「彼女の名前は、Quintina Bradley《クインティナ ブラッドリー》、周囲からはTina《ティナ》の愛称で呼ばれているわ。年齢は13、出身はアメリカ合衆国 ニュージャージー州 エリザベス市。彼女の両親についてだけど、父のJames Bradley《ジェームズ ブラッドリー》が母のKikuka Bradley《菊花 ブラッドリー》(旧姓:須藤)の働く日本車メーカーのアメリカ支店に入社した事で二人は出会い、そして結婚。2年後、ティナが生まれたわ。今は、母の出張で母国を離れ、母子二人でここ見滝原市に一時的に引っ越してきたの。ジェームズは本国で仕事があるからお留守番よ。その、引越し先というのが、ほかでもない暁美さんの住むマンションだった。急な生活環境の変化に少し不安を抱えていたティナは、同じマンションに住む同年代の女の子である暁美さんと偶然出会って、勇気を出して声を掛けた。そして、あなた達二人は国境を越えた友情を育んでいくことになる――というわけよ。どうかしら?」
そう言って、マミは得意気な顔をほむら達へ向けた。ほむらは、彼女のこういった不可思議なこだわりに対して素直に感心した。
マミは、一体いつからその妙な設定を思い付いていたのだろう。彼女が、いつまでも名無しでは不都合だから少女に名前を付けてあげようと提案してきたので、それならばとほむら達も一緒になって名前を考えようとした。ところが、間髪いれずに続けて「私は一つ思い付いたわ」と言うと、あらかじめ用意された台本を朗読するようにスラスラと少女のプロフィールを語り出したのだった。
「どうって……。色々な事が気になるのだけど、まず、この子と私は今同じ部屋に住んでいるの。外国から家族で引越しして来たという事にすると、おかしなことになるわ。そういう事までわざわざ考えなくても名前だけよかったのではないかしら?」
「それは駄目よ、暁美さん。あなたはまだ未成年だから、部屋は親の同意を得て借りているのでしょう? だから、あなたが勝手に賃貸借契約を変更する事はできないわ。さっき、彼女と同居していると言っていたわね? それは契約違反よ。家族でもない無関係の他人を契約変更なしで住まわせる事は出来ないわ。ご両親に事情を説明できない以上、彼女には違う部屋に住んでもらう必要があるの」
マミが断固とした口調で言った。彼女は正義を重んじる人だ、目の前の不正を許す事ができないのだろう。
「お堅いなぁ。べつにいいじゃんそれくらい、宇宙の危機なんだから少しは目を瞑れよ。バレなきゃいいんだよそんなのはさ」
「佐倉さん。たとえ宇宙人でも人の世で暮らすのなら、きちんとルールを守って生活しなければならないわ」
マミの“ルールを守れ”という言葉はむしろ杏子自身に向けられていた。
幼くして家族を失った杏子には身寄りがない。生きるためとはいえ、何度も窃盗を繰り返してきた彼女は言い逃れのできない犯罪者である。
ほむらは、以前の世界で、マミが杏子の身の上について話していた事を思い出す。
マミは、杏子に、罪を告白して自首しろと言っているわけではない。そこは譲歩するからせめて、その日暮しの不健全な生活をやめて、児童養護施設に入所して欲しいと考えていた。束縛を嫌う杏子にとっては少し窮屈な生活となるかもしれないが、今よりも絶対にまともに生きていけるはずだというのだ。
魔法少女には帰るべき日常が必要だ。
魔法少女として生きていると、どんどん心が現実から乖離していく。自分だけ願いを叶えることができたという喜びと後ろめたさ。魔法という超常の力を得た優越感と嫌悪感。人でなくなってしまったことへの不安と恐怖。すべてがごちゃ混ぜになり、心が麻痺するような非現実感となって魔法少女達を苛んでいく。だからこそ、魔法少女には心やすらぐ場所、心の拠り所が必要なのだ。
「あー……。あっあのさ、何でガイジンにしたんだ?」
マミの鋭い視線に決まりが悪くなったらしい。杏子は、急に話題を変えてきた。
