公演が近づき、脚本のどたばたも超えて『東京ブレイド』の稽古にも熱が入る中、事件が起きた。
かなちゃんから感情演技のアドバイスを聞いていたアクアちゃんの様子がおかしい。表情が消えて目の焦点があっていない。声を掛けようとしたけどその前にアクアちゃんがその場に倒れた。
「アクアちゃん?」
「アクア!?」
周りが騒然とする中、アクアちゃんはよろめきながら立ち上がる。
「大丈夫、ただの立ち眩みです。落ち着くまで休んできます」
そのままアクアちゃんは控室へふらふらと歩いて行った。気になったので追いかける。
控室でアクアちゃんはうずくまっていた。顔は真っ青で発汗している。さっきはふらついていたし、パニック発作かな。
いったいどうしたんだろう。演技しているときは正常に見えた。きっかけはかなちゃんの言葉かな。かなちゃんはこう言った。
『もしお母さんが死んじゃったらどうする?』
子役の感情を引き出すためによく使われる表現。それがアクアちゃんにはクリティカルな話題だったのかも。でも、どうして?
「私は大丈夫だからあかねは戻っていいよ。あと、伝えておいて。かなは悪くないって。ちょっと具体的に想像しすぎて気分が悪くなっただけだからって」
そう言うアクアちゃんの顔は青ざめたままだ。流石に放っておけない。
「だめだよ。アクアちゃんまだ気分悪そう。ちょっと横になった方がいいよ。今日はもう家の人に連絡して迎えに」
「やめて」
強い拒絶の言葉。
「妹に知られたくない。あの子は一人でも頑張ってる。ここで私も頑張らないと、私は……」
「でも、今日のところは誰かに迎えに来てもらった方がいいと思う」
「それなら……」
「あたしはあんたのお姉さんじゃないのよ。まったく。久しぶりに顔見せたと思ったらこれか」
「ごめん、カントク」
やってきたのは映画監督の五反田さんの家。幼少期からアクアちゃんがお世話になっていると言っていた。
アクアちゃんを五反田監督のベッドに寝かせる。
「あなたは、アクアの、えっと」
「……友達、です」
「驚いた。あいつにも友達いたのね」
監督さんはタバコを取り出して火をつけようとして、私を見てポケットに戻した。
「ごめんなさい。突然押しかけてしまって」
「いや良い。コイツの事情知ってるのはあたしくらいだし。別に初めてのことでもない」
「前にもあったんですか?」
「ああ。……まあ友達ならいいか。コイツは昔、酷い事件に巻き込まれてね。その時のことを思い出すとこうなるんだ」
「PTSD。心的外傷のフラッシュバックって事ですか?」
「そうらしい。まあ忘れられねえよな。あたしですら多少は引きずってるんだから。あたしは仕事してるから、様子見てやってて」
カントクさんは部屋を出て行った。あとには私とベッドで眠るアクアちゃんが残される。
アクアちゃんが巻き込まれた事件。おそらくそこには彼女の『お母さん』が関係している。
顔を覗く。眠っているみたいだけど、苦しそうな顔をしている。かすかに呟く声が聞こえた。
「アイ……」
アイ。もしかすると彼女の理想のアイドル、アイのことだろうか。
以前アイのことを調べたときに、ついでにアクアちゃんについても調べた。結果、いくつか違和感を感じることがあった。
10年以上も前に亡くなったアイドルを理想としていること。アイは確かに苺プロダクションのエースではあったけど、社長の娘とはいえそこまで執着するだろうか。
星野という芸名。親である社長の名字は斎藤。彼女の旧姓も星野ではない。アイの名字は公表されていない。
そして今、かなちゃんの言葉で発作を起こしたアクアちゃん。かなちゃんの言葉は『お母さんが死んだらどうする?』
アイを調べる中で、もしかしたらと考えたことがある。彼女には隠し子がいたのではないかということ。そう考えたら感情のラインに整合性が取れる。不可解だった数々の行動の理由がわかる。という、ただの仮説だったんだけど。
もし仮説が正しいなら、アイの子供はアクアちゃんとルビーちゃん。そしてアクアちゃんの巻き込まれた事件というのは、きっと。
「あかね?」
アクアちゃんが目覚めた。
「どうして泣いているの?」
彼女の優しい声に、初めて自分が泣いていることに気が付いた。
「ちょっとね。怖い想像しちゃった。アクアちゃんのお母さんのこと。もしそうだったらって考えたら、悲しくて。誰にも言えずに孤独だっただろうなって」
アクアちゃんは顔を強張らせた。
「誰かから聞いた? カントクとか、あなたのお父さんから?」
「誰にも聞いてないよ。でももしかしたらって、想像しただけ」
「想像だけでここまで。あかねはすごいね。『今ガチ』の時もアイを想像だけで演じてた……。ごめん。秘密にしておいて」
「もちろん。誰にも言わないよ」
