『後悔』について……
後悔しないように生きるとかよく言うけど……結局は人生なんて誰もが後悔だらけ。でも、それの何が悪い? それこそが生き抜いてきた証だろう?……誰のためでもなく、好きに生きて、好きなように死ねるなら……俺にとっては十分に恵まれてると思うよ。
思い返せば、あの日もこんな天気だった。
ボロボロの身体を引き摺るように歩いて、そうしながらも何処かを目指していた訳でもなかった。
端的に言ってしまえば、身体が動くから──それだけだった。
既に吹雪は止み、降り積もった柔い雪に足を取られ、そのまま地面へと倒れ込む。
転倒の衝撃は雪で和らぐものの、腕や足、腹に負った傷に雪が染みる。
痛い──確かに身体中が痛い筈なのに苦悶の声も、表情も浮かばない。
既に乾いた血と傷口から未だ流れる血が地面へと沈む。
当てもなく歩いた所でいずれは力尽きて動けなくなるだろう。
でも、そんなことなどはどうでも良かった。
スネージナヤの事とか、任務の事とか、女皇の事とか、執行官様とか──はたまた自分の事さえも。
此処でくたばるのが運命だと言うのなら、別にそれで良いとすら──
そうして踏み出した先の雪に紛れていた石に躓き、再び顔が雪原へと叩き付けられた。
雪に埋もれた小石が額に当たり、その衝撃が脳を揺さぶる。
額から流れる温い感触と、揺れるような視界と消えていく身体の感覚。
──これで俺はもう終わりだろうか?
恐怖も、痛みも、失望も、怒りも──何も無い。
顔の半分を柔らかい雪に埋もれさせながらも、もう半分の視界には嫌なほどに晴れ渡る空が映る。
身体が雪の中へと沈み行くと共に、意識も深い闇の中へ落ちていく。
──もう疲れた……そうだ……もう疲れたんだ。
『──『隊長』様!! 彼方に!』
薄れ行く意識の中、そんな遠くの喧騒が耳に入る。
『この腕章……この兵士はライカに所属していた者か』
『──っ! 脈拍と呼吸を確認……ひどく弱まっていますが。生きています!!』
『直ちに応急処置をしろ……それにしても傷が深いな。……処置が済み次第、この兵士を連れて野営地まで撤退する』
『はっ!』
その後で覚えている事といえば、半分のどうしようもなく晴れ渡る空と積もった雪の冷たさ──傷に染みる消毒液と押し付けられた包帯の感触だけだった。
「──痛っ」
そう、それはまさに今、身体を襲うこの感覚とまるっきり同じだった。
金属が灼ける匂いと全身を走る鈍い痛みに思わず顔をしかめてしまう。
そこに追い討ちを掛けるように、頭を打った……いや、レールキャノンを撃った時の衝撃にやられたのか、どうも変な浮遊感を覚える。
「──あまり動かないことね。でないと、傷口がまた開くわよ」
「……サンドローネ?」
余分な包帯を切り、それをテープで固定している女性こそ──ファトゥス第七位『傀儡』その人である。
……いや、何故にサンドローネが此処にいるんだ?