マミは、しばらくの間杏子を睨むように見ていたが、小さく溜息をつくと話し始めた。
「外国人といっても、半分は日本人よ。彼女をハーフにした理由は、容姿が日本人離れしているから。見ての通り肌の色は真っ白だし、目鼻立ちがかなりくっきりとしているわ。これでは日本人として通用しにくいわね。あとは、母が日本人なら日本語を話すことができてもおかしくないということと、多少常識外れの言動をとっても外国人だからということでごまかせること。ただ、一番重要なのは英語名のイニシャルじゃないと駄目だという事なの。Quintina BradleyのイニシャルはQ.B.《キュービー》ほら! キュゥべえと音の響きが似ているでしょう! ……あっ! そうだわ、愛称はやっぱり《ティナ》じゃなくて《キュービー》にしましょう! その方がかわいいわ!」
話をしている内に段々と乗ってきたようだ。マミが興奮気味に同意を求めてきた。
訳の分からない細かいこだわりを発揮するマミ。
ほむらは、あまりにも彼女が楽しげで嬉しそうなので、思わず笑い声を洩らしてしまった。そして、久しく感じていなかった暖かな気持ちで胸が満たされていくのを感じていた。
さやかと杏子はというと、二人とも声を上げて笑っていた。
「そ、そんなに笑わなくてもいいでしょう……」
マミは、心外だとばかりに口を尖らせていたが、一向に収まる気配のない3人につられて、とうとう彼女自身も笑い始めてしまった。
今、このときだけは、皆、何もかも忘れてただ幸せそうに笑っていたのだった。
翌日、ほむらと少女が、夕食後にリビングのソファーに並んで座り、テレビのバラエティ番組につっこみを入れながらくつろいでいると、突然の来客があった。
「こんばんわ、ほむら。僕の娘は元気にしているかい?」
ほむらが玄関のドアを開けると、そこにはグレーのスーツをパリッと着こなした、スラリとした長身の女性が立っていた。ほむらとは初対面であるはずにもかかわらず、彼女はほむらの名を知っているようだった。
「ああ、昨日の件ね。部屋を借りる手続きは済んだのかしら?」
多少の驚きはあったものの、ほむらはすぐに事情を思い出す。
彼女は菊花・ブラッドリー。クインティナ・ブラッドリーの母親だ。マミ設定では。
キュゥべえは、マンションの部屋を借りるために架空の存在を現実のものにしてしまったということだ。
「偶然にも君の部屋の隣が空いていたからそこを借りる事ができたよ。……それにしても、不動産の賃貸借契約締結は割と手間がかかるものなんだね。契約のために銀行口座を開設したし、架空の会社を設立してそこで働いていることにしたし、運転免許証も偽造したし、架空の保証人も用意しなければならなかった。君の部屋に無断で住んでいるほうが、よほど法に抵触する部分が少なかったんじゃないかな?」
「それをマミに言う必要はないわ。万事上手くいったという事にしておきなさい。というか、さっきから気になっていたのだけど、あなたは二体目の人造人間なの?」
ほむらの目の前にいる女性は、どこからどう見ても人間としか思えない。だが、昨日までは存在しなかった人間だ。インキュベーターにとって、ひとりの人間を生み出す程度は造作もないことなのだろうか。
「僕は〈人型人工知性体〉ではないよ。このボディの構成素材は小動物タイプと同様のものなんだ。人体を作り出す手間と比較してコスト的にも従来の素材のほうが優れているし、君と直接の因果関係を結ぶ事ができる〈人型人工知性体〉は、常に一人だけだから複数体つくっても意味がないからね。それよりも、ほむら、キュービーを呼んでくれないかな。色々と説明しなければならない事があるんだ」
ほむら達は、〈人型人工知性体〉の少女を《キュービー》と呼ぶようにマミに強制されていて、それはキュゥべえも例外ではないようだ。
ほむらは、リビングにいる少女に聞こえるように、少し声を張って呼び掛ける。
