宿痾の蛇は選択を迫られている。皮を脱げぬまま、ただ腐り行くか、皮を脱ぎ新生を成すか。
──コード『R』
よく祭司のおばさんが言ってた、月神様はどんな時でも私達を見てるって。
だから、お願いです……どうか助けて下さい、怖いです。
「や、辞めて……! この子だけは……どうか……」
お母さんが思わず苦しくなるくらいの力で、僕を抱き寄せる。
固い岩が膝に当たるせいで、少し痛い。
「Ya ika nini zido!」
「Nini ya!!」
仮面を付けた魔物達は怒っているのか、不明な言葉を喚き立てていた。
でも、辞めるどころか、燃えた棍棒を携えて、此方に歩いてくる。
ごめんなさい、もう我儘は言いません──
──怖い。
詠月使のお姉ちゃんが言ったことはちゃんと聞きます──
──怖い怖い。
ご飯も好き嫌いせずに全部、残さずに食べます。
──怖い怖い怖い。
勉強も頑張ります。
──怖い怖い怖い怖い。
だから──
──怖い怖い怖い怖い怖い助けて下さいお願いします怖い怖い助けて怖い怖い怖い怖い怖いこわいこわいコワいたすけてこわいおねがいたすけて──
「──Nini zido!!」
「ひっ……」
お母さんがまた、強く僕を抱き締める。
そして、それと同時に魔物が振り上げた棍棒を勢いよく振り下ろした。
それはヒュッという音と共に空を切り、直後には鮮血と肉が弾ける音が木霊したのだった──
──魔物の悲鳴と共に。
「Gya……ッ!?」
「──いやぁ、危なかったね。僕、大丈夫?」
魔物の声とは違う……大人の男の人の声。
動かないお母さんの腕の中からおそるおそる見上げると、装飾が付いた白いコートを来ている男の人が手に持った物で魔物を突き刺していた。
魔物の腹からは剣の切っ先が飛び出ており、刀身からは紅い血が滴っている。
「そんな顔で見ないでよ。別に獲って食べようって訳じゃないんだからさ」
その人が乱暴にそれを引き抜くと、倒れた魔物のお腹からはドクドクと血が流れ落ちていく。
「Biat ye!!」
「Mosi gus──」
バンっと何か爆発するような音が響き、魔物の頭が仮面と一緒に砕けた。
未だ動かないお母さんの腕の中で、男の人の所作のみが目に焼き付く。
「──泣かないで。すぐに終わるから」
今度は、女の人の優しい諭すような声で、耳元で聞こえる。
「えっ……?」
いつの間にか、両目を閉じた女の人が僕らの側にいた。
そして、女の人の姿はまるで──
「……月神……様?」
祭司のおばさんが話してた物語──脳裏に過ったのはそれだった。
そっか、この人達は──
まるで、化物を見るような目で少年が俺を見上げる。
……アレ? 一応、助けに来た身なんだけども。
何なら、顔面と髪をずぶ濡れにされながら急行してきたまである。
「そんな顔で見ないでよ。別に獲って食べようって訳じゃないんだからさ」
安心して欲しい、俺にカニバリズムの気はない。
尤も、前で喚き立てる彼らがそうでないかは知らないが。
そして、背後から迫っていたヒルチャールの頭へ一発、引き金を引く。
こんな至近距離であれば、わざわざ狙うまでもない。
「……コロンビーナ?」
「うん、大丈夫……女の人は気絶してるだけみたい」
「そう……なら良かった」
荒事を経験したことがない人間にとって、命が終わる瞬間というのはさぞ劇的に映ることだろう。
故に、直感的にもう助からないと踏んでしまって、自ら意識を手放してしまうのも無理もない事なのかもしれない。
要するに彼らは命拾いをしたってこと。
「Gyaaaaaaaa !!」
「はい、残念でした」
ヒルチャールの暴徒が大斧を振り上げると同時に、その両腕の間接を撃ち抜く。
得物を保持する力を失った腕からは大斧が零れ落ち、立ち止まった暴徒の喉元を銃剣で突いた。
「生憎、狙撃一辺倒って訳でもなくてね……さて、こっちも安否確認も取れたし、もう終わりにしようか」
邪眼が紫に光ると同時に、三つの遊星が現れる
そして、彼らに命令を下す──
「──全て殺せ」
それと同時に、遊星達が集団の中へと飛び込み、彼らの命を喰い荒らしていく。
この狭い袋小路であるが故に、攻撃を回避することもままならず、なすがままに撃たれ、貫かれていく。