「とりあえず、応急処置はこれで終わったわ。まったく……随分と派手にやったものね」
「……俺、生きてるの?」
「貴方ね……次にそんな馬鹿な事を言ってみなさい。傷だけじゃなくてその口も塞ぐわよ」
「はは……そっか、今回も何だかんだ生き延びたわけだ」
「フン……運が良かったわね。私が偶然、散歩で此処に来なかったらどうしていたつもりかしら?」
そう言って彼女が指を指した先にはレールキャノン──だった鉄塊が鎮座していた。
砲身はまるで花が開いたかのように四方へ裂け、外装は弾け飛び、露出した機関部からは濃い黒煙が未だ空へ昇り、金属が灼けるようなあの匂いを撒き散らしていた。
それだけでレールキャノンの修復は不可能なのは火を見るよりも明らかであり、その惨状には思わず苦笑いが浮かぶ。
無論、弁償金は同僚のヤニカ──生真面目な銀行家殿に申請しておくので、今ばかりはアイノさんが寛大な心意気を見せてくれる事を願うばかりである。
「偶然ね……わざわざ、救急キットを持ちながら散歩するなんて随分と準備が良いんだね」
「う、うるさいわね……私が何を持って出歩こうが、私の勝手でしょ? 寧ろ感謝して貰いたいものね。プロンニアに貴方をあそこから引っ張り出させなきゃ、貴方も木っ端微塵よ」
「そりゃそうだ……痛っ……」
立ち上がろうと足に力を込めると、鈍い痛みと共に間接や腿──胴や腕さえもがまるで撓むような感覚に襲われる。
腕や足なんかは今にもボロりと取れてしまいそうで、果てには身体もバラバラになってしまいそうな……何とも不自然な感覚だ。
「あのね……私はあまり動くなって言った筈よ。外傷もそうだけど、貴方の身体は爆発の衝撃にもやられてるの。寧ろ五体満足でいたのが奇跡なくらいよ……だから、今はじっとしていなさい」
「……それが賢明みたいだね」
そう言って、包帯や消毒薬を手際よく片付け、黒煙を上げるレールキャノンへと向かっていく。
そして、露出した機関部を眺め、その次は裂けた砲身へ──それはまるで品定めするかのような眼差しだった。
「……フン。精々、ジャンク弄りぐらいが関の山かと思っていたけど……ここまでの物に仕上げるなんてね。なかなかやるじゃない」
「おや……君がそこまで褒めるなんてね。壊したのが余計に申し訳なくなってきたよ」
「必要は必要であるが故よ。そういう意味じゃ、コレは望まれた役割を達成し得た……なら、それだけで十分でしょう」
「……そうだね」
彼女の言う通り、このレールキャノンは当初の作戦においての役割を十二分に達成してくれた。
結果として、破損はしたものの、この作戦で守れたものを鑑みればお釣りが来る程の成果と言える。
それに彼女らとの約束も反故にせずに済みそうだ。
「──スカラマシュ……っ!」
白い光を引きながら地面へと降りたコロンビーナの顔には焦りが見えた。
「貴女……」
「あっ……サンドローネ……」
以前とは違い、顔を合わせた両者は沈黙してしまう。
コロンビーナにとっても、サンドローネが此処にいるというのは予想外だったのだろう。
「やっほ、コロンビーナ……そっちは何とかなったみたいだね」
「うん……スカラマシュは怪我してるの?」
「まあ、無傷とは言えないかな……いてっ」
「はぁ……何度も言わせないで頂戴。下手に動くと傷が開くわよ」
「……そっか、サンドローネがスカラマシュの事を助けてくれたんだ」
「はぁ? 貴方も勘違いしないで頂戴。私は散歩で偶然、此処に立ち寄っただけ。いざ来てみたら、ボロボロのこいつが倒れていただけよ」
そう言う割にはちゃんと救急キットも持ち合わせていて、応急手当をしてくれるのは流石、ツンデレーネ様である。
要するに、そこに痺れる、憧れるって事。
「うん、ありがとう。サンドローネ」
「……っ、貴女に礼を言われる筋合いは無いわ。そもそも、貴女と私はもう同僚でもなんでもないの……それに、貴女達の目的が達成したのなら、此方が貸してた物も返して貰おうかしら。……プロンニア」
そう言ってサンドローネが傍らのプロンニアに何か合図をすると、即座にプロンニアの剛腕が俺の身体を掴み上げる。
「えっ……ちょっ……」
一見、怪我人に対して乱暴な扱いをしているようだが、掴み上げられている側からすると、特段に苦しくもなく、それでいて不安定という訳でもなかった。
つまり、抜群の安定感ってこと。
まあ、普段からサンドローネ本人を掌の上に乗せたり、紅茶が入ったカップやポットを載せても倒したりしないのだから、当然と言えば当然なのだろうが……
……というか、彼女は彼女で何食わぬ顔で人の事を物扱いしてないか?
