長いようで短かった夏休みも終盤に差し掛かかっていた。
さやかが、溜め込んでいた課題に必死になっている事もあって、キュービーは自然とほむらの部屋で過ごす時間が多くなっていた。
その日、キュービーとほむらは、菓子パンひとつで朝食を済ませたあと、ソファーに並んで座り、何時間もの間お互いに一切の会話なしに読書に耽っていた。さほど広くないリビングに聞こえるのは、エアコンの静かな送風音と、二人が時折ページをめくる微かなさざめきだけだった。
そして、長く続いた静寂は、ほむらによって突然破られた。
「最近はどうなの?」
ほむらは、本を読みながら、顔も上げずにキュービーへ向かって漠然とした問いを投げ掛ける。
キュービーも本から目を離さずに、適当かつ無難な答えを返した。
「ぼちぼちだね」
会話が終了した。
世界は再び沈黙に支配された。
会話の機微を、ある程度感じ取れるようになっているキュービーは、今、ほむらがボソッと囁く様に言った不明瞭な質問の趣旨が“あなたは、最近マミ達とはどのように過ごしているのですか。そして、感情には何か変化があったのですか?”であることを即座に理解していた。だが、彼女は、ほむらの質問に答えるよりも、活字を目で追う作業のほうが重要であると判断して、この場において最適な返答を選択したのだった。
そして、二人は、静けさの中で正午を迎えた。
キッチンへ向かったキュービーは、ガラスコップを2つ用意すると、氷を入れて麦茶を注いだ。そして、菓子パンが4つ入っているレジ袋の持ち手を手首に引っ掛けて、コップを両手に持つと、リビングへと引き返す。
彼女は、コップを自分とほむらの前に置くと、袋をテーブルの上へ放り投げた。バサッという音を立てて、袋の中から包装されたパンが飛び出した。
ほむらは、礼も言わずにパンに向かって手を伸ばすと、2つを手元に引き寄せる。
キュービーは、残されたパンをしばらく見つめていたが、モンブランデニッシュを手に取ると、ほむらが持っていった黒糖コッペパンと交換した。
断りもなくパンを取り換えられたにもかかわらず、ほむらは一顧だにしなかった。
二人は、パンをかじりながら読書を続けた。
ただただ、時間ばかりが過ぎていった。
陽が傾き始めた頃、ほむらは、読み終えた3冊目の分厚いハードカバーを机に置いた。
彼女は、ソファーの上で「んっ……」という小さな呻き声を上げながら両手を上げて全身を目一杯伸ばすと、「はぁ……」と息を吐きながら脱力して、仰向けに近い状態になり、だらしない格好でソファーに身を預けた。
ほむらは、しばし目を閉じたままピクリとも動かなかったが、何の前触れもなく陰気な口調でキュービーへ問い掛けた。
「……で、最近はどうなの?」
会話が10時間ぶりに再開された。
「ぼちぼちだね」
そして、終了した。
「感情は芽生えそうなの?」
と、思ったがやっぱり再開された。
「今は感情なんかよりも〈小鬼《インプ》〉がどうなるかの方に興味を感じるね」
キュービーは、ほむらが読んでいる長編シリーズを後追いで読み進めており、その物語に熱中していた。感情が芽生えているかどうかなど、聞くまでもないことだった。
「あなた、あの低俗で醜悪なこびとが好きなの? 変わっているわね」
「……そういう君は、誰が好きなんだい?」
お気に入りの登場人物を馬鹿にされた挙句、自身の価値観をも否定されたキュービーは、胸中に渦巻く何かを堪えながらほむらに聞き返した。
「別に、好きなキャラクターなんていないわ。むしろ 鬱陶しい奴らばかりで気が滅入ってくるわね」
ほむらは、どうでもよさげに答えた。
これには、キュービーですら軽く驚きの表情を見せた。20名を超える視点人物が、各章ごとに切り替わりながら展開される群像劇を読んでおきながら、好きな登場人物がいないとほむらは言ってのけたのだ。
「何だって……? 君には本当に感情があるのかい? どうしてこの本を読んでいるんだい? 君こそ変わっているよ」
「私が本を読む理由は、違う世界がそこにあるからよ。キュービー、物語の楽しみ方は色々あるわ、生まれてからまだ日が浅いあなたには分からない事でしょうけどね」
ほむらは薄ら笑いを浮かべながら言った。その口調には多分に侮蔑が含まれていた。キュービーは、ほむらの言葉尻がなぜか急にきつくなったことに少し狼狽した。
