「起きてよ、母さん。もう朝だよ。ほら、早く起きるんだ。早く」
一ヶ月もの間、ずっと閉ざされていた室内は、暑く、空気が淀んでいた。
その殺風景な部屋の隅で、キュービーが両膝をつき、何者かに声を掛け続けている。
彼女は、まるで一人芝居のように両手を何もない空間に向かって突き出して、何かを掴んでいるかのように握り締めたこぶしを前後に揺さぶっていた。
傍らに立ってその様子を見ているほむらは、居ない母を呼び続ける少女を見ながら、ぞわぞわとしたものを感じていた。実際には、居ないわけではなく、透明で姿が見えないだけなのだが。
ほむらは、母親を起こしに行くと言って部屋を飛び出したキュービーの後に付いて行った。そして、できればもう二度と行きたくないと思っていた隣の部屋、つまり、キュービーの母が遺棄されている部屋へと足を踏み入れたのだった。
「駄目だ、ウンともスンとも言わない。まあ、分かってはいたけどね。僕の母さんは、キュゥべえに頼まないと再起動させることができないんだ。……仕方がない、ほむら、念話で彼を呼んでくれないか? 彼らは、僕を常に監視しているから近くにいるはずだよ」
「どういうこと? だったら、初めからあいつを呼べば良かったでしょう? 何なの? 今の茶番は?」
ほむらは、キュービーの奇行に気味の悪いものを感じながら尋ねた。
「特に意味はないよ。子供の必死の思いが、母を眠りから呼び覚ますことができるのか。それを知りたかっただけさ。でも、呼び掛けは届かなかった。現実は非常だね」
キュービーは、これといって残念そうではない口調で答えた。
一体、この部屋のどこに母と子が居るというのか。
最近、明らかにキュービーの言動から合理性が失われている。これが、感情の芽生え、心の成長が原因ならば、やはり、感情的であることは、非論理的であるということなのか。
「ほむら、とにかく、まずはキュゥべえを呼ぼう。こんな暑い所に長く居たら、蒸し焼きにされてしまうよ」
たっぷり5分弱は小芝居を続けていたキュービーが、自らの行いを棚に上げてほむらを急かした。
この少女が、こんなにもひねくれた性格となってしまったのはどうしてだろう。出会った頃は、もっと素直な良い子だったはずだ。自分の情操教育に問題がないとすると、杏子あたりが何か良からぬことでも吹き込んでいるのだろうか。
ほむらは、この件については後で確認することにして、キュゥべえの存在を探るために意識を集中し始めた。
「その必要はないよ」
突然、ほむらのすぐ傍からキュゥべえの声が発せられた。今のは念話ではない。彼女は、この声が、姿の見えない女性が倒れている場所から聞こえたものだと理解した瞬間、反射的に後ずさっていた。
「わざわざそちらへ行かなくても、このボディを中継して話はできるんだ。キュービー、学校へ通う手続きを行うために、コレを再起動させたいのかい?」
「そうさ、ほむら達だけじゃなくてもっと大勢の人間と会話すれば、より早く、より確実に僕は魔法少女になることができるだろう。と、言ってもそれは建前で、本音は単に面白そうだから学校に行って見たいというだけなんだけど」
「なるほどね、そういう理由ならすぐに再起動させよう。少し待って欲しい――」
インキュベーターにとっては、結果さえ良ければ本音などどうでもよいことのようだ。あっさりと許可が下りた。
「良かったわね。母と子の一ヶ月ぶりの再開よ。私に遠慮せず、思う存分甘えてもいいのよ?」
「いやいや、遠慮しておくよ。僕は人目を気にするタチなんでね」
「あら、気にするの? 24時間宇宙人に監視されているあなたが?」
「彼らは人じゃないからね。……あぁ、暑い。それにしても、ずいぶん待たせるね、キュゥべえは。このままだと本当に蒸し焼きになるよ」
即断即決をよしとするインキュベーターにしては、珍しく時間が掛かっていた。何かあったのだろうか。奴らの事などこれっぽっちも心配してないが。
「交通事故に巻き込まれて、全身を強く打って意識不明の重体にでもなったのかしら?」
「――僕は無事だよ、ほむら。意識だけを送受信しているのに、物理的接触が起きるわけないじゃないか」
悲しい不幸があったのではないかと気に掛けているほむらに対して、長らく沈黙していたキュゥべえからの返答があった。相変わらず、姿は見えないままだ。
「少し遅れてしまってごめんよ。現在、別件に中枢意識のリソースの大半を費やしているせいで、情報処理能力が低下しているんだ。……再起動完了。不可視状態も解除した。後のことはこのボディに――」
キュゥべえの台詞が途切れ、ほむら達の目の前に何の前触れもなく紺色のスーツ姿の女性――Kikuka Bradley《菊花 ブラッドリー》――が現れた。なぜか、前に会ったときとスーツのカラーが違っている。女性は、ぎくしゃくと立ち上がり、ゆっくりと瞼を開け、二人を見定めた。
「――ああ、キュービーとほむらかい? ……アレ? ちょっと待って欲しい、今、中枢意識と情報同期するから――」
女性はそう言うと、そのまま完全停止する。瞬きひとつしない瞳が、虚空を見つめていた。
ほむらは、似たような事がつい先程もあったことを思い出して嫌な予感がした。
「もしかして……」
「また、みたいだね」
「いい加減にして欲しいわ。こいつらは廃棄寸前のパソコンか何かなの?」
「うーん、どうやら彼らの中枢で、何かが起きていることは確かのようだね。母さんが動き出したら聞いてみよう」
ほむらの頬を汗が伝って流れ落ちる。二人は、ジリジリとした思いでマネキンが再び動き出すのを待ち続けた。
「――遅れてすまない。現在、別件に中枢意識のリソースの大半を――」
