聖歌を説得する。
そう決意した私、桃乃瀬苺は、聖歌の部屋の前に立っていた。
聖歌の母親は私が部屋に入ってくるのを止めては来なかった。けど、その表情は、やつれているようにも見えて……。
『……聖歌の件に関しては、特に母親の記憶には干渉していないっきゅ。だから、母親からすれば、一人娘が突然精神を病んで引きこもってしまったように見えていると思うっきゅ』
「そっか……。なら、尚の事はやく聖歌を立ち直らせないとね」
私はノックを2、3回ほどした後、聖歌の部屋へと入る。
そこには……。
「聖………歌……」
美人だった親友の面影は、もはやどこにも残っていない。手入れの行き届いていない髪はざんばらで、私の寝起きの髪よりも酷く、部屋には異臭すらしていた。換気すらまともにしていないのかもしれない。
「…………」
虚な瞳で、ただ一点を見つめる様子は、不気味にしか思えない。
けど、それが今の聖歌なんだ。妹を助けられなくて、もう取り戻せないかもしれないと思って、それで、あんな姿に……。
……千夜ちゃんを連れて来れば、何とかなるとか、そういう話じゃない。
親友が、あんな姿になっていたというのに、今まで私は何をしていたのか。千夜ちゃんを取り戻すとか、それ以前に。
聖歌のことを気にかける。それが、親友としてやるべきことだったんだと、私は改めて実感する。
行っても無駄だとか、そういう話じゃない。本当の友達なら、意味がなくたって、何度でも声をかけ続けるべきだった。
「……聖歌、最近全然家に来れなくてごめん。……ねえ、聖歌はさ、最近家で何してるの?」
なるべく明るい声で、聖歌の隣に座り込みながら、声をかける。
聖歌の反応は、ない。私の声が届いているのか、届いていないのか、それすらも分からない。
「……授業難しくてさ、直近の授業も、分かんないところばっかで…。授業中に当てられた時、全然答えられなかったんだ」
1日や2日で、立ち直れるようなものではないのだろう。当たり前だ。人間の心は、そうコロコロ簡単に変わるものなんかじゃない。
だからって、何もしないわけには行かない。
このまま親友を、暗い世界に置いてけぼりにするなんて、そんなの私が許せない。
だから…。
「………難しいんだよね。ちょうど今日教科書持ってきたんだけど……ほらここ。ね、難しくない? 私全然答えられなくて…」
私は持ってきた教科書を、聖歌の目の前で開き、彼女に見せつける。
正直、授業で問題が解けないことなんて、どうでも良かった。けど、前までは、分からない部分を聖歌に教えてもらっていたから。
だから、何かしら、聖歌の心を動かせないかと、そう思って持ってきた。
………でも、聖歌の反応は、やっぱり全くなくて。
分からない問題を、嫌な顔一つせずに教えてくれていた頃の聖歌は、過去の姿となってしまっていた。
「そういえば、紫暮さん、聖歌のこと心配してたよ。意外だよね。私達が授業抜け出したりすると、いっつも怒ってたし、てっきり嫌われてるのかなって思ってたんだけど……」
事情を知らなければ、聖歌のやっていることは不良生徒のそれだし、正しいのは紫暮さんの方ではあったんだけど…。
けど、紫暮さんは、私よりも聖歌の方に突っかかってくることも多かった気がする。今思えば、それはライバル意識のようなものでもあったのかもしれない。
「………」
けど、そんな紫暮さんのことも、今の聖歌には、どうでもいいことなのか。
全く反応を示さず、ただ無言で一点を見つめるだけだった。
……今の状態の聖歌に、千夜ちゃんの話題を出していいものなのか。
……………千夜ちゃんを救うためには、聖歌が必要だ。けど、それじゃあ聖歌の心は?
無理に聖歌を奮い立たせて、本当に良いのか?
