにとっても都合がよいであろう?」

 またもや意味ありげな言葉にみな訝しむ。

 ユゲイはその反応を見て、ニッコリと答える。

 「襲撃者を追いかけるシグルドにとって、オーブからの追手をワシが食い止めることができる。それに襲撃者と戦う際、クオンもおれば心強いであろう。そして、彼に協力したいマキノやクオンにとって、もしも上にバレてもワシからの頼み事(・・・)とすれば言い逃れできよう…。なあ、悪い話ではなかろう?」

 思いもよらないことが起きてしまったものだ。

 シグルドは内心、苦笑した。

 たしかにユゲイであれば、それができるであろう。

 もちろん、彼自身も何か考えがあってのことであることは確かだ。

 だが、それ無下につっぱることはできない。

 いかにも好々爺のごとく穏やかに言うが、その(じつ)、半ば脅しをかけてきている言いようであるからだ。

 「…わかった。」

 ここは承諾しかないようだ。

 それを聞いたユゲイはニッコリと笑みを浮かべた。

 「よし。それでマキノたちはどうだ?」

 「どうって言われても…。」

 マキノたちも思わぬ話に困惑しているが、承諾せざるを得ないと思ったのかうなずいた。

 「よいよい…。」

 ユゲイは満足そうであった。

 こうして、奇妙な共闘が始まった。

 

 

 

 

 オロファト市内の多くのホテルが立ち並ぶ地区。

 その一角にあるバーは観光客、地元の人間問わず多くの人が訪れ賑わいを見せていた。

 それは今日も例外ではなかった。

 今宵、店に入って来た男性客は混み合うなかから自分が座る席を確保しようとあたりを見渡す。その最中、カウンター席の端に座る美女に目が行く。説教的な男性であれば、彼女をナンパしようと近寄っていく。しかし、男たちはその近くまで来ただけで、そのまま彼女から遠ざかる。彼らは、今、彼女がものすごく機嫌が悪いと雰囲気から感じ取ったのだ。

 実際、彼女は怒っていた。

 まったくとんだ災難よっ。

 ミレーユは心の中で怒りの言葉を吐きだし、次いで出されたカクテルを飲み干す。

 事情聴取を受けた彼女は機密漏えいに関わっていないとして釈放された。ちなみに、フィオリーナの方は、証拠もあがっているためしばらく勾留は続くようである。

 もはやここには用はないと、さっさとカルロッタ・スメラルドに戻ろうと思ったが、すでに時間も遅く、便もない。また、この一件でカガリとの契約は無効となったため、これまで使っていたホテルは滞在できなくなった。そのため、仕方なく別のホテルに泊まり1日滞在することとなったのだ。

 どいつもこいつも身勝手なんだからっ。

 彼女の怒りの矛先はシグルドとレーベンに向けられていた。

 人の意見なんか聞く耳を持たず、勝手に行動してどっかに行ったシグルドと、それについていったレーベン。

 警務官から、シグルドが病院から抜け出し逃亡した際、彼を車に乗せていったのがレーベンであると聞かされた。その話を聞いたミレーユは、彼の性格、状況からレーベンがただたんに巻き込まれたと推測した。

 なに、あの猪突猛進に押しきられているのよ。あんなのさっさと放っておいて戻ってきなさいっ。

 これまでシグルドが傭兵の仕事(・・・・・)を越えて事に関わることはあった。その度に、こっちは振り回され苦労してきた。それでも我慢してきたのは、しっかりと仕事をするし、ちゃんとその分の報酬も得ることができたからだ。