「それはもう聞いたわ。あなた達、話の続きは私の部屋でするわよ、早くこの蒸し風呂から出ましょう」
ほむらは、出し抜けにしゃべり始めた女性を遮った。そして、我が家への帰路を急ぐのだった。
「うわぁ! すっずしぃー! 助かった……。危うくローストされるところだったよ」
キュービーは、ほむらの部屋へ入るなりそう言うと、エアコンの前へ一直線に移動して、Tシャツの胸元をつまんで前後にバサバサやって涼を取っていた。
ほむらも、そしてキュービーの母も、そんな彼女に見向きもしないでさっさとソファーに腰を下ろす。そういう女の子らしからぬ、みっともないことはやめろとは言わなかった。彼らは、子供の躾などとは無縁だからである。
「キュービー、はしゃぐのは後にして麦茶を入れなさい」
「はいはい。この夏、僕は少なくとも100回以上は麦茶をコップに注いだと思うな」
キュービーが、氷をコップに入れるカランカランという涼しげな音を立て始める。ほむらは、それを聞きながら、女性に尋ねた。
「あの子を学校に行かせるのは法的に問題はないの?」
「問題ないよ。マンションの部屋を借りるよりも簡単なくらいさ。見滝原市役所に行って住民票と就学通知書さえ貰えれば、あとはなんとかなるから、今すぐ行ってくるよ」
宇宙人が住民票を取得する。それが簡単にできてしまうことに、ほむらは、漠然とした恐怖を感じた。
「あ、母さん、ちょっと待って欲しい」
キュービーは、立ち上がりかけた母を制して、麦茶を入れたコップを机に置きながら尋ねた。
「中枢意識で何かあったのかい?」
「ああ、〈転移ゲート〉に関する新たな発見があったのさ。これについては、キュービー、君のおかげとも言えるんだ」
「そうなのかい? 僕には、何の憶えもないけど」
キュービーは、自分で用意した麦茶をチビチビ飲みながら、不思議そうに言った。
「先日、君が呼吸困難に陥って、中枢に転送されたことがあっただろう? その件について〈星間連合〉の議員連中から突き上げをくらってね。現地の医療技術でも十分対処できたのに、任意座標転送を使用したのはエネルギーの無駄遣いではないか、と詰問してきたんだ」
「ハハ、大変そうだね。で、それが新発見にどう繋がるんだい?」
キュービーは、他人事のように一笑に付した。
「あの連中。他にもあれこれと重箱の隅をつつくような文句ばかり言ってきてね。だから、仕方なく、今回の君の件で消費されたエネルギーを算出して、その分を別の事業で削減する計画を次回の星間連合総会で提出することにしたんだ。そのエネルギー算出の過程で、これは本当にまったくの偶然なんだけど、〈転移ゲート〉のブラックボックスが部分的に開かれて、ゲートの〈内部世界〉の情報をある程度制御できるようになったのさ。これによって、僕達自身の情報伝達速度を、光速を超えて設定できるようになって、僕達は、宇宙の事象的地平面の向こう側を観測可能となり、最初期宇宙を調査した。それによって得られた膨大な量の新情報を分析するために、今、中枢がフル稼働中というわけなのさ」
女性は、長ったらしい台詞を息継ぎなしで言い終えると、必要もないのに麦茶を一口飲んだ。
「ナルホドナルホド、まさに怪我の功名、棚から牡丹餅という奴だね。まさか、あの出来事が歴史的発見に繋がるなんて、世の中何が起こるか分からないもんだね」
「まさしく、偶然のなせる技さ」
キュービーが、小さなあごに手を添えながら感心したように言うと、女性が大きくうなずき返す。ひとり置き去りにされているほむらは、その様子を冷めた目で見ていた。
ほむらは、意味不明な話の内容について聞き直すかどうかを一瞬迷った。しかし、キュービーが理解している様子なのに自分が理解していないというのは、どうも釈然としないため、結局、話の要約について尋ねることに決めた。
「理解できないわ。今の話、分かりやすく言い直しなさい」
腕組みをしながら足を組んでいる彼女の姿は、人から物を教わる態度ではなかったが、そんなことは誰も気に掛けなかった。
「そうだなぁ……。僕が、君と一緒にマミの部屋へ初めて行った時のことだけど、キュゥべえが〈転移ゲート〉内部の情報世界に住んでいる、という話をしていたことは憶えているかい?」
「いいえ、まったく。私は、どうでもいいことは憶えないようにしているの」
「普段の暮らしぶりを見るに、君にとって、世の中のほとんどはどうでもいいことなんだろうね。まあ、いいけどさ。……そうなると、君は、その〈内部世界〉が現実の宇宙をコピーした情報世界であるということも忘れているわけだね。どうでもいいから。」
「そうよ、一々確認しないで話を続けなさい」
ほむらが仏頂面で先を促した。
「OKOK、キュゥべえ達は、自身を情報化して〈内部世界〉に住んでいるんだ。誰が作ったかも分からない構造物の内部に、実体を捨ててまで住むなんてどうかしてるね。で、〈内部世界〉は、現実の宇宙の空間情報と天体の位置情報をリアルタイムで更新し続けている。宇宙空間は超光速で加速膨張しているから、当然〈内部世界〉も超光速で加速膨張している。〈内部世界〉は、実宇宙と同様の物理法則に従っているから、〈内部世界〉においても光速を超えて移動することは不可能だったんだ。でも、僕が生死の境をさまよった例の事件をきっかけにして、棚ぼたで〈内部世界〉をある程度制御可能となり、彼らは、自身の情報伝達速度を設定変更できるようなった。光速のくびきから解き放たれた彼らは、光速以上で遠ざかっていて観測不能だった宇宙の時空面の先へ行くことができるようになったんだ。その未知なる領域で、宇宙誕生に関わる様々なデータを手に入れることが出来たということさ。めでたしめでたし、だね」