読書を続ける気がすっかりなくなったキュービーは、読んでいたページに栞紐を挟んで本をテーブルの上に置いた。そして、残っていた氷が溶けて僅かな水が入っているコップと、菓子パンを包んでいたビニールの包装を持ってキッチンへ向かった。
「おなかがすいたわ。キュービー、晩御飯の用意をしなさい」
出し抜けにほむらが言った。やたらと偉そうな言い様である。
「晩御飯の用意と言っても、この前コンビニエンスストアで買い込んだパンしかないじゃないか。君は、朝昼晩三食をパンで過ごせと言うのかい? 正直なところ、小麦粉を捏ねて発酵させて焼いたものはもう食べ飽きたよ」
「それなら、菓子パンじゃなくて惣菜パンを出しなさい。いくつか買ってあったでしょう?」
「そうじゃなくて……。“パン”は飽きたと言っただろう? 挟んであるものがクリームなのかコロッケなのかは関係がないんだ」
「はぁ……。こどもではないのだから、あまり駄々をこねないで貰えないかしら。……ああ、ごめんなさい、あなたは、まだ生まれたばかりの0歳児だったわね」
ほむらは、やれやれガキを相手にするのは疲れることだ、と言わんばかりに大きなため息をついた。
「仕方がないわ、あなた、確かキュゥべえからお金を貰っていたわね。そのお金で何か別のものを買ってきなさい。居候なのだからそれくらいはして当然よ」
事ここに至り、キュービーは先ほどからずっと抱いていた疑いが確信に変わった。
ほむらは、ご機嫌斜めになっている。しかも、悪いことに怒りの矛先がこちらへ向いている。その理由はさっぱり分からないが。
キュービーは、パンの包装を見滝原市指定プラスチック製容器包装ごみ袋に入れた。そして、シンクでコップを洗いながら、何か彼女の逆鱗に触れる事をしてしまったのだろうかと今日一日を振り返ってみた。
午前中は本を読んでいた。そして、午後からもやはり本を読んでいた。つまり、何もしていなかった。ならば、この理不尽なほむらの態度は彼女の気まぐれなのか。それとも、“ぼちぼち”言い過ぎたのがまずかったのか。
キュービーは、ほむらと共に暮らしている。一ヶ月程度とはいえ、掃除・洗濯・炊事・買物などを分担しながら共同生活を送ってきている。だから、暁美ほむらが他人をあまり気に掛けない人物であることを、何となく理解していた。人造人間風情が何か言ったところで、彼女は歯牙にもかけないはずなのだ。
キュービーは、蛇口から出た水が、排水口へと流れ続けるのを見ながら思案に暮れていたが、まったく突然に謎々の答えが閃いた。彼女は、コップを水切りラックに置くと、ほむらに向かって問い掛けた。
「もしかして、君は黒糖コッペパンの方が好きだったのかい?」
返事がない、図星のようだ。
キュービーは、理由が分かってホッと胸を撫で下ろした。そして、自身が感じていた切羽詰まった焦燥のような何かが、ほむらの冷淡な態度によるものだったのだと今更ながらに気付いた。
「そんなの……、取り替えたときに言ってくれれば良かったのに。どうして黙っていたんだい?」
キュービーはキッチンから戻り、再びソファーに腰を下ろす。その声色は安堵からなのか、少し上ずっていた。
「……私が気付いたときには、もうあなたが食べてしまった後だったのよ。最後の一個だったのに……。それで、どうやって責任を取ってくれるのかしら?」
ほむらは、疲れを感じさせる口調で言った。
何だそれは下らない。そうならそうと言ってくれれば、謝りもしただろう。理由も告げずに愚痴愚痴と嫌みを言う必要などない。馬鹿なのかこいつは。
キュービーは、気持ちが落ち着いてくると、今度は心の底から何か得体の知れないものが湧き上がってくるのを感じた。そして、まったく制御できないそれに突き動かされるままに、口を開いた。
「ほむらっ! 君はいったい何を考えて――」
「――それが、怒りという感情よ」
ほむらは、キュービーの激昂を遮り、したり顔でそう言った。
キュービーは、目を白黒させながら「へ?」という間の抜けた声を出して、ほむらの顔をまじまじと見つめる。ほむらは、嘲るような笑みを浮かべながらキュービーに目を向けていた。
キュービーは、しばらく口を開けたり閉じたりしながらアウアウと口篭もっていたが、やがて「はぁー……」と深くため息をついて、背もたれに寄りかかりながら言った。