部屋の奥から出て来たキュービーは、一目で女性を自分の母親だと理解した。
「母さんかい? はじめまして」
キュービーは、初めて出会う母親に対して何の感慨もなく、ごく普通に挨拶した。
「はじめまして。君の部屋を確保したよ、この部屋の隣だからとりあえず中へ入ってみようか」
そう言うと、中の人がキュゥべえの女性は、ドアノブに鍵をさして扉を開けた。キュービーがとことこ歩いて中に入っていったので、ほむらも何となく後に続いて部屋へ入った。
ガランとした室内は、西日に照らされてむっとした熱気に満ちており、ほむらは考えなしについて行ったことを後悔した。
「キュービー、部屋の鍵と銀行の預金通帳とキャッシュカード、あと契約関係書類一式を君に渡しておくよ。生活費は毎月月末に口座へ振り込んでおくから、無駄遣いせずにきちんと管理して欲しい」
女性型キュゥべえが、ずっと手に持っていた手提げ紙袋をキュービーへ手渡した。
「あと、水道、ガス、電気の契約は済ませてあるけど、家具類を揃える予定はないよ。この部屋はあまり使用しないで欲しいんだ。感情を効率よく学習するためには、できる限りほむらのそばにいて、一緒に生活することが望ましいからね」
「分かったよ。でも、結局ほむらの部屋に住むのなら、わざわざ部屋を借りる必要はなかったんじゃないかな?」
「いや、現在の状況なら、君がほむらの部屋で寝泊りしている事がマンションの管理者に発覚したとしても、君もこのマンションの住人だから、たまたま隣の部屋に遊びに行っていただけという言い訳でなんとか押し通せるはずだよ」
ほむらの目の前で、母子の会話らしきものが交わされていた。実際には、血の繋がりなどまったくない宇宙人と人造人間の会話なのだが。
ほむらは、両者の言葉に何の感情もこもっていないのだと考えると、今のやり取りがとても気味の悪いものに感じられた。
「せっかく部屋を借りたのだから、あなたはここに住んでみたらどう?」
ほむらは、OL風キュゥべえに冗談交じりに尋ねてみた。人の皮を被った宇宙人が隣に住んでいるというのは、どのような気分になるものなのだろうか。
「このボディは部屋を借りるという役目を終えたから、これ以上コントロールを続けるのはエネルギーの無駄遣いになってしまう。活動を停止させるべきだろうね。ちょうど今、〈星間連合〉では省エネ強化キャンペーンが実施されているんだ。連合の代表である僕達は、こういうことで模範を示さないといけないのさ。そうしておかないと、あとで色々と難くせをつけてくる輩がたくさんいるからね」
女性は、感情が無いにもかかわらず軽く肩をすくめるジェスチャーを行った。
インキュベーターにも大人の事情というものがあるらしい。〈星間連合〉とやらについてはまったく分からないが、例の〈転移ゲート〉で繋がっている星同士で結成した組織の事だと想像がついた。
「物質を任意座標転送するにはかなりエネルギーを消費するし、もしかしたら、今後再使用する事があるかもしれないから、ボディはここに置いておくよ。キュービーが願いを叶える事ができたら回収する事にしよう。さて、エネルギーがもったいないからそろそろ意識を切るけど、いいかい?」
「いいわけないでしょう。万が一、この部屋に放置されているあなたが誰かに見つかったら、死体が発見されたどころの騒ぎではすまないのよ。そんなに帰りたくないのなら、火山の噴火口にでも飛び込んで跡形もなく消滅しなさい」
死体を処理する方法には詳しくないが、消炭になってしまえば見つかる事はないだろう。ほむらは、他にもっと良い証拠隠滅の方法がないかを考え始めた。
「自身を抹消するために、登山を行ってエネルギーを無駄に消費することは、甚だナンセンスだね。心配しなくても不可視状態に切替えておくから、人の目に触れる事はないよ。……もういいかな? ほむら、キュービー、機会があったらまた会おう」
女性はそう言い残すと、何の前触れもなく目の前から消え失せる。そして、ドサリと重い荷物を床に落としたような音が響いた。
