『風評』について……
……俺が一番嫌いな言葉の一つだよ。人ってヤツはこういうのに面白おかしく脚色したがるからね。君も誰かの風評を聞いても、それを鵜呑みにしちゃいけないよ?
不規則に草が揺れる音で目を開ける。
「──痛っ……」
無意識に動かした首を襲う鈍い痛みで、残った眠気も覚めていく。
どうやら、慣れない体勢で寝ていたからか、寝違えてしまったようだ。
そして、その原因たる彼女であるが──
「んんっ……すぅ……」
──今もこうして穏やかな寝息を立て、身体を預けている。
よくもまあ、こんな体勢で熟睡できるとは思うが……こうも気持ち良さげに寝ているのを見ると、少し微笑ましく思えてしまう。
「起こすのは無粋……だよな」
昨日、彼女は普段より長く起きていたと言っていた。
それはつまり、本来なら彼女は定期的に休息を必要とする事を意味している。
力の温存、何かの療養かは定かではないが……昨日はあくまでイレギュラーな事態であったことに違いはない。
「ん……スカラマシュ……」
「……はいはい、俺は此処にいるよ」
「……フフッ……ん……」
寝言で俺の名前が出るとは、果たして彼女はどんな夢を見ているのだろうか。
少なくとも、悪い夢ではないようだが……
「ハハ……まったく、どんな夢を見ているのかな?」
「……すぅ」
無意識だった、空いた左手で彼女を起こさぬよう、そっとその頭を撫でていた。
何というか、ここまで来ると小動物……というより小さな妹が出来た感覚に近いものを感じる。
要するに庇護欲を感じるってこと。
……とはいえ今更だけども、よくも俺の前でこんなに熟睡できるよな。
彼女の信頼を俺が裏切って、ファデュイに連れ戻そうとしてるとは思わないのだろうか?
「まったく、そんなにぐっすりと眠っていると……本当に捕まえちゃうかもだぞ?」
「……」
彼女は何も答えないが、その手はもう片方の腕をしっかりと掴んでいる。
無論、この程度であれば簡単に振り払うことが出来る。
しかし、理由は説明しづらいのだが、どうもそうする気にはなれないのだ。
「────?」
ふと、周りにいた月霊達は起きたのか、こちらへと寄ってくる。
「残念、君たちの女神様はまだお休み中だよ」
「────!」
こちらの言葉が伝わってるのかは定かではないが、動きが比較的に大人しいように見える。
まあ、彼女の眷属たる彼らが、自分達の主がこんなに気持ち良さげに寝ているのを邪魔するとは考えにくい。
しかし、唐突な来客達にそんな都合を知る由など無かった。
「コロンビーナ? 居るか~?」
昨日と一言一句違わない一声が、庭の入り口から響く。
……君たちは朝から無駄に元気だな。
「……って、お前! まだ此処に居たのか!」
「静かに……コロンビーナが起きちゃうだろ」
「あっ……わ、悪い」
ふわふわと宙に浮かぶ非常──パイモンは自らの口を抑える。
彼女が居るということは、必然的にもう一人いる筈だ。
「『散兵』……」
「やあ、おはよう。それと昨日はご馳走さま、とても美味しかったよ」
「そう……」
数刻、お互いに沈黙する。
別に敵意や警戒があった訳じゃない……少なくとも俺は。
ただ、彼女へ話しかける切っ掛けを見出だせなかったのだ。
……そういえば、彼女は何故、俺の事をスカラマシュと呼ばず、六位のコードネームである『散兵』と呼ぶのだろうか?
