Melty Blood Another 作:Unknown37564
ずるり、ずるりと玄関へ吸い込まれていくように歩いている。
激しい衝突音が、外からも聞こえてくる。
エントランスの中央で、秋葉とさつきが戦っているのが遠目からでも見えた。
そんな地獄の入口から──メイド服の女性と割烹着姿の女性が、出てきた。
「志貴さま!」
「志貴さん!」
二人は駆け足でこちらに向かってきた。
その表情は、かつて別れた時の、哀しみの顔。
その姿を、半年ぶりに見た筈なのに。
まるで遠い、はるか昔の記憶のように思えた。
──駄目だ。言葉が、出てこない。
胸が詰まって、出てこないんだ。
病院のベッドで、ずっと彼女たちの寝ている顔を眺める事しか出来なかった。
そんな彼女たちが、今起きて、俺にお帰りという。
それが夢では無い事を、身体中に走る痛みが説教のように訴える。
──くらり、と。
目眩がして、転びそうになる。
一瞬の暗転。目を開くと、倒れてなかった。
誰かに支えられてるようで、横を見る。
琥珀さんと、翡翠だ。
「ただいま。琥珀さん、翡翠」
いつも通りの挨拶をした──つもりだった。
出来てるのかどうかなんて、わからない。
わからなくなるほどだったんだ。
それだけの年月が、俺達の中で流れてたんだ。
一年と少し前。あの夏の日々、遠野の家に呼び戻されてからの数ヶ月。
あまりにも濃かった数ヶ月。
それが、戦いの日々の中ですり減らされていって――。
琥珀さんは苦しみを堪えるような顔で、俺をじっと見つめている。
翡翠は痛ましいものでも見るかのようだ。
「志貴さま! お顔が真っ青ですよ! それに唇も!」
「どうして貴方はこう、無茶ばっかりするんです!!」
二人に叱られてしまう。
なんだか遠い昔にも、こんな感じに怒られたような気がして、ふと笑いがこみ上げた。
「ふっ……。変わらないな、やっぱり」
「そういう志貴さんは、お変わりになられましたね」
変わった、か。
確かに、そうかもしれない。
あれから俺をとりまく環境は何もかも変わって、俺自身の立場も変わった。
俺は、ありのままを維持できなくなってしまっていたのだろう。
「……いい、男に、なったかな」
「──馬鹿な、こと、いわないでください」
翡翠が顔をくしゃっと歪めて、涙ぐみながら言った。
「チアノーゼ、つまりショック症状です。志貴さん、どこか怪我をされましたか?」
琥珀さんは真剣な顔で聞いてくる。
「ちょっとね、胸を痛めただけさ──げほっ! げほっ!!」
咳を連発してしまう。
まずいな、悟られてしまうかもしれない。
確か琥珀さんは医学に明るかった、はずだ。
「……肋骨ですか」
「──不全さ。まだ、動ける」
俺の言葉に、琥珀さんは引きながら目が点になるほど見開いた。
「本当に、お変わりになられましたね……」
何も言い返さずに、ただにやりと笑ってみせた。
──辛い事なんか、男がべらべら語るもんじゃない。ましてや、大切な人にはな。
そんなもんは酒に流すか、男同士で話の種だ。
宗玄の爺さんが、確かそんな事を言ってた気がする。
「志貴さん……このままいけば、死にますよ。秋葉さまのお強さ、ご存知の筈でしょう」
琥珀さんの厳しい顔。これはいまだかつて見たことが無い、本当に険しい顔だった。
秋葉の強さ、なんて。そんなもの、とっくのとうに知っている。
なんていっても、ずっとやりあって来たのだから。
「あぁ、知ってるさ。でも、逆に聞くけど」
俺の肩を掴む琥珀さんの手を、ぎゅっと掴んだ。
「今の俺の強さを、知らないだろ」
「今の、志貴さんの、強さ──?」
まるで"何を言ってるんだ"と顔に書いてあるのがわかるような、琥珀さんの困惑した顔。
翡翠も、何が何やらという顔をしている。
「──今は俺が、遠野家当主代理で、魔を祓ってるんだよ」
そんな、と琥珀さんと翡翠は声を上げる。
「何を、馬鹿なことやってんですか! ただでさえ心臓が弱いのに、そんな事したら!!」
「志貴さま、もう行かないでください!」
二人は俺の肩を頑丈に掴んで離さない。
二人の手から、覚悟さえ感じられる。それほどのすごく強い力。