「……おっと、仲間外れは良くないなぁ。俺も一応、居るんだけど?」
「────っ!?」
眼前の獣域ハウンドの腹に銃剣を突き刺す直前、感情などないその生命に恐怖のようなものが見えた。
尤も、それがどうしたという話ではあるのだが。
魔物の捕虜など必要ない、彼らにする対処は鏖殺の他ないのだから。
今、まさにこの瞬間──此処は彼らの狩り場から、彼らの処刑場へと変わったのだ。
空に向けて引き金を引くと、乾いた爆発音と共に銃弾が飛翔していく。
そして、切り立つ崖を越え、その上へと飛んでいく。
少しの飛翔の後、銃弾内部に圧縮された雷元素が放出され、大きな爆発音と共に閃光を発する。
「まあ、これで里にいる面々も気付くでしょ……」
銃弾の炸裂を利用した簡易的な信号弾である。
遊星達に付近の警戒をさせているが、魔物の姿やその接近は未だ感知されてない。
可能ならば、ファデュイと霜月の信者の関係上、彼らが此処に到着する前に去りたいところだ。
今回の出来事はイレギュラーであるが、それでも両者の関係上、何か疑いを抱かれるのは無理もない。
そもそも、直近で彼らの里の人間が裏切り、ファデュイへ入っているのだ。
なおのこと、彼らからの不信感は払拭は出来ないだろう。
「……お母さんは?」
「大丈夫、気絶してるだけだよ。少し休ませておけば、じきに目が覚めるよ」
「……」
しかし、それでも安心は出来ないのか、子供は俯いてしまう。
……参ったな、子供のお守りなんて門外漢もいいところなんだけども。
「……君は何故、里の外へ出たんだい?」
ヒーシ島は魔物の襲撃被害が少ないとはいえ、決してゼロというわけではない。
あくまで発生確率が低いだけで、彼らも魔物は危険な存在だと認識している筈だ。
「……それは」
「俺が言うのもアレだけど、外の世界は危険がいっぱいだ。それは君の里の年長者から、耳にタコが出来るくらい言われてるだろ? 」
ある程度の自衛が出来る大人はともかく、自衛のじの字すら儘ならない子供は論外だ。
『好奇心は猫を殺す』と言うように、潜在的な危機は、対象が子供だろうと大人であろうと容赦はしない。
「……母さんがもう少しで誕生日で、だから……お守りを……作って……」
しまった、先程の恐怖を思い出させてしまったか。
それは分からないが、少年は嗚咽を漏らしながら言う。
「そっか……お母さんの誕生日プレゼントを作ろうとしたんだね」
それを聞いていたコロンビーナが、少年の側で膝を付く。
「でも、君のお母さんは君が危ない目に遭って欲しいとは思ってないよ。だから、家に帰ったらお母さんに謝らないとダメだよ?」
「月神様……っ……ごめん……なさい……っ……」
「うん、良い子だね……ごめんね、ちょっと手を借りるね」
コロンビーナが少年の手を取ると、その内側に仄かな光が灯る。
「もう少しで里の人達が来る筈だから……今度はちゃんと待たなきゃダメだよ?」
「うん……っ!」
……いやはや、こればかりは流石は月神様と言うべきだろうか。
端から見ても、信者に対して完璧に振る舞って見せている。
「あ、あの……お兄さん!」
「ん? 俺かい?」
「えっと……さっきは助けてくれて、ありがとう……ございました」
「どういたしまして……でも、危ない事をした君には罰が必要だね」
「ううっ……」
「俺が君に与える罰は……ちゃんと無事に家に帰ったら、君のお母さんの手伝いを率先してやること。良いね?」
「……っ! う、うん!!」
彼の母親が彼を助けたようとしたのだから、今度は彼が母親を助ける。
つまり、やられたらやり返すってこと。
「あ、あの……!」
「おや、まだ何かあるのかな?」
「えっと……お兄さんって、その……」
ああ、成る程……いや、こればかりは当然か。
服装からして里の人間でないと分かる上に、このようなデザインのコートを着ている組織は一つしかない。
信者達が嫌うファデュイの──しかも、執行官って言ったら、流石に怖がられるだろうか。
「お兄さんは月神様の騎士様なんですか!?」
「──はい?」
予想の右斜め上な質問に思わず間抜けな声が漏れる。
……えっ? 騎士? それって黄金の鉄の塊で出来たとかそういうの?