「最初からそのつもりだったのかい? まったく、してやられたよ。僕の負けだ」
「フフ……」
ほむらは、不敵な笑い声を返した。
キュービーは、激情が治まって来ると、今度は急におかしな気分になってきた。さきほどから気分が上がったり下がったり、まるっきり安定しない。
「ハハ……」
キュービーの口から声が洩れた。
そんな彼女の様子を、薄く笑いながら見ていたほむらが唐突に言った。
「そんなわけないでしょう」
「――ハハ……え?」
「怒りがどうこうなんて適当に言っただけよ。あなたのキョドる姿が滑稽だから、からかっていただけに決まっているでしょう」
ほむらは、大真面目な顔で、堂々と悪びれる様子もなく言い放った。
凄まじい疲労感に襲われたキュービーは、こう呟くだけで精一杯だった。
「訳が分からないよ……」
結局、キュービーは、あきらめて惣菜パンを食べる事に決めた。これ以上、この頭のネジが2、3本外れている同居人と会話を続ける元気はなくなっていた。
「はぁ……。じゃあ、ほむら、君は何のパンにする? 僕は、カレーパンとベーコンチーズパンにしたいんだけど……」
キュービーは、事前確認を行って予防線を張ることを忘れなかった。彼女は、暁美ほむらという人間に適応するために急速に成長しているのだった。
だが、その適応はまだ不十分であったらしい。ほむらは眼光鋭く言った。
「あなたは、私に朝昼晩三食をパンで過ごせと言うの? そんなものはもう飽きてしまったわ。……仕方がないわね、キュービー、今日は外食にしましょう。早く出掛ける準備をしなさい」
発言に一貫性のないほむら。彼女は、どうやら頭のおかしな奴を演じているらしい。そうでないと説明のつかないことが多すぎる。
「OK分かった了解だ。それで、どこに行く予定なんだい?」
色々と放って置く事に決めたキュービーは、100円ショップで購入した日焼け止めを肌に塗りながら尋ねた。
「そうね……。何かリクエストはある?」
「え……と、あ! それなら、先週さやかと遊びに行ったときに、市街で生パスタ専門店というのを見つけたんだ。そこに行こうじゃないか」
「結局は、三食小麦粉なのね。まあ、いいわ」
ほむらは、エアコンを停止させて、財布を手に持つとソファーから立ち上がり、玄関へ向かった。キュービーは、あわててほむらの後を追った。
「生パスタって、何が“生”なのかしら?」
「知らないよ。だから、それを今から確かめに行くのさ!」
「フフ……、そうね」
二人は部屋から出て行った。玄関の扉が施錠されて、室内には真の静寂が訪れる。
主が居なくなった部屋の中で、ソファーの上に置き去りにされたほむらの折りたたみ式携帯電話が、振動を繰り返していた。
「あなたには、もう感情が芽生えているわ」
翌日、マミからの呼び出しを受けた魔法少女達と人造人間は、彼女の部屋に全員集合していた。
そして、マミは、スプーンで掬ったティラミスを食べようとして口を開けている最中であるキュービーに向かってそう言い放ったのだった。
「へぁっ? ……まあ、最近の君達の反応からして、なんとなくそんな気はしていたよ。僕自身には何か変わったという自覚はないけど」
口に入れたケーキを急いで飲み込むと、キュービーは答えた。
「あなたには、多分最初から感情があったのだと思うわ。おそらく、それを感情だと理解していなかっただけだと思うの」
「多分、おそらく、ね」
杏子がマミの言葉尻をあげつらった。
「もう、佐倉さん。あなたも昨日そう言ってたじゃない」
「あっ! バカ!」
「あれ? あんた、昨日もマミさんと会ってたんだ?」
その事自体はさほど珍しいことではない。しかし、変に慌てる杏子を見て、さやかは疑問を感じた。
「ああ……。いや、そうだけどさ」
「そうなの! 昨日、街で偶然会って、キュービーのことで盛り上がっちゃって。せっかくだから、佐倉さんにはここにお泊りしてもらったの。それで、色々お話して、キュービーにはもう感情があるはずだってことになったの」
喜色満面のマミに対して、杏子は頬を微かに染めて視線を泳がせていた。
「おやおやぁ、珍しいこともあるもんだねぇ。普段は“馴れ合う気はない”なんて言ってるくせに。あれ? どうしたの? 俯いちゃったりして、恥ずかしいの? ねえねえ、どうなの?」
