Melty Blood Another 作:Unknown37564
カウンターの方で志貴たちが宗玄氏らと談笑をしている一方で、私とさつきはテーブル席の方で、久我峰斗波からエージェント契約に関する説明を受けていた。
「要するにですな、基本的にエージェントは我々を
私とさつきは久我峰から与えられた数枚に渡る契約の
エージェント契約といえば大仰だがその実態はつまるところ、尻拭いをしてあげるから逐次報告と連絡を行うようにという事だ。
「えっとぉ、契約期間っていつまでなんですか?」
さつきが難しい顔をしながら質問する。最近まで学生の身分で働いた事の無い彼女からすれば、聞きたいことも沢山あるだろう。
「お手元の約款にも記載させて頂いておりますが、今回の一件が解決するまで、ですなぁ。はい」
久我峰がテーブルに肘をつき、手を合わせながらニヤリと笑う。
見るものが見れば下卑た笑みと捉えるだろうそれは、私からすれば不敵に思えた。
会ってからこれまでの一連のやり取りで、彼の説明には一切の突っ込みどころは無い。
その隙があると思えば約款に記載済みと返される。
小太り、お世辞にも整ったとは言えない顔立ち、脂ぎった肌と髪。仕事が出来るとは思えない様相だ。
話をする前に置かれたアイスコーヒーは、既にグラスに大量の結露を纏っている。
半分ほど減っているそれに、再び口をつけてから、質問を投げる。
「具体的に、どのような仕事を我々に提示するつもりなのですか?」
「そうですね。例えば弓塚氏には遠野くんの代わりに遠方へ出向いての"活動"をしてもらったりでしょうか」
「弓塚氏ぃ?」
面白かったからか、さつきが少し吹き出して笑った。
それを見て感触を得たか、久我峰はまた口元を歪めて見せる。
そうして、今度は私の方へ向いた。
「後は……」
久我峰が悪巧みでもするような笑いを浮かべつつ、私の方へ身を乗り出してきた。
シトラスの香りが鼻腔をつく。見た目とは裏腹に、臭いへのエチケットを心がけている事が意外だ。
「ここだけの話、なんですけどね。最近宇宙開発関連の市場にも手を出しまして」
「宇宙……?」
「ええ、宇宙です」
「な、何故に……?」
腕を組んで、久我峰は言い放った。
「勿論、浪漫です!」
「…………」
私の冷ややかな反応に、彼は一息つきながら降参だと手を上げて語りだした。
「……勿論、宇宙船設計等と大掛かりな事業に参入はしてません。我々が参入した市場は宇宙服の素材開発です」
宇宙服と、私……なるほど。
「錬金術師としての私を指名、という事ですか」
「ええ、そうです。我々人間は、宇宙で活動するにはあまりにもか弱いですからねぇ……」
久我峰が表の空を見上げながらつぶやく。
私たちは今、空調の効いた喫茶店に居る。先程まで歩いてきた私たちには快適な空間。
外気温は凡そ二十四度といったところだろうか、日本の十一月にしては少し暑い。
たかだか数度ほど気温が上下するだけで、私たち人間は体調を崩す。
宇宙を目指すなど、私からすれば自殺行為に等しい所業のように思うのだ。
「どうして、宇宙服なのですか?」
「……宇宙飛行士とは、人類の生命線だと思ってるからですよ」
人類の生命線とは、また大仰な。
「解せませんね。人類が地球外で生存する日が本当に来ると?」
「ほぉ。では、逆に聞きますが……いつまでも人類が、地球にいられるとでも?」
いられる──と、言い切りたかった。
けれど、今の私には言い切れなかった。
この生きていくだけでも過酷な世界を。
人類の天敵だらけの世の中を。
人類同士で足を引っ張り合うこの社会を。
──識《し》ってしまったから、言い切れなかった。
押し黙った私に、久我峰は少し寂しそうな、それでいて優しそうな笑顔を向ける。
「戦争、環境破壊、温暖化……
星の生存本能に依って、星を滅する要因はこれを排除する──抑止力・ガイア論。
まさかこの男から、それが出てくるとは思っても見なかった。
「貴方は、このままだと人類は遠からず滅ぶ可能性があると?」
久我峰は首を横に振り、口元を歪めた。
「可能性では有りません。絶対に──滅びます」
その言葉に、端で聞いていたさつきも声をあげた。
「え? じゃあ私たちがこんなに頑張ってるのって……意味、無い?」
しゅんとするさつきに、久我峰は自身のアイスラテを一口つけてから答える。
「滅せぬものの、在るべきか。有名な日本の一文です。人類は……形を変えて新しい存在になったり、あるいはそれこそ」
「宇宙への退避、ですか」
「ええ……なんだっていいんですよ」
うん、と久我峰は深く頷いてから更に言葉を繋げる。
「次へと繋げていくこと。それこそが、私たち人類が霊長たる
人差し指をピン、と上げて自信満々に久我峰は語る。
組織という繋がりの中で生きる彼だからこそ、そのような発想に至ったのだろうか。
私はもっと哲学をする必要がある。彼の考えに触れると、そんな気さえしてくるのだ。
思考の速度、計算の速さ、知識の量。これは安々と人に負ける事は無いと思っている。
しかし、思考の深みと純度においては、速度や量だのは意味を無さないという事を、志貴たちと出会ってから思い知ったからだ。
