バヂィッッ!!!! と。
御巫の指先から、雷光が迸った。
日向がその時地面に転がらなかったのは、咄嗟に目を伏せていたからだ。でなければ、つんざくような光に目を焼かれて前後不覚になっていたことだろう。
雷速の一撃。
確殺の閃光が一直線に男へ向かうが──それは、彼の周りに侍る水塊によって呆気なく防がれる。
バチバチと迸る電流が、水塊の中に溶けて消えていった。
──落雷の温度は、太陽表面の約五倍にあたる三万度といわれている。
たとえば海水面に落雷が直撃した場合、海水は瞬間的に沸騰し、小規模な水蒸気爆発を引き起こす。ゆえに水塊に電流が直撃すれば爆発と共に飛沫が電流を男に伝える可能性が高かったが、それすらも起きずに電撃は『消えた』。
それを見て、御巫はゆっくりと、しかし不機嫌そうに目を細める。
「感電を狙ったようだが……対策なら既に済んでいる」
異常な現象を引き起こした都市迷彩の男──鳴釜兼備は、最強の御業を前にあくまで不敵な笑みを浮かべていた。
──鳴釜が扱う『流水潜行』は、都市伝説『白い手』を封入した反駁伝承である。
『白い手』とは、海水浴場を舞台とした都市伝説。海水浴場で泳いでいたら海の底から手で引かれたとか、海水浴場の水難事故犠牲者の写真を見たら謎の白い手が大量に映っていたとか、そういった『溺死』と『手』を紐づけた脅威を内包した『怪異』だ。
それを『流水潜行』では、海水の操作と定義していた。
鳴釜の操作する海水──『海』内部に潜む無数の『白い手』は、『海』と『海』内部のあらゆるエネルギーの方向を操作することができる。鳴釜はこの機能を使って、御巫が放った電流のエネルギーを誘導・拡散し無力化したのである。
「この量の水を見て、炎では通らないと考えて電撃に切り替えたな? 及び腰が透けて見えるぞ、最強」
「願望が先走りすぎてない? そんなになけなしの対策がハマってて欲しいのかな。涙ぐましいね」
言葉の応酬を行いながら、御巫は日向の肩に手を置く。
それと同時に、ぼうっと日向の周囲二メートル程に薄い炎の壁が展開される。──御巫に常時展開されている爆発反応装甲を、日向にも付与した形だ。
つまりそれは、御巫が本気で戦闘を行うという意志表明。高速戦闘について行けない日向に防御の札を置いて切り離すことで、スーツ型の強みを生かした戦闘を行っていく──その意思が、戦場にいる全員に共有されていた。
説明は一切なかったが、日向は御巫が自らに触れた時の挙動だけで全てを察した。御巫は、それを見て静かに微笑む。そういった聡さにおいても、御巫は日向のことを気に入っていた。
「友悟、枕飾サンに連絡頼める? 三〇分遅れるって連絡しといて」
「了解」
余計な問いかけは入れない。日向は、自分がこの戦闘において何の役にも立たないことを誰より理解していた。その無力感をこんなにも早く伝えてしまったことに、御巫は少し罪悪感を覚える。
こんなに急にするつもりはなかった。
怪異が齎すものの意味が目まぐるしく変化していくこの混沌の世界において、御巫七夕と行動を共にするのだ。日向がこんな無力感を経験するのは、遅かれ早かれ確定はしていた。
だからこそ、そこに至るまでの道筋は整えておきたかった。きちんと遥かな上への道筋を見せて、目先の挫折は決して行き止まりなどではないのだと伝えた上で、この局面は作るつもりだった。
「さて、それじゃあ始めようか」
だが、もう遅い。
状況は既に確定してしまった。──目の前の無粋な乱入者によって。ならば、その状況の中で歩みを進めていくしかない。
御巫が、日向に張った『爆発反応装甲圏』から出た直後だった。
──御巫を避けて日向に向けて『海』の一部がまるで腕の様に伸びる。
ドボボッッバボボボボボボボン!!!! と、液体と爆発が混然一体となったような衝突音が連続した。圧倒的な攻撃だったが、日向を守っている『爆発反応装甲』は一ミリも欠けずに機能していた。
その様子を見て、鳴釜はつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「……ふむ、流石にこちらも堅牢か」
「ああ? なんだって?」
隙あらば日向も狙っていくという明確な宣言。
脅迫でもあり、挑発でもあるその一撃に対して、御巫が行ったのは完全なる『無視』であった。
鳴釜が日向に割いた一撃と全く同時並行で、御巫は鳴釜の至近距離にまで近づいていた。
他者に付与したものとて、それは『最強』が操る防御の一手。自身が最強であると確信しているからこそ、手を出すという挑発に対して御巫は毛ほども動じない。むしろ挑発の為に一手を消費する無駄を、咎めるようにさらに歩を進める。
(速ッ──!? コイツ、移動に爆発を合わせて高速で動くこともできるのか!!)
