Melty Blood Another 作:Unknown37564
さつきと秋葉の、赤黒く爛れた手。炭化した床。崩壊した手すり。
赤い螺旋、振り乱された朱い髪。
人の域を越えた怪腕が床をぶち抜く。
かつての住まいは、無惨に崩壊していた。
俺が入ったのに気づいたのか、三人とも戦っていた手を止めて急に距離を取った。
「志貴くん!」
「志貴!」
「──兄さん」
さつき、シオン、秋葉。皆一様に、こちらへ振り返る。
──秋葉。
そこに、秋葉の姿。
秋葉の、元気で、まともな姿。
兄さん。なんて、久しぶりに聞いた。
そんなたった一言に、心が決壊しそうになる。
彼女たちは俺の顔を見る。
さつきは悲しさと怒りが混じったような、言葉では言い表せない顔をしていた。
シオンは知ってたかのように、悲しげな顔をしてこちらに駆け寄る。
秋葉は──微笑んでいた。
「兄さんは、相変わらず無茶ばかりしますね」
呆れているのか、それとも懐かしんでいるのか。
秋葉はくすりと笑った。
遠い昔の、
それでも。
右胸の痛みが、頭痛が、そして秋葉の朱い髪が──俺を過去へと戻るのを拒んだ。
「志貴くん。付き合うこと無いよ、こんな茶番」
さつきは、まるで吐き捨てるように言った。
秋葉との戦いを、茶番だと言い切るなんて、らしくない。
戦いの間で、きっと何かあったのだろう。
彼女は秋葉をじっと睨んでいる。
「志貴──顔が真っ青ですよ! 唇も!」
シオンは俺の顔を覗き込んで、心配そうな顔をする。
分かってはいた。
力がうまく入らないんだ。手先と足先が冷え切って動かしづらい。
いわゆるショック症状というものだろう。
言葉通りの死にかけだ。
くらり、と足がもつれそうになる。
シオンは俺の肩を抱く。
一瞬、何かが俺にまとわるような、そんな感覚がする。
──エーテライト。
頭の中に流れてくる思考。
──そうか、遂に使ったのか。
彼女も覚悟が決まったのだ。
ならば、俺もそれに応えないと。
「……レンが裏から回ってくるから、奥の通路を開けてやってくれ」
掠れて聞き取り難い声が出る。
それでもシオンはしっかりと聞き取れたようだ。
彼女は目を丸くする。
周りに気取られないように、肩に手を置いて言った。
「ありがとう」
「──頑張ってください」
シオンは穏やかな微笑みを返してくれた。
肩を掴んだ手が離れていく。
彼女は硬い決意の表情に切り替わり、銃を構えている。
初めて会った時の、無感動の
血の通った、戦う一人の人間がそこにいた。
なんだかそれが、とても頼もしくて、嬉しかった。
秋葉へと寄っていく。
「志貴くん! もうやめよう! そんなんじゃ死んじゃうよ!!」
さつきの叫ぶ声。
泣き出しそうな、そんな顔をしている。
そう言いながらもじりじりと、彼女は後退していく。
きっと万が一にも、俺の邪魔をしない為にだろう。
本当に、俺なんかには勿体ない仲間たちだ。
「ここで死ぬなら、それまでさ」
「嫌だよ! そんなの嫌だよ!!」
さつきは
「どうして? どうして志貴くんがそこまで苦しまないといけないの!? ただ生きてくだけって、そんなに耐え難いの!?」
彼女は胸をぎゅっと抑えて、俺にまくしたてる。
苦しみながら生きてく、なんて。
そんな事──辛いと、思ってないから。
「この苦しさは、今の俺にはちょうどいいんだ」
「ちょう、ど、いい……?」
さつきは訳が分からない、と言った困惑の顔をする。
「そうだ。アルクェイドの事も、先輩の事も、秋葉も、琥珀さんも、翡翠も──そしてさつき、君の事も」
さつきは名前を呼ばれて、肩をびくりとさせる。
「俺が不甲斐なかった。だから助けられなかった」
「そんな事──!!」
無い、とは言い切れないのだろう。
再会した時に、嘘つきだと怒鳴り飛ばしていた。
そうだ。俺は嘘つきで、何も出来ちゃいない。
「……今こそ、約束、守らないと──」
ごほごほ! と咳き込む。
痰が絡んで鬱陶しい。
「――――!!」
彼女は声にならないような唸り声を上げる。
口を開いては閉じて何かを言いかけるも、結局言わない。
悔しそうな顔を滲ませて、引いていった。
そうして遂に、秋葉の近くまで寄った。
やや半身の体勢になる。
後ろの琥珀さんや翡翠に、いつでも向き直れるように。
「──こうやってちゃんと話せるのは、本当に久しぶりですね」
「そうだな」
秋葉は、穏やかな顔をしている。
俺の記憶にも、これほどの穏やかな表情をしているのは、記憶に無い。
あったのかもしれないが、もう思い出せない。
「覚えていますか? 兄さん。あの日の夜の事を」
「あぁ。忘れるわけがない」
即答した。
何度も夢に見るほどに、一字一句忘れようが無い程に、記憶に刻まれているんだ。
