Melty Blood Another 作:Unknown37564
漠然としていたが、それでいて確実に予見していた事がある。
自分は破滅する。それが遠い先、私が負い衰えてか、或いは近い内かは判然としなかった。
繰り返し見続けてきた世界の果ての中で、私は己の果てまで見ていたのかもしれない。
しかし、それにしても今日、なのか。
ソカリスを連れてきたのが悔やまれる。
──彼女は屋敷に居る頃でも一人、自室で黙々と自習をしていた。
時折、私が勉強を教えようとするも"わからない事はありません"と拒絶されたのを覚えている。
齢十歳にして、彼女は三つの分割思考と高速思考を会得して、既にアトラス院の門戸を叩こうとしていた。
これではいけない。人の世を知らぬこの子に、
アトラスの先達として、あの子の身内として、出来る限りの事はしてあげたかった。
日頃の労いを込めて、まだアレクサンドリアを見たことが無いというソカリスを連れて来た。
合わせて、見たことが無いという演劇を見せたかった。
だというのに──これはナンセンスだ!
目の前の妖しい笑みを浮かべる黒い長髪を靡かせる少女の姿をした"死徒"。
つい先程会話していた学友は、乱雑に縫合された頭部から脳漿を零し、大きく見開かれた精気の無い瞳で私を見ている。
隣のソカリスは、魅了によって動きを制限されているのだろう。先程からぴくりとも動かない。
私が焦っている最大の理由は、彼女が呼吸をしていないという事だ。全ての行動を制限されている結果だろう。
静止してから既に幾ばくか経過する頃だ、危険な域に達している。
「ぷはっ! アハハハハハ!!」
私が思考を巡らせていると、黒髪の死徒は吹き出して腹を抱えて笑い出した。
何が──「可笑しいって? だって、そんな凡俗な考えを、人外じみた思考速度でやってるんだもん! あー、滑稽!」
ケタケタとお腹を抱えて大笑いする彼女。その嘲りの声は、劇場内に響き渡る。
「アハハハハハ! アーハハハハハハハ! アハハハァ!」
身体を捩りながら彼女は笑う。
「ハァ……」
そしてその後に深く息を吐いて数秒静止し──風が起こった。
「ァアア!!」
それは、目で追う事は不可能だった。起こった出来事から推測するのならば、こうだ。
身を捩った体勢から、身体が元に戻る反作用の力を使って思い切り回転。
腕を振るった衝撃によって、近くにいた私の友人は──頭部が無くなっていた。
そして、パァン! と。爆ぜる音が、遅れてこちらにやってくる。
劇場のありとあらゆる所に飛び散った、最早どこの部位であったかもわからぬ程に微細な肉の
それと、言葉通り噴水となった彼の首から迸る血液は、私のところにまでつん、と臭いを届かせている。
それらを胸いっぱい吸い込むように、彼女は大きく深呼吸をした。
どさり、と横で音がするので隣を見るとソカリスが座席に倒れていた。
「それじゃあ、面白いモノを見させてもらったし、引いてあげましょうか──今日のところは、ね」
彼女はこつこつと壇上を歩き、舞台から降りだす。
そうして中空を飛び、降りた直後──姿を消した。壇上の
その瞬間、バタバタと観衆は倒れていく。
それを見て、私は彼女が去ったという事実をようやく受け入れる事が出来た。
「──はぁっ!」
息をついて座席へもたれ掛かった。いや、倒れたという表現の方が近いだろう。
──死後長い年月を経て自我を持たぬ
何ら修練をせずに、人の身を遥かに超越した身体能力に思考速度を有する。
一部の魔術師は根源へと挑むにあたって自身の肉体の不足を補う為に、あえて死徒になるものさえ居るというが、あれを見ると納得だ。
あれは単なる死徒ではないだろう。恐らく祖に連なるものだ。
……待てよ。黒髪で、祖の死徒。
それが指し示す人物は、一人しか──。
「ああ、それと」
闇。そして、死。
右後ろにいる存在は、そんな絶望の体現者。
振り返る事も許されぬ、絶対的存在。
ただ硬直して、耳だけでその存在を知覚する事だけを許されていた。
「先の問については、また後日、聞かせてもらうんだから」
甘く蕩けるような囁きが耳元をくすぐる。それだけで、背筋に絶対零度の寒気が走った。
すっ、と背後の威圧感が消えていくのを感じる。
今度こそ、行ってくれたのだろうか。
ポケットからハンカチを取り出そうとすると、そこでようやく手が震えている事を自覚した。
◇
人生とは、ミクロの視点で見れば悲劇だが、マクロの視点で見れば喜劇である。
渇いた風が、夜中の研究室を這い回るように駆け巡り、燭台の蝋燭がボウボウと揺らめく。
