【完結】アンチ^2テーゼ・リノヴェーション 作:家葉 テイク
「疲れた…………」
その後、俺達は自宅──探偵事務所も兼ねたビルに戻って来ていた。
三階の生活スペースで、俺はソファの上に倒れ込む。このリビングは、事前の取り決めで二人の共用スペースということになっている。この数日で、此処を使うのにも大分慣れてきた。
しかし……本当に疲れた。特に最後。一応今日は俺の死んだ両親の話とか出自とかけっこう人生の中でも重要な新事実が明らかになった日のはずなんだが、最終的な印象が全部塗り潰されてるぞ。
へばる俺の横を通り過ぎつつ、御巫が苦笑する。
「あはは、お疲れ様。英姫はデリカシーがなさげだからね~……」
「いやほんとにな」
なさげっていうか、かなりない。根っこが近所のおばちゃんなんだよ。研究者っぽい部分が本質かと思いきや、普通に全然気遣いのなさは近所のおばちゃん水準。いやむしろ、ソリッドな研究者らしいデリカシーのなさが人懐こいペルソナと融合してああいう態度を作っているのかもしれないが。
でも、ちょっと気を付けてほしい。こんな姑に対する不満みたいな感想が出て来るのもなんかアレだが。
俺はソファに寝そべったまま視線だけ動かして、
「御巫もお疲れ様。っつーか、御巫の場合は検診を受ける負担もプラスだしな……」
「わたしはもうああいうの慣れてるからなんとも。伊達に実験体やってないよ」
「反応に困るから実験体ネタやめな?」
そっちがその気なら俺も孤児ネタの封印を解放するぞ。『孤児あるある。授業参観で親が来ない家庭とか全然あるのに何故か俺だけ集中して憐れまれる』とか。
臨戦態勢すら検討しはじめた俺の頭の横に、御巫が腰かける。帰宅した御巫は、まとめ上げていた髪を下ろしていた。こうして髪を下ろした姿を見ると、どこぞの平安貴族の御令嬢のような雰囲気すらある。俺は額にかかった後ろ髪を払うと、そのまま起き上がってソファに座り直す。
「髪下ろすの、似合う?」
俺が髪を見ていたことに気付いたのだろう。御巫は自分の髪をひと束すくうと、そう言って微笑みかけて来た。
──ここまでの振る舞いを見ていれば分かると思うが、ここ数日、御巫は自分の好意を示すことに躊躇しなくなった。
もともと分かりやすい好意の示し方はしていたが、以前はどこか一線を引いていた印象があった。なんというか、常にからかい半分みたいな雰囲気が。だが今は、それがない。拒絶されるかもとかそういう心配のない笑みを、俺に向けてくれる。
髪を指で流す姿を見ながら、俺は御巫の質問に答える。
「……まぁ、似合うと思う。でも外だと邪魔だろ」
御巫の髪は、下ろすと膝の裏くらいまである。まとめ上げていても腰まであるくらいだからな。こうして座ると床にもついてしまうくらいだから、外だとあまり下ろさない方がいいかな……と思った。
思ったのは、それだけである。
「……そか。じゃあ見せるのは友悟だけにしておくね」
「そうは言ってない」
「うん、分かってる。わたしが友悟にしか見せたくないだけだから」
「……………………」
優し気な、それでいてその奥に何かもっと深いものを感じさせる笑み。
多分、俺にしか見せない表情。
御巫がそういう表情をするようになったのは、俺が彼女を救ったからだ。『最強』の反証を達成し、御巫七夕を構成する要素を一つ削り落とした。そして空いたスペースに滑り込む形で、俺が彼女の新たな支えとなった。
そのことに、後悔はない。
──でも俺は、咄嗟に踏み止まってしまった。
『ねぇ、代わりにわたしは、何を差し出せばいい? ……差し出させて? 全部あげるよ。わたしの全部。だから──』
あの時、御巫はきっとこう言いたかったはずだ。『この先もずっと、わたしの傍にいて』と。
それは、探偵と助手という雇用関係の話ではない。もっと深い関係に……俗な言い方をすれば、恋人になりたいという話だと思う。
でも俺は、咄嗟にブレーキをかけた。探偵と助手という雇用関係の話にすり替えて、その場で話を終わらせた。
怖かったからだ。
御巫とより深い関係になることが──ではない。それは、望むところだ。
怖かったのは、心の柔らかい部分を暴き立てて、その状態で深く深く御巫の心に食い込んでしまうことで、御巫と俺が互いに依存しあう関係にならないかということだった。
