Melty Blood Another 作:Unknown37564
早朝五時。
澄んだ空気を、肺一杯に取り込む。
清々しい朝の筈なのに、妙に重苦しく感じる。
大きく背伸びをすると、老体からは悲鳴のような軋む音が鳴る。
───都古のお嬢ちゃんが失踪して、一日経った。
儂は志貴の小僧に要請されて、診療所でおとなしく報告を待つことになっていた。
本当は己自身で探しに行きたいが、既にその道のプロ達が動き出しているという話だ。捜索隊の中で、自分に最も適した役に徹する事こそ肝要であろう。
それでも、いつでも動けるようにしておくに越したことは無いと、本格的に身体を”戦える仕様”に切り替える準備をしていた。
丹念に柔軟を繰り返し、自分の身体がどの程度動けるか確認するが、己の身体がひどく錆びついていることを自覚せずにはいられない。
既に鉄火場を離れて久しい我が身は、強く拳を握り込めば痺れが走り、関節が悲鳴をあげ、力の加減さえも難しくなってしまっていた。
───最後に修羅場を潜ったのは、七夜の里が滅んだあの夜の事だった。
今でも脳裏に焼き付いている。儂が黄理の元に駆けつけるまでの間、通る道に転がっている”人の形だった”肉の塊たち。この間酒を酌み交わした戦友だったものたちが、その様になっていたことに、己の番が回ってきたのだと言い聞かせるようにして、恐怖を振り払った。
だが、黃理の元に駆けつけて、それが甘い考えであると悟った。
凄絶な戦いが繰り広げられたのであろう、抉られた地面となぎ倒され、燃え盛る木々たち。そして、黄理の首を持った若造と──。
「槇久……!」
「誰かと思えば──鍼師の爺か」
槇久は興味なさげに吐き捨てた。
一方、若造の方はこちらをじっと見つめたまま微動だにしない。まるで呼吸さえしていないのでは無いかと思わせるほどの、静。
槇久の方は"どうとでもなる"が、問題は若造の方だった。黄理を仕留めるだけの実力者、あれだけの事を成せる力。儂の力では到底及ばぬであろう事は察していた。
それよりも、黄理に託されていたあいつの倅の事が気がかりだった。
槇久が小脇に抱える小僧を見て、儂は尋ねた。
「てめぇ、その小僧をどうするつもりだ?この野郎……」
返答次第では、勝てぬ戦いとあっても殺り合うつもりだった。せめて小僧が逃げるだけの時間は稼ぐ。
すぐにでも動けるように、少しだけ背筋を屈める。
それに反応してか若造の方が黄理の首を落としてこちらに完全に向き直る。
動かしたのはほんの数ミリ程だ。今までそれを気取られた事は無かったのだが、これは手強い。
若造の動きを察して、槇久は手で制する。
「良い、軋間」
軋間?
そうか、
軋間は槇久を
「この小僧だったか。私の養子にするつもりだ、戯れとして」
小脇に抱えた小僧を儂に向けて、槇久はにやりと気色の悪い笑みを浮かべいて言う。外灯もない夜闇の中、燃え盛る木々が不気味に
巫山戯た考えだ。
この性格破綻者に育児なんぞ出来るわけがない。そんな奴に、友人の子を預けるのは
小指、薬指、中指とゆっくり織り込んで拳の感覚を確かめようとした。
しかし黄理の
そうだ、儂とてまだ逝くわけにはいかぬ。
しかし亡き友の頼みもある。
故に──。
──あの小僧の主治医となって、よもや遠野の滅びまで見届ける事になるとは思わなかった。数奇なものだ。あの家は、小説よりも奇なる事が起こってしまっていた。
最も、儂とて小説にしても良いぐらいの波乱万丈な人生であったと、半生を辿ると思わされる。
庭で
人の形。
背が低い。
目立つ赤色。
すっと伸びた背筋。
起伏の無い、一定な歩き方。
「──嬢ちゃん」
有間都古が、歩いてきた。
一糸乱れぬ完璧な歩法。
美しいが、美しすぎてあまりに──。
成程───これは確かに、異常だ。
何かが”憑いている”ような、”操られている”ような───違和感。
少なくとも、この間まで
「──お久しぶりです、師匠」
顔つきは、いつもと変わらない。
あどけなく無垢な、少女の顔。
だが、違う。
全身から滲み出る雰囲気に、危険を感じる。
齢十二の子が纏う空気ではない。
刃のような鋭さ。
それは───殺気。
あの子は今日、ここに死合に来たのだろう。
同じ武人として、嫌でもわかってしまった。
───そんな目つきでは、まるで人殺しではないか。
目の前の少女は、私の知っている
儂は深呼吸をした。
彼女の挨拶以降、言葉は交わされない。
早朝の鳥の
勝負は、一瞬。
お互い、構えもせずに自然体。
刹那。
彼女の肩が少し上がる。
全身に鳥肌が立つ。
瞬発力に委ね、前へ出た。
ほとんど同時、彼女は
姿勢、肘の角度───右
合わせるように、右回旋。
お互いが背中を合わせるようにして、流れる。
儂の方が一手早く向き直る。
彼女は逆へ急回旋、左掌底。
伸び切った腕を取ると同時、開いた足の間に足を入れる。
そのまま
勢い良く、彼女は
どっと疲労が押し寄せる。
膝が笑いだして、その場にあぐらをかいて座り込んだ。
「ふぅ〜…痺れるわい」
全身が冷や汗をかいていた事に気がつく。
──教えた事も無い
なるほど、これがタタリか。
一介の少女を凄腕の八極拳士にしたて上げるほどの、
今にして思うと──口惜しいが、儂でどうこうなる手合ではなかった。
今の儂で勝てたのは、奇跡に近い。
「志貴に連絡せねばな・・・」
昇り日が、庭を照らす。
──いつも通りの、朝。
そこに、あの子の姿は無かった。