「貴女もさっさとあっちに戻りなさい。私達はこれからまた忙しくなるの。そんな中で貴女の仲間と悶着している暇は無いわ」
「うん……」
サンドローネの言う通り、俺達にはこの後、事後処理という仕事の山が待ち構えているのだ。
……嫌でござる、絶対に働きたくないでござる。
「……ねぇ、サンドローネ──」
「──そうそう……忘れてたわ。スカラマシュ、お茶会の事だけど……開くのは三日後にしたわ」
コロンビーナの言葉を遮るように、彼女はわざとらしくコロンビーナにも聞こえるような声でそんな事を言い出した。
「えっ、今の状況で話すの?」
「だから、それまでにその怪我を治しなさいよ」
「いや、そんな簡単に治ったら苦労しないんだけど……」
「ちなみに、前に言った条件は撤回するつもりは更々無いから。そこのゲストの事は貴方が責任を持ちなさい」
「あぁ……はいはい」
成る程、ようやく彼女の意図を察せた。
まったく、前にコロンビーナ本人からも言われていたが、本当に素直じゃない。
「まあ、そういう訳だからさ……三日後にまた会おうね」
「……うん、楽しみに待ってるね」
本当に嬉しそうに微笑むコロンビーナの反応からして、サンドローネの回りくどい意図は彼女にも伝わっているらしい。
今はこうして道を違えてはいても、サンドローネとの付き合いは未だに彼女の方が長いのだ。
サンドローネの事は俺よりもよく知っているのだろう。
「フン……行くわよ、プロンニア」
「うおっ……いきなり動かないでくれよ、びっくりするだろ」
「怪我人は大人しく口を閉じてなさい」
彼女はこう言うが、大の大人が物のように脇に抱えられているというのは些か良くない絵面では無かろうか。
つまり、待遇の改善を要求するってこと……
一方で、そんなことなどいざ知らずといった様子で少し早足で歩き出すサンドローネの後を、機構の巨人は続いていく。
「またね、スカラマシュ。サンドローネも」
「……っ、フン……!」
コロンビーナの言葉に一瞬だけ立ち止まるも彼女に何か言うわけでもなく、再び足早で歩き出す。
その後ろで彼女は静かに手を振る。
その顔にとても穏やかな──仄かな月光を思わせる微笑みを浮かべながら。
その日、実験設計局は兵士達の叫びで沸いていた。
侵入者はおろか、致命的な問題があったわけではない。
寧ろ歓喜の声で沸いていたのだ。
「これ……アカツキワイナリーのワインじゃないか!!」
「モンドの蒲公英酒もあるぞ!!」
「す、すげえ……!」
「おい、お前飲み過ぎだ! 均等に分けるって話だったろ!?」
「昨日、お前の代わりに警備に出てやったろ!? これくらい譲れ!!」
「大尉、最初から飛ばしすぎです!」
「うるさい! 明日には『散兵』様の申請書類の苦情を聞かなきゃいけないんだ!!」
特務隊、整備兵、士官とその喧騒の中にいる者の階級は様々だが、彼らの目当ては全て同じだった。
普段、アルコール度数が高いだけの安物の酒ばかりを飲んでいる彼らにとって、それらは宝の山と言える。
まあ、俺にとっては彼らが普段、飲んでいた安酒とそれらの区別なんて分かりすらしないのだが。
そして、そんな下の喧騒を余所に、実験設計局の屋上では静かにカップが置かれていく。
その傍らにサンドローネお手製のケーキが置かれ、彼女の手によって切り分けられていく。
「まったく……下の連中は少しは静かに出来ないのかしら。酒の一本や二本で浮かれすぎよ」
「無理はない、兵士達もついこの前までは厳戒態勢の下、気を張り詰めていたからね。それが解けたのなら尚更だ」
「フン……明日からは通常の仕事があるのに気楽なものね」
「まあまあ、あまり手厳しい事は言ってくれないでやってくれよ。漸く状況が一段落したんだ。僅かでも息抜きはあっても良い」
「あら、随分と下の連中の肩を持つじゃない。わざわざ、宛名が『親愛なる月光の騎士から』なんて記されていたからかしら?」
「……それはツッコまないで欲しいかな」
「そうかな? 私はとても良いと思うよ?」
「だそうだ、スカラマシュ。一考の余地はあるのではないか?」
「アルレッキーノも俺がそんな柄じゃないの分かってるでしょ……」
どうも、今回の一件で彼女らに俺を揶揄うネタを提供してしまったらしい。
いや、根も葉もない風評を広められるよりはマシなのだろうが……
「ケーキ美味しい……これもサンドローネが作ったの?」
「ええ。暇だったから、久しぶりに作ってみたの」
ちなみに暇と言いながら、日が昇る前に起きて厨房で準備を進めていたのは内緒である。
……ちなみに何故、俺がそんなことを知っているかって?