ふと、思い付いたしょうもない疑問ではあるが、この気まずい沈黙をどうにかしたかった、
「えっと……旅人は何故、俺の事を『散兵』と呼ぶのかな?」
「えっ? それは……」
俺が座っているファトゥスの第六位の席は数百年の間、空席のままだった。
無論、俺が生まれる遥か前の時代には誰かが座っていたのかもしれない。
その者が殉職──若しくはコロンビーナのように離反したのかは定かではないが、数百年の間はこの名を使っていた者はいない筈だ。
七国の神が数百年、果てには何千年と生きるように、彼女も長い時を生きており、この席が埋まっていた時代の事を知っているのかもしれない。
けれども、それではファデュイが彼女を警戒しだしたタイミングと矛盾する。
遥か昔から活動していたならば、何かしらの古い情報がある筈だ。
しかし、ファデュイにおける彼女の記録は、風神の神の心を奪取するために『淑女』がモンドに派遣されていた時からになっている。
「君も知ってるかもしれないけど、第六位の席は数百年の間、空席のままだったんだ。前任者についても殆ど記録が残っていなくてね」
「……貴方は自分が執行官に相応しくないと思ってるの?」
「いや、ちょっとした疑問さ。皆が揃ってスカラマシュと呼ぶ中、君はわざわざコードネームの『散兵』と呼ぶからね。まるで、それに該当した人物が前にいたように」
「それは……」
「まあ、答えにくいなら別に答えなくても良いよ。過去に誰がこの席に座っていて、その人は今はどうしてるのかなんて、俺とは関係ないからね」
もし、仮にこの席に前任者がいたとすれば、その人はとても特殊な手段を使って、ファデュイを抜けたのだろう。
少なくとも、情報の一つすら残さず消えるというのは、普通なら不可能だからだ。
「……スカラマシュ」
胸の中から俺の名前が呼ばれる。
「……コロンビーナ? 起きたのか?」
「……すぅ……」
「……なんだ、寝言か」
未だ穏やかな寝息を立てる彼女を見て、思わず苦笑いが浮かぶ。
少なくとも、彼女が起きるまで俺がこうしている事が確定してしまった。
その時、昨夜も聞いた穏やかな曲調の音楽が、静かに木霊する。
「─────♪」
おっと、月霊がオルゴールを回したのか……存外、彼らにも気に入られているらしい。
「……コロンビーナに初めて会った時、彼女はオルゴールを回してたよ」
旅人が寝息をたてるコロンビーナを見ながら呟いた。
「そっか……まあ、音色に合わせて歌うくらいだから、気に入ってくれてるのかな」
そうであってくれれば、贈った側としても嬉しい。
それこそ、わざわざあの職人の長い解説を聞かせれた甲斐があったというものだろう。
「うん……前にオルゴールが故障して音が鳴らなくなった時があって、その時、コロンビーナはとても悲しんでた」
「でも、その時はアイノが直してくれたんだよな。あの時のコロンビーナ、本当に喜んでたぜ!」
アイノ……レンポ島にある、あの長い名前の工房の主の少女だったか。
そういえば、件の少女と共にいるロボット……イネファとか言ったか、以前に『
そして、策略の結果としては、目の前の旅人によって阻まれたとも。
世界というのは広いが、人が渡る世間というのは狭いものである。
「その時、言ってたよ。このオルゴールは大好きな友達に貰った大切な物だって」
「……そう。それは光栄だね」
その場に出会した訳ではないが、まあ……何というか少しだけ恥ずかしいな。
「でも、あのオルゴール、お前が贈ったものだったんだな」
「そうだよ。意外かな?」
「そうだね。てっきり、鼻の下を伸ばしてるだけだと思ってた」
おっと、俺の心は硝子だぞ……いや、急にきたな。
「でも昨日、コロンビーナは本当に嬉しそうに見えた。きっと、会いたかった人に会えて、一緒にいることが出来たから」
「……そう言う旅人にはいるのかい? その……会いたい人が」
「……うん。私が旅を始めたのも、その人を探すためだったから」
「そうか……なら、会えると良いね」
そうして話している間に、オルゴールが止まる。
その瞬間、再び両者の間に沈黙の時間が訪れた。
胸の中の穏やかな寝息と、発条が回される音がその場に響く。
先に口を開いたのは旅人だった。
「コロンビーナが貴方の事をとても信頼して、とても大切に思っているというのは分かった」
「……そっか」
「だから、貴方もコロンビーナを絶対に悲しませたりしないで」
「……約束はしかねるかな」
「もし破ったら、貴方が女の子の敵だっていう情報を秘聞の館に渡す」
「……は? えっ、ちょ、ちょっと待って! それは誤解で……いや、一部は事実なんだけども……」
「それと、もう一つ増えるね。第三位の心を弄んで、終いには見捨てた最低な男って」
「えぇ……」
こ、こやつ……なんて恐ろしい事をするんだ。
そんな事をされてみろ、俺の今後の社会的な地位はおろか、尊厳も崩壊してしまうぞ……しかも修復不可能ときた。
つまり、人生終了のお知らせってこと……いや、普通に恐ろしすぎない?