とてもじゃないけど、この間まで寝たきりだった人の力じゃない。
遠くで、まだ戦ってる音が聞こえる。
行かねばならない。この二人を越えて。
「……二人は俺に、何か求めてることがあるんじゃないのか?」
「――え?」
間の抜けた声が返ってくる。
「だって、そうだろ? ただ迎えるだけなら、玄関に近づいた時か、入ってきた時にすれば良いんだ」
「────」
二人は驚きの顔で固まってしまう。
「俺に危害を加えたいなら、それこそ扉の手前で待機すればいい。でも、二人はそうしなかった。けれど、秋葉とさつき、おそらくシオンもか。彼女たちは戦ってるっていうのにな」
だからかな、と推察を当ててみせた。
「姉さん」
翡翠が悲しみを含んだ顔で、じっと琥珀さんを見ていた。
観念した様子で、琥珀さんも溜息をついて答えだした。
「……。私たちの、私と翡翠ちゃんの目的は──終わらせる事です」
「──────は? 終わらせる?」
何を、言って、るんだ。
終わらせる、終わらせるって事は、つまり。
目眩を覚えそうになる。
つまり、それは。
「──病院のベッドで、ずっと眠っていたのですね、私たちは」
翡翠が淡々と話す。
あまりに淡々としすぎてて、聞き逃しそうになった。
「起きてすぐにカレンダーを見て、一年経ってるのを見てわかりましたよ」
「だからって、一年しか……!」
「一年も、ですよ。志貴さん」
一年も。
俺にとっては、光のように過ぎ去った毎日。
彼女たちにとっては、悠久のように感じられたこれまで。
「──志貴さまの、重荷になるのは、耐え難いのです」
翡翠は泣き出しそうになる。
「待って、待ってくれ! じゃあ秋葉も、秋葉もそう望んでる……のか?」
最悪の予想が、当たりそうになるのが怖くて、しどろもどろになる。
良かれと思って、人形のようになってしまった秋葉の介護をしてきた。
それがまさか、本人を苦しめてたなんて事──。
「秋葉さまには、秋葉さまの考えがあります。その上で、私たちと秋葉さまである約束をしました」
「や、約束……?」
目眩がする。聞きたくない。
でも、聞かなくちゃいけない。
戦う理由も、聞くだけで変わってきてしまうはずだから。
「志貴さんが死ねば、私たちもご一緒します」
──なんだ、それ。
そんなの、あんまりだ。
俺が死ねば、二人が死ぬっていうなら、秋葉も生きていけないだろう。
俺が死ぬだけなら、秋葉への心臓の負担はぐっと減る。
琥珀さんの力があれば、秋葉も少しは長く生きられるかもしれない。
けれどその琥珀さんたちも一緒に死ぬのなら、秋葉も長くは生きられない。
それが指す意味は、つまり。
「──心中するってのか」
「…………最期まで、お仕えさせてください」
「──ふざけるな」
びくり、と彼女たちが肩を震わせて慄く。
俺を抑えてる力が弱まった。
胸の調子がよかったら、怒鳴り飛ばしてたかもしれない。
俺は助けたっかったんだ。助かって欲しかったんだ。
だから足掻いたんだ、こんなクソみたいな世界で。
それなのに、何で悪いこともしてないの秋葉たちが、そんな目に合わなくちゃならないんだ。
「ふざけてなんていません! 大切な人に、少しでも長く生きていて欲しいと思うのは、当然の事じゃないんですか?!」
琥珀さんが激しく俺にまくしたてる。
見たこと無い顔が次々と引き出されていく。
「いいや、ふざけてる。その前提は、ふざけてる」
「な、何を──」
ぐっと立ち上がってみせる。
俺はまだ、やれるんだというところを。
終わって無いという事を、見せるために。
「まだ、俺は何もやってない。だというのに、最初から諦めるなんて、ふざけてる」
「志貴さま……」
「……行けば、死にますよ」
「死なない。絶対に──死なない」
先ほども聞いた問いに、今度は力強く、真っ向から否定する。
死なない。死ねない。死ぬわけにはいかない。
俺は死にものグルイだ。故に、死なない。
ゆっくりと息を吸って、それからまた吐き出す。
肺が動く度に、肋骨に痛みが走る。
この痛みこそが、俺が戦わなくてはならないと思わせる原動力だった。
「さぁて、ほら……家に入ろう。二人とも」