 だが、今回は度を越している。

 だからこそ、これ以上ついていけないと手を切った。

 とはいえ、このように彼に不満をこぼすのは、心のどこかでは気に掛けているからなのだが、それを指摘しても彼女は決して認めないであろう。

 このように険悪な顔つきで飲んでいる彼女に誰も近づけないのだが、そこにあえて声をかける1人の勇者が現れたのであった。

 「これはこれは…偶然ですね。」

 彼女の隣に座り、酒をバーテンダーに注文したのはリャオピンだった。

 周りの客たちはこの2人の成り行きに固唾を飲んだ。誰もがこの男は数秒後には物理的にノックアウトされると思っていた。

 「よもや、ふたたびあなたにお会いできるとは…。とても光栄です。」

 歯が浮くような言葉をかけるリャオピンにミレーユはスパッと短く返す。

 「私はとっても嫌よ。気分転換したいのにあなたなんかと会ってしまって。」

 彼女は明らかに不快であるといった態度であった。

 しかし、そこでリャオピンは引かなかった。

 「気分転換とは…。なにか嫌なことがあったので?相談に乗りましょうか?」

 なにもかも知っているくせに知らないふりをしてっ!

 「仲間内で喧嘩した?シグルドと何かあったと?」

 「別にっ。」

 今、一番聞きたくない名を聞き、ミレーユはさらに不機嫌になる。

 というか、さきほどから彼は人を口説くつもりで気分を害させることしか言わない。そんなので女性を振り向かせられると思っているのか。

 ミレーユはだんだんと腹が立ってきた。

 「第一、彼とはビジネスパートナー…仕事上だけの付き合いよ。…私は『仲間』とか『友』とか『家族』とか世の美しい関係の付き合いなんてこれまで一度もないわ。」

 「…そう。」

 その言葉に対して何も言わず、ただ聞いているだけであった。

 「それよりもいいの、あなたこそ?いろいろと忙しい身(・・・・)じゃないの?」

 「いや~ちょっと残念なことに…。」

 リャオピンは苦笑いを浮かべた。

 「ちょっと仕事の失敗(・・・・・)があったんで…事務の仕事はしばらくやらせてもらえなくなっちゃんですよ~。その代わり、ホムラ代表と教導部隊の連絡係をすることになったのですが…。」

 「…どういうことかしら、それ?」

 リャオピンの話にミレーユは思わず手を止めて訊く。

 仕事の失敗というのは、自分たちを国外へ脱出されることができなかったことであろう。それはおいといて、なぜホムラ代表と教導部隊が繋がるのか?そして、なぜそれをわざわざ彼が口に出したのか。

 「さてさて…どういうことでしょうかね~。」

 リャオピンは彼女が何に関心を示したのかわかっていてあえてとぼけえるふりをする。

 その様子にミレーユは一瞬不愉快に感じたが、考えを改めて見てみる。

 初めは、とてもイライラすると思っていたが、これらの言葉は何かの意図を込めているのではないか?

 深く考え過ぎのように思えてならないが、シグルドの彼に対する評価を思い出すと、やはり何かの意図があると思ってしまう。

 そして、ふと何かに気付いたミレーユはそれまでのぞんざいの態度とは一変し、リャオピンに向き直る。

 「…お互いに慰めが欲しいってことね。」

 リャオピンはにっこりと笑い席を立った。

 「もっと静かに飲むことができるバーがこの近くにあるんです。そこで飲み直しませんか?」

 「ええ、そうしようかしら。」

 ミレーユもまた微笑み、リャオピンの誘いに応じた。

 

 

 

 

 朝。

 オノゴロ島の海沿いの道を1台の黒い車が走っていた。

 ここは…昔とあまり変わっていないな。

 後部座席でホムラは車窓の流れる景色を懐かしむように目にしていた。

 経済発展にともない高層ビル群が立ち並ぶようになったといはいえ郊外へと進めば、依然としてオーブの自然が残っている。

 この道の先にアスハの別荘がある。

 今ではあまり使われなくなったが、昔はよく長期休暇を家族で訪れていた。

 母、忙しい合間を縫って自分たちと過ごしてくれた父と従伯父、兄、そして妹。

 当時の自分にとってそれが当たり前の時間であり、今でも色あせない大切な思い出であった。それだけに、現在(いま)に至るまでに起きたことを思えば、その思い出も、胸に突き刺す痛みとなった。