キュービーは、得意げな顔でお話を締めくくった。
「……転移ゲートでの移動は、瞬間移動なのよね? 光速を超えなくてもゲートを使えばどこにでもいけると思うのだけど? ……あと、今のはあくまでその内部世界? の中での話で、実際の宇宙とは関係ないわけでしょう?」
眉間にしわを寄せたほむらは、こめかみを押さえながら質問を投げ掛ける。
デニムのショートパンツに白のTシャツ姿のキュービーは、片膝を立ててソファーに座りながら、コップの中に残っていた氷を口に入れた。
「確かに〈転移ゲート〉については、分からない事が山ほどあるし、それはデータ上の話で現実とは関係がないと言われれば反論できないね。でも、〈内部世界〉が実宇宙とリンクしていることは、キュゥべえ達が何億年も掛けて検証してきたことだ。実際の宇宙とイコールである可能性は非常に高いと言えるね。それと、〈転移ゲート〉を使えばどこにでもいけるというわけじゃない、君もゲートからゲートにしか移動できないということは知っているだろう? 〈転移ゲート〉は、知的生命体が過去・現在・未来のいずれかにおいて存在する惑星の中心核にしか設置されていない。初期の宇宙は、とてもじゃないけど知的生命体が生まれるような状態ではなかったから、この辺りの時空にはゲートが設置されていないんだ。そういうわけで、ある観測者からみた宇宙の最遠点は、宇宙の後退速度が光速を超えない点までだったわけさ。今まではね」
キュービーは、ボリボリと音を立てて氷を噛み砕いた。
「あとついでに言っておくけど、〈転移ゲート〉での転送は、厳密には瞬間移動というわけじゃないんだ。仕組みとしては、まず、実世界でゲートを通過した人は、一旦、情報化されて、通過したゲートと位置情報がリンクしている〈内部世界〉のゲートから出てくる。そして次に、あらかじめ設定しておいた移動先のゲートまで情報が移動するわけだけど、この情報伝達速度は超光速とはいえ、移動時間はけっしてゼロというわけじゃない。最後に、移動した情報は物質に再構成されて人となり、移動先の実世界のゲートから現れるというわけだ。……あ、キュゥべえ達は、〈内部世界〉における自身の情報を設定変更して、ゲートの使用なしに超光速移動を可能にしたということになるんだね。だったら、これからは、任意座標転送も超高速超長距離移動が可能になるのかい?」
「リスクが大きすぎるから、これまで通り短距離の移動にしか使用しないよ」
「それは残念。どこにでも行きたい放題というわけにはいかないんだね」
ソファーの上であぐらをかいたキュービーが、頭の後ろで手を組んで上体を反らした。彼女は、大口を開けてあくびをすると、ほむらに向かって言った。
「と、いうわけさ」
「……一応、分かったような気がするわ。でも、明日になれば忘れているでしょうね。私は、どうでもいいことは憶えないようにしているから」
ほむらはそう言って、会話に幕を引いたのだった。
ほむらは、手のひらに乗せたソウルジェムを見つめていた。彼女は、穏やかな表情で、穢れひとつない透き通るような紫色の結晶を覗き込んでいたが、リビングのドアが開かれる気配を感じて、制服のポケットにサッとしまい込んだ。
「ほむら! ねえ、ほらほら、どうだい?」
ほむらは、勢いよくリビングに飛び込んできた闖入者に顔を向けた。見滝原中学校指定制服姿のキュービーが、腰に手をあててポーズを決めていた。
胸元に大きな赤いリボンが付いたクリーム色を基調としたセーラーブレザー、そして、3ラインのチェックのミニスカートは、色白で西洋風の顔立ちのキュービーが着ると、とてもよく似合っていた。
「準備ができたようね。少し早いけど、もう行くわよ」
ほむらは、そう言って、かばんを手に取ると立ち上がった。
「ちょっと待つんだ。出るのは、君の感想を聞いてからでも遅くはないよ」
ほむらは、キュービーの呼びかけを無視して玄関へと向かった。
夏休みが終わり、新学期が始まった。
キュービーの入学手続きは、あっさりと完了して、彼女は晴れて見滝原中学校の生徒となることが出来たのだった。
「あー、楽しみだなぁ! 友達がいっぱいできたらいいなぁ!」
学校への道中、ほむらの隣を歩く少女は、楽しい学生生活を想像して期待に胸を膨らませていた。昨夜からずっとテンションが上がりっぱなしの彼女は、鼻歌交じりで足取りも軽やかだ。
やたらと口数の多くなっているキュービーの言葉に、ほむらが適当に相槌を打ちながら歩いていると、やがて、同じ制服を着た子供達の姿がちらほらと見え始める。
「あ、見滝原中の生徒達だ。もしかしたら、僕のクラスの人もいるかも知れないね」
キュービーが、嬉しそうに言った。今は、何を見ても聞いても楽しく感じるようだ。
「そういえば、あなたはてっきり私とさやかがいる所に来ると思っていたのだけど、なぜ違うクラスに入ったの?」
「え? どういう意味だい? クラス割を決めるのは学校の教員じゃないか。僕にはどうしようもないよ」
キュービーは、キョトンとした顔で問い返した。
クラス割程度、キュゥべえの宇宙人パワーをもってすれば、どうとでもなりそうだ。しかし、入学の目的はあくまで大勢の人間との接触であり、所属クラスなど関係がない。彼らは、必要最小限のことしかやらなかったということだ。
「……何だか、みんな、僕をちらちら見てるね。ハーフが珍しいのかな?」
キュービーが辺りを見回しながら尋ねた。
「それも少しはあるでしょうけど、そんなことよりも、単にあなたがとても綺麗だから注目を集めているのよ」