無論、鳴釜も何のリスク管理もなく挑発を行ったわけではない。
挑発の為に一手を使ったとしても、防御の手が十分に間に合うという判断のもとでの挑発だった。だが──その目算は、御巫の前では甘かったと言わざるを得ない。
ゴッ!! と、打撃の音が響いた。
辛うじて構えた鳴釜の防御の上から、御巫の拳が鳴釜を吹っ飛ばした音だった。
(~~~~~ッ!! インパクトの衝撃に爆発を合わせているのか!? 『海』を纏っていてもなお響くこの重さ!!!! これが御巫七夕か!!)
「なぁにブツブツ言ってんの!? ぼそぼそ喋ってちゃあ聞こえないって!!」
「…………!!」
──追いかけるように『海』が御巫を取り込もうとするが、ボボボボボッ!!!! という爆裂音と共に発生した『爆発反応装甲』によってそれは遮られてしまう。
しかし、収穫はあった。
「……今の爆発は、範囲が狭かったな」
『海』を周囲に侍らせた鳴釜に直接拳を叩き込んだ関係上、半径五メートル内に最初から『海』があった。その関係で、先ほどの様に球形に『爆発反応装甲』を展開されたのではなく、御巫の身体を覆うような形で『爆発反応装甲』が展開されたのだ。
おそらく、デフォルトでは半径五メートルに展開されるのだが、状況によっては爆発反応装甲の範囲も狭くならざるを得ないのだろう。
「ならば、こちらからも攻めるまでだ!!」
言うなり、鳴釜は『海』の中へと飛び込んだ。
ギュルルル!! と『白い手』がその状態の鳴釜に巻きつき、高速で御巫の至近に移動する。──『海』中に存在するもののベクトルを操作する機能を応用した、『自分の操作』である。
適宜空気をも取り込んで操作することで呼吸の問題すらも解決しているため、ありきたりな継戦能力の難も存在しない。この状態で接近戦を挑めば、必然的に御巫の『爆発反応装甲』の範囲は狭くならざるを得なくなる。
──果たして、鳴釜のこの読みは間違ってはいなかった。
衝突と爆裂の音が連続する。
水を纏った鳴釜と炎を纏った御巫の拳たちは、拮抗していた。『爆発反応装甲』は『海』を弾くが、その炎熱は『白い手』によって向きを逸らされ、無害な方向へと拡散されてしまう。
このタイミングで動いたのは、鳴釜だった。
(──今だッ!!)
『海』の中で、鳴釜が腕を振る。それに従うようにして、直前まで肉弾戦をしていた御巫を大量の水が取り囲んだ。
爆発反応装甲があるため完全に『海』の中に呑み込まれることはないが、先ほどの様に半径五メートルという空間はない。体表の、精々数十センチ。それが、御巫に許された空間。──そんな中に何度も爆発が発生すれば、当然酸素も消耗するし、そもそも炎熱は御巫のことを焼くはずだ。
「……つまらん最期だな。最強の盾に圧し潰されて死ぬ気分はどうか……聞いておけばよかった」
あとは、御巫が自分の熱に焼かれるか酸欠かで死んで爆発が止んだタイミングで遺体を回収すればいい。
緩やかな勝利の流れを鳴釜が確信したタイミングで──
ボバッ!!!! と、御巫を捕らえていた『海』の檻の一角が、蒸気となって消し飛んだ。
「やめてよね。あの海の中の白い手、うじゃうじゃしててめちゃくちゃ気持ち悪かったんだけど」
「馬鹿な……!?」
鳴釜は、思わず呻く。
爆発反応装甲は、明らかに御巫を焼く距離だった。酸素は御巫の呼吸を奪うはずだったし、あの場では人間は数秒たりとも生きていけない。楽観的推測ではない。むしろ、数秒という数字だって最大限御巫の脅威に配慮して延長した値だ。悲観的に推測して、数秒だったのだ。
だというのに、御巫七夕は変わらず君臨する。
この程度の詰め手は歩の応酬でしかないとでも言うかのように。
「デバッグのお手伝いでもしてくれてるつもり? 生憎だけど、その項目は一〇年前にテスト済みだから」
──そもそも『怨燃小町』の炎は、現実に存在する炎ではない。
だから酸素を消費しないし、生み出した元である御巫のことを焼いたりしない。ただそれだけ。それだけの、身も蓋もない、しかし隙のない答えだった。
「いや…………違うだろう」