 別荘の敷地内に車は到着した。

 車から降りたホムラは、運転手をそこで待機させ、邸内に入るのではなく別の場所へとその足で運んだ。

 

 

 

 

 「どうもおかしいのよね…。」

 朝のコーヒーを飲みながら出したマキノはぶつぶつ言う。

 彼女が考えているのは昨夜の出来事の1つであった。

 手を組むことになったことが決まり、マキノはさっそく襲撃者の名前を訊いた。今日、職場で手掛かりを得るためにだ。

 しかし彼はそれを問われた時、どこか歯切れが悪かった。

 ‐ギャバン・ワーラッハ。そいつが先日の襲撃の、ゾノのパイロットの名前だ。‐

 やっとのことで聞き出せたが、あまりにも簡潔すぎる答えであった。

 それだけで本当に見つけられると思っているのか。

 せめて所属ぐらい、例えば民間軍事会社とか武装勢力とか明かしてほしかった。

 「シグルド…絶対に他に何か隠しているわ。」

 ここまで来ていまだ足踏みする彼があまりにもらしくないのが、怪しく感じるのだ。

 彼女の独り言をクオンは聞きながらもそれに受け答えはしなかった。

 これが、彼女が思考を整理しているのだとわかっているからだ。

 もちろん、クオンもマキノ同様シグルドが何か隠している思っている。

 手を組む以上、隠し事をしているのは互いに連携も取れないし、命の危険にさらされてしまう。

 とはいえ、そのことを無理に聞きたいとまでは思っていなかった。

 それよりも目下のところ彼女の心配は、マキノが仕事に遅刻しないかどうかであった。

 考え事をしているせいで明らかに普段よりも朝の準備が遅い。

 自分は休みだからいいが、彼女は今日も普段通り出勤するのだ。

 とはいえ、考え事をしている彼女に何を言っても無駄なのは承知済みなので言わずにただ見守るだけであった。

 その時ちょうど玄関ベルが鳴った。

 まだ時刻は朝7時。

 あまりに早い訪問に訝し気ながら、考え事をしているマキノに代わってクオンが出ると、ユゲイが立っていた。

 「失礼するぞ。」

 こちらの了承の有無などおかまいなしにユゲイは家に上がりこんできた。彼の後ろからレーベンも続き、彼は申し訳なさそうにしながら入って来る。

 「ちょっとっ!?朝の女子の家に勝手に上がりこんでくるなんて失礼じゃないっ!?」

 リビングにまで入って来てはじめて気付いたのかマキノが抗議の声を上げた。

 今更感が拭えないが…。

 「声はかけたぞ。それに…いつまでも外で待っておったらレーベンくんを誰かに目撃されるであろう?」

 「そんな屁理屈…。」

 しかし、彼女はこれ以上反論しなかった。

 彼の来訪は何かがあってのことというのは推測できたからだ。

 ユゲイもそれを察知したようであった。

 「実のところ…随分と悩んだのだ。」

 そして、テーブルに封筒を置いた。

 「ちょっと…これっ!?」

 封筒の外見にマキノは驚きの声を上げる。

 それは、機密ファイルに用いられるものであったからだ。

 「ああ。ここには国家の機密(・・・・・)に関する文書が入っている。」

 ユゲイは彼女に答えるに言った。

 「どうしてこんなものを…。」

 それほどの機密文書であれば、無断で持ち出せば重罪だ。

 ユゲイはそれを覚悟で持ってきたのだ。

 「昨夜ワシはシグルドから聞いた名にどれほど驚いたか…そして、同時に合点がいった。」

 「それって…ギャバン・ワーラッハて男のこと?」

 マキノの質問にユゲイは頷いた。

 「そして、このファイルにはその男がオーブで(・・・)関わった事件(・・・・・・)について書かれている。」

 「…え?」

 マキノはそのユゲイの言葉に驚きを禁じ得ない。

 彼がオーブにおいて事件を起こしていれば、名前ぐらい情報機関で伝わっているはずだ。しかし、その名前はシグルドが聞かされた時、まったく知らなかった。

 「だが…その前に…。」

 ユゲイが何か含んだ言い方をする。

 「この内容(・・・・)を知ること(・・・・)は君たちにとって非常に危ない橋を渡らせてしまう。それほど厄介な事件(・・・・・)だ。ゆえに、手を引く(・・・・)という選択を用意する。」