その為にも……私は先ほど疑問に思った事を投げかけた。
「……もう一つ、質問を。どうして、貴方が契約の説明をされるのです? 専門の弁護士なりに説明を任せればよろしいのでは?」
日本有数の企業グループの総裁を務める程の男が、たかだか二人の人間の為にわざわざ動く意味が私には理解しがたかった。
私の質問に久我峰はふむと鼻を鳴らした後、数刻の思考の時間を得て、答えを口にした。
「……私の勝手でやってる事だから、ですかね」
「勝手?」
さつきがきょとん、とした顔で久我峰を見て言った。
「ええ、勝手です」
久我峰の返答に答えが見えてこず、返す言葉も無くてしばしの沈黙が流れる。
彼が勝手でやってる事。それはこの人類社会の為に、死徒や得体のしれない未知の存在達に対抗できる者たちを刺客として送り込んだりする事だろうか。
しかし彼自身、人類はいずれ滅ぶと見切りをつけている。その為の手筈として宇宙事業にも手を出している。
だというのに、何故彼が、個人の勝手で"今"頑張る必要があるのだろうか。
「久我峰、さんって……遠野、くん? 遠野グループ? から資本の幾つかを貰ってて、その見返りでやってたんじゃ無かったの?」
「いえ、違います。それなら、警察やらに任せて、後は知りません、で良いですからね」
久我峰はふぅー、と大きく息を吐いて背もたれにどっかりと寄りかかる。
ここからでも、伸びをした時に関節がパキパキと鳴る音が聞こえてきた。
そして天井を見上げて少しボウとした後、口を開いた。
「けじめ、ですよ」
「けじめ?」
「ええ。私が今こうしてここにいるのは──私が"久我峰"だからです」
鬼の血を引く一族、混血の代表派閥。遠野、有馬、刀崎、軋間、そして久我峰。
支配するか、迎合するかで人類社会と関わりを保ち続けて
人ならざる者としての力は、かつての人々からすれば神秘的に見えたことだろう。
故に、彼らは少なくない資産を有している。血が薄いとされる有馬でさえ、剣道場を有しそれを代々維持するだけの資産があるという。
遠野に劣るもののグループを保持する久我峰ともなれば、言わずもがなだろう。
「
久我峰はアイスラテを飲み干す。溶け切っていない氷が、カランと音を立てた。
「貴方自身が戦えるようになれば、って思えたことは無いの?」
さつきが真剣な顔でじっと久我峰を見る。
これまで一般人として遠野志貴の状況を知らず、
私にも言っていた戦う力が無いと、という言葉を思い出さずにはいられなかった。
「無いですね。人には向き不向きがある。私に向いているのは、排除対象を見抜く事と、その対象に適材適所の人材を割り当てる事です」
腕を組んで久我峰は笑って見せる。その笑みに、私は下卑という感想を持つことは無く、最早頼もしささえ感じたのだ。
「……向き、不向きかぁ」
さつきは腕を組んでうーんと唸りながら、自分のアイスコーラをストローで吸い上げていた。
──皆、与えられた環境で自分が何を出来るのか、必死に考えながら生きている。
アトラスから飛び出て、日本まで流れ着いて、今日に至るまで。私は一体、何をしているのだと思うこともあった。
だけど、皆そんなものなのだと解って、少しだけ救われたような気がした。
「もし、インターネットなどで私たちに関する情報が拡散された場合はどのように対応されるのです?」
「いくらでも。我々は"真実を創る側"ですので」
「それでも、人々が私たちの活動に対して抗議をしてきた場合は?」
「それはもう! この活動は金輪際これでおしまいです」
久我峰の細い目が見開かれる。その眼光は、先ほどの笑みを湛え続けた男とは思えない程の鋭さだった。
「だって、そうでしょう? そんな足を引っ張ってくる連中の為に、私の大切なビジネスパートナーを危険に晒す訳にはいきませんからなぁ」
己の目標と損益を天秤にかけ、損益を優先する事が出来るクレバーさ。
さつきも思わず"おぉ"と感嘆の声を小さく漏らしていた。
志貴から聞かされていた変人という評価はいつの間にか頭から抜け、私たちはすっかり彼の思考に興味を惹かれてしまっていたのだった。
なるほど、これが久我峰グループ五千人を束ねる総裁、久我峰斗波という男か。
志貴が仕事においては信用するわけだ。
ちりん、と喫茶店の鈴が鳴り、玄関が開かれた。
「すいません。遅れました」
中年程の黒縁メガネをかけた男性が入ってきた。
紺のポロシャツに薄手のマウンテンパーカーの出で立ちだ。
その顔持ちは見覚えがあった。確か有馬だったか。
「叔父さん」
「ああ、志貴! この間は本っ当にありがとう!!」
志貴と有馬父の声が聞こえてくる。
「さて! 契約書類は持って帰ってよく読んでくださいね。絶ぇっ対、悪いようには致しませんし、このタタリ事件以降ならいつでも、契約は切ってもらって結構ですので」
「わかりました」
久我峰がクリアファイルを私たちに差し出してくる。
それを私とさつきは受け取り、クリアファイルへと挟む。
そして、久我峰は椅子を引いて席を立ち上がり、言った。
「では、あちらに合流するとしましょう」
「あっ! はい!」
さつきが大慌てでコーラからストローを抜いて、一気に呷る。
彼女が飲み終わって一息ついたのを見届け、私も席を立ち上がった。