小腹を満たそうと厨房へ忍び込んだら、この集まりの準備で奔走中の彼女に出会したからである。
おかげさまで、洗い物などを手伝う事になったのは別の話。
「……何よ、スカラマシュ」
「いや、喜んで貰えて良かったねって」
「……フン、この私が作った物だもの。当然でしょ」
そう言いながらも、僅かに口角が上がっていたのを俺を見逃さなかった。
もう、うちのツンデレーネ様は本当に素直じゃないんだから……
「フフッ……サンドローネ、可愛い」
「……っ、コ・ロ・ン・ビ・ー・ナー……貴女、その口を縫い合わせられたいのかしら?」
おお、こわいこわい……でも、こういうのはなんか久しぶりだな。
「思えば、こうしてお茶会をするようになった切っ掛けもこのようなものだね」
「おや、てっきりサンドローネが発端だと思っていたけど」
「確かに、最初の集まり以降はサンドローネが誘う事が殆どだ。だが、始まりは私、コロンビーナ、ロザリンの四人で彼女の部屋に集まった事だ」
ロザリン……確か殉職した『
「……少し意外かな。俺が知ってる『淑女』って少し近寄りがたいイメージがあったけど」
「まあ、君が執行官になる前の話だ。我々と君とで彼女へ抱いていた印象の差異があるのは致し方ない」
まあ実際、執行官に限らず、同僚といえど異性がいれば話しづらい話題というものはある。
そういう意味では同性同士で集まるのは自然だし、それはサンドローネにとっても良い影響があったのだろう。
そう考えると存外、『淑女』も身内に限るだろうが、何かと面倒見が良い性格をしていたのかもしれない。
とはいえ、それを確かめる事はもう出来ないのだが。
「ロザリンが貴方を見たら、鬼の形相で礼儀作法の講義が始まるわよ。せっかく、私が手ずから教えてあげたのに半分も覚えてないんだから」
「……そりゃ恐ろしい事で」
正直、アレ以上のしごきがあると思うと、思わず鳥肌が立ってしまう。
人には何事も得手不得手というのものがあるのであるのだ。
「とはいえ、こうして再び我々で集まる機会に恵まれた事は素直に嬉しく思う。常に気を張り詰めるというのも身体に毒だ」
「うん、私も。また
「はぁ? 誰が何時、貴女の友達になったのよ?」
「じゃあ、今までのように同僚の方が良い?」
「ちょっと、コロンビーナ……私の我慢の限界を試してるの? これ以上、しつこくするなら礼儀正しい言葉のモジュールを止めるわよ?」
「えっ、そんなモジュールあるの?」
少なくとも、俺は今まで彼女から礼儀正しい言葉を受けた試しが無いのだが……
思い返せば、初対面でプロンニアに摘まみ上げられて、誤解で部屋を吹っ飛ばされて、旅人と一緒に女の敵扱いされて、知らぬ間にレンタル執行官にされてたりと……あれ? もしかして嫌われてる?
「礼儀正しく話すなら『ですます』を付けないと」
「……プロンニア。コロンビーナ様がお帰りよ。見送りなさい」
「フフッ……また、お茶会に誘ってくれる?」
「はぁ?」
「きっと誘ってくれるよね。じゃあ、またね。
……おや? この紅茶、砂糖を入れてない筈なのにめちゃくちゃ甘いぞ。
それに諸君らも見たまえ、あれだけ照れ隠しに努めていたサンドローネ様も完全にフリーズしてらっしゃるぞ。
流石の彼女も純度100%の右ストレートは想定していなかったらしい……つまり、てぇてぇって事。
尚もフリーズするサンドローネを余所に、コロンビーナは椅子から立ち上がると出口へと歩いていく。
そして、ふと何かを思い付いたかのように歩みを止めた。
「スカラマシュもあの時の答え……私、待ってるからね?」
少し悪戯な微笑み浮かべながらそう言って、彼女は再び歩き出す。
「……ちょっと、スカラマシュ。コロンビーナが言ったあの時って何よ?」
「……えっ? 復帰するポイントは其処なの?」
「スカラマシュ……」
「いやいや、何もして無いって……うん、その筈だよ」
「随分とあの子、ご機嫌な様子だったけど……一体、何を吹き込んだのかしら?」
フリーズしてたと思いきや、ちゃんと話は聞いていたらしい……寧ろフリーズしてて貰った方が助かったのだが。
まあ、此処は素数でも数えながら落ち着くんだ。
2……前もこんな場面に陥った時、対応をしくじったからこそ在らぬ風評が広まってしまったのだ。