 「…それほど厄介(・・)なの?」

 マキノは顔を強張らせる。

 手を組むと決めたにも関わらず、それをたった1日でひっくり返す。しかも、他ならぬ提案者であるユゲイから出てきた言葉だ。

 彼にそう言わすのはよほどのことのものだ。

 「言い出した身として申し訳ない。だが、万が一ということもある。だから、今一度君たちに選択する機会をもうけたかった。退いてもらっても構わない。このまま続けるとなれば、もう…後には退けないからな。」

 どうやら自分たちを試すためではなく本気で心配し言っているようである。

 「…どうするかは君たち次第だ。」

 マキノはいったん息をついた。そしてクオンへと向いた。

 「どうする、クオン?」

 ここは彼女の決定に従おうと思ったからだ。

 あまりにも重いからなすりつけたというわけではなく、昨夜、ああは言ったが、そこまで拘る気はないのだ。

 シグルドから情報を得られなければまた別の手を考えればいい。

 だからクオンが引くと言えば引くことを選ぶし、続けると決めればそのままついていくだけであった。

 とはいえ、クオンの答え(・・)ははっきりとしていた。

 「私は、すでにこのオーブ政府にとって危険対象者(・・・・・)よ。今さらその理由が1つ増えようが減ろうが何か変わるわけないわ。」

 「なるほど。じゃあ後で私がそのピックアップをこっそり削除しておくわ。」

 冗談めかした言葉を言った後、ふたたびユゲイに向き直る。

 「本当に…よいのだな?」

 ユゲイが念を押した。これが最後のチャンスだと。

 「知らない方がよかった、と思ったことは何度もありました。それで傷ついて、つらい思いして…。」

 クオンは困ったような笑みを浮かべた。

 「けど…知らないというつらさも知っていますから。」

 「…そうか。」

 ユゲイは彼女たちの決断を尊重しもう何も言わなかった。そして、彼女たちに封筒を差し出した。

 その封筒をマキノが手に取った。

 数十枚もあるであろう、厚くそして重かった。

 ユゲイほどの人物が、ああまで言わせるほどの最重要の事件がこの中に入っている。

 マキノはつばをゴクリと飲み込む。

 まるで他人の秘密を覗き見る気分だ。

 どこか悪いことをしつつも、知りたいという好奇心によって覗き見る行為…いや、その表現は間違っていないであろう…国という秘密を見るのだから。

 マキノは封筒を開けて、書類を取り出した。

 

 

 

 

 別荘の地下には緊急事態用の避難シェルターが備えられていた。久しくこの別荘が使われなくなったのと同時にシェルターも使われなくなったが、しかし、その内部へと入ると真新しさがあった。さらに奥にはこれまでなかった扉がある。

 ホムラはロックを解除すると、その重々しい扉が開かれる。

 「おまちしておりました、ホムラ代表。」

 扉の先にはカローラが待っていて、彼をその奥へと案内する。

 「しかし、話を聞かされるまでは半信半疑であったよ…このような隠し場所(・・・・)があったとは…。」

 「私もです。モルゲンレーテの地下工場の近くに工場区があるとは夢にも思いませんでした。」

 ホムラの感嘆にカローラもうなずく。

 この場所は、ウズミが密かに推し進めていたMS計画を続けるために用意した一空間だとのことだ。

 その計画はサハク派のアストレイおよびその量産機がオーブのMSとして制式採用されたことで表向きは凍結された。しかし、実際はアスハ家の私費と私有地で続けられていたのだった。

