ずるずるずるずる。
意識が戻った。まだ地獄ではないようだ。あの男に腕を掴まれ雑に運ばれている。目はかすんでいて、視界の先に辛うじて見える物は私の腹部に深々と突き刺さったナイフ。
してやられた。宅配便が来たと玄関を開けたら配達人に変装した奴がいて、あの日のあの子と同じように腹にナイフを突き立てられた。私はそのまま玄関に倒れこんで意識を失い、今、気が付いたら奴に運ばれている。ここはどこだろうか。周りは良く見えない。判断できるのは屋外ということと、風が強く吹いているということ。考えている間にも奴は私を運び続けている。抵抗しようにも体が動かない。
奴は炎上が尾を引いて身動きが出来ないと思い込んでいた。実際は張り付いている記者の目を誤魔化すため宅配業者に変装してまで私の始末しに来た。妨害をしたり炎上を起こしたり事件の証拠を集めているのを勘付かれたか。尻尾を出したつもりは無かったのだけど。
あの姉妹を放っておいて私を始末に来るなんて思わなかった。母親が立てなかったドームに立つという自分の娘たちの感動的な物語。それを潰すことなんて興味が無いのか。ドームと聞いてあの男も高揚していたような気がしたが、それも私を油断させるためか。
いや、違う。ドームライブを狙ってくるなんて私の勝手な思い込みだ。思えばこの男は最初から姉の方は見ておらず、妹の方だけに注目していた。あの子の面影を強く残す妹に期待している奴にとって、姉がいることでどうにかたどり着いたドームライブなど不十分。妹の力だけでドームに立つ時。彼女が『食べごろ』になるのを待っている。私以外の駒を使って、自分好みの方法で始末するのだろう。
ナイフが突き刺さっているのに痛みの感覚がない。あの子と同じように殺すなんて趣味が悪い。違うか。これもあの男の計算だ。アイの狂信者であった私が、彼女の真似をして自殺をしたなんてことにすればいい。自殺の理由なんて作り放題だ。炎上も何もかも私の所為にするかもしれない。
『彼女とは以前から親交があったんです。アイの熱狂的なファンだったんですが、最近どこかおかしかったんです。B小町twinsの活躍が許せないとか言って。僕が彼女達の活躍も楽しみにしていると言ったら、それが彼女にとっては許せなかったみたいで。身に覚えのないことばかりが芸能ニュースに載っていて驚きました。彼女と話をしてもわけのわからないことばかり話していて。あの日連絡があったんです。あの姉妹のドームライブなんて見たくないって。だから彼女はあの崖から……』
なんて。得意の演技でテレビに出れば大衆はたやすく信じるだろう。馬鹿な女が狂信の果てに自殺したのだと。
あの男が止まった。視界の端に海が見える。どうやらここは崖の上のようだ。何年か前にここで伸び盛りの若手タレントを始末をした。奴から依頼されて人目のつきにくそうな高い場所を探したのを思い出す。
体が持ち上げられる。このまま海に捨てて、私の処分は終わりだ。結局、最期まであの男の掌の上だったか。
推しの最後のドームライブ、見たかったな。どんな素晴らしいステージになっただろうか。ライブでファンにどんな言葉を残してくれただろうか。
ライブのチケットは奇跡的に当たっていた。ドームライブを見たら、搔き集めていた奴が事件に関わっていた証拠と一緒に自首しようと思っていた。誰も信じてくれないだろうけど。やっぱり回りくどい真似をしないで直接始末しておけば良かった。返り討ちに会う可能性を考えて人を操ってみたりもしていたけど、手ごたえは無かった。もう望み薄だ。
あいつが手を離したのか体が落ちていく感覚がする。主犯はあいつとはいえ、私も一緒に幾多の人を始末してきた。自分の末路は碌なものならないとは思っていた。あの子と同じ個所にナイフを刺されて死んでいくなんて、これ以上ない贅沢な末路だ。
目を瞑る。推しのドームライブを夢想する間もなく私の体は海面に叩きつけられた。
★
娘が芸能界に入ると言い出したのは、彼女が大学生の時だった。下校途中に芸能事務所からスカウトされたらしい。
私は反対した。芸能界など光も強ければ影も濃い。何も知らない女性など食い物にされるだけだ。そんな場所へ娘を行かせるわけにはいかない。けれど娘の意思は固かった。スカウトした事務所の社長という男も娘を全面的に支援するという。芸能界の闇から守って見せると。彼の言葉を信じて、私は娘の芸能界入りを承諾した。