3……しかし、俺も学ぶ男……同じ轍を踏むつもりはない。
5……変に誤魔化そうとしたり、上手い言い回しを考えようとすると、返って逆効果となる。
7……故に此処は敢えて、真実を砕いた言い方で伝えるというのが最適解なのである。
「いや、前に君から貸し出された時にコロンビーナの実家にお呼ばれしただけだよ」
「……は?」
……あれ? おかしいな、嘘どころか普通に真実を伝えた筈なのに……想定していた反応と違うんだが。
「なんと、それは……」
「……ッ! スカラマシュ、貴方ね……っ!」
「いや、待って! 違うの!! いや、違くないんだけど、少し違うの!!」
「黙らっしゃい! プロンニア! 其処の変態を摘まみ上げなさい!!」
「ちょっ……俺、一応は怪我人なんだけど!?」
「良い機会よ! 医務室のベットに縛り付けてやるわ!!」
「酷くない!?」
「やれやれ……」
機構の巨人はその手にサンドローネを乗せ、俺へと迫り、堪らず俺はその場を飛び退く。
二人と一体の追いかけっこを余所にアルレッキーノは一拍の溜め息を漏らす。
数十分後、実験設計局を訪ねてきた旅人らがプロンニアの手に摘まみ上げられた俺を見るのは別の話。
痛みと共にどくどくと身体から熱と共に何かが流れ落ちていく感覚が襲う。
痛くて、寒くて……なのに何処か恍惚とする不自然な感覚。
仲間の遺体が黒い泥へと飲まれ、また一人、更にまた一人と──まるで粘土を混ぜ合わせるかのように肥大化していく。
不幸か幸運か、偶然にも傷は急所を外れており、俺は意識を保っていた。
……いや、ある意味じゃ不幸だったのかもしれない。
此処で死んでいれば、少なくともこんな光景を見ずに済んだのだから。
光も無い深淵の腹の中、仲間だったモノはどんどん肥大化する。
それは虫の幼虫が餌を食べ、肥えていくように──やがては繭となるのを目指すように。
「あ……」
血が混ざった呻き声が暗闇に響く──その闇はおろか彼女もそれには答えない。
何時から、何故、発端、目的……熱と共に薄れる意識の中、答えの出ない問いを反芻する。
いくら繰り返そうと、問いの最終的な答えは同じ──俺達は彼女に嵌められたのだ。
俺達を陥れた彼女は泥の繭をまるで母が赤子を撫でるように──それが仲間達であるかのように慈しむ。
俺も……ああなるのか? 溶けてあの繭に──
その時、指に硬い物が触れる──それが小銃のトリガーガードだとすぐに分かった。
反射で持ち手を掴む──最後の力を振り絞り、震える腕を上げる。
もう構える力も、立ち続ける体力さえも残っていない。
脚がふらつき、再び倒れそうになるのをすんでの所で持ち直す。
意識が、思考が、感情がぐちゃぐちゃになる。
彼女はまだ気付かない──彼女はあの繭にご執心のようだ。
『──
……何処からか歌が聞こえる、この時には聞いたことが無い筈の──でも、凄く聞き慣れたような感覚。
僅かだが、痛みが和らぐような気がする……無論、ただの錯覚だろうが。
『──
でも、それが何なのかはどうでも良かった。
ただ、重りのような足を引き摺りながら、力無く──その切っ先を──
「──ッ」
妙にベタつく汗のせいで寝巻きが肌に貼り付いて、とても気持ちが悪い。
巻かれた包帯にも汗が染み、酷くこそばゆい。
「──
傍らから聞こえるのはあの歌だ……いや、この歌は確か……前にコロンビーナが歌っていた子守唄か。
それにしても、我ながら情けない、飛び起きたと思ったら、まだ夢の中だとは──
「──
「……ファッ?」
我ながら、これまた情けない声を漏らしてしまったと思う。
だが、事実は小説より奇なりとも言うように、想定をあまりに越えると人間というのは認識さえも追い付かない場合があるのだ。
「──
「おはよう……というより、こんばんはかな。まだ真夜中だし」
「そっか。じゃあ、こんばんは」
「うん、こんばんは……いや、じゃなくて! 何故にコロンビーナさんが此処にいるんです!?」
「だって、スカラマシュに会いたくなったから」
行動力の化身なのか、この子は……それともブレーキが無いのか。
「……ノックしたの?」
「ううん、窓から入ったから」
最早、ドアからですら無かった……いや、これは窓を開けてた俺が悪いのか?