ほむらは、今の不気味な物音に心当たりがあった。
「キュービー、あなたのお母さんを部屋の隅に運ぶから手伝いなさい」
二人は、目に見えないが確かに手応えのある何かを、直射日光の当たらない場所まで引きずって移動させた。
身に着けている衣服も、体と同様に特殊な素材で出来ているらしく、透明になっていた。
仕事を終えて軽く汗をかいた彼女達は、部屋を後にした。外に出ると、空は夕日で赤く染まっていた。
「さよなら。母さん」
少女が、閉ざされた扉に向かって呟いた。
ほむらは、その言葉を聞いて背筋が冷たくなった。
この部屋の中には今、意識のない透明な女性が倒れている。彼女は、その事実をあまり思い出さないことにしようと決めた。
「はぁ……。帰るわよ」
「うん」
梅雨が明け、季節は本格的に夏を迎えようとしていた。
そして、世間がそうであるように、見滝原中に通う魔法少女達も夏休みが始まった。
そんな中、キュービーはというと、マミの提案によって休みの間は魔法少女達と持ち回りで一緒に遊ぶ事が決定されたのだった。
キュービーは、待ち合わせ場所であるショッピングモールの入口に立っていた。夏休みであるため、人通りが多い。彼女は、ぼんやりと人の流れを見つめていた。
「キュービー! ごめんね、待った?」
一人佇む少女に声を掛けてきたのはさやかだった。彼女の顔に反省の色は一切浮かんでいなかったが、片合掌で謝罪を意味する仕草を取っていた。
キュービーは、壁に掛けられた大きなデジタル時計を一瞥すると言った。
「5分程度しか待ってないよ。それに、まだ約束の時間前だから謝る必要はないよ」
「まあまあ、こういう時はそう言っておくものなんだって。……しっかし、やっぱあんた、見とれるくらい綺麗だよね。何ていうか、妖精?」
「人間だよ。少なくとも肉体的には」
「アハハッ、そのキュゥべえみたいな喋り方なんとかなんないの? ……あ、そうだ、今日はもう一人来るから楽しみにしててね」
さやかは、楽しそうに笑いながら言った。
さやかが、フムフム言いながらキュービーのファッションチェックを行っていると、さほど待つ事もなく、そのもう一人は現れた。
「さやかさん。ごめんなさい、お待たせしました」
穏やかな口調でさやかに話しかけてきたのは志筑仁美だった。彼女は、さやかの隣で棒立ちになっているキュービーに気付くと「まぁ」と感嘆の声をあげた。
「もしかして、あなたが暁美さんの御友人の……?」
「はじめまして、僕はQuintina Bradley《クインティナ ブラッドリー》、皆、僕の事はキュービーと呼んでいる。君も、ぜひそうして欲しい」
「分かりましたわ、キュービーさん。私は志筑仁美といいます。仁美と呼んでください。キュービーさんはアメリカの方と伺っていたのですけど、ずいぶん日本語がお上手ですのね」
「僕はアメリカ人と日本人のハーフなんだ。日本語は日本人の母から教わったのさ」
さやかは、今、キュービーが躊躇わず嘘をついたことに気がついた。彼女は、キュゥべえの記憶を持ち、口調も似ている。だが、けっしてキュゥべえそのものというわけではないのだ。
「とりあえずさ、この子に似合いそうな服を見て回らない? 日本の最先端ファッションってやつをメリケンに知らしめるチャンスだよ。これは」
さやかが乱暴な言葉遣いを仁美にやんわりとたしなめられながらも、彼女達はお店巡りを始めた。
そして、この後、キュービーは何時間もの間、さやかと仁美の着せ替え人形となったのだった。
この日をきっかけに、キュービーはさやかとちょくちょく遊びに行くようになった。
一緒に海水浴に行ったときは、日焼けし過ぎて酷い目にあった。さやかは、キュービーの胸元を見て、勝利の笑みを浮かべていた。