「わ、分かったよ……善処するから」
「ダメ。絶対遵守すると誓って」
「あの、一応は俺とコロンビーナって追う者と追われる者の関係なんだけど……?」
「そんなの関係ない。誓えないなら、さっきの情報を流すだけ」
詰みやん……俺がどう言いくるめようとしても、詰みじゃないですか。
サンドローネはともかく、これが『召使』とか『公子』とかに知られてみろ……それこそ耐えられる自信がないぞ。
「それで? 誓うの? 誓わないの?」
「……えぇ、いや、そのですね……私も一応、公的な立場というのがございまして……」
「そう……じゃあ、話は終わり。パイモン、今から秘聞の館に行こう」
「わ、分かった。誓わせていただきます!」
……やっぱり、ダメだったよ。
「……パイモン、聞いたよね?」
「お、おう! 誓うって言ってたぜ!」
「じゃあ、この情報はまだ内密にしておいてあげる。でも、万が一でも、コロンビーナを悲しませるような事をしたら……絶対に許さないから」
「はい……」
「そうだぞ! オイラもとびっきり嫌な渾名を付けてやるからな!」
まったく……ほんと、簡単に言ってくれるよな。
……いや、コロンビーナが月に帰るその時まで……隠し通せれば、後はどうとでもなるか。
当然のことながら、死人に弁明する口はないし、酷評を聞く耳もないからね。
「んっ……ん……スカラマシュ?」
「おや、おはよう。ようやくお目覚めかな」
「うん、おはよう……あっ、旅人とパイモンもおはよう……」
「おはよう。コロンビーナ」
「おはよう! とても気持ちよさそうに寝てたぞ」
「うん……スカラマシュが居てくれたからかな」
「月霊達もあのオルゴールを鳴らしてたぞ」
「じゃあ、皆で歌ってみる? 歌詞は教えてあげるから」
「前に聞いた時、けっこう難しい言葉を使ってた気がするぞ……?」
「大丈夫。むしろ、パイモンの美声を轟かせるチャンス」
「じゃあ、パイモンからチャレンジしてみる? スカラマシュはその後ね」
「えっ? 俺は参加確定してるの?」
「た、旅人~~」
コロンビーナが目覚めた直後、一気に喧騒が木霊する銀月の庭。
どんなことがあろうと、時間は進む──今日もまた、1日が始まった。
波のさざめきが聞こえる中、また石を一つ拾い上げる。
この石は寒波石と言って、ナド・クライの海岸地帯でよく見られる小石である。
特徴としては、どれも自然にできた空洞があり、石に触ると僅かな寒気を感じるところか。
古い伝説において、寒波石の空洞はフェイという種族の避難所であり、幽域への扉にもなっているとされている、
また、大盗賊レッド・ミラーは包囲された際、霜月の聖女から愛の贈り物として授かった石で身を隠し、追跡を逃れたとされているそうだ。
とはいえ、これらの話は霜月の信者達がデタラメだと強く主張しているとのことで、真偽のほどは定かではない。
まあ、俺としてはこの話の真偽などはどうでもよいのだが……
「……今更だけど、石からどうやって絵の具を作るんだ?」
「クーヴァキを使って色を抽出するの」
クーヴァキってスゲー……まあ、ファデュイも現在進行形で軍事転用してるし、此処の近代化における重要な要素であるのだが。
事の発端は旅人達が一度、ナシャタウンへと戻った後だった。
メイラ……だったか、そう名付けられた月霊が絵を描きたそうにしていたらしい。
しかし、手持ちの絵の具ではどうも足らないらしく、以前、旅人が材料を持ってきたように、こうして外へ絵の具の材料を取りに来たという訳だ。
前に月霊にも各々の個性があると彼女は話していたが、よくあの見た目から区別が付くものだと思う。
少なくとも、俺からすれば殆どが同じ姿をしているようにしか見えない。
「あの子、スカラマシュに興味津々だったから、もしかしたらスカラマシュの絵を描いてくれるかもね」
「ハハ……それは光栄な事なのかな?」
「うん。他の月霊達もスカラマシュに興味があるみたいだから……でも、歌はもっと練習が必要だね」