「ふうん、キュゥべえの造形に間違いはなかったということかい? でも、やっぱり美人は得だね、こんなにも注目を集めることができるなんて、容易にたくさんの人達と友達になれそうじゃないか」
作り物の美人であるキュービーが言った。
「フッ、それはどうかしら。人間関係というものは、外見だけでどうにかなるような簡単なものじゃないのよ。私が言うのだから間違いないわ」
「君が言うのだから間違いない……?」
「ええ、そうよ。美人であるこの私が――」
「あれ!? もしかしてキュービーちゃん?」
突然、キュービーへ声が掛けられて、ほむらは、ヒッと小さな悲鳴を上げながら体を硬直させる。
通学用自転車にまたがった快活そうなポニーテールの女子生徒が、驚きの表情でこちらを見ていた。
「おはよう、智子。僕もこの学校に通うことにしたんだ。よろしく」
キュービーは、落ち着いた様子で挨拶した。
「え、マジで! ……って、あれ? 暁美さんもいる!」
「お、おはよう。沖田さん」
ほむらは、額に汗を浮かべながらどぎまぎと挨拶した。
「おはよ。あ、そっか、さやかが暁美さんとキュービーちゃんは友達だって言ってたな……。ま、何にしても、これからよろしくね! ……それじゃ、暁美さん、先に行くから」
そう言い残すと、女子生徒は自転車のペダルを思い切り踏み込んで走り去った。どうやら、キュービーとの会話は聞こえてなかったらしい。ほむらは、ほっと胸を撫で下ろした。そして、妙なことに気が付いた。
「……あなた、沖田さんと知り合いなの?」
先程の女子生徒は、ほむらのクラスメイトだ。彼女とキュービーの接点が分からなかった。
「そうさ。夏休みに、さやかと一緒に遊んでいたときに君のクラスの女子とは全員知り合いになったよ。そういえば、僕が君の友人だと言うと、皆すごく驚いて、中には信じてくれない人もいたんだ。一体、君は普段教室でどんな風に過ごしているんだい?」
キュービーの質問に対して、ほむらは、しばし沈黙する。そして、かすれた声でこう言った。
「普通に過ごしているわ」
学校に到着したキュービーは、ほむらと分かれて職員室へ向かった。
見滝原中学校校舎は、建物の中にもかかわらずとても見晴らしがいい。床、天井、柱及びトイレの他は、ほぼ全てがガラス張りとなっているオープンワールドだ。
キュービーは、偽りの母と一緒に教材を受け取りに一度校舎の中に入ったことがあったため、迷うことなく目的の場所へと辿り着いた。
「おはようございます。ブラッドリーさん」
「石渡先生、おはようございます」
職員室に入ったキュービーは、男性教員から挨拶を受けた。年齢は50代前半といったところか、ロマンスグレーの髪を少し崩れた七三分けにしており、眉間に深く刻まれた皺が厳格な印象を与えていた。
「ブラッドリーさん。1時間目は他の先生の授業なんだが、少し時間を借りて、クラスの皆に君を紹介することにしたんだ。授業開始まであと少し待っていてくれ、ああ、あそこの椅子に座ってくれていい」
「分かりました」
キュービーは、言われるがままに、薦められた応接用の椅子へちょこんと座った。そして、周囲に目をやった。
教師達は、新学期初授業に向けて慌しく準備中のようだ。その中に生徒と見まごうばかりに背丈の低い、眼鏡の女性教師がいた。彼女は、確か早乙女和子という名前で、ほむらとさやかの担任教師のはずだ。
キュービーが、あせあせと教材を用意している彼女を眺めていると、石渡教諭から、授業が始まりそうだから付いて来いと声が掛かった。キュービーは、返事をすると静かに立ち上がった。
「今日は新学期初日だが、授業の前に転校生を紹介するぞ。ブラッドリーさん、入ってきなさい」
キュービーを廊下に残して、教室の中に入った石渡教諭は、騒がしくする生徒を制してそう言い放った。
教室は全面ガラス張りで視界を遮るものがなく、キュービーは、中に入る前から多くの視線にさらされる事となっていたため、サプライズ的要素はまったくなかったが。
キュービーは、にこやかな笑顔で教室に入り、歩みを進め、皆の前に立った。そして、電子ホワイトボードにQuintina Bradley クインティナ ブラッドリーと書いて、生徒達の方へ振り返ると言った。
「みなさんはじめまして、僕の名前は、Quintina Bradley《クインティナ ブラッドリー》、イニシャルはQ.B.だから、よくキュービーと呼ばれているんだ。皆も僕のことはぜひ、キュービーと呼んで欲しい。出身はアメリカ合衆国 ニュージャージー州 エリザベス市、趣味は読書、好きな食べ物はカレーパン、好きな飲み物は麦茶、苦手なものは運動と、リズムゲームさ。どうぞよろしく!」
キュービーは、元気一杯に嘘だらけの自己紹介を終えた。
彼女は、昨晩、歌や踊りを披露したほうがいいのではないかとほむらに相談したところ、ぼっちになりたければそうしなさい、と言われたため、彼女が普通だと思っている自己紹介を行うことに決めたのだった。
生徒達は、驚きと関心を持ってキュービーを見つめていた。
新学期早々の転校生、外国人なのに流暢な日本語で話し、しかも、今まで見たことがない程の美人。さらに、自己紹介から受ける印象としては、どうやら、ちょっと普通じゃない奴でもあるらしい。
「ブラッドリーさんは、そこの空いている席に座ってくれ」
石渡教諭は、5行6列、計30席ある座席の中から最前列廊下側の席を指し示した。
キュービーは、一見して何もない一角へ移動すると、床に収納されている机と椅子を引き出した。机と椅子の天板は、床から直に生えている一本脚に横付けで支持されており、片持ち梁となっている。人が座った際の荷重の位置と方向からして、この構造は応力に対して非常に弱いように思われた。