花火大会に行ったときは杏子も一緒だった。彼女は、露店で買い漁った綿飴やらりんご飴やらを両手いっぱいに抱え込んでいたが、人にぶつかった拍子に地面に落としていた。杏子は、悪態をつきながら拾い集めると砂を払って食べていた。その一部始終を見ていたキュービーは、さやかから、あいつの真似はしない方がいいと言い聞かされた。
上条恭介のバイオリンの発表会に無理矢理付き合わされたこともあった。さやかと仁美は潤んだ目でステージの上に立つ彼に熱視線を送っていたが、キュービーは会場の空調が効き過ぎているせいでガタガタと身を震わせていた。
そんなこんなで、さやかからは頻繁に連絡があったので、キュービーはその度にお出掛けすることになり、結局、夏休みの半分をさやかと過ごすことになったのだった。
「美樹さんとは、よく一緒に遊んでいるのね。もっとうちに来てもいいのよ」
キュービーがマミの部屋に行くと、一緒にお菓子作りをするのが慣習となっていた。
練り合わせたクッキー生地を冷蔵庫で寝かせている間、マミとキュービーはリビングで他愛もないお喋りをしていた。彼女らのそばにはキュゥべえもいて、専用クッションの上で猫のように丸くなっている。
「そんなにしょっちゅう来たら、君にお菓子目当てだと勘違いされてしまうからね。ほどほどにしているのさ」
「あら、そうだったの」
マミは、軽く驚きの表情を浮かべながら少女を見た。彼女達が初めて出会った頃に比べると、キュービーの表情はかすかに変化するようになっていたし、口調も平坦なものから少しだけ抑揚がついた話し方となっていた。
マミは、今の冗談めいた発言に確かな感情の発露をみた。
およそ一時間が経過して、良い具合に生地が仕上がった。二人は、生地を思い思いの形に作り上げていく。
「キュービー、あなた、型抜きを順番に使っているだけじゃない」
キュービーは、薄く延ばした生地を、置いてあったハートや星型のクッキーカッターでポンポンと手早くカットしていた。
「手で成形するよりも、こっちの方が効率的だよ」
「こういうことは、効率よりも楽しむ事を考えるものよ。……ほら、こんな風に」
マミはそう言いながら、生地の形を整えた。
「これは……、キュゥべえの顔かい?」
マミの手によって作り出されたキュゥべえは非常に精巧にできており、長い耳毛のようなものに付属している謎のリングまで表現されていた。
「そうよ、あなたも自分の好きなように形を決めたらどうかしら」
キュービーは、しばらくの間キュゥべえクッキーを見つめていたが、マミを真似て手作りに挑戦する事にしたのだった。
部屋中に甘い香りが漂っていた。
マミは、オーブンレンジから焼きたてのクッキーを取り出して、皿に綺麗に盛り付けると、紅茶と一緒にテーブルに並べた。
「さあ、いただきましょう。キュゥべえ、お菓子ができたわ。あなたもどう?」
マミは、クッションの上で瞑目しているキュゥべえに声を掛けた。キュゥべえはマミの呼びかけに気がつくと、さっと音もなく三角テーブルの上に飛び乗った。
「せっかくだから、お相伴に預かろうかな。おや、……これは、僕の顔かい?」
キュゥべえは、差し出されたクッキーを見て言った。マミは、キュゥべえがキュービーとまったく同じ反応を示したので、思わず噴き出しそうになったが、かろうじて堪えることができた。
「え…ええ、そうよ。どうぞ召し上がれ」
「キュゥべえ、僕も君を作ってみたんだ。どうかな?」
そう言ってキュービーが手に取ったクッキーは、異形の化物だった。
「それは、僕ではないよ」
キュゥべえは、無慈悲な一言で切り捨てた。
「そうだね、僕もそう思っていたところなんだ」
「ま、まあまあ、あなた達、形はどうあれ味は保障するわ。とりあえず食べてみたらどうかしら」
両者は、マミに促されてクッキーを口にする。
「……! フフッ……!」
マミは、キュービーとキュゥべえがまったく同じタイミングでクッキーをかじり、モグモグと咀嚼しているのを見て、笑いを洩らしてしまう。
彼女は、気を落ち着かせようと紅茶を口にしようとした。
「何が可笑しいんだい?」
