Melty Blood Another 作:Unknown37564
遠野志貴という人物を、未だに測りかねていた。蛇口を捻ってお湯を出し、頭から雨のように降り注ぐ湯を浴びる。
──あの日、遠野志貴と出会った翌日にも雨が降っていた。
彼とのファーストコンタクトの日。彼は私の分割思考を反則だと言って褒めていたが、あの時だってやっていた。
背後からの物陰──月明かりと同じ方向の鳥居で私の姿が影で塗りつぶされる角度からのエーテライトでの奇襲。
けれど、それを容易く避けると同時に私の位置まで割り出してきた。避けるまではいい、まぐれかもしれないと思えるから。位置を割り出した事で彼は実力であれを避けたのだと確信していた。
それでも私が勝てる。分割思考を持ってすれば所詮は人間相手、十分に対応できると。
けれど、たったの一撃で倒された事で私の考えが甘いことを思い知らされた。二十七祖を倒したとはいえ、たかが日本のぬるい学生をやっていた者が一年頑張った程度でなんだと、能力だけで勝ったのだろうと高を括っていた。
私はアトラスでひたすら自己研鑽に努めてきた。学友たちに負けぬように、エルトナムの名を乏しめぬために。
だが、吸血鬼と成り果て──この旅に出て。自分がいかに小さな存在であったかを思い知った。
志貴も、同じく死徒と化しているさつきにさえ私は及ばないだろう。
あの時の固有結界。あれは絶対にタタリのものではない。タタリはタタリという固有結界そのものなのだから。
となると、答えはたった一つ。さつきしかいない。
私でさえまだ到達できていない魔術の最奥に、魔術を知らぬ唯の学生だったさつきが天賦の才としか言いようのないもので到達していた。
そして、それさえもたった一撃で抹消してしまう志貴の直死の魔眼。直死の魔眼はどうという事はない、魔眼の中では最高峰だが使い手側が凡夫では脅威たり得ないからだ。
彼の恐ろしいところは、その魔眼を使いこなす技量故だ。
彼らは十分に化け物だ──だというのに、彼らは年相応の感性を持ち合わせていた。
さつきにエーテライトを刺した事で彼女の情報を読んでみたが、とても心が苦しくなる。特に遠野志貴、彼に対する感情はとても複雑だった。
それは怒りであり、哀しみであり、好奇心であり、恋慕であり──ひどく歪んだ劣情だった。彼を大切にしたい人間としての自分と、彼を壊して永遠にしたい吸血鬼としての自分がせめぎ合っている。
それは私にはとても理解できない思考で、けれど気持ちだけはとても理解できて──。
そうしてやっと私は悟ったのだ。あぁ、学友たちは私をこう思っていたのだ、と──。
髪を洗い終えて垢すりタオルを手に取ると、ふと彼の身体の事が気になった。
万年体調不良だと発言した彼の身体は、どうなっているのだろうか。バックアップも無しに一人で吸血鬼たちと戦う、それがどれだけ大変な事かはよく知っている。内側だけでなく、外側も傷ついてボロボロなのでは無いだろうか。普通より柔らかい垢すりタオルは、彼の万年体調不良という言葉の証拠のように思えた。
ボディソープを着けて泡立てて、身体を擦る。
──私は、妬むだけで努力をしてこなかった院生たちとは違う。
現状、私がこの仲間内で最も役に立てられるのはこの頭脳だろう。私は私に出来ることをやる、出来ることが無ければ出来ることを作る。こんな所で腐ってられない、まだスタートラインに立ったばかりなのだから。
身体についた泡を流し終えて、湯船に浸かる。
「──ふぅ」
気持ちがいい。今までシャワーで済ませていた故に、湯船は初めてだった。身体の先まで湯の温かさが染み渡る。
──彼らは私を受け入れて、命がけの戦いをしてくれている。ならば、私もそれに応える為に恥も誇りもひとまず置いて、最大限の努力をしていこう。
◇
屋根を打つ雨の音と、テレビの音だけが部屋に響いている。
寝間着姿のさつきが、先程シオンが座っていた位置で呆とテレビを見ている。しかしその目つきは、テレビを見ているようで視ていない──まるでどこか遠いところを見ている感じだ。その面持ちに漠然とした不安感を覚え、心配になって思わず声を掛けた。
「あー、さつき?」
「──うん、なに?」
さつきははっとした感じでこちらへ振り返る。声をかけた手前、特に話題を考えて無かったな。
「えっと、まだお茶もあるからさ。飲んでくれるとありがたいんだけど」
「あぁ、うん。ありがとう」
さつきは生返事でちゃぶ台に置かれたままだったお茶に一口だけつけた後、テレビへと視線を戻す。
彼女を見ていると疑問が浮かび上がって仕方ない。今まで何してたのか、今何を考えているのか、どうしてあの時固有結界が使えたのか。どうやって戦い方を覚えたのか、何故あの時タタリとやり合っていたのか。
聞いてみたい───が、今はそういう時間じゃない。心を休めるためにも、今はこういう話はすべきでは無いだろう。
俺は自分用の寝間着を取りに自分の寝室に向かおうとした。
「──志貴くん」
不意にさつきが、学校で俺を呼んでた頃のように呼んだ。
「何かな」
「学校、どう?」
弓塚さんはちゃぶ台に頬杖をついてテレビを見たまま、無表情で俺に質問する。
──なんて返せばいいのか、すぐに思いつかなかった。
彼女はなんて事も無いよう言ったのかもしれないが、その一言は俺を思考の沼に陥れるのに十分だった。それが単なる漠然とした疑問からなのか、郷愁からくるものなのか。
よく考えたところで答えがわかる筈もなく、灰色の答えを出すしか無かった。
「──どうってまぁ、いつも通りさ」
「乾くんも?」
淡々と弓塚さんは俺に質問する。
乾有彦───中高とバカをやった俺の悪友、だった。弓塚さんが失踪してから、俺とあいつの仲は壊れてしまっていた。今は心を落ち着けたいという考えから、今の彼女に話す事を躊躇う。
「──ああ、いつも通り」
悟られぬように、こちらもあっけらかんと返す。
さつきは横目でこちらをちらりと見た後、視線をテレビに戻した。
久しく見ていなかったその端正な横顔は、あの日と比べて同じ筈なのに、纏う雰囲気がどこか違う気がして、少し物悲しくなる。
「そっか」
さつきはまたテレビに視線を戻し、俺は今度こそ寝間着を取りに出ようとした。
「──相変わらず、嘘が、下手」
ぽつりとさつきが呟いた言葉を、聞こえていたがあえて聞いてないフリをして、部屋を後にした。
──どうせ、嫌でも後で話すことになるんだから。