私は、なんてことのない、ただの………普通の老人でした。
幸福な家庭を築き、娘に恵まれ、孫に恵まれ。
……ただ、穏やかに老後を過ごすだけの、一般人、ただ、それだけの存在でした。
強いて言うならば、私が娘や孫達に、介護で苦労をかけてしまわないか、それだけが心配で。
それ以外の悩み事は、一切なく……今思えば、幸福な家庭を築いてきたのだと、そう思います。
ですが、そんな日々は長く続きませんでした。
……悪の組織。
そんな存在が、街を破壊し始めたのは。
孫が成長し、高校受験に向けて勉強を行っていた、その時でした。
『俺達は“絶望狂“。絶望に魅了され、絶望を愛し、絶望に狂わされた者……。この世界を絶望に染め上げ、俺達の糧にする……。それが俺達“絶望狂”の目的……。全員跪け! 俺達の幸福のために、絶望しろ人間!!!!!』
悪の組織……『絶望狂』は、私達の生まれ育った街を襲撃し、破壊し、人々を蹂躙していきました。
『どいつもこいつも雑魚ばかりだな。ま、こちらとしちゃやりやすくて助かるけどな』
『お願いします……! やめてください…! どうか孫だけは……!』
『へぇ……孫がいるのか。そりゃ丁度いい。なあ、孫は大切か? 命をかけても、孫を守りたいと思うか?』
『私の命で、孫が助かるのなら………喜んで差し上げます。ですから、どうか……! どうか……! ご慈悲を……!!』
『ギャハ! なら尚更良い。なぁ、孫が目の前で殺されたら、お前はどれだけ絶望してくれるんだろうなぁ? どれだけ俺を恨んでくれるんだろうなぁ? お前が出す負のエネルギーは、どれだけ濃いモノになるんだろうなぁ??』
『やめてください!! お願いします!!! 私はどうなっても構いません! だからどうか……! どうか……!』
『娘とその旦那を殺しても、お前はまだ精神を保ち続けていたな。それは孫がいるからか? お前の最後の希望は、その孫ってやつなのか?』
『これ以上……私から奪わないでください……お願いします……。どうか……どうか……。私の命なら、捧げます……奴隷にしたいのなら、それでも構いません……何でもします………お願いします……お願いします………』
『ハハハ!! 喚け、泣き叫べ、そして絶望しろ!! 娘を殺されても希望を失わなかったお前の絶望は、俺達の幸福になる!! お前の濃密な絶望が、俺達を救うんだ! よかったなぁ? お前は俺達の英雄さ。俺達のヒーローになるんだ、お前は。おめでとう』
私の家族も……その襲撃を受け……全員……。
どうして私だけが生き残ってしまったのか、どうして、私だけが取り残されてしまったのか。
私も一緒に逝ければよかったのに。そう何度も考えました。
しかし、それは許されないことです。生き残った者には、生き残った者なりに責任があると。
そう私に伝えたのは、他ならぬイコル様だったのですから。
『………酷い有様だな……。“絶望狂”も中々惨いことをする………』
『貴方は……?』
『………イコル。……そうだな。お前達の故郷を滅ぼした、酷い悪だよ』
荒野に1人佇む私に、声をかけたのは……。イコル様でした。
後に知ったことですが、イコル様は『絶望狂』でも何でもなく。
家族を目の前で奪われ、放心していた私を……『絶望狂』から救い出してくれた、命の恩人であり。
ただ、同郷の者が滅ぼしたというだけで、その責任を、自分の中で背負い込んでしまっただけでした。
当時の私は、そんなことを知る由もなく、ただ、イコル様に対して憎悪の感情を向けていただけでした。
しかし、イコル様は何も言わず、ただただ私の憎悪を一心に請け負ってくれていました。
今思えば、それはイコル様なりの優しさだったのでしょう。
だって、私が復讐したいと思っていた『絶望狂』は、既に壊滅していて……。
それを行ったのは、他でもないイコル様だったのですから。
『イコル様』
『なんだ?』
『ありがとうございます』
ある日、私がその事実を知り、イコル様に感謝をしたことがありました。
しかし、イコル様はそれに対して、こう答えたのです。
『僕は聖人じゃない。お前は、僕のことを恨み続けた方がいい。だって僕は、利害が一致しないから“絶望狂”を滅ぼしただけで、本質的な行動原理は奴らとそう違わない。宗派の違いみたいなものさ。僕自身は、君の憎むべき“絶望狂”と何ら変わらない。何かが違えば、きっと僕も君の故郷を滅ぼしていたことだろうね』
