Melty Blood Another 作:Unknown37564
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──古ぼけた木と、薬品の臭いに満たされた、百平米程の我が研究室。
中央には演算器の
演算試行回数、98295028回。今回も、人類は滅びた。
木製の椅子に腰掛けている私は、深い溜息と共にペンを無造作に放って伸びをした後、目頭を抑えた。
「学院長」
助手の女の子が私にカップを差し出した。受け取ると、ハーブの香りがふわりと立ち上る。
寒い時期に入ってきたからか、指先の温もりに少しばかりの安心感を覚える。
「……ありがとう」
にこり、と眼鏡の彼女が私に微笑むと、自分のデスクへと戻っていった。
ツインテールの紫髪が揺れる後ろ姿を見送ると、ハーブティーに一口つけた。
温かい液体が喉を通過していくのは感じるが、風味はよくわからなかった。
カップを置いてレポートに目を通そうとすると、研究室の出入り口が開かれた。
「ズェピア! いるか?」
目元まで隠れるほどのボサボサ髪と髭面、そして皺だらけの服装をした背の高いほっそりとした男だ。
威勢よく私に声を掛けながら入室してきた彼は、私の学院生時代の友人だった。彼とは演劇趣味で意気投合し、現在まで付き合いが続いていた。
私は溜息をつくと、手に取ったレポートを机に置いて立ち上がる。
「君なぁ……私はもう、学院長だぞ?」
「あぁ悪い。んな事よりもよぉ、聞いたかよ! アレクサンドリアの方に来るってよ!」
ずい、と彼が私の机へ身を乗り出してくる。
アレクサンドリアは地中海に面しており、カイロに次ぐ都市だ。そこに来るという事で考えられるものは一つだ。
「……
「ああ。噂だとエレーナっていうコロンビーナの役者が絶世の美人らしくてなぁ~!」
やれやれ、すっかり美女に脳を犯されているらしい。
後ろに控えている助手の女の子が、私と友人をじとり、と見つめていた。
私は立ち上がって、友人に近づいた。
「あぁ、すまない、ソカリスくん。今日はもう、上がってもらっていいよ。後始末は、彼にやってもらうから」
友人の肩をがっしりと掴み、逃さないようにしてから彼女へそう言った。
「はぁ?! おい、やるなんて──」
「わかりました。では、お疲れ様でした」
彼女が一礼して研究室を出ていくのを、私と友人は見送った。
「……まさか自分の姪を、研究室に入れるとはな」
ニヤリとしながら彼は私の方を見た。
「何か問題でもあるかね?」
「いや、問題は無いさ。学院のルールに身内贔屓するなとは無いし、他の教授方もやってるからな」
私の手を振り払って、彼は演算器の近くにある机へ向かった。
「ただ、お前がそういう事をするのが意外だなと……思ったのさ」
彼は言いながら、机の上に散らばった記録紙を纏める。
「君や私のような、ほんの一握りの才の持ち主で無い限り、師事した者によって大成するかが左右される。そう、私は考えているのだよ」
「ふっ。己が師に噛みつくような人間が、真っ当な師であるかは疑問が残るけどな」
悪態をつきながら、彼は私へ資料を差し出してくる。
笑みを返してその資料を受け取ると、彼は真剣な表情で言った。
「……ラグ紙か」
「……どうせ、焼却処分だからね」
溜息を零しながら、石造りの炉へと記録紙を焚べた。
研究記録を残すのには、保存性の高い羊皮紙を本来は使うべきだという事は知っている。
しかし、私は敢えてボロ布をすり潰して加工したこのラグ紙を採用している。
それが指す意味は……記録するに値しない、という事の証左であった。
彼もそれを察しているのだろう、私の答えに何一つ返答せず黙って片付けを継続していた。
優秀な錬金術師であれば、いずれは辿り着く人理の果て。
私たちはどんな作用によって魔術というものが現世に影響を与えるのかも知らぬまま、これを用いて滅びを回避しようとしている。
頭の痛くなってくる事ばかりだ。根源へと至る事と、人類を永久に存続させる事の、どちらが成し易いというのだろうか。
──思案しつつ黙々と片付けを進めると、いつの間にか終わっていたようだ。
柱時計を確認すると、時刻は四時を指していた。
「さて。急いで出りゃあ
私は大きく溜息をついて、うんざりとした感じで呟いた。
「……一杯奢ろう」
◇
それから一週間後、アレクサンドリアの屋内劇場へ私とソカリスは足を運んでいた。
劇場内は平台となっており、その後方にある天幕付きの特等席が私たちの場所である。
「なんだか、想像していたものと違いますね」
彼女は舞台近くに寄っている観客たちと、テーブルに置かれたワインとナッツ類を見ながら言った。
「ほう、というと?」
「もっと……神聖なものかと」
私の方を見ながら彼女は答える。
「芸術とは
「はぁ」
彼女がワイングラスに手を伸ばそうとすると、かーん、かーんと鐘の音が響き渡る。
私の方を見て困惑する彼女に答えを出した。
「劇の始まりを告げる鐘さ。そら、演者が上がってきた」
私が舞台に手を差し出すと、彼女もそちらを見た。
舞台に上がっていく
その中でも一際目を引く女召使い。なるほど、彼が絶世の美人だというのも納得がいく。
白い肌、朱い瞳、闇夜のように黒い髪。
正直に言って、女性に興味をあまり持たない私でさえ彼女の美貌に思わず目を奪われる。
──待て。朱い瞳?