危なげなく佇む御巫を前に、鳴釜はゆるゆると首を振る。
策は破れた。現実としてそうなっている。しかし、そこには極大の理不尽が潜んでいた。
「……確かに、脆弱性はなかったのかもしれない。酸欠も熱も……最強を切り崩す突破口にはなりえなかった……。だが……!! だとしても……己の『流水潜行』まで不確かにはなりえない……!」
『流水潜行』の機能は、海水の操作と海水内部にあるエネルギーのベクトル操作だ。
仮に『海』に超高温の炎が叩き込まれたとしても、その熱が『海』に伝わった時点で、それは『「海」内部』の話になる。その時点で熱エネルギーを大量の『海』全域に行き渡らせれば、あれほどの爆発にはならない。そして鳴釜は、御巫対策に熱エネルギー、電気エネルギー、光エネルギーについては迅速に拡散できるようプログラムに調整を施していた。
その中では、鳴釜は『爆発反応装甲』を突破できないが、御巫もまた『海』の牢獄を突破できないという千日手が最低でも成立するはずだったのに。
だが、現実は既に成立している。『海』は炎によって突き破られたという結果が。
「何眠たいこと言ってんのさ」
切り捨てるように、御巫は言った。
「そっちの『流水潜行』がどういう機能か知らないけど、水……いや塩水? に関係するベクトル量の操作ってとこでしょ? でもそれって、どれだけのエネルギーでも無限に操作できるって訳じゃないし」
通常では考慮する必要のない、非現実的な正論を突きつける。
「そっちの機能が想定している次元をわたしが超えていた。たったそれだけの話じゃん」
凡人の想像の限界を、一歩で跨いでいく。
だからこそ、最強。
「もういい? じゃあさっさと済ませるけどさ」
まるで器の様に構えた御巫の掌の上に、野球ボールくらいの大きさの火の玉が浮かぶ。
その火の玉は、静かに──しかし高速で回転していた。時間と共にその回転速度は増加していき、そしてその光もまた強まっていく。『炎』が、『プラズマ』へと変貌する。
「っていうかさぁ、さっきの話に戻るけど、やっぱ希望的観測に満ち溢れてるよ。だって普通、考えなくても分からない? ──太陽が自分の炎で焦げ付くわけないって」
一閃。
その攻撃を回避できたのは、自らの策が破れた時点で極大の警戒を御巫に向けていたからだ。
放たれたのは、掌の中の太陽から伸びた光条──即ち、超高火力のプラズマビームであった。
直撃した『海』は理科実験の突沸を数億倍に引き上げたような大爆発によって、あっけなく飛び散っていく。ベクトル操作など、全く意味をなさなかった。水塊から離脱した水は制御を失うという『流水潜行』の制約が、此処に来て鳴釜の首を絞める。
そして、あの一撃を気にせず乱射されれば、鳴釜に勝ち目はない──その事実に、彼もすぐに気付いた。鳴釜がまだ絶命していないのは、ひとえに御巫が『勝ち方』を選んでいるからだ。
「見たいものだけ見過ぎなの。もうそれ、現実逃避でしょ。根底の及び腰が透けて見えるよ、挑戦者」
その事実が、どうしようもなく鳴釜の自尊心を刺激する。
鳴釜の表情が、此処に至って初めて歪んだ。
「もう無理だって、分からない? よさげなところで降参してほしいなー。わたしだって鬼じゃないよ。すぐに核骨を差し出してくれるなら、武装解除させて警察に突き出す程度で収めてあげる。賠償も肩代わりしてもらいたいことだしね」
「………………笑止、だな」
やる気のない降伏勧告に、鳴釜は無感動に答えた。
鳴釜の目は、まだ死んでいない。
鳴釜にも、矜持がある。それはこの少女が生まれる前から伝承師として世界の闇の中で泥を啜って来たという、自負。人生という歴史を背負った者だからこそ存在する、これまでの選択の重みだ。その重みがあるからこそ、鳴釜は此処で折れる訳にはいかない。
深く息を吸い、吐いた鳴釜は、決死の覚悟を決めて目の前の最強に告げる。──反撃の狼煙を。
「臨界稼働────『暗き水底へは引く手数多』」
直後。
鳴釜の背後から、まるで翼が伸びるようにして後光が差した。