中央の演算器は、脈動のように淡い水色の発光を呈する。
窓から差し込む月明かりは、血のような朱。
そんな月明かりを頼りに、私は書簡を
今宵、私は死ぬ。それは予感では無い、確定事項だ。
学院長に成ったばかりだというのに、すぐに引き継ぎをしなくてはならないのは、最早悲嘆を越えて笑えてさえくる。
圧倒的な敗北、圧倒的な絶望、圧倒的な虚無。
それらが全身を駆け巡り、まるで巨大な分銅の如く私へ伸し掛かっているように錯覚する。
それにしても──我が友人の血潮を浴びて、妖艶に嗤った彼の死徒。
あの日から、私の心はあの一瞬に置いてかれてしまっていた。
あのような体験を出来た事は、安穏と生きて無難に終わる人生に比べれば、非常に痛快な末期と言えるだろう。
「ふーん。無駄って結論づけるのに、よくもまぁこんなに丁寧に纏めたものねぇ」
黒い豪奢なドレスを纏った彼の死徒が、棚から綴じたレポートを取って開き読んでいた。
別段、驚くほどでも無かった。彼女ならば、造作もない事だろう。
「ご機嫌よう。ズェピア」
ぱさり、と机にレポートを捨てるように置いて彼女は挨拶をした。
「……ご機嫌よう」
にんまりと彼女は笑みを讃えて、私の座る席の隣へと歩み寄って来た。
朱い月夜に照らされて、まるで血に染まったかのような彼女の笑顔は、妖艶という言葉では言い表しがたいほどに美しかった。
「どうして教会に連絡をしなかったのかしら。貴方一人でどうにかなると? それとも諦観かしら」
今宵、ここに至るまで私は何か特別な事を──何もしなかった。
強いて言えば、ソカリスに暇を与えたぐらいだった。
「それらの全てでもあるし、違うとも言える。とにかく──」
私は席を立ち上がって、彼女の方へ椅子を差し出して言った。
「野暮な事をせず、貴方を招きたかった」
まるで信じられないものでも見るかのように、彼女は大きく目を見開いた。
そうしてふんと鼻を鳴らすと、私が差し出した椅子を人差し指でくるりと回転させ、私の方へ向けて座った。
向かい合うようにして、彼女が座り、私が立っている構図だった。
「味な真似をするわね」
腕を組んで、ふくれっ面をしてそっぽを向ける彼女。
案外とかわいい所があるものだと一瞬思うも、女性に対して失礼だと考えを払拭した。
「……貴方たちって、本当に人類を救うつもりがあるのかしら?」
真剣な顔をして、彼女は私に向き直る。
そこには、まさしく死徒の頂点たる者、凛々しい姿があった。
「無論。それがアトラスの存在理由ならば」
「その割には、貴方たちの作るものなんて、自分で自分の首を締めるようなものばかりじゃない」
彼女は机に肘を掛けて、部屋の中央にある演算器を見る。
「……貴方は情報によって未来を予測するあの
学友から引っ張ってきた情報だろうか。どの道、誇らしいものでも何でもなかった。
「かつての私にとってあれは希望だったが……今の私にとっては……」
自分で作り上げたモノに、自分で失望する。
己の度し難さも、極まってきたというものだ。
「当然、あれだって世界を滅ぼすに足る存在ではあるというのは、わかってるはずよね。時の権力者たちなら垂涎ものよ、これは」
「……高速思考を否定していながら、この演算器を厭に持ち上げるじゃないか」
私の投げやりな言葉に対して、彼女は険しい顔をして向き直った。
「ふざけるのはやめなさい。私は真剣に言ってます」
まるで説教をするかのような、諭す物言いに、思わず考えることもせずに頭を下げてしまった。
「……失礼しました」
頭を上げると、彼女は大きく溜息をついてまた机に肘をついて頬杖をつく。
「はぁ……柄じゃないんだけどな、こういうの。まぁしょうがないか、アイツ今ダメだし」
彼女はぶつくさと文句を唱え終わると、キッと私を睨んだ。
まるで視線で射殺さんとばかりの形相に、心臓が止まるかのような錯覚を覚える。
「人類が勝手に滅んでくれる分には、どうでもいい。けれど、環境を破壊して住みづらい星になってしまう事は、断固として許せません」
「それは……何かね。ガイアの真似事かね?」
くん、と彼女が指を下げる。その瞬間、目の前に地面があった。
「ぐぁ!」
空間が悲鳴を上げるような、ビリビリとした耳鳴りがする。
まるで象に押し潰されていると錯覚するほどの万力の圧力が、身体へとのしかかる。
「──愚かな。私こそがガイアであり、ガイアとは私である」
今度は身体が上へと持ち上がる。いや、持ち上がるのではない、天井へと落下している──!