「はっ!?」
違和感に気づいた時には、もう遅かった。
それまでざわめいていた観客たちはいつの間にかしんと静まり返り、誰一人として動かずその場で静止している。
隣に座るソカリスを見るも、彼女もまた舞台の方を見たまま、口を半開きにして静止していた。
──まずい、これはまずい! この私が、術の行使にも気づけなかったその手練手管!
よく見れば
まずい、まずいというのは分かっているのに、席を立つことが、できなかった。
「ご機嫌よう、ズェピア・エルトナム・オベローン。いえ、今はアトラシアでしたっけ?」
「……君は?」
私の問いかけに対して、彼女は人差し指を口に当てて答えた。
「アトラスの錬金術師とは一度話をしてみたいと思ってたのよ。貴方、学院始まって以来の秀才らしいわね?」
話をする、という割に彼女は私の質問には答えない。
この一方的に情報を伝えてくる話し方、私の中では既に正体の見当がついていた。
固唾を飲み込んで、私は口を開いた。
「死徒の方にまでご存知頂けるとは、恐縮ですな」
私の"死徒"という言葉にひくりと彼女は反応する。
背中から汗が吹き出してくるのを感じた。
彼女はふーん、そう、と一人合点した後にまた話を続けた。
「一つ教えて欲しいのだけど。貴方達って、人類の滅びを回避しようとしてるんですって?」
「……ええ、それで?」
何故知ってるのか、等と聞いたところで答えなど期待できる相手ではない。
まるで全てを見透かすかのような彼女の朱い瞳は、常に私を捉え続けていて
故に、今は彼女の質問に回答する事で隙が生じるのを待つばかりだ。
「人類の滅びを回避するために、人類が滅ぶかもしれないモノまで創り出して──貴方達って、
しんと静まり返った劇場内に、彼女の言葉だけが響き渡る。
私はソカリスをちらりと見た後、言葉にした。
「愚問だな。大切な人たちが紡いでいったモノを、絶やさない為にだ」
「それは一般論として? それとも本気でそう想ってる?」
「本気で想ってるさ」
彼女はまたふーん、そう、と一人合点をする。
まるで学院の教授方の質問攻めを食らっているかのような、値踏みをされているように感じる。
先ほどから隙を伺っているも、彼女だけでなく道化師と老人も隙が全く見えない。
「……まぁ、いいわ。ところで、貴方が疑問に思った何故私はアトラスが滅びを回避しようとしてるかという事実を知ってるかという事だけど」
さらり、と彼女は言ってのける。
心を読まれた? それとも私も魅了に侵されていた? まさか、分割思考なのか?!
「私たちは人の域を越えた存在よ? 貴方達人間が必死にやってる事なんて、私たちからしたら児戯にも等しいの」
彼女はクスクス、と笑いながら道化師の方へ近づくと、背伸びをして道化師の仮面を外した。
仮面を外した先には、学友の顔があった。しかしその表情は一変も動かず、目も大きく見開かれていてまばたき一つしていない。
仮面に覆われて気づけなかったが、あれだけあった頭髪は全部剃られていて、頭に縫い目のようなものがあり、そこから脳漿と思われる汁が漏れていた。
劇を見る前に舞台裏で
「採れたて新鮮の情報はやっぱり格別ね。それにしても、並列思考という考え方は面白いけれど、高速思考は正直回りくどいわね。どうして式そのものの改良ではなく、式を解く速度を早めようとするのかしら」
私と肩を並べられる程の人物が、ああも変わり果てた姿になってしまった事実によって、うまく思考が纏まらなかった。
「あ、貴方は……一体、何が目的なんだ!」
まるで三下の如き言葉が、私の口から出てくる。
彼女は、幼さを残した顔で妖艶な微笑みを貼り付けながら、私に言った。
「貴方は、自分の大切な人たちが全員死んでそれ以外の人たちが生き残る世界と、自分の大切な人たち以外が全員死ぬ世界、どちらを選ぶのかしら?」