「入ったらスカラマシュが魘されてたから……心が落ち着くかなって思って」
「そう……」
無断で人の部屋に入ってきた事はさておき……魘されてたか。
「大丈夫?」
「……ああ。大丈夫さ」
開いた窓から吹き込む風が汗で塗れた身体の熱を奪っていく。
それは思わず、少しの寒気を覚えてしまう程に。
「……あれ? スカラマシュ、首に掛けてるのは何?」
「ん? ああ、これね……」
コロンビーナが指差したのは鋭い刃を思わせるような執行官の徽章ではなく、ファデュイに入隊した兵士が最初に貰う記章。
酷くボロボロで、うっすら血のような染みに塗れたそれは月の光を受けて、儚く光っているように見える。
「大事な物?」
「……そうだね」
「そうなんだ……これはずっとスカラマシュと一緒にいたんだね」
「……いや、ただの拾い物だよ」
これは俺の記章ではない。
俺が貰ったものは何時か紛失してしまった。
そして、これの元の持ち主は──
「スカラマシュ……?」
「……これを見てるとね、初心に返るというか……自分を戒めたくなるんだ」
あの時は撃てなくて、死に体になりながらも、自分だけはむざむざと生き延びて、それなのに何も成し遂げられなくて。
そんなヤツに生きる価値などあるのか、何かを望む資格なんてあるのか。
先に逝った彼らには帰りたい場所もあって、中には帰りを待つ人がいる者もいた。
それなのに俺は? 何も無いのではないか──帰る場所も、帰りを待つ人も……何も無いじゃないか。
大して考えもせず、その場の感情に任せて、自分で捨ててしまったではないか。
それなのに、俺はあの時、彼女を撃てなかったじゃないか。
撃つべき理由があるのに、俺は自分の躊躇いを選んだじゃないか。
選べなくて、弱くて──だから、手から零れ落ちていったじゃないか。
いつも、俺だけが置いて行かれていったじゃないか──
「──そっか、スカラマシュは本当に優しい人なんだね」
「……そんな事無いさ」
「きっと、スカラマシュは物凄く後悔してる。それはきっと……私が想像も出来ないくらいに。でも、私はスカラマシュに幸せになって欲しい」
窓から差し込んだ月光がコロンビーナを照らす。
「スカラマシュは私を何度も幸せにしてくれた。色々なことに気付かさせてくれた。なのに、スカラマシュがずっと苦しんでいるのは嫌だよ」
あの時、彼女は俺に言った。
『裏切り者』
ファデュイに入る前から苦楽を共にして、周りの仲間が倒れていく中、それでも共にあった彼女に俺は一番、言われたくなかった言葉が何度も木霊する。
あの時まで、互いに理解し合っていたと思った、互いに背中を預けていたと思っていた。
でも、それは俺の独り善がりでしか無かった。
それを突き付けられても、俺は──
「……大丈夫さ。今までもそうだったから」
「……分かった、スカラマシュがそう言うなら」
搾り出すように言った言葉はコロンビーナに言ったのか、それとも自らに言い聞かせているのか。
この時ばかりは、すぐに答える事が出来なかった。
全身を支配する気怠い感覚を振り払い、強引に目を開けると飾り気の無い部屋の一画が目に映る。
とはいえ、大人一人の体重を長い時間受けていた椅子は皺が寄っていた。
「んんっ……!」
変な体勢で寝ていたせいか、身体の関節が固まってしまったかのような感覚に思わず顔をしかめる。
こうして眠れる環境があるだけでもありがたい事なのは承知しているが、それでも身体というのは融通が利かないのだ。
それに昨夜はコロンビーナが不法侵入してきたものだから──
「……あっ」
これぞまさにデジャヴというヤツだろうか、もう随分と前に同じような状況に陥った記憶がある。
「ん……」
ベットの上で気持ち良さげに寝返りを打つ彼女の傍ら、眠気で麻痺していた脳の思考野がフル回転を始める。
稲妻の言葉で『二度あることは三度ある』と言うが、まさに今の状況を指すのだろう……俺の場合はまだ一回だけだが。