確かに、『絶望狂』とイコル様は同郷で、同じ種族なのでしょう。
ですが……。
到底そうとは思えないほどに、イコル様は優しかった。
私に恨み続けろと言ったのも、私が………何かを恨んでいないとやっていけないと、そう思ったからなのでしょう。
私が何かを恨んでいる間は、私はその憎悪に身を任せていればいい。
家族を失った虚無感を、抱かずに済むのですから。
しかし、良いのです。
良かったのですよ。
私は全てを失いました。
家族も、これまで築き上げてきた人間関係も、何もかも。
ですが。
イコル様が私を救い出してくれた。
今はもう、それだけで十分だったのです。
何もかも失った私に、搾取されるだけの存在となった私に、ただ1人、イコル様だけは、与える側でいてくれたのですから。
それだけでもう、私は救われていたのですから。
力を与え、私を側に置き……何不自由ない生活を用意してくださった。ただ、それだけで。
何もかも失った私には、十分すぎました。奪われ続けた私に、与えてくれた。それだけで。どん底だった私の心は、十分に救われていたのですから。
それに。
きっと、イコル様は『絶望狂』なんかとは違います。
だって、彼は。
私を拾ってから、『絶望狂』と同じような組織を、日々滅ぼし続けているのですから。
彼の研究分野は、悪徳組織の滅亡。
同族殺し。
それらに関連する道具。
きっとそれは、私に対する罪の意識から生まれたものなのかもしれません。けれど、それでも、私にとって、イコル様が大きな存在となるには十分で。
イコル様が『ワ・ルーイ』に所属したのも、基本的に殺しは行わない集団ではあったから、です。
唯一、例外として、夏場夕音の死の件で揉めることはありましたが……。
その時は、それを実行した幹部マインドライフの追放、という形で、矛を納めていました。後に夏場夕音が幹部になった際、イコル様は驚きと共に、生きていたのかと安堵していたのをよく覚えています。
………実際には、生きていた、というわけではなかったのですが。
………私が思うに。
『ワ・ルーイ』の幹部の中で、最も裏表がなく、素直で、接しやすい者といえば。
それはきっと、ヒンナ様になるのでしょう。
イコル様が好いているくらいですから、そこに関しては間違いありません。
ですが。
『ワ・ルーイ』の中で、最も慈悲深くて、優しく。
誰よりも他者のことを重んじれる者がいるとするならば、それはきっと……。
人の生死に関わらず、街の襲撃にすら、心を痛め。
常に罪の意識に苛まれている。
そんな彼こそが、きっと……。
「湿島、コーヒーを入れてくれ」
「はい。承知しました。ブラックですね」
「砂糖とミルク甘めだ」
「…………わかりました。………しかしイコル様、別に無理にコーヒーと言わずとも、ミルクティーをくれと、そう素直に仰ってもいいのではないですか? 本当はコーヒーが飲めないんでしょう?」
「違う! 僕だって最初はブラックを飲もうと思っていて……けど途中でやっぱり気分じゃないなってなったからミルクと砂糖を入れようかと思っただけで……別にミルクティーが飲みたいだなんて断じて…!」
「ヒンナ様の前でならまだしも、私の前では大人ぶろうとしなくてもいいのですよ?」
「ばっ! だから違うと言っているだろう。あのな、僕にも日によって気分というものがあるんだ。別に、苦いものが飲めないとか、そういうわけでは……」
………しかし、だからこそ、イコル様は苦しむことになるのでしょう。
自身の目的のために、他者を蔑ろにしなければならないことを。
多数の利益のために、多数の者を害さなければならないことを。
そして。
光千夜という少女を、犠牲にする判断が強いられることもあるのだということにも。
きっと、イコル様は苦しみ、悩み。その末、誰かを切り捨てる判断を下すのでしょう。
罪の意識を背負ったまま、ずっと。
だからこそ私は、彼の側に居続けていたい。
彼が背負う罪を、私も背負いたい。
………光千夜という少女は、見た目は丁度私の孫と同い年くらいの少女で……。
彼女を犠牲にする選択は、私にとっても辛く、心苦しいものではあります。
ですが……。
それでも構わないのです。
たとえ、孫と同い年程の少女を犠牲にすることになったとしても。
私は、イコル様のためにこの身を捧げると、そう誓ったのですから。
それがきっと。
私にできる、イコル様への、最大の恩返しになるのでしょうから。