精神的に追いやられてしまっている聖歌の姿を見て、私の頭にはそんな疑問が思い浮かんでくる。
決意はしてきたはずなのに。それでもまだ、私の中には不安が残っていた。
『……苺……? どうしたんだっきゅ……?』
「……ううん、何でも、ただ……」
………。
分かっていた。私が聖歌を奮い立たせようとするということは、聖歌に無理を強いることになるって。沈み込んだ聖歌を、心がボロボロの状態の聖歌を、無理矢理起き上がらせて、もう一度傷付けることになるってことくらい。
……でも、実際に傷心している親友の姿を目の当たりにして、その事実が、再度私に襲いかかってきた。
これは、聖歌に無茶を強いることになる。
下手したら、聖歌が、二度と復活できないように、再起不能になるくらいに壊してしまうことになるかもしれない、と。
「…………何が、正しいんだろうね……」
答えなんてない。
千夜ちゃんを救うためには、聖歌が必要で。
聖歌を救うためには、千夜ちゃんが必要で。
どちらかを捨てなければ、どちらも救えないなんて、そんな状況にすら思えてくる。
……けど、そうじゃないんだ。
正解はわからない。これが、正しい道筋なのかなんて、検討もつかない。
けど。
聖歌を救えるのが、千夜ちゃんしかいないなんて、そんなの、決まってない。
……私は、聖歌の親友なんだ。
だったら、私にだって、聖歌を救えたっていいじゃないか。
「……聖歌、話があるの」
私は、聖歌を見据えて、はっきりと、明瞭な声で伝える。
聖歌の姿には、相変わらず変わりはない。けど……。
「…聖歌が、あの映像を見て……千夜ちゃんのことで、心を病んでしまったのは、分かるよ。凄く、辛いことなんだと思う。私も、弟が同じ目に遭ったらと思うと、ゾッとした気持ちになる、けど……」
私は、伝えたい。私の、思いを。気持ちを。聖歌に。
「……辛くて苦しくて、閉じこもっちゃう気持ちも、分からなくはない。……でも、さ。1人で、抱え込まないでよ。……殻に閉じこもらないで、私に一言、相談するくらい、してくれたっていいでしょ?」
いつもそうだった。私は、聖歌に頼ってばかりで、何も返せてなくて。
それでいて、私はその関係に甘えていた。
親友だなんて、馬鹿馬鹿しい。私が、一方的に利用してただけみたいじゃないか。
「……ねえ、聖歌、そんなに私は頼りなかったかな? そんなにも、私は聖歌にとって、大きな存在じゃなかったのかな? ………ねえ、聖歌は……」
……私のこと、親友だなんて、思っていなかったのかな。
口には、出さなかった、けど、聖歌にとって、私の存在が……。
そんなにも大きくないものなんじゃないかと、そう不安に思うほどに、私は聖歌に、何も返せていない。
「……る………さ……」
「……聖歌…?」
「……うるさい……」
ようやく口を開いた親友の言葉は。
私をひどく拒絶するものだった。
それでも、今まで一切口を開かなかった親友が、口を開いたこと。それは、確かな進歩だった。
「聖歌……拒絶しないで。私は、聖歌のことを助けたい。聖歌が今まで助けて来れたみたいに、今度は私が、聖歌を助けたい! だから……」
「……うるさい………苺に………苺に何が分かるのよ……」
「……分からないよ。教えてくれなくちゃ、何にも分かんないよ…」
「……だったら……だったら首を突っ込まないで!! 私は……私はもう……いいのよ!! 千夜のことを見捨てて、それで……あの子にあんな……辛い目を負わせた、最低な姉なんだから……」
きっと、聖歌は罪悪感に苛まれているんだろう。妹を見捨ててしまった、罪悪感に。
………そうして、1人で罪の意識を抱えて、どんどん気分も沈み込んでいってしまったんだろう。
そんなの……。
「……相談してよ…。どうして1人で抱え込むの? そんなに私は頼りなかった? いつも、聖歌に甘えてたから。いつも、聖歌に助けてもらってたから。そんな私は、頼りにならないって?」
「……苺に相談したって、何の意味もないじゃない。何になるっていうの? 貴方が、千夜のことを救えるの?」
「どうしてそう決め込んじゃうの? 一言でも言ってくれれば、一緒に悩めた。辛い気持ちも共有できたのに…!」
「そんなことをしたところで、千夜は帰ってこない。貴方にできることなんて、何もない」
どうしてこうも、聖歌は決めつけるのか。
そんなに私のことを、頼りにならない存在と、そう思っていたのだろうか。
………そんなにも私を、無力な存在だと思っていたのだろうか。
「………………私は聖歌のこと、親友だと思ってた。気の許せる仲で、何でも相談できて、頼りになるって。………きっと聖歌も、同じだと思ってた。けど、そうじゃないんだね」
「………」
「私は……助け合える関係性になりたかった。聖歌に助けてもらって、逆に聖歌が困ってたら助けられる。そんな関係性になりたかった。……けど、聖歌は私に弱みを見せるのも、嫌だったんだね。聖歌は、私に助けられたいなんて、思ってなかったんだね」
聖歌は、何も言わない。それこそが、私の言っていることを、肯定しているみたいだった。
聖歌は、私のことを頼りにしていなかった。
聖歌のことを、親友だと、そう思っていたのは……私だけだった。
……でも、それでもいい。
たとえ聖歌が、私のことを親友だと思っていないのだとしても。私は、聖歌を助けたいから。
「………聖歌が、私のことを親友だって思えないなら、それでもいい。けど、私は何度でも来るよ。何度でも聖歌に手を差し伸べるし、何度でも聖歌を助けるつもりでここに来る。拒絶されたって、ただでは帰ってやらないから」
『苺……こ、こんな時にごめんっきゅ! けど、怪人が……』
せっかく聖歌と話す機会を設けたのに、このタイミングで怪人なんて…。
……でも、聖歌も、黙り込んで、これ以上は私と会話する気はないみたいだった。
そろそろ、潮時だったのかもしれない。
「……千夜ちゃんは、聖歌の名前を出した時に反応してた。……私達と共闘もした。洗脳されたとしても、まだ、間に合うかもしれない。だから……」
「…………私は、千夜ちゃんにも、手を差し伸べ続けるよ。……けど、きっと千夜ちゃんが本当に必要としているのは……」
『苺……薬深ももう向かっているみたいだっきゅ。……聖歌はもう仕方がないっきゅ。だから、もう……』
「とにかく、私は諦めないから。千夜ちゃんのことも、聖歌のことも」
私は最後に、それだけ告げて、聖歌の部屋から立ち去る。
……きっと、聖歌は沈み込んでいて、私の言葉なんて、1ミリたりとも響いてはいないんだろう。
けど、私は諦めない。何度でも、聖歌に声をかけ続ける。
たとえ聖歌が私のことを親友だと思っていないのだとしても。
聖歌は私にとって、かけがえのない、大切な友人なのだから。