「何が可笑しいんだい?」
「アハハッ……!」
マミは、同時にこちらへ振り向いた両者に、とうとう堪えきれずに大きな笑い声を上げてしまった。
その日、ほむらの部屋に帰ったキュービーは、マミの部屋で作ったクッキーをお土産としてほむらに渡した。
「ほむら、君の姿をクッキーで作ってみたんだ。どうかな?」
そう言ってキュービーが手に取ったクッキーは、異形の化物だった。
「それは、私ではないわ」
差し出されたクッキーを見たほむらの一言は、無慈悲だった。
杏子とゲームセンターへ遊びに行ったこともあった。
「おい、おせぇぞ。何やってたんだよ?」
キュービーがゲームセンターの前に到着すると、チョコレートがコーティングされている細い棒状のスナック菓子を口に銜えた杏子がすでに待っていた。
「少し遅れてしまったみたいだね。ごめんよ。でも、毎日が夏休みの君でも時間を気にするものなんだね」
「ハッ! 言うようになったじゃねぇか。まあいい、行くぞ、ついてきな」
キュービーは、さっさと歩き出す杏子に続いてゲームセンターの中に入った。
明るい照明で照らされた店内には、大きなガラス張りの箱型機械の中に、大量のぬいぐるみやお菓子が詰め込まれているもの、アニメか何かのキャラクターをプリントしたクッションや人形が入っているものなど、様々な種類のものがズラリと並んでいた。
キュービーがそれらを眺めていると、杏子が声を掛けてきた。
「そいつはまた今度な。今日はこっちだ」
杏子はそう言って地下への階段を下りていったので、キュービーは彼女の後についていった。
地下は、地上とは別世界だった。薄暗い店内は煙草の臭いと、騒音に支配されている。
「まずは、あれだな」
杏子が指差す先には、いくつものマシンが並び、その小さなステージの上で一心不乱に激しく足踏みしている人達がいた。
「あの気持ち悪い動きをしている連中のところへ行くのかい?」
「バカ野郎! 奴らに聞こえたらどうすんだよ。……まあ、傍から見たら若干キモイことは認めるさ。だけどな、実際やってみるとスゲー気持ちいいんだよ。あれは」
二人が、地団太を踏んでいる人々がいる一角にやってくると、運よく筐体が一台空いていた。杏子は、歩みを止めることなくステージに上がると、ディスプレイに向かって何やら操作し始める。
「二人だからなぁ、バーサスにするか。ハハッ、誰かと一緒にやるなんて初めてだ。……よし! おわりっと。おい、あたしの隣に来なよ、やり方は周りを見て大体分かっただろう」
「杏子、僕達は一人が4枚のパネルを踏むのかい? あっちの人達は一人で8枚踏んでいるよ」
「あの連中の事は気にするな。そろそろ始めるけど、いいかい?」
「いや、少し待って欲しい。……ふぅん、パネルが4つだから、四つん這いになれば効率よくプレイできるんじゃないかな?」
「そんな真似しやがったら、殺すぞ」
ゲームが始まった。
キュービーは、画面の上から流れてくる上下左右の矢印に合わせて、タイミング良く足元のパネルを踏んでいこうとしたが、次から次へと絶え間なく押し寄せる矢印達に翻弄されて、まったくと言っていいほど上手く踏むことができなかった。そして、そのままゲームが終わった。
「全然ダメじゃん」
杏子は、キュービーのスコアを見て、ニヤニヤ笑いを浮かべながら言った。対する杏子の成績はというと、ミスは一つもなくタイミングの評価も高いものに集中している。
「今のは仕方がないよ。足元のパネルの位置をあまり把握してなかったからね、画面を見ながらだと下を確認する余裕がなかったんだ。でも、もうパネルの位置は分かったし、矢印のパターンも記憶したから問題ないね」
「へぇ、そうかい。じゃあもう一回だ」
再度ゲームが開始される。そして、またもや散々な結果となって終了した。
「おいおい、なんだよそれ。もっとさ、曲に合わせて体全体を動かす感じでやれよ。流れてくる矢印を目で追いながら、足だけひょこひょこ動かしてたらリズムが狂っちまうぞ」