「ありがとう。ごめんね」
あかねは優しいな。そう呟く声が聞こえた。
アクアちゃんたちに夕飯を作ってあげたり、アクアちゃんが昔出演していた映画を見たりしていた。本人は見たくないと部屋を出て行ったけど。
子供のアクアちゃんはかわいかったけれど、このころも発作が起きていたらしい。彼女の問題は相当根深い。
これだけのトラウマを持ちながら、どうしてアクアちゃんはアイドルになったのだろう。
映画が終わってアクアちゃんのところへ行くと彼女はベランダで電話をしていた。
「もう知ってるかもしれないですけど――え、あのライブも見てくれたんですか?――はい、頑張ります」
終わったみたいなので話しかける。
「電話してたの? 誰と?」
「役者の先輩。もうかなり売れてる人なんだけど、中学生の時に共演したときに知り合って、今もかわいがってくれてる。そういえば、知り合ったときもひどかった。発作までは起きなかったけど下手な演技して迷惑かけたな」
スマホをポケットにしまうアクアちゃん。もうだいぶ回復しているみたい。この際に気になったことを聞いてみた。
「そんなにひどい心の傷を抱えているのに、アクアちゃんはどうしてアイドルをやっているの?」
彼女は少し考えて、答える。
「一つは、約束。子供の時にルビーと約束をしたの。一緒にアイドルになってドームに行くって。それを叶えるため」
ルビーちゃんか。彼女たちの配信には頻繁にシスコン姉妹というコメントが出るくらい二人の仲はいい。双子とはいえここまで仲がいいのはどうしてかと考えてたけど、残された唯一の肉親となれば納得できる。
「もう一つは、アイのこと。あの時、世間の人は一週間足らずでアイのことを話さなくなった。でも私達がドームライブをするくらい有名になったら、きっと前のB小町のことも話題になる。そしてみんなに思い出してもらう。完璧で究極のアイドル、ドーム目前で夢を絶たれた悲劇のアイドルがいたって。それがもう一つ」
星を見ていたアクアちゃんが私の方を向いた。
「さっき電話してた役者の先輩にも行ったの。トラウマを乗り越えて見せるって。私は甘かった。ただ血を見ても平気になったくらいで乗り越えた気でいた。真正面から向き合わないと本当に乗り越えたって言えない。あかね、あなたはアイドル星野アクアの評判って知ってる?」
「えっと……。綺麗な顔だけど、表情が作り物っぽいっていうのは見たことがあるかな」
「そう。私の笑顔には感情がでてないから、自然な笑顔で誰をも引き付けるルビーには敵わない。このままだといずれ私はルビーの隣に立てなくなる。約束を果たせなくなる」
アクアちゃんが頭を下げた。
「ルビーに取り残されないために私はこのトラウマを克服しなきゃいけない。お願いあかね。力を貸して」
「うん、いいよ」
私は即答した。アクアちゃんに助けられた恩を返すいい機会だ。
次の日からアクアちゃんの特訓が始まることになった。
アクアちゃんの特訓で私がやったことは『アイ』を演じた後に『鞘姫』が倒れるシーンを演じること。トラウマを乗り越えるためあえて事件を再現する、とんでもない荒療治だ。お医者さんがいたら絶対止められてる。
「あかねは『今ガチ』の時にアイを演じたでしょ? あの時は本当にアイが画面にいるって思った。それくらいすごい演技だった。使わない手はない」
「演技を褒められるのはうれしいけど。本当に大丈夫? もしかするとアクアちゃんの心が壊れちゃうよ」
「大丈夫とかそういう問題じゃない。やらなきゃいけないの」
「……わかった。何かあったら止めてください、カントクさん」
「おうよ。早熟、絶対無理すんなよ」
最初はすぐに発作が起こってシーンの再現すら出来なかったけど、二日三日と続けていくうちにぎこちないながらも演技が出来るようになってきた。アクアちゃんは痛々しい顔を見せているが、目はギラギラ輝いている。本気で乗り越えようとしている。私もそれに応えて本気で相手をする。
私達の共演シーンを集中して特訓することによって『鞘姫』と『刀鬼』をどんどん深く考察出来る。二人も、もしかしたらこんな血のにじむような特訓をしたのかもしれない。それが二人の絆なのかも。
特訓が進むにつれてアクアちゃんも真に迫った演技が出来るようになってきている。けれど、もう時間がない。本番が迫ってきている。
「けっこうマシになってきたけど、まだ迫力不足。テレビや映画なら満点だが、舞台ならもっと感情をださないとダメ」
「わかってる。でももう時間がないな。これはぶっつけ本番ね」
「アクアちゃんなら大丈夫。これまで頑張って来たんだから」
「ありがと。……そうね、頑張らなきゃ」
特訓はこれで終わり。いよいよ舞台『東京ブレイド』本番の幕が開く。