キュービーは、それについては後でじっくりと調べてみることにして、とりあえず一時間目の授業の教科書を鞄から取り出すのだった。
滞りなく授業は終わった。
休み時間となり、生徒たちはめいめいに気の合うもの同士で集まって、夏休みの間の話に花を咲かせている。中には、キュービーの様子を気にしている者達もいた。
キュービーは、教室内を一望する。そして、とりあえず、隣の席で本を読んでいる地味で根暗そうでガリガリにやせて眼窩の落ち窪んだ女子に話し掛けることにした。
「僕と友達になってよ」
怖いもの知らずのキュービーは、考えなしの直球勝負に出た。
「え……、は、はい……」
女の子は蚊の鳴くような声で答えた。
キュービーは、まずは1勝目をあげた。そして、彼女は、女の子の読んでいる本のタイトルに気が付いた。
「あ! その本は僕も読んでいるんだ。ねえ、君は、登場人物の中では誰がお気に入りなんだい?」
「あ…。た、〈玉葱の騎士〉です……」
「ああ、彼はいぶし銀の魅力がある素晴らしい人物だからね。……それで、〈小鬼《インプ》〉についてはどう思う?」
「〈小鬼《インプ》〉って……、あの低俗で醜悪なこびと――」
「OK分かった了解だ。とにかく、共通の趣味を持った僕達は、仲良くなれることは間違いない。ところで、まつげが長くて綺麗な君の名前は何というんだい?」
「わ、私は、錦戸亜紗美です。……ブ、ブラッドリーさん……」
「“キュービー”だ。よろしく、亜紗美」
キュービーは、そう言いながら握手を求めた。亜紗美は少し躊躇いながらも、彼女の手を握り返すのだった。
確かな手応えを感じたキュービーは、次なるお友達を求めて周囲を見回した。
窓際の方で、今の一幕を見ていたらしい4人組の女子が、嘲る様な笑みを浮かべながらこちらを窺っている。これは、一度に4人も友達が増えるチャンスだとキュービーは瞬時に判断した。
「やあやあやあやあ! 僕と友達になってよ」
キュービーは、謎の掛声を連呼しながら片手を挙げて、制服を少し着崩している女の子達に接近した。
彼女が無邪気な笑みで近づいていくと、何人かは堪えきれずに噴き出していた。
「アハハッ、いいよ、いいよ。アンタ、ちょっと受けるわ」
「まあ、正直、今のは受け狙いの計算が入っていたけどね」
キュービーが、笑顔のままボソッと呟くと、今度は4人全員が笑い始めた。
「じゃあ、友達になった記念として握手をしようじゃないか。まずは、ふたえが美しい君の名前は何というんだい?」
「私は、小堀明世っていうの。よろしくね、キュービー」
「よろしく、明世。じゃあ次に、えくぼがキュートな君は?」
「最上結香よ」
「よろしく、結香。そして、長い髪が綺麗な君は?」
「北島理歩っていうの。仲良くしようねー」
「よろしく、理歩。そして、笑顔が素敵な君は?」
「橘未央。ていうかさ、さっきから何なの、その一言褒めていくやつは? それも計算なの?」
「ああ、それは、最初は何も考えずノリでやってたんだけど、途中で急にやめるのも変だし意地で続けている感じかな」
「ハァーハッ! 計算じゃないのかよ。アンタ、やっぱ受けるわー」
未央は、手をパァン!パァン!と叩きながら下品に笑い出した。キュービーは、その様子を見ながら、正直ちょっとうざいな、と思うのであった。
このような調子で、キュービーは、休み時間になるたびに教室中あちこち出向いては、無理矢理ハンドシェイクを迫り、友人関係を強要していった。皆、執拗な彼女に押されて、戸惑いながらも握手を交わすのだった。
「君は眉が凛々しいね」
「君は寝ぐせがワイルドだね」
「君はフルリムのスクエア型メガネだね」
「君はアンダーリムのオーバル型メガネだね」
「君はツーポイントのラウンド型メガネだね。本当に中学生かい?」
キュービーは、相手の第一印象から想起される賛辞を、自己紹介の後に必ず一言付け加えた。さすがに、後になるにつれてネタ切れで適当になっていったが。それでも、クラスメイト達は、この転校生は自分をどう評価するだろうかと、少し楽しみにしている節があり、早く自分の所に来ないかと心待ちにしている様子だった。
キュービーは、昼休み終了時点で、一人を除けばクラスメイト全員と上辺だけの友人関係を結ぶことに成功していた。
まだ、お友達宣言していない最後の一人は、休み時間になると必ず机に突っ伏して寝ているため、睡眠妨害をするのは悪いと思ったキュービーは、声を掛けるのをとまどっていたのだった。
その最後の一人の男子生徒は、デカかった。身長は、おそらく170cm前後でさほどではないが、体重は、100kgオーバーは確実であると思われ、それはまさに肉の塊であった。
顔は極太の腕で隠されて確認できないため、キュービーは、彼のねじれにねじれてグチャグチャの癖毛しか見ることができなかった。彼女は、彼にご挨拶するのは放課後にしておくことにした。
6時間目の授業の終わりを告げる鐘が鳴り響く。すべての授業が終わり、下校時間となった。部活動のために、まだ学校に残る者もいるが、部に所属していない生徒達は帰り支度を始めている。
「キュービー、一緒に帰ろうよ」
キュービーは、女子生徒から声を掛けられた。
「ありがとう。でも、僕は、学校の敷地内を見て回ってから帰ることにするよ」
「そうなの? 案内しよっか?」
「ああ、いや、実は違うクラスに友達がいてね。彼女に案内して貰うことになっているんだ。ごめんよ。でも、もし良かったら次の休日にでも、街を案内してくれないか?」
女子生徒は、笑顔で承諾すると、別の生徒に声を掛けて一緒に教室を出て行った。