あの時の御巫はそのくらい危うかったし、そうなってしまってもおかしくないくらい深く深く傷つけられていたし、それくらい求められても仕方ないくらいのことをした。
……だから、さっき御巫が『最強』であることに意欲を見せてくれた時は、正直ほっとした。それは、自分の力で立ち上がる意思の発露でもあったからだ。
…………でもな。
「……御巫。さっきの話だけど」
そう言って、俺はソファの上で御巫に向き直る。御巫は、こちらの方へ視線を向けて曖昧な笑みを浮かべていた。
確かに、互いが互いに依存しあうような関係は望ましくない。御巫七夕という一個の人間の精神に俺の存在が深く食い込んで、俺が存在しなかったら自分で立つのも覚束無いような状況に陥れるのは、俺の本意じゃない。それじゃあ俺が立ち上がった意味が無い。
でも、だからといって……じゃあこうやって俺に真っ直ぐな好意を向けてくれる少女に対して、一番明確な答えを出さずに見て見ぬ振りすることが正しい選択かと言ったら、それは違うだろ。
どうするのが正解かは分からないけど、それでもまずは答えを出す。そこが大前提じゃないのか。
「さっきは言葉の綾とか言ってたが……、」
そこまで言いかけたところで、俺の口に御巫の人差し指が当てられた。俺は思わず言葉を止めてしまう。
「さっきね、鳴釜に負け犬とか言ったけど……実は今は、別の気持ちもあって」
御巫が、俺の肩に寄りかかる。
御巫の体温が、じっとりと俺に移って来た。
「負けるのは嫌だし、自分の強さを誇りにも思ってるけど……同じくらい、負かして欲しいなとも思ってる。友悟になら、負けちゃいたいって」
至近から聞こえる御巫の声には、普段の強気な響きはない。代わりに、静かで穏やかな──女性的な響きだった。
…………それは。
「
そこで、明確にギアが切り替わる。
俺の最もよく知る『最強』の声に、声色は回帰した。
「…………へ」
御巫の言葉に反応しきれない俺に、御巫が続ける。
「友悟、無理してたでしょ」
「……別に、無理なんて」
全部、やりたくてやったことだ。俺は、御巫のことを救いたくて、救おうとして、そして救った。
その結果一人の少女の心に深く食い込んだのは、当然の帰結。俺はそれを受け入れる覚悟があって行動を起こした。今の状況で不本意なことなんて……あったとしても御厨さんのイジリくらいだ。
「嘘だよ。だって普通に考えて重すぎだもん」
……なのに、救われた張本人である御巫は、あっけらかんと言った。
御巫は、体重を預けるのをやめて俺のことをまっすぐ見据える。
「友悟、まだ高校一年生だよ? そんな急に人のメンタルの根幹なんて背負えないし、わたしだって背負わせるつもりはないよ。……そりゃあ、わたしだってあの時は気が動転してたけど、流石に冷静になったら年下の少年に自分のメンタルの急所を全部預けるようなことしないさ」
…………。
「確かに、枕飾サンからは活躍を期待されてるし、英姫はあの調子だし……。……友悟が焦っても仕方ないと思う。でも、別に無理して前に進んで欲しい訳じゃないよ、わたしは」
……………………。
「わたしはもう十分、救われてるから」
御巫はそう言って、優しく微笑みかけてくれた。
俺は…………口から溜息とも呻きともつかない声を垂れ流しながら、ソファの背もたれに体重を預けた。
「…………あー、格好つかねーなぁ」
実績はできてしまっていた。
『最強』を超えたのも、『椎塚案件』を解決したのも、御巫を救ったのも事実。しかもそれは、全部俺がやりたくてやって、実際に達成したことなんだから、その結果付随した影響も受け止めないといけないと思っていた。
俺に好意を向けてくれる少女の心に、俺の存在が深く刻み込まれることも含めて。
でも正直、かなり不安だったんだ。
だってそうだろ? 言っても『
ただ、御厨さんの診療所でのことがあって、自分の口から思わぬ形で本音が出て、これはもう腹を括るしかないかと……そう思って自分を奮い立たせていたのだが。
御巫には、そんな余裕のない俺の空回りも丸分かりだったらしい。
「…………それに、わたしもね」
声色。少し違和感。
──そこで俺は、御巫が
「『行動の結果』って理由で、友悟に決断してほしくないから」
……………………。
……? ……え、あ! いや……それは違う!