「私は、秋葉は。兄さんと、琥珀と、翡翠がいて。そんな日々がとっても大切だったんです」
あの時と一つだけ違う言い回し。
大切、だった。
それはもう、戻ってくる事のない日々だと、彼女自身が自覚しているのか。
「あぁ。俺も、とっても大切で、大好きなんだ」
「えぇ。ですから──もう、終わりにしませんか?」
兄さん──と、秋葉は手を差し出した。
終わりにする。
それはきっと、俺達を──。
「遠野家を、終わらせるという意味か」
「志貴──。ありがとう」
優しい微笑みを向ける秋葉。
こんなにも慈しみと、穏やかさに満ち溢れた顔を、人が出来るものなのか。
それはきっと、終わるからこその境地なのか。
これこそが、解脱だとでも言うのだろうか。
「人形みたいに生きる私を、一生懸命介抱してくれた事、覚えてます」
秋葉は胸に手を当てて、眼を
「兄さんの作ってくれたごはん。最初は美味しくなかったけど、少しずつ上達して。今では貴方の素朴な味が、好きです」
「──ははっ。褒めてるんだかわからないな」
渇いた笑いが出る。だというのに、涙で視界が滲んでくる。
あの日々が、彼女にしっかり届いていた事に。
俺が頭を抱えて絶望しながら歩んだ
「抑えも効かず暴れる私を、止めてくれてありがとう」
まるで、今際の際の一言のように、丁寧に言葉を重ねていく秋葉。
「覚えているからこそ、知ってます。私たち──もう、長くないんですよね」
彼女は心臓に掌を置いて、眼を開いた。
宗玄の爺さんの診察も聞いていたのだろう。
なんて返したものか、思考がぐるぐると回る。
言葉が追いつかず、口を開こうとすると秋葉が言葉を先に出す。
「私が死んで兄さんも死ぬか、兄さんが死んで私だけが生き残るか。そんなの──」
一緒に死ぬって、決まってる。
答えは、俺もそうだと思ってた。
けれど、それでも。
「秋葉──。聞いてくれ」
丸めた背を、必死になって持ち上げる。
家族として、秋葉の兄として、一人の男として。
胸を張らなければならない。
「ここにいるシオンは、吸血鬼化の治療方法を探して日本まできた錬金術師だ。俺は彼女に協力して、死徒化の治療法を探すと同時に、お前や琥珀さん、翡翠の治療法も探そうとしていたんだ」
秋葉はすん、と真顔になって話を聞いている。
慈愛に満ちた温かな顔とは打って変わって、まるで秋に吹く木枯らしのような冷たさを感じる。
だからなんだ、とでも言わんばかりの、そんな冷たさを。
だからこそ、はっきりと俺のしたい事を、言うつもりだ。
「──俺に、
深々と頭を下げる。
何にも出来なかった甲斐性なしが、何を言ってるのか。
自分で自分の事が恨めしくなる。
だが、今の俺にはこうするしか無い。
「本当に、兄さんは何も分かってませんね……」
秋葉の呆れた声がする。
顔を上げると、秋葉は悲しげな顔をしていた。
「私は、貴方を、解放してあげたいんです」
──解放。解放、だと?
「琥珀と翡翠から、聞いたんですよね? 私も、貴方のいない世界で──生きていきたいと、思ってません」
力強い秋葉の声。
いつも聞いたような、そんな気がする声。
「もう、自分を赦してあげて。全てを終わらせて、荷を下ろしていいんです。私たちの事も、遠野の事も、この地の代行なんてものも、全て」
彼女は哀しそうな、悔しそうな顔をして、俺に向かって手を差し伸ばす。
「私たちと一緒に──逝きましょう」
それは、悪魔からの甘美な囁きにさえ思えた。
自分自身で考えては否定した思考だ。
ならばなぜ、俺はここまで頑張ってきたのか。
どうして、俺はこの場にいるのか。
横にいるシオンとさつきを見た。
さつきは、拳をぐっと握り込んで、怒り肩を震わせていた。
その形相は、怒りと憎しみが混じった険しい顔をしている。
シオンは、じっと俺の事を見ていた。ただただ、真っ直ぐ。
この中で最もクレバーかつ、最も平静を保とうとしている。
信じているのだ。事がきっと動き出すって。だからこそ、かける言葉も、思う事も無いんだろう。
──俺の出す、答えは。
「……なら、悪いけど──――――余計な、お世話だ」
最初っから、決まってた。
七ツ夜を取り出した。
バチン、と刃が飛び出る音。
それが皮切りだった。
秋葉が前へと飛び出る。
さつきが俺の背後へ飛び出す。
シオンが秋葉の背後を取るように迂回する。
翡翠と琥珀さんが、彼女たちへ何かを投げつけようとしている。
戦いが、また始まってしまった。
俺の大切な人が、大切な人を傷つける。
クソったれの、地獄みたいな戦いが。
身体は、もうまともに動きはしない。
それでも、負ける気なんてしなかった。
──一瞬で、終わらせてやる。