キュービーは考える。何故、今、嘘をついたのだろうかと。どうしてだかは分からないが、あのふくよかな男に用があるから一緒には帰れないと、あまり言いたくないし、そのことを知られたくなかったのだった。
キュービーは、ポッチャリ男の席へ目を向ける。机と椅子は収納されていて、すでに席を立った後だった。彼女は、慌てて鞄を持って教室の外へと飛び出すと、太った男の姿を探した。視界の端に、階段に向かっている巨体がチラリと見えた。彼女は、廊下は走らずにルールを守って彼の後を追うのだった。
大きな図体のくせにやけに足取りの速いデブは、学校の入口から外に出ると、しばらく歩き、校舎に隣接している木造の建物の中へと入っていった。この中学校にも、ガラス張りではない建物があるようだ。
キュービーは、木造建築物の前に立った。入口に掲げられた大きな木製の看板には“見滝原中学校武道館”と書かれている。彼女は、少し考えてから、靴を脱いで下駄箱に入れると、中へ足を踏み入れた。
館内は、床に緑と赤の畳のようなマットが敷かれていた。
キュービーが、入口付近に立ったまま中を観察していると、がっしりとした体つきの男子生徒達が続々と館内に入ってきて、彼女に気が付くとぎょっとした顔をしながら奥の更衣室と思われる部屋へと入っていった。
彼女は、入ってくる人達の邪魔にならないような位置に少し移動した。ちょうどその時、更衣室のドアが開いて、白い道着を身に付けた肉塊がのっそりと姿を現した。奴だ。
キュービーは、初めて彼の顔を拝むことになったが、ありていに言えば不細工であった。ヒキガエルを潰したような顔は、額が大きく突き出ており、目は糸目で、顔の大きさの割りに鼻と口は妙に小さかった。
彼は、入口付近にいるキュービーに気が付いたようで、こちらに顔を向けていた。表情がまったく変化しないので、何を考えているかはさっぱり分からないが。彼女は、笑顔で軽く手を振ったが、無視された。
「ブラッドリーさん。どうしてこんな所に?」
キュービーは声を掛けられた。振り向くと、入口で石渡教諭が驚いたような表情を浮かべて立っていた。
「ジャパニーズBUDOに興味があったんです。ここは、JUDOをするところですか?」
キュービーは、シレッと嘘を付いた。
「ああ、そうだ。ところで、君は、見学でもしにきたのか?」
「ええ、そうです。ぜひ見学させてください。邪魔はしませんから」
「そうか、それなら端のほうで座って見ているといい。ああ、座るときは立て膝は厳禁だ。正座か胡坐にしてくれ」
キュービーは謝意を伝えて、胡坐をかこうと腰を下ろしかけたが、今の格好がミニスカートであることを思い出して、正座することにした。
彼女が、慣れない座り方で、ちょっとでも楽な姿勢を探りながらモゾモゾしている内に、道着に着替え終わった生徒達がぞろぞろと更衣室から出てきた。
そして、柔道部の練習が始まった。彼女は、柔道の投げ技が見られるのだろうかと少し期待していたが、いきなり投げたりはしないようだ。地味なストレッチから始まった。
皆、見慣れない外国人がいることが気になるようで、前屈しながらチラチラとキュービーを見ていた。
時は進んでいく。キュービーは、呆けたように練習風景を見ながら、自分はどうしてここにいるのだろうとぼんやり考えていた。見学ではなく、別の何かをしに来たはずだ。それは、何だったのだろう。
「乱取りーっ!! 3分10本! 1本目始めっ!」
部のキャプテンらしき人物の掛声で、なにやら試合っぽい感じの練習が始まった。キュービーは、クラスメイトのキモデブの実力はいかほどのものかと、彼に目を向けた。
デブは、素人目に見ても恐ろしく強かった。3分間の内に最低でも5回は相手をぶん投げている。彼は、不細工面のくせに技巧派のようで、投げ技を仕掛けるタイミングとスピードが他者を圧倒していた。
キュービーは、フーンと思った。
「黙想! …………やめ! 礼!」
「ありがとうございました!!」
練習が終わった。汗だくになった柔道部員達は、更衣室で着替えると、各々帰路につき始める。
結局、キュービーは2時間弱も正座しっぱなしだった。時刻は18時前、早く帰らないとほむらを心配、あるいはブチギレさせてしまうかもしれない。
彼女は立ち上がろうとして、膝立ちになり、足の裏を床につけた。
「――! うわあっ! あ、足が……」
彼女は、バランスを崩して転がった。足が痺れて使い物にならなくなっている。彼女は、おそるおそる、もう一度床に足をつけてみた。ジンジンジワジワとした痺れが襲い掛かってきた。
「……くっ! 無理か……」
彼女は、足の痺れに悶えながら悪態をついていたが、ふと顔を上げると、両手にダンベルを持って筋トレをしているクラスメイトのデブと目が合った。
キュービーの顔が真っ赤に染まった。
なんたる不覚。せっかく、クラスメイトには知的なクールビューティで通そうと思っていたのに、これでは台無しではないか。彼女は、痺れを根性で我慢して、震えながら立ち上がった。そして、黙々とダンベルを上げ下げしているデブの傍まで行き、握手を求めて手を差し出しながら、こう言い放った。
「僕と友達になって、今見たことは忘れてよ」
デブは、ハァハァと気持ち悪く荒い息をついている。彼は、右手のダンベルを床に置くと、黙ってキュービーの手を握り返した。手汗がビチャビチャでヌルヌルしていた。
「それで、その芸術的顔面な君の名前は何というんだい?」
「大川海」
デブは、声帯が肉で圧迫されたような声で答えた。
「海だね、よろしく。さっきの事は他言無用だからね」
キュービーの言葉に、デブはグニャリと顔を歪ませた。彼女は、その表情に戦慄した。
