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それは 何だ
その胸を引き裂けば その中に視えるのか?
その
まるで――――――――――――…
『こんな勝ち方があるかよ!!!』
『こわくないよ』
そうか
これが そうか
この
心 か
「おはようか……リンディさん」
「おはようフェイト。朝ご飯出来てるから食べちゃいなさい」
「うん…」
まただ…。
「今日は帰りが遅くなるから晩御飯、冷蔵庫の入れておくからね」
「うん…アルフは?」
「散歩してくるって言ってたわよ」
「そっか…」
気持ちが下を向いたまま、わたしは朝食に手をつける。
どうしてわたしは、一歩が踏み出せないんだろう…。
《次のニュースです。今朝、海鳴市郊外の〇〇地区で複数名の焼死体が発見されました。午前5時頃、散歩をしていた付近の住民がこれを発見して――――――――》
液晶の向こう側から喋りかける女性の声に、リンディとフェイトがぴくりと反応する。
「これで3件目ね…」
家事の手を止めて画面に見入るリンディがぽつりと漏らす。
「…うん」
3件。
この1週間で同じような事件が3件も起こっている。
今のところ、被害に遭っているのは男の人だけ。
こんなことを言っちゃいけないかもしれないけど、ニュースとかを聞いている限りではあまり素行が良くない人たちばかりだったみたい。
けど、たまたま今がそうであるだけで、自分たちが巻き込まれない保証はどこにもない。
夜遅くに出歩かないようにとか、人目がつかないようなところには行かないようにとか、海鳴市の人たちの多くが神経を尖らせている。
「フェイト達も危ない所には行かないようにね。夜遅くとかに勝手に出歩いたりしたら駄目よ?」
「うん。ありがとう」
ごちそうさま。
そう口にすると同時に腰を持ち上げるフェイト。
液晶の左上に申し訳程度に表示されている時刻を見れば、彼女がそろそろ家を
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。フェイト」
《なお、警察の調べによると現場付近で黒い服を着た男性らしき人物が目撃されており、この事件に何らかの係わりがあるのではないかとの思われ、捜査を――――――――》
「…はぁ」
無意識に溜息が零れ落ちた。
他の誰でもない、自分自身の不甲斐なさに対して。
「また呼べなかったな…」
『ねぇフェイト。あなたさえ良ければ私の娘にならない?』
わたしとアルフがリンディさんの家……『ハラオウン家』でお世話になり始めてから数ヶ月。
未だにわたしはリンディさんのことを『母さん』と呼べていない。
もちろん、クロノのこともまた、『クロノ』のまま…。
「…母さん……か…」
異次元の狭間へと消えていった、わたしの本当の母さん。
母さんがわたしに優しく微笑んでくれることは、結局最後まで叶わなかった。
それでも、わたしにとっての母さんは
前に踏み出すのが怖い。
わたしの中から『母さん』が居なくなってしまうんじゃないかって…。
その点、母さんをあまりよく思っていなかったアルフはハラオウン家に馴染んでいるみたいで、少し羨ましい。
わたしなんて――――――――――…
ポスンッ
「あっ、ごめんなさ――――」
考えに入り浸っていたせいで、すれ違いざまに出くわした人とぶつかってしまった。
「あっ…」
急いで謝ったけれど、その人はわたしのことを気にも留めず、そのままわたしが歩いてきた道へと遠ざかっていく。
頭の中がぐるぐるしている状態のわたしはどうすることもできず、遠ざかっていく黒い背中を呆然と見つめるだけ――――――――――――の、はずだったんだけど……。
(……?)
なんだろう。
分からない。
けど、なんだか気にかかる。
見上げた瞬間にかろうじて映った翡翠の様な瞳がすごく心に残って、だけど、なんでこんなにも意識が引っ張られてしまうのかは全然理由が見つからなくて…。
「知らない人…だよね……」
なにかな…この感じ。
ひょんなことから心に刺さった細かな棘。
引き抜こうにもそれが叶わないわたしは、ますますそれが気にかかる。
ちょっと、声を掛けてみようかな――――――…
「あ…れ……?」
いない。
考えることに夢中で少しの時間俯いてしまっていたわたしが再び目線を上げた先には、もうさっきの男性の姿はなかった。
そんなに長い時間、俯いてはいなかったと思うんだけど…。
「どこかで曲がっちゃったのかな……」
でも、わたしが今歩いてきたところはしばらくは一本道で、特に曲がるようなところなんて……
「あれ?フェイトじゃねーか」
急に背後から投げかけられた声にほんの少しわたしは肩を上下させた。
振り返った先には、オレンジ色の三つ編みに勝気なつり目が印象的な少女が、青い毛並みの整った犬(?)を連れているところだった。
かつては敵同士だったけれど、今は気の許せる仲間――――――――。
「ヴィータ。それにザフィーラも」
「なにぼーっと突っ立ってんだよこんなとこで」
「学校とやらに行かなくて良いのか?」
二人の指摘で、はたっとわたしは我に返った。
家を出てきた時点でもそれほど余裕があったわけじゃない。
どれだけの時間わたしが足を止めていたのかは分からないけど、少なくても歩いて登校できるようなゆとりは多分ない。
「い、急がないとっ!!またね!2人とも!」
会話もそこそこに、駆け足で2人の脇をすり抜ける。
「あっ!ねえ2人とも」
スピードに乗る前に急ブレーキ。
わたしは2人に向き直った。
「黒い髪で薄緑色の目をした男の人って心当たりある?」
「あ?……いや、あたしには心当たりはねーな」
「我もだ」
「…そっか」
「そいつがどーかしたのかよ?」
「ううん。なんでもないよ。わたし、行くね」
それだけ2人に言い残して、今度こそわたしは学校へと走り出した。
最初に抱えていたどんより暗い気持ちはわたしの中から消え去っていた。
けど、わたしの心が晴れ渡ることはない。
学校の門をくぐってからもそれは変わらなかった。
わたしの胸の奥の奥のそのまた奥でほんの少し、波を立てるように
『闇の書事件』の余韻もようやく薄れてきた春のなかば。
たくさんの困難や悲しみの先でわたしたちが手に入れたこの安らぎは、もしかしたらほんのひとときに過ぎないのかもしれない――――――――……。
余談だけど、わたしが校舎に入ると同時に、無情にもホームルーム開始を告げるチャイムが鳴ってしまった。
朝から全力ダッシュで頭がショート寸前の時に先生から遅刻の理由を聞かれて――――…
「あの、登校途中で気になる人を見つけちゃって…」
――――――――――――…無意識にストレートな返答をしてしまったわたし。
『フェイトちゃんに好きな人が出来た』
と、クラスどころか校内でそんな噂が立ってしまうことに要する時間は、半日とかからなかった……。
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