「……すいませんね。音痴で」
旅人曰く、俺の歌声は海で溺れている人を連想させたとの事だ。
……今更だけど、流石に酷くない? それ死ぬ一歩手前じゃん。
「うーん……練習を重ねれば……上手くなるかも?」
そこ疑問詞なんかい……なおさら、自信なくすじゃんか。
……要するに、擁護不可の生粋の音痴ということ。
「まあ、今度は鑑賞側に回るよ──」
「──誰か助けて!!」
和気藹々とした雰囲気に似合わぬ、悲鳴に近い助けを乞う声。
「アレは……」
俺達がいる岸辺の向こう、得物を振り上げながら走るヒルチャールの集団と、随伴する黒い狼のような見た目の獣域ハウンドと、その子供の獣域ウェルプ。
そして、彼らの先頭を走るのは、小さな子の手を引く、霜月の信者の親子。
とはいえ、このままでは捕まるのも時間の問題だろう。
「ねぇ──」
「──そうだね。悪いけど、ちょっと乱暴させてもらうよ」
肩に掛けていた小銃のボルトハンドルを引き、開口部に弾丸が連なったクリップを挿し込む。
目標との距離は目測で184……いや、185か。
小銃の照準を群れの先鋒を行く、大斧を持ったヒルチャールの暴徒へと向ける。
「うん……お願い」
「──大丈夫。この距離なら外しはしない」
間髪いれずに引き金を引く。
発射薬の爆発音と共に、雷元素を纏った銃弾が閃光のように紫の線を引いていく。
銃弾はヒルチャールの足を穿ち、その身体の内部で圧縮された元素を放出した。
「まずは一体……」
片足が吹き飛び、姿勢を崩したヒルチャールが後続を巻き込んで、激しく転倒する。
ボルトハンドルを引くと、空薬莢が飛び出し、近くの岩に当たって済んだ音を鳴らす。
「狙撃完了……次」
ボルトハンドルを押し戻し、照準を転倒したヒルチャール達を躱した漆黒の獣域ハウンドへと向ける。
そして、一拍の呼吸と共に、再び引き金を引く。
発砲音が響くと共に、銃弾は獣域ハウンドの胴体を貫き、悲鳴のような雄叫びをあげながら、消滅した。
流石に横から狙撃を二発も叩き込まれた為か、二人を追っていた一団の一部が足を止めた。
仮に彼らがこちらを見つけようにも、その距離は十分に離れている。
そのため、両者ともに此処から離脱するための時間稼ぎとしては十分な成果だろう。
後は、逃げていた二人が霜月の里の方へと逃げていてくれてれば完璧なのだが──
「あっ、あの二人……」
「……マズいね。崖の方へ逃げやがった」
しかし、俺の想定とは反して、彼らが逃走経路として選んだのは里とは真逆の切り立った崖の方だった。
しかも、彼らがこのまま進んだとしても、最終的には袋小路だ。
それでは、狙撃で敵の足を止めた意味がない……それどころか、足を止めていた連中もやがては合流するだろう。
でも何故、急に……ヒーシ島は魔物の襲撃被害が他と比較しても、断然低かった筈だが。
仮に今回がレアケースだとしても、相手の数が多すぎる。
加えて、ヒーシ島はナド・クライの中でもワイルドハントなどのアビス由来の災害の頻度が低いと報告されている。
しかし、先程の魔物の集団の中には、獣域ハウンドのような、アビス由来のモノもいた。
例外が起こるにしても、2つの例外が都合よく重なることがあるだろうか?
「……スカラマシュ、私の手を握って。飛んで行けば、まだ間に合う」
「えっ? 飛ぶって……おわっ!?」
俺の返事を待たず、コロンビーナが俺の手を取ると同時に、足が地面から離れた。
そして、みるみる内に加速していき、いつの間にか俺の下には海面が広がっている。
……所謂、鳥になるとはこういうことを指すのだろうか?
そんな事を頭の片隅で思いながら、加速による強烈な突風と、海面から跳ねた水飛沫を顔面に受けるのだった。
『散兵』について③
彼の周りで起きるトラブルは本当に面白いんだ。この前は『傀儡』と『少女』に手を出したとかで、宮殿の一室を吹っ飛ばして、つい先日には経費の申請で『富者』を怒らせて……アハハ! 是非とも現場を見て見たかったよ!