もし、これが笑顔なのだとしたら、これほど奇妙な笑顔はこれまで見たことがなかった。
彼女の太った友人は、喉の奥を鳴らしながら、くぐもった声で笑っていた。
キュービーが、見滝原中学校へ入学して、早くも1ヶ月が経過していた。
彼女は、休み時間や放課後等、とにかく時間の許す限りクラスメイトと会話した。初日の強引なやり方が功を奏したのか、男女分け隔てなくクラス全員と話すことができる彼女は、まずまずの好意を持って受け入れられていた。
クラスメイト達が何よりも驚いたのは、クラスの女子からゴキブリ以上に嫌われているあのキモデブ大川にすら彼女が平気で話しかけることだった。彼女は、話しかけるどころか、笑いながら彼の出っ張った腹を平手打ちして「貴様、たるんどるぞ!」などとふざけたことさえ言っていた。
皆、彼女からは得体の知れないエネルギーのようなものを感じていた。
マミやさやかは、休み時間にそれとなくキュービーの様子を見に行ったが、クラスメイトと白熱の指相撲を繰り広げる彼女を見て、何の心配も要らないことを知ったのだった。
「最近はどうなの?」
ほむらがキュービーに問い掛けた。
休日、例によって、朝から読書タイムのほむらとキュービーが、空調の効いたリビングでソファーに座っていた。
「オールオッケーだね」
ぼちぼちではないらしい。それだけ充実した毎日を送っているということなのだろうか。
「ゴキブリ以上に嫌われていた海も、ハエ以上に嫌われている状態にまでランクアップしたしね」
「その男子は、そんなにキモイの?」
ほむらは、その男には何の興味もなかったが、一応尋ねてみた。
「ああ、彼がまごうことなき顔面崩壊野郎であることは確かさ。彼の容姿に関しては褒めるべきところはまったくないね」
キュービーは、辛辣な言葉を平気で口にした。悪意は一切ないようだが。
その言葉に、ほむらは、妙な引っ掛かりを感じた。
「作り物のあなたが、人の容姿を笑うの?」
「笑うさ、それが正直な気持ちだからね」
「正直な気持ちって……。あなたの外見は、所詮キュゥべえが作った彫像のようなものなのよ。偽の美しさだわ、そんなあなたが誰かを醜いと言うの?」
「言うね。ほむら、これはどうしようもないことじゃないか。世の中美しい人もいれば醜い人もいる。そして、宇宙人に作られた人造人間もいる。これは、運命だと思って受け入れるしかないよ。思い悩むだけ時間の無駄さ」
キュービーは、あっけらかんと言った。彼女は、本当に心からそう思っているらしい。言葉に迷いがなかった。
「あなたは、美しいからそう言えるのよ。もし、自分が醜かったとして、運命だから悩まないなんて事が言えるのかしら?」
「さあね。僕は思い悩まないから、そういうことは考えないのさ」
能天気なキュービー。真に人間であろうとしたとき、自分が作られた存在であるということは、アイデンティティに関わる重要なことであるはずだ。しかし、目の前でメロンパンを口いっぱいに頬張っている人造人間が、そのような悩みを抱えているとはとても思えなかった。
「あなたって、単純なのね」
「相変わらず君は失敬な奴だね、知的クールビューティである僕に向かって単純馬鹿とは」
馬鹿とは言っていない。思ってはいたが。
「でも、この僕でさえ、人間関係には思い悩まされることが多いね。人間関係は人類に課せられた永遠の課題だよ」
キュービーは、残っていた麦茶を一息で飲み干して、そう言った。
「でさえ、という言い方が気になるけど、まあいいわ。学校で何かあったの? ハブられてるの?」
「ハブにされてるのは――いや何でもない。そうじゃなくて、もっと人付き合いの根本的な部分の話なんだ。そうだね……、男子と会話を盛り上げるのは簡単だ、下ネタか、アイドルグループか、マンガやゲームの話だけで事足りる。奴らは単純だからね。だけど、女子は一筋縄ではいかない」
「そうね」
ほむらは、心当たりがありすぎるのでキュービーに同意した。
「女子の興味は人間関係そのものだからね。女の子はコミュニティというものを、とりわけ重要視する。気の合う仲間で楽しくできるし、それ自体は大変結構なことなんだけど、時としてグループの結束を強めるために他者を排斥する言動をとることがある。グループに属していない者の悪口を言い合うことは、仲間の友情を確かめるための踏み絵のようなものだね。これと上手く付き合うのは本当に骨が折れる仕事だよ」
「それで? あなたも一緒になって陰口を言って盛り上がっているの?」
この、普通の人間と感性を異にするキュービーでも、そのような、ある意味で女の子らしいことをしたりするのだろうか。
「ほむら、君にも分かっているだろう? そういうときに“人の悪口を言うのはいけないことだよ”なんて青臭い正義感を発揮しても、何の得にもならないということを。ただ、僕の場合は、槍玉に挙げられている人物の正直な感想を述べるようにはしているけどね。僕は、クラスメイト全員とそれなりの関係を築けているんだ。だから、根も葉もない醜聞と違って、僕の発言にはわりと説得力があるのさ。皆、僕の人物評は興味深そうに聞いてくれるよ」
この人造人間は、人間と良好な関係にあるらしい。しかし、ほむらは、彼女の発言に薄ら寒いものを感じていた。
キュービーは、クラスメイトを自分の思うようにコントロールできたと言って悦に入っている。しかも、彼女は、外見なんて気にしないと言いつつも、自身の美しさを自覚してそれを利用している節さえある。
ほむらは、今、初めてキュービーという存在に恐れを抱いた。