だがしかし、俺は学ぶ男である。
幸い、朝っぱらからサンドローネが訪ねてくる用件はない筈だ。
加えてアルレッキーノは勿論のこと、俺を除いてコロンビーナが此処にいることは誰も知らない。
つまり、まだ挽回の余地はあるということ……
「ん……スカラマシュ、おはよう」
「おはよう。相変わらず気持ち良さそうに眠るね」
「うん……此処、サンドローネのベットと同じくらい落ち着くんだ」
ちゃっかり、サンドローネの寝床も占領していたコロンビーナさんマジパネェっす。
さて、このままコロンビーナを部屋の入り口から帰せば、それこそ前の二の舞である。
ならば、どうするか──彼女が此処に来た経路を使って帰らせるのだ。
つまり、窓からコロンビーナを帰らせるという事である。
いたいけな女子を窓の外から放るというのは絵面としては最悪だが、彼女は元ファトゥス第三位……というか飛べるので問題にならない。
善は急げというように、気持ち良さげなコロンビーナには申し訳ないが、俺の安全のためにもご退去願おうか。
「よし、コロンビーナ。前みたくサンドローネ達に君が此処にいることがバレたら非常にマズい。早いとこ──」
「──あら、誰にバレたらマズいのかしら?」
「そりゃ、サンドローネ……に……」
ゼンマイが回る音と共に、口角は上げつつも、目は一切笑ってないままこちらを見つめる女性。
「おはよう、サンドローネ」
「あら、おはよう……で、何で貴女がこいつの部屋にいるのかしら?」
「スカラマシュに会いたくなったから」
「……へぇ」
「違うからね。俺は何も言ってないし、やってないからね?」
あれ? これってもう詰んだ? ここから入れる保険とか存在しない感じか?
……いや、待て……まだだ、まだ終わらんよ!
「えっと……ノックした?」
「顔認証の最新の自動ドアだもの。管理者の私なら自動で開くわよ」
「何それ知らないんだけど……」
というか、いつの間にか俺のプライバシーがあって無いようなものへ変わっている件について……
「サンドローネはスカラマシュの事が心配なんだよ」
「コロンビーナ……朝っぱらから、私の我慢の限界を試してるのかしら?」
「でも、スネージナヤに居た時、スカラマシュの事を探して何度も部屋に来てたよね?」
「あ、あれは……偶然、暇を持て余していたからよ」
「うん。だからスカラマシュがフォンテーヌに行ってるって知って残念がってたもんね」
「へ、変なことを言わないで頂戴!!」
……俺は一体、何を聞かされているのだろうか。
いや、俺自身が別に当事者でないのは重々承知なのだが、それでいて何故にこうも気恥ずかしい思いをせねばならんのか。
「フフッ……でも、サンドローネもたまに素直にならないと、本当に取っちゃうよ?」
「余計なお世話よ!!」
「フフッ……またね、スカラマシュ、サンドローネ」
そう言ってコロンビーナは窓からふわりと飛び去って行った。
そうして、場には顔を赤くして身を震わせるサンドローネと部屋の主でありながら蚊帳の外になっていた俺だけが残される。
「……えっと、うん。もうすぐ朝食の時間だね! 今日は何が出るかな……なんて」
「……さい」
「……へ?」
「忘れなさい……」
「えっと……何を?」
「コロンビーナが言った事、全部よ!!」
「んな無茶な!?」
訂正しよう、この場にいるのは羞恥暴虐のサンドローネであった。
ちなみに彼女とプロンニアに追い回された結果、朝食を食べ損ね、アルレッキーノが持ち込んだお茶菓子で空腹を凌いだのは別の話である。
そして、この日を境にコロンビーナの姿を見ることは無かった。
『宛名』について……
そういえば、俺が頭を捻って考えた宛名は気に入ってくれたのかね? 俺達としてもあの場で共闘出来たのは、またとない機会だった。もし、次に会うときはお互いの立場とかといった堅苦しいのは抜きにして一杯やりたいもんだ。