娘はとんとん拍子に芸能界のステップを上がっているように見えた。最初は雑誌の端に名前が載る程度だったが徐々に露出を増やしていって、テレビにも出るようになった。何でもあの社長は演技の天才で、娘にも才能があるというのだ。女優として活躍し、ゴールデンタイムのドラマに出演するとなったときの娘はそれはもう嬉しそうで。私も芸能界入りに反対していたことなど忘れて、そんな娘の活躍に心を躍らせていた。あの社長も上手くやってくれている。これからもっと娘は活躍していくのだろうと思っていた。
あの日までは。
週刊誌に娘の記事が載った。有名な俳優と不倫しているというものだった。娘は炎上。嬉しそうに話していたドラマの出演も無くなった。娘は不倫なんてしていないと必死に訴えるも炎上は収まらず、日ごとに憔悴していき、そして。
娘の遺体が見つかったと警察から連絡が来たのは良く晴れた日の朝の事だった。近所の公園にある崖から身を投げたという。変わり果てた娘の体は氷のように冷たかった。
葬儀では事務所の社長から涙ながらに謝罪された。彼女を守ってやることが出来なかったと。それなら私も同罪だと思った。もっと娘のことを気にかけてやれば。あの時どうして芸能界入りを承諾してしまったか。後悔ばかりが浮かんだ。
そんな娘の死から数年。後悔が消えないまま、ぼんやりワイドショーを見ていると聞いたことのある名前が出てきた。
カミキヒカル。娘が所属していた芸能プロダクションの社長だ。彼が起こしたとされる複数の炎上事件。その中に、娘が標的になった事件があった。
何故? あの社長は娘を守っていたはずでは? 最初は何かの間違いだと思った。だが連日のニュースは私の考えを否定する。
社長への疑惑が拭えないとき、ある女性と出会った。
『私、見たんですよ。証拠も無いので警察には言ってないんですけど』
娘が所属していた事務所の所員だと名乗った女性は、あの社長が娘を崖から突き落とすところを見たという。
『傷心の子を気晴らしに公演に誘って、崖のそばまでおびき寄せて、肩を押す。それだけで貴方の娘さんの未来が奪われたんです』
どうしてあの社長が? という疑問に女性は答えた。
『ニュースで話題になっていたでしょう? 複数の女性と関係があったって。あれは本当ですよ。あの男は芸能事務所の社長という立場を利用して好みの女に手を出しているんです。貴方の娘だってその一人。きっとスカウトした時から狙っていたんでしょうね。でも、彼にとって邪魔になったか、あるいは言い寄っても自分に靡かなくて腹が立ったかで、始末しようと思った。炎上事件を起こして、娘さんを自殺に見せかけて殺害する。そうすれば誰もが炎上を苦にして自殺したと思って、あの男は怪しまれない。酷いと思いませんか?』
女は私を見つめた。
『貴方の娘だけじゃありません。被害者はもっと多い。芸能ニュースで触れられてるのも氷山の一角。あの男の所為でみんな苦しんでいる。貴方はそんな男、許せますか?』
女の言葉が頭の中で響いている。許せるわけがない。私達の信頼を裏切ったあの社長を。娘を、女を弄び命さえ奪うあの社長を。だが自分で、となるとそんな勇気は出ない。迷ったままで今日まで来た。
今日は娘の月命日だ。その日は娘が身を投げたという崖に行って手を合わせるのが習慣になっていた。ギャアギャアとカラスの鳴き声がする。何故か今日に限ってカラスが多い。
崖の近くに行くと誰かいるのが見えた。散歩中の人かと思ったがどこか様子がおかしい。近づいてみると男が女を引きずって運んでいる。男の横顔が見えた。あの事務所の社長だ。目の前の光景に私が呆然としている間に、男は崖まで女を運ぶと持ち上げて海に落とした。
どうしようか。警察に通報しなければ。そう考えている私に悪魔がささやく。男に手を下すなら今だと。公園には私達以外誰もいない。男も海の方を見ていて私に気が付いていない。カラスの喚く声が私を後押ししているような気がした。
私は男の背後に忍び寄った。男は女を投げ込んだ海に向かって何か話している。そんな男の肩を、彼が娘にしたのと同じように、トンと押した。
「あ、ああっ?」
男は情けない声を上げて崖から落ちて行った。男が最期にどんな表情をしているか見ようと覗き込んだが、それは出来なかった。男は崖から突き出していた岩に頭をぶつけ、首をあらぬ方向に曲げたまま海に落ちて行った。