さやかが、ニヤニヤ笑いを浮かべて、杏子の顔を覗き込むようにしながら煽り立てた。
「うるせぇっ!! あたしは断ったんだ! でも、マミの奴が強引に――」
「あなた達、少し静かにしなさい。……マミ、私もこの子には、感情があるとしか思えないわ。もしかしたら、もう魔法少女になれるのではないかしら。今すぐ、キュゥべえに確認させるべきよ」
もしも本当にキュービーが魔法少女になれるのなら、キュゥべえが何もせずに黙っているわけがない。彼らからの接触がないのは、彼女がまだ魔法少女になれないからなのだろうか。それを早々に確認する必要があった。
「そうね……。キュゥべえ、どうなの?」
マミは、いつものクッションの上でゆったりとくつろいでいる小動物に問い掛ける。
キュゥべえは、自身の体ほどもある尻尾を2、3度左右に振ってから答えた。
「魔力係数が定数になっていないから、まだ魔法少女にはなれないね。変動している魔力係数がある値以上で収束すれば、そのとき君達人類は魔法少女になることができるんだけど、彼女の場合、その係数の振れ幅が並みの魔法少女よりも遥かに大きいんだ。一定値に収束するにはまだ少し時間が掛かりそうだ。でも、最近は係数が急速に収束へ向かっているね」
「つまり?」
ほむらが、話の要約を求めた。
「彼女が魔法少女になる日は遠くない。ありがとう、君達の協力があったからこそだ」
感情のないキュゥべえが、形ばかりの感謝の意を表した。
「そう……。キュービー、あなた魔法少女になれるそうよ」
「へぇ、なんだか少し緊張するね」
ほむらがキュービーに話を振ると、全宇宙の運命を背負った少女は、口元にココアパウダーを付けたまま気を引き締めたのだった。
「でも、なんかちょっと怖いような……。キュービーの叶える願いで、宇宙が変わっちゃうわけでしょ? 失敗したらとんでもないことになりそうだけど」
「この計画には大きなリスクが伴うことは確かだけど、宇宙のエネルギー問題については、現状これしか解決手段がないからね。あらかじめ言っておくけど、君達が計画を中止しろ何て言ってきても、代替案を提示しない限り絶対に中止することはないよ」
さやかは、宇宙の膨張を阻止するというまったく想像できない願いの効果に恐れを感じているようだ。そんな彼女の不安をよそに、キュゥべえが有無を言わさぬ物言いで計画の断固続行を表明した。
「ま、なるようになるわよ」
ケーキを食べ終わったほむらが、ハンカチで口元を拭きながらなげやりに言った。
「そうかなぁ……」
「そうだな、なんとかなるんじゃないか、多分。……あ! おい、ほむら」
「何よ?」
ほむらの意見にテキトーに同意していた杏子が、急に何かに気が付いた。
「その葉っぱ、食わないのかよ?」
ほむらの前にある皿の上には、緑色の小さな葉が残されていた。
「あら、暁美さん、ミントは苦手だったの?」
「そうね、少し口に合わないの。せっかく用意してもらったのに、残してしまって申し訳ないのだけど」
キュービーは、昨日とはまるで別人のように、素直な言葉を口にするほむらを見ながら、心中にモヤモヤとした何かが湧き上がってくるのを感じていた。
「ったく、もったいないから、あたしが貰うぞ」
そう言いながら、杏子は、ほむらの皿へ手を伸ばす。そして、ミントをひょいっとつまみ上げると、流れるような自然な動作で腕を上げつつ、それを指先で弾いた。
「ええ、かまわな――っ! んぐっ!」
勢い良く射出されたミントは、狙い違わずほむらの口の中へと吸い込まれる。
「――くっ、ちょっと! スースーするじゃないのっ!!」
怒りをあらわにして、ほむらは叫んだ。
彼女は、あまりに突然の出来事に驚いて、口に入ったミントを飲み込んでしまったらしい。普段のクールを気取った佇まいは見る影もなかった。
「アハハハッ! “スースー”って何だよ、“スースー”って??」
杏子は、ほむらの取り乱し様に大きな声を上げて笑い出す。マミとさやかも堪え切れずにクスクスと笑いを洩らしていた。
「ッッッッッハッッッッッッッッッッ!!!!!」
突如、耳をつんざく強烈な奇声が部屋中に響き渡った。
皆、突然の悲鳴のような金切り声にギョッとして、声の主であるキュービーに振返る。
彼女の目と口は限界を越えて大きく開かれており、その端正な顔立ちを恐ろしい形相に歪ませていた。