そうして天井へ背中を打ち付けると、また自由落下していき、バタンと私は倒れた。
「ぐはぁ!」
息を出し切って、呼吸ができなくなる。
苦しさで手足が痺れてくる。
霞む視界の中で、彼女は虫けらを見るような目で私を見下している。
あえて、私はこれを受けた。
この身を持って味わいたかった。人の身を超越したその有様を。その力の頂きを。
得心がいった。彼女は神の如き力を有しているのやもしれない。
段々と息が整ってくる。まだ、彼女は私に手番を譲ってくれている。
──今宵、私は死ぬ。それは予測ではなく、確定事項だ。
その上で、私は彼女に言いたかった。
「……人生とは、ミクロの視点で見れば悲劇だが、マクロの視点で見れば喜劇である」
ひくり、と彼女は反応する。
私が次の言葉を紡がず黙って立ち上がると、彼女は口を開いた。
「何が言いたい?」
乗った。ならばもう、悔いは無い。
言葉とは呪いだ。悠久の時を生きる死徒よ──喰らえ。
「貴方にとって、人類の歩みは、喜劇でしたか? それとも、悲劇でしたか? アルトルージュ・ブリュンスタッド殿」
今度こそ、彼女は目だけでなく口も開いて驚愕する。
バキリ! と机を壊す音が聞こえる。
彼女は肘を置いていた机の淵を、手で掴んで握りしめていた。
驚き急いでその握りつぶした箇所を見る彼女は、明らかに狼狽えているように見えた。
たった一人の、取るに足らないちっぽけな人間に心を揺さぶられている。
その事実に、自分自身でさえ驚きを隠せていないのだ。
しばらくして、彼女はくつくつと笑い出した。
「──面白い」
「お褒め頂き、恐悦至極でございます」
努めて丁寧に、ボウアンドプレースで礼をする。
──さて。やる事はやった。後は答えを出すだけだ。
「私は、望む答えが出るまで何度でも計算します。」
「解無しであったとしても?」
「この世に解無し、などありません。何かしら必ず答えがあります。困難なのは数ある解の、どれを選択するのかという事です」
そうだ。自分にしか出来ぬと思った者もいるだろう。自分では無理かもしれぬと後世に託した者も居るだろう。
だがいずれにせよ、この難題に挑むのに──やらないよりかはやった方が良いと、私たちは今日まで挑戦してきたのだ。
私の回答に、彼女は少しの寂しさを孕んだ笑顔を差し向けた。
「良いわね、貴方。素敵よ」
そうして、彼女は私に手を差し伸ばしてこう言った。
「取引をしましょう、ズェピア・エルトナム・オベローン」
◇
幾星霜の年月が流れたであろう。
己が誰であったかも、最早わからず。
しかし、何が自分を突き動かすのかだけは理解できている。
──人類の滅びを回避する。その為に、悉く滅ぼす。
私は、私をもって体現せしめる。
この世を滅する力があれば、それと同等の救う力が作用するのだと。
それこそが、私が"選択した"解。
さァ、幕間は終ワル。
虚言ノ夜ヲ、始メヨウ──。