「フフッ……そうだよ。この人は私の騎士なんだ」
「ちょっ……コロンビーナ!?」
「や、やっぱり! そうなんですね!」
「えっ……いや、全然そうじゃないんだけど?」
いやいや、勘違いをするにしても、俺の何処に騎士要素があったと言うのだろうか。
というか、世間一般で言う騎士って甲冑とかそういうのを纏ってるものじゃなかろうか。
なんだったら、このナド・クライにはモンドの西風騎士団が駐留している。
一応、この地にも足を運んでるとも聞いているし、彼らも知らぬ筈がないと思うのだが……
要するに俺はパチモン、向こうはモノホンの騎士ってこと。
「これは私達だけの秘密だよ? 」
「は、はい! 誰にも言いません!」
ちょっとー? 人の話を聞いてらっしゃる?
というか、騎士(偽)の本人がそれを否定してる筈なんだけど……
その時、近くを巡回していた遊星の一体から信号が伝わってきた。
──どうやら彼らの迎えが来たようだ、存外に早かったな。
「──皆、こっちだ」
少し離れた所から、凛と響く女性の声と多数の足音が聞こえてくる。
わざわざ、詠月使様までやって来るとは……彼女も何かと大変らしい。
「……コロンビーナ」
「うん。じゃあ、バイバイ」
「あ、ありがとうございました、月神様と騎士様!」
「いや、だから俺は騎士じゃ──おわっ!?」
此処へ飛んできた時と同じく、強烈な加速と共に足が地面を離れた。
人間という生き物は個人のみで空を飛ぶことは出来ないためか、どうもこの感覚には慣れない。
みるみるうちに離れていく崖の下、角が特徴的な詠月使様が飛び去る俺達を見上げていた。
「────♪」
「うん、完成。これで暫くは絵の具には困らないね」
……すげえ。さっきまで石だったのが、本当に絵の具になってる。
コロンビーナはクーヴァキを使って色を抽出すると言っていたが、あの灰色の固体からどうやって様々な色を抽出するのだろうか。
「────!」
メイラと呼ばれている月霊はキャンパスの前に立ち、神速の動きで筆を振るった。
その動きに一切の迷いはなく、ただ己が描きたいものを精密に描いていった。
「いや、早いな……人間の画家でもここまでは早くないぞ?」
「フフッ……どんな絵なんだろうね?」
以前、この月霊がコロンビーナが生まれた時であろう場面や、霜月の信者が彼女を崇めている情景を絵で描いたと聞いている。
察するに今回もコロンビーナにまつわるものだと思われるが……
「────!」
「出来たみたい。あれ? これは……」
「……なにこれ?」
キャンパスに描かれていたものはコロンビーナでもなければ、何かの人物ですら無かった。
描かれていたのは、痩せこけた白い蛇に寄り添うようにとまる鳩。
……というか、何故に蛇と鳩?