「――ッハッハッハッハハハハァーーーーッ! ハァーーーーッ!!」
キュービーは、ほむらを指差しながら、顔を真っ赤にして全身を震わせている。
彼女の豹変に呆気に取られていたほむら達も、ようやく彼女が笑っているのだと気が付いた。
「――ハハハハハッ! ハァーーーハァハァ……ウォェッ! ウゥゥ……アアッアアアッッッハァーーーーッ!!」
これは、もう常軌を逸している。さすがに心配になってきたほむら達は、お腹を抱えて痙攣しているキュービーにおそるおそる声を掛けた。
「お、おい……」
「だ、大丈夫なの……?」
その声を聞いたキュービーの脳裏に、今まで何とも思っていなかった様々な過去の記憶が、フラッシュバックのように鮮明に蘇る。
ソファーの後ろ側から背もたれを飛び越えようとして足を引っ掛け、転がり落ちて床に叩きつけられるほむら。教会で、両膝をついて祈りをささげようとして、痛んだ床をぶち破って落下する杏子。お気に入りの三角テーブルの鋭角部分に、すねを思いっきりぶつけて悶絶するマミ。ほかにも、ほかにも。
ひとつ何かを思い出すと、連鎖的に記憶が呼び起こされ続けた。笑いがとまらない。やがて、キュービーの顔が青紫色に変色し始めた。
その様子を見たほむらが、焦燥をあらわにして叫んだ。
「まずいわ! この子、チアノーゼを起こしている!」
「えぇっ! やばいじゃん。キュービー! しっかりして!!」
さやかは、狂ったように笑い続けるキュービーの両肩を掴んで、揺さぶりながら必死に呼びかける。
その声は、確かに届いた。キュービーは、息も絶え絶えになりながら、涙で滲んだ目をうっすらと開けた。
彼女の目の前に、美樹さやかという存在がいた。
「――ッ! ヒャァーーーーッ!!!!!」
笑いを堪える事は、もうほとんど不可能となった。
「ほむら、夏休みの宿題はもう終わったのかい?」
夏休みも残り一週間となったある日の昼過ぎ。空調が適度に効いた部屋の中で、二人はいつものように朝から読書三昧で過ごしていた。
そんな中、読書の合間にソーダ味の棒アイスをペロペロ舐めていたキュービーは、ほむらに課題の進捗状況を尋ねたのだった。
「そんなもの、最初の一週間ですべて終わらせたわ」
「ふうん、最後の一週間ですべて終わらせるつもりでいるさやかとは正反対だね」
「美樹さやかという人類は愚かなのよ。憶えておきなさい」
ほむらは、読んでいた本をテーブルに置くと、麦茶を一口飲み、言葉を継いだ。
「もう、あと一週間なのね……。キュービー、一週間後には新学期で学校が始まるわ。あなたは、ひとりでちゃんとお留守番できるのかしら?」
「相変わらず、失敬な奴だね君は。問題ないに決まっているだろう。……それにしても、学校か……、むむむ……」
キュービーは、わざとらしく腕組みをしながら、考え込むような仕草を取った。そして、ぱっと顔を上げると、最高のアイデアを思いついたとばかりに満面の笑みで言った。
「ほむら、僕も学校に行こうと思うんだ!」
「無理よ」
瞬殺であった。
「えーっ! どうしてだい?」
「感情が制御しきれずに、この間のような無様を晒す事になったらどうするつもりなの?」
先日、笑いが止まらず呼吸困難に陥ったキュービーは、緊急事態ということでキュゥべえによって彼らの中枢まで転送された。そこで、適切な処置を受けて回復した彼女は、再びマミの部屋に転送されて戻ってくると、開口一番にこう言ったのだった。
「死ぬかと思った」
キュービーは、あの時の事を思い出すと、いたたまれない気持ちになった。
「……い、いや、大丈夫だよ。むしろあの出来事の後、より明確に自身の感情というものを把握できるようになったんだ。あの感情爆発によって僕は、えっと……、上手く言えないけど僕は、“僕”になったんだ」
「なるほど、意味が分からないわ」
「ああ! もう!」
キュービーは、感情爆発を抑えた。
「そもそも、存在しない人間であるあなたが、どうやったら学校へ通うことができるというの? 入学とか転校には、色々と法に基づいた手続きというものが必要だと思うのだけど」
「ああ、それについては何の問題もないよ」
キュービーは、にっこりと微笑んだ。
「僕の母さんには、そろそろ起きて貰おうと思っていたところだからね」