「女の子というのは人の悪口を言うものなんだ。ほむらも、案外そういうことで苦労してるんじゃないかい? 君も陰口を叩かれているかもしれないよ“暁美さんってぇ、なんかぁ、ちょっと怖いよねぇー”って感じでさ。アハハッ!」
ほむらは、今、初めてキュービーという存在をぶん殴りたいと思った。彼女は、小さくため息をつくとこう言った。
「私は、絶対に人の悪口を言わない女の子を知っているわ」
「そんな女の子は存在しないよ。もしかして、マミのことを言っているのかい?」
「いいえ、今は遠いところにいて会うことはできないけれど。……彼女は、誰よりも優しくて、そして誰よりも強かった……」
ほむらは、夢見るように言った。
キュービーは、そんなほむらの様子を見ながら、フーンなどと気のない返事をしていたが、出し抜けにこう尋ねた。
「君は、〈まどか〉に会いたいのかい?」
ほむらは、言葉に詰まった。会いたいかと言われれば、会いたいに決まっている。しかし、しかし、それを望むことは――
「僕なら、君と〈まどか〉を会わせてあげられるよ」
それは、悪魔の囁きだった。もし、彼女が本当にその願いを叶えてくれるのなら、彼女の言いなりになってもかまわないとさえ思った。
だが、ほむらは、口に出してはこう言った。
「あなた、宇宙の延命はどうするつもりなのよ?」
「心配御無用、それもどうにかするさ」
ほむらは困惑する。キュービーは、いったい何を言っているのだろう。いくら彼女が途方もない素質を持っているとはいえ、叶える事ができる願いはひとつだけの筈だ。
ほむらの混乱をよそに、キュービーが話を続けた。
「つい先日、友達の男子の家へ遊びに行った時の話さ。その友達は、大のゲーム好きで学校ではいつもゲームの話をしているんだ。それで、彼があまりにも楽しそうに話すものだから、ちょっと気になってね。どんなゲームなのか確かめるために遊びに行くことにしたんだ」
ますます分からない。この話がどう魔法少女の願いと繋がるのか。
「彼の部屋には、本当に山ほどゲームがあった。僕は、ゲームセンターでしかゲームというものをやったことがなかったから、なんとなくそういうものを想像していたんだけど、全然違ったよ。僕は、ゲームというものは、定められたルールの中で、人と競い合ったり、障害を乗り越えてゴールを目指したりするものだという固定観念にとらわれていた。でも、彼が、今はまっているというゲームには終わりというものがなかった。僕はそのゲームをやってみたんだけど、これがもう、すごく面白かったんだ」
「どんなゲームだったの?」
ゲームというものを、まったくと言っていいほどやったことがないほむらが尋ねた。
「パソコンのゲームだったんだけど、内容は何と言っていいのか……。そう、宇宙開発のような感じかな。プレイヤーは神の視点に立って、宇宙を成長させていくんだ。宇宙の膨張速度や天体が生まれる頻度、さらに生まれてくる無数の天体ひとつひとつに対して様々なパラメータを設定できる。天体のパラメータを上手く設定できれば、知的生命体が生まれることもあって、その知的生命体がどうのような文明を切り開いていくかを観察することもできるし、プレイヤーがある程度進化を誘導することもできるんだ。その、知的生命体の文明発展用のツールとして出てきたんだ、アレが」
キュービーは、爛々と目を輝かせながら嬉しそうに言った。
「……アレ?」
「〈転移ゲート〉さ」
彼女が言わんとしていることの正体がつかめない。
「分からないわ。〈転移ゲート〉がゲームに出てくるわけないでしょう?」
「出てきたんだ、惑星間の移動を行うためのツールとして、僕はそれを見た瞬間に悟った。この宇宙を創造したのは、この僕なのだと」
キュービーの言動に狂気が混じり始める。
「“この宇宙”って、あなた、まさかゲームじゃなくて、この現実の宇宙のことを言っているの? 冗談ならこれ以上話す必要はないわよ」
「僕は、至って真面目だよ。ほむら、君は憶えているかい? マミの部屋で、全能なる存在について話をしたことを。僕は、なるのさ。その全能者に。……ハハハ、そんなに驚かなくてもいいじゃないか、考えてみれば簡単なことさ。つまりは、〈転移ゲート〉を誰が設置したのか、ということなんだ。〈転移ゲート〉は知的生命体が存在するか、存在していたか、もしくは将来存在することになる惑星に設置されている。おかしいと思わないか? どうして、設置者は未来を知ることができる? その惑星に知的生命体が生まれるかどうかなんて、それこそ神にしか知りえないことじゃないか。そうさ、神だ。これは、僕がプレイしたゲームそのものじゃないか。無数にある平行世界のいずれかで、全能者となった僕は、この宇宙を創った。そして、ゲームをしているんだ。この実宇宙を開発するというゲームをね。〈転移ゲート〉を設置したのは全能者となった僕なんだ。僕がゲームをプレイするために友人宅を訪れて、そこで〈転移ゲート〉という名のアイテムを発見したのは、単なる偶然なんかじゃない。神からのメッセージだったんだ。そうだ、そうに違いないんだ。ほむら、僕は――」
「――光と闇の宿命《さだめ》を背負いし者、なのさ」
場がシンと静まり返った。
「だから、君は安心して旧友との再会を待っているがいいよ。何せ、僕にできないことはないのだからね。フフ……」
ほむらは、もう何と言っていいのか分からなかった。
「あー、しゃべり過ぎて喉が渇いたね。ちょっと、麦茶を入れてくるよ」
キュービーは、そう言って立ち上がると、鼻歌交じりでキッチンへ向かって行く。
あとに残されたほむらは、そんな彼女を呆然と見送りながらこう呟いたのだった。
「あの子……。マミと同じ病気になってしまったようね」