 自分の別荘の地下、しかも位置的にはモルゲンレーテの地下工場の近くにある。

 サハク派もよもや自分たちの目と鼻の先でMS計画が進んでいるとは夢にも思っていないであろう。

 自分の兄ながら思いもよらない発想に毎度驚かせる。

 「…そういえば、君に見せようと思ったものがあったのだ。」

 とホムラは1つの書類を取り出した。

 「これは?」

 「昨日のモルゲンレーテへの不正アクセスの件で拘束した容疑者の調書だ。その一部分を持ってきたのだ。彼女、途中からMSについて持論を展開して…聴取した者も、あまりにも長く真剣に話すものだから、ついついそれも書きとどめておいたとのことで…。」

 本命の容疑について、彼女から得られるものがなかったためか、あまりにも短くなったため、その蛇足も付け加えたようだ。

 「それはそれは…。」

 カローラは笑みを浮かべて、その書類に目を通した。

 どうしたものか、彼女が詳しくわかりやすく話していたのか、下手な論文よりも面白いものとなっていた。

 「うらやましいです。こんなにも才能があって…。」

 しかも、その内容はどれもカローラの目を引くような興味深く新しさもあった。

 もちろん不正アクセスの件は許されるものではないが、もしできるなら、今進めているMSの開発計画を、彼女に任せたいと思うようなものであった。

 「君の気持ちがわかるよ。」

 ホムラは、自分も感じたことあるのかうなずく。

 やがて、彼らは大きくひらけた空間に辿り着いた。

 薄暗いその部屋の中で、白く光るライトは自分たちの目の前にまるで鎮座するように置かれているMSに当てられていた。

 「これが、例の機体(・・・・)かね?」

 ホムラはMSを見上げ尋ねる。

 「いいえ。これは、フラグシップとなるべき機体の試作機です。」

 カローラは機体の説明を始める。

 「ORB-00…私たちは機体名や型式番号ではなく、通称としてその番号からとった『零式(ぜろしき)』と呼んでおります。」

 「ふむ…。」

 ホムラは零式(ぜろしき)と呼ばれたその機体を見上げた。

 フォルムは現在量産しているアストレイやヘリオポリスで製造された地球軍のMSと似た直線的でツインアイ、V字型のアンテナをようしていた。赤と白の色に包まれたその機体はライトに当てられているためかまるで燃え立つ炎のようであった。

 それはオーブを輝かす火となるか、すべてを破壊尽くす炎となるか…。

 ふと脳裏に昔聞いた言葉がよみがえった。

 ‐彼は火を飼っている。‐

 それは大人たちが兄について話していた時であった。

 アスハの後継者として彼がふさわしいかどうか…

 その際に長老が放った言葉であった。

 ウズミを一言で表すのであれば、それは火である、と。

 ‐火は文明の象徴という。彼によってオーブに稀に見る繁栄を見るであろう。しかし、火は時に烈しきものとなってあらゆるものを焼き尽くす。特に彼の火は執念深く、自分が焼き滅んででも相手を焼き尽くすまで消えぬ火でもある。彼がオーブに繁栄をもたらす者か、オーブを滅ぼすか…よくよく考えて決められよ。‐

 兄がオーブを滅ぼす?

 それはホムラにとって信じがたい思いを抱かせた。

 たしかに兄は火のような人である。 

 だが、それは世の理不尽に対する怒り、つまり義憤である。

 その正義感をもって、そして彼が目指す理想を実現するため、決して妥協することなく、優れた才能に奢ることなく突き進む努力家…

 それがホムラの兄に対する印象であった。

 しかし、そうは否定しても心の奥底のどこかでは長老の言葉が残っていた。

 その義憤の火が、苛烈となって業火に変わる…そのような瞬間を時折見ることがあったからかもしれなかった。

 そう…20年前の雨の日(・・・・・・・)もそうだった。

 棺を前にした兄の背中を、決して忘れることはなかった。

 「オーブの獅子、か…。」

 ホムラは小さく呟いた。

 人々は兄を称賛する。

 彼の類まれなる政治手腕とカリスマ性によって小国であるオーブを経済大国へと発展させたことに。連合とプラントという強大な2つの勢力に渡りえるその手腕に。両者もまたオーブの立ち位置に敵意を向けるが、彼の存在を軽視できずにいる。

 しかし、それが兄の本当の姿なのか?