「……杏子、もう一回だ。君にできて僕にできないなんて事は道理に反する」
「あぁ? 何だか負け犬の遠吠えが聞こえるな。ま、しょうがねぇ、相手をしてやるか」
キュービーの無謀な挑戦は何度も繰り返され、その度に屈辱にまみれる事となった。やがて、体力の限界が訪れて、彼女はガクリと膝をつく。
そして、ハァハァと息を荒げながら言った。
「OK分かった了解だ、今日のところは負けを認めようじゃないか。でも、次はきっと僕が勝つだろうね」
「あんたって、案外負けず嫌いなんだな……」
人造人間の意外な一面をみた杏子は、その執念に呆れながら呟いた。
「ちょっと休憩するか。……そうだなぁ、あっちに行くぞ」
杏子は、キュービーがヘトヘトに疲れているのを見てそう言った。歩き始めた杏子の後ろをフラフラとした足取りでキュービーがついていくと、先ほどとはまた違った種類のゲーム機が設置してあるスペースへ行き着いた。
キュービーが辺りを見回すと、地上で見たぬいぐるみ入りの箱型機械よりも、さらに大きなガラス張りのマシンが据え付けられており、その中には銀色のコインがぎっしりと詰まっていた。
「ここには、どんなゲームが置いてあるんだい?」
「この辺はメダルゲームのコーナーだな。ああ、メダルゲームっていうのは、単純にメダルを増やして遊ぶゲームのことさ」
「メダルが増えたら何かいい事でもあるのかい?」
「メダルが増えたら嬉しいだろ」
ならば、メダルが増えても嬉しいと感じない人にとっては、やるだけ時間とお金が無駄になるゲームという事になる。
「預けてあるメダルを引き出してくるから、ちょっと待ってな」
そう言い残すと、杏子はスタスタと歩み去る。あとに残されたキュービーは、再び大きなガラス張りのマシンの方へ目を向けた。巨大な機械を取り囲んで、楽しげに笑う小さな子供、並んで座っている若い男女、生気のない濁った目の中年男など年齢も性別も様々な人達がゲームに興じている。
キュービーが、彼らの様子をぼーっと眺めていると、杏子がメダルをいっぱい入れた大きなカップを二つ持って現れた。
「元手は一人300枚からだ。制限時間内により多く増やした方の勝ち、でどうだ?」
キュービーの与り知らぬところで、いつの間にやらバトル展開となっていた。しかし、これは先ほどの雪辱を晴らす絶好の機会であることも確かである。彼女は杏子の挑戦を受けて立つことにした。
「かまわないよ。さっきのゲームと違って単純で簡単そうだからね。これなら君に負ける理由はないよ」
「へぇ……。じゃあ負けた奴はジュースおごりな、あたしはあっちの方でやるから、あんたもせいぜい頑張れよ」
そう言って杏子が向かった先には、一人用の小さなマシンが置いてあった。彼女はその前に座ると、メダルを投入して、マシンの横にあるレバーを引いた。すると、図柄が高速回転し始めたので、彼女はそれをテンポ良くボタンを押して停止させていく。
キュービーは、その様子を少しの間見つめていたが、結局、最初に目に入った巨大マシンの方へ行くことにした。
彼女は、空いている席に座ると、ガラスの中の様子をつぶさに観察した。
上下二段に分かれたステージ上に沢山のメダルが平積みされており、ゴムボールのようなものもいくつか転がっていた。ステージは上段が奥側、下段が手前側に配置されていて、上段ステージは一定間隔で前後に往復している。メダルを投入口に入れて、上段へと送り込み、ステージの往復運動によって積まれたメダルを押し出すことができれば、過剰積載されていた分のメダルが落ちて、それを手にする事ができるという仕組みのようだ。
キュービーは、これならばメダルを着実に増加させる事ができると判断して、投入を開始した。
1時間後、キュービーは己の判断が誤りだった事を悟った。