「……この蛇は病気なのかな? 元気が無いように見えるね」
「まあ、明らかに痩せ痩けているしな……というか、これって鳩は大丈夫なの? 普通、食べられない?」
自然界において、両者は捕食する者とされる者。
無論、敢えて共に描いた事には、この月霊にも何らかの意図があるのだろうが。
事実、捕食する側である蛇は痩せ痩けてしまっており、鳩に襲い掛かる力も残っていないように見える。
「てっきり、コロンビーナの事を描くのかなって思ったんだけど……」
芸術家の考えることというのは、時希に理解を得られないものだ。
「──────!」
「もしかしたら……鳩は私で、スカラマシュは蛇なのかもね」
「ちなみに何故、俺は蛇なのさ?」
「スカラマシュは狡いし、負けず嫌いだし、浮気性だし、なかなか会いに来てくれなかったからかな?」
「……これ、前にも聞いたね。後、なんか一つ追加されてるね」
というか、それこそ蛇要素は何処やねん……ほぼコロンビーナの私怨じゃないの?
「でも、スカラマシュが蛇なら、とても優しい蛇だと思う。だから、この鳩も側にいたいって思うのかも」
「……そう」
なんか腑に落ちない所はあるけど、別に不快なわけではないし……まあ、良いか。
「仮に俺がこの蛇だとしたら、今にも死にそうだけどね」
「……それはやだ」
コロンビーナがコートの袖を掴むと同時に、周囲の草花の色が少し赤を帯び始めた。
……しまった、冗談にしては少し質が悪かったか。
「ごめん……冗談にしては少しアレだったね」
「うん。だから、スカラマシュには罰をあげなきゃだね」
良いことをすれば褒美を貰えて、悪いことをしたら罰を受ける──至極、当然の摂理だ。
そう言って、コロンビーナは自分の膝をポンポンと叩き始める。
「……何をされてるので?」
「此処にスカラマシュの頭を乗せて」
「えぇ……わざわざ膝枕されて、叩かれるの?」
「叩かないよ。でも、スカラマシュに拒否権は無いよ。だって、これは罰だから。だから早く乗せて」
さも当然のように拒否権を奪ってくるのは如何なものか……
まあ、彼女を不快にさせた俺が悪いと言えば、その通りではあるのだが。
……こればかりはやむを得ないか。
彼女の言う通り、彼女の膝に頭を乗せる。
「フフッ……スカラマシュが照れてる。可愛い」
「……あんまり、からかわないでくれますかねぇ」
頬が赤くなる感覚に襲われながら、少し顔を背ける。
「やだ。これは罰だから……私の騎士様が勝手に何処かに行かないようにしないと」
「騎士って……その話、まだ引っ張るのかい?」
「フフッ、私は嬉しいよ? スカラマシュが私の騎士になってくれたら」
俺が言いたいのはそういう事じゃないのだが……
俺達のやり取りを脇で見ていた、一体の月霊がコロンビーナに近づく。
「────!」
「うん。きっと良いと思うよ」
「──────!!」
寄ってきた月霊……これはさっきのメイラだろうか。
「……メイラはなんて?」
「残念、この子はメイラじゃないよ。メイラはあっちでまた絵を描き始めてる」
「そ、そうなの……この子には名前はないのか?」
「うん、私もこの子にも名前はないの……メイラもパイモンが付けてくれた名前だから」
コロンビーナが少し俯く……確かに俺が呼ぶこの名前もあくまでファトゥスとしてのコードネーム。
それにしても、自分の名前が無い……か。
「スカラマシュには本当の名前があるの?」
「……あるよ、一応」
今の名前より価値がなく、そして、俺自身が嫌っている名前が。
「そっか……なら、私は知りたいな。スカラマシュの本当の名前」
「……そんな特別なモノじゃないよ」
「ううん。私はスカラマシュだから知りたいんだ」
……ああ、もう……なんでこんな調子が狂うかな。
「……また今度ね」
「むぅ……スカラマシュのケチ」
「残念、俺の個人情報は安くないの」
「じゃあ、いつか絶対に教えてね。約束だよ」
「はいはい、機会があればね」
何故に特別でもなんでもない名前に、そこまで執着するかは分からないが……
まあ、良いか……彼女も一時の興味だろうし、放っておけば自然消滅するだろう。
ちなみに余談なのだが、ファデュイ執行官第六位が、第三位の騎士に叙したという出所不明な情報が出回ったのはこの日以降の事だった。
『第六位』について……
以前、里の住人が彼とクータルに助けられたことがあった。その者が言うには、彼女と彼はとても仲睦まじいように見えたそうだ。