 ‐イクマ・ウタ・ハツセはウズミが『怪物』と化すのを恐れていた。‐

 それは代表就任した日、『彼()』が突然自分の元へと訪れ、開口一番放った言葉であった。

 ホムラはまず『彼』が訪れたことに驚いたのであった。

 それは『彼』と兄の対立があったからだ。

 だからこそ、その言葉にまた驚かされるのであった。

 ‐…これから世界の情勢はますます混迷を極める。その中で進むオーブの道。…あなたならば、その意味をおわかりであろう。‐

 彼の言葉が、かつて聞いた長老の言葉と重なる。

 偶然ではない。今ならわかる。

 長老は自分がそこにいるとわかって、あえて言ったのだ。

 自分にいつか来る行動の選択をさせるために。

 

 

 

 

 「こっ、これって…。」

 報告書を読み終えたマキノは言葉を失った。隣で同じく見ていたクオンもまた息を飲んだ。部外者に近いレーベンに至ってはもはや何がなんだかわからず混乱しているようであった。

 封筒に入っていたのはある要人(・・・・)が巻き込まれた事件の報告書であった。ほとんどが黒塗りとなっているが、その行間や透かしから見て取れた。

その要人とは、ミアカ・シラ・アスハ…当時のアスハの当主の娘、つまりウズミとホムラの妹だ。しかし、彼女は病気で亡くなったはずだ。そう公式的に発表されているし、その時のニュースの記憶している。

 なのに…

 そこには拉致され、そして死亡したのだ。

 「…どういうことなの。」

 マキノは信じられない気持ちだった。

 「それが真実(・・)だ。ワシも、それを知る者の1人だ。」

 ユゲイは沈痛な面持ちで口を開いた。

 「しかし、我々はミアカ姫の死の真相に蓋をし、病死と公にしたのだ。」

 そして、ユゲイは続けて言う。

 「黒塗りになっている拉致の実行犯…その者がギャバン・ワーラッハ。」

 「なんですって!?」

 さらにユゲイは衝撃的な言葉を口にした。

 「その拉致現場に居合わせ、目撃した少年がいた…それがシグルドだ。」

 マキノは愕然とした。そして先ほどまでの疑念に対してようやく合点がいった。

 シグルドが名前を明かすのを躊躇ったのはこれが理由だったからだ。

 彼だけではなく、おそらくバエンもウズミも知っているとマキノは仮定した。

その時、マキノは背筋が凍るのを感じた。 

 人が死ぬというのは、それが他人によってもたらされた死であれば、それに関わっている人の人生に影を落とす。

 そして、その張本人がふたたび現れたのだ。

 なぜ、ふたたびその人間がやって来たのかはまだ知らない。だけど、とても嫌なことが起こるのではないのか…そんな不安な予感がしたのだった。

 

 

 

 




あとがき

もともと前・後編合わせて1話でアップする予定でしたが、分割してもやはり長い。
そもそも…この話はここまで長くする予定でなかったんですがね…
その理由は追々どこかのあとがきで書きます。(多分…)
ただ、その内の理由の2つぐらいは書きます。
それはある登場人物を前倒しで登場させたこととかなり後になって登場させてしまったことです。前者はケントくんことケント・リンデン、後者はユゲイ・オクセンです。
ケントくんはもう少し後ぐらいに出てくる予定でしたが、そうなるとごちゃごちゃするし慌ただしい感じになるので、早めに出ました。そして、ユゲイの方は実はアスランたちがアークエンジェルがいることを確認するために潜入した際に目撃していた釣り人…実は彼なのにです。本当ならその1話後にこの釣り人の正体として出てくる予定でしたが、「別にここカットしてよくない?」という作者の考えのもと削られ、そのまま宙に浮いた状態となってしまいました。
ということで、彼らがこの事件にどう関わっていくか…また次の話で会いましょう~ではっ。




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