御巫が言わんとしていることを察した俺は、すぐさま否定の言葉を口から出す。
「そういうわけじゃない! 確かにきっかけはそうかもしれないけど、そもそもその根底にある気持ちがないのに突き進めるわけないだろ! 俺は……!」
「分かってるよ」
慌てて言い返した俺に、御巫は落ち着いて言葉を返す。それで逆に自分の本心を見られたようで俺は言葉に窮してしまった。
「それも、ちゃんと分かってる。……でも、無理はしていたわけでしょ。そして無理をしていた理由は、義務感。それじゃあ乙女としては、ちょっとね~?」
「うぐ……」
そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。
痛いところを突かれた俺を責め立てるでもなく、御巫は優しく諭すように続ける。
「そうまで想ってくれてる気持ちは、本当に嬉しいよ。思わず受け入れたくなっちゃうくらい。……でも、わたしは友悟にだって幸せになってもらいたいから。だから今、それを受け入れる訳にはいかない。一歩踏み出すのは、友悟が心の底から言いたくなったタイミング
そう言って、御巫はにっこりと笑みを浮かべた。
「そもそも名前で呼んでくれないのに恋人はちょっとワープしすぎだし。まずは呼び方変えるところから始めてみない?」
「急に踏み込んでくるな!?」
そしてその笑顔のまましれっと(心理的に)懐へ踏み込んで来た御巫に、俺は目を丸くする。だが、御巫は悪びれる様子もなく……むしろ不敵な笑みでこう続ける。
「そりゃあそうだよ。ただ待つなんて性に合わないもん。それに……今は友悟が『
「…………なるほどね、御巫はこういう気持ちだったわけか」
「名前」
「強引だなぁ!!!!」
せっかく最近は敬語指摘攻めを食らうこともなくなってきたというのに、今度は名前指摘攻めが始まるのか……。
思わず頭をかく。俺のペースはどこに行ったのやら……。……いや違うか、御巫は俺のペースに合わせるなんて一言も言っていない。『先に進むのは俺が心の底から望んだタイミングが良い』と言ったのだ。……ただしそのタイミングは、自分で引き寄せるつもりでいるらしいが。
全く、なんたる思いやりだろうか。いっそ暴力的ですらある。
……………………でもまぁ、きっかけとしては有難いか。
「……分かったよ、これでいいのか? 七夕」
俺はそう言って、御巫……七夕の表情を伺う。
…………そりゃあね。俺だって名前で呼びたくないわけねーよ。ただ、タイミングって難しいだろ。まさか椎塚に便乗する訳にもいかなかったし……。
七夕はきょとんとしていたが、俺の呼びかけを認識すると、顔を赤らめてそっぽを向いた。
「…………ちょっと良いね、これ」
「はしゃいでんじゃねーよ。これからずっとこうだぞ。慣れろ慣れろ」
照れる御巫から視線を逸らして、俺は天井を仰いだ。
真夏の陽気のせいか、クーラーが利いているというのに部屋が暑い。落ち着くことで頭を冷やしながら、俺は言う。
「言っとくが、先は長いぞ。俺は意外と奥手だ。今まで恋が成就したことは一度もない」
「でもそれって、決まりきった定義って訳じゃないでしょ」
ソファから立ち上がり、天井を仰ぐ俺を上から見下ろした七夕は、続けてこう言った。
まるで太陽のような笑み。天井を仰いだ俺は、思わず目を細めた。
「だったらわたしが反証してみせるよ。あなたがわたしにしてくれたみたいに」
『最強』のヒロインは、未だに俺の目の前にいる。
だから世界は、今も物語の只中だ。
アンチ^2テーゼ・リノヴェーション
了