これは、メダルを着実に減少させるゲームだ。自然に押し出されるメダルだけではどうしてもジリ貧になるため、これだけではどうしようもない。他にメダルを増やす方法として、上段から下段に落ちる際に、メダルがチャッカーを通過すればスロット抽選によって、何枚かの恩賞を得られる事があるものの、こればかりは完全に運だ。
キュービーは、残り30枚程度になったメダルを見ながら思案した。そして、一発逆転を狙うしかないと合理的な判断を下した。
手元に残っているこの30枚を使って、とにかく何とかしなくてはならない。キュービーは立ち上がって、周りを見渡した。そして、彼女の目的に沿ったものを発見した。
ルーレットだ。これならば、すでにルールは脳へインプットされている。彼女は、善は急げとばかりにルーレットマシンに着席した。狙いは当然1つの数字にベットするストレートアップ。彼女は30枚すべてを38分の1の確率に掛けて、あとは運を天に任せた。
5分後、キュービーはすべてのメダルを失っていた。
床に落ちているメダルを拾って回るという考えが、一瞬彼女の脳裏をよぎる。が、思いとどまった。
彼女は、止むを得ず杏子のところへメダルの無心に行くことにした。
「ハッハァー!! 見ろよこれ、いやぁ、10も回さない内にいきなりフリーズ引いてさぁ。そっから薄いとこ薄いとこ引きまくって、上乗せ2500Gだぜ。万枚はほぼ確実だな。……ん? あんた、もしかして全部なくしたのかい? かわいそうだな、慈悲深い杏子様が何枚か恵んであげようか? ただし、ジュースだけじゃなくて食い物もおごって貰うことになるけどな」
杏子は大量のメダルを放出中だった。彼女の手はキュービーに話しかけている間も、休むことなくレバーとボタンを叩く動作を繰り返している。
キュービーは、自身の勝利を確信している杏子の驕り高ぶった発言に眉をひそめたが、結局、再度300枚を借りる事に決めた。
人は失敗から物事を学ぶ。もう二度と無様を晒す事はない。キュービーは、杏子の絶望する顔を想像しながら己の戦場へと引き返した。
1時間後、キュービーはすべてのメダルを失っていた。
「ダブルチーズバーガーとポテトのLとコーラのLで、あんたはどうする?」
「……バニラシェイクのS」
杏子に惨敗を喫したキュービーは、取り決めに従いジュースと食べ物をおごることになったため、ゲームセンター近くのファーストフード店へやってきた。
「偉そうなこと言うわりに全然だったな。ま、初めてにしては良くやった方じゃねぇかな」
席に着くなり、杏子はそう言うと、大口を開けてハンバーガーにかぶりつく。
キュービーはシェイクをチューチュー吸いながら、ふてくされたように言った。
「そうだね、よくよく考えたら毎日ゲームセンターに通っている暇人の君と、初心者の僕とでは最初から勝負にならなかったんじゃないのかい?」
「かもな」
杏子は、ポテトをひょいぱくひょいぱくと口に運んでいた。
「杏子、君はその大量のポテトを独り占めするつもりなのかい? 僕にも少し分けるべきだよ」
「あ? いいよ、ほら」
杏子が身振り手振りでOKサインを出したので、キュービーは手を伸ばしてポテトを一切れつまんだ。そして、口元に持って行こうとした時に、手元が狂ってポロリと床に落としてしまった。
「あっ!!」
杏子が、驚きの声を上げた。
「ああ、床に落としてしまったからもう食べる事はできないね」
「何言ってやがる……、ちゃんと拾って食えよ! もったいないじゃねぇか!」
杏子は、凄まじい剣幕でキュービーに詰め寄った。彼女は、食べる事に関しては異常なほど真剣だ。
キュービーは、仕方なく落としたポテトを拾う。そして、少し考えてからそれを口に入れた。
「……ったく、気をつけろよな」
未だ憤懣遣る方無いといった様子の杏子に、ポテトを飲み込んだキュービーは尋ねた。
「杏子、食べ物を粗末にする事と、食べ物を盗む事、どちらの方が罪深い事なんだい?」
この質問に、杏子は一瞬面食らった顔をしていたが、すぐにニカッと白い歯を見せながら言った。
「どっちも許される事じゃねぇよ」