Melty Blood Another 作:Unknown37564
待ち望んだ夜は、しとしとと小雨が降っていた。
本来、体調が芳しくない俺が雨の中を出歩く事は滅多に無い。
今回は、連絡手段を取る方法がない相手と約束をしている以上は仕方なく。
傘を差した状態で鳥居を潜った。
境内を見てみるが、待ち人の姿は見当たらない。
雨の中で、ずっと境内で待っているわけもないだろう。
小さな
少し待たせたかな、と思いながら小走りで
「ふぅ、悪い。待たせたか?」
傘を畳んで手水舎に入った。
はっとした様子で、シオンが俺に気づいた。
彼女の方はどうやら傘を持っていなかったようで、幾分か服が濡れていた。
「いえ、問題ありません。私も先程着いたばかりです」
彼女は右手で左の二の腕を掴んで、手水舎の柱にもたれ掛かる。
九月とはいえ下旬に差し掛かり、夜中は冷え込んできていた。
冷たい風が吹く。
恐らく身体が冷えているだろうと思い、ズボンに挟んでいたタオルを渡す。
「ほら、これ。返さなくていいから」
彼女は少し驚いた様子で、俺のタオルを受け取る。
「ありがとうございます。それにしても、用意が良いとはいえタオルが出てくるとは驚きました」
受け取ったタオルで濡れた部位を拭いだす。
「まぁ、俺も万年体調不良でね。健康に気を使って生きていかないと」
この言葉を聞いてか、彼女がはっとした表情で俺に顔を向けた。
「そういえば志貴には、私の得意とするものの紹介を忘れていました。これの紹介をしないと件の吸血鬼の話が出来ないので、先に伝えておこうと思います」
そう言いながら手に纏った糸で鳥や犬など様々な動物の形を手芸細工のように作って見せた。
「私が操るこの糸、エーテライトと言いますが。これは第五架空元素という存在を編んで作られたミクロン単位のモノフィラメントです。元々医療用に開発された疑似神経のようなものでして、これを他者に差し込む事で対象から情報を得る事も可能です。私が昨日、貴方より情報収集が上手だと言ったのは、これがあるからです」
──神経は核、樹状突起、軸索で構成される。
樹状突起が軸索と繋がり、次の樹状突起と結合して先の神経細胞へと興奮を伝導させる。
エーテライトもそう出来ているのだろう。
使用者の筋電位ないし魔力を伝導させて神経のような糸が、こうあれと命令を受けて形を成す。
機序的にはそうなのだろうが、こうして自立している様子を見るとその役割は筋繊維のようにも感じられた。
知的好奇心からふと気になって、聞いてみた。
「ふぅん。それって、心臓とか模倣できるのかな」
「ええ、できますよ」
シオンはほんの少しだけ得意げそうな顔をする。
彼女の手のひらにあったエーテライトの鳥が、うねりながら心臓へと変形していった。
青い糸で出来上がった心臓は、きちんと心臓の下方部分───左心室と右心室が収縮し、上部の右心房と左心房が膨れ上がる。
そして反対に上部が収縮し、下部が膨張してを繰り返す。
循環するものが無いためか、大動脈にあたる部分はしゅーっと空気を排出する様がより異質さを感じて怖気が走る。
心筋の再現が出来ているのを見ると、いよいよ持って俺のエーテライトの認識は神経というより筋繊維に置き換わった。
筋繊維をも再現する、ならばそこから生み出される運動エネルギーは魔術的要因も相まって驚異的なものになるだろう。
やはり、この糸を警戒した判断は間違いでは無かったようだ。
俺は感嘆しながら彼女に疑問を投げかける。
「凄い再現度だな……ところで良いのかい、それ。簡単に話して。魔術の存在と内容は秘匿しておくのが魔術師、じゃなかったっけ。構成要素まで話さなくても良かったんじゃないか」
第五架空元素という単語は対吸血鬼用に俺が読み漁った資料の中にあった。
いわゆるエーテルと呼ばれるこの世を構成する要素のひとつであり、その元素は魔術など神秘の行使において必要とされる。それはつまり、エーテライトが魔術的要素で構成されているという訳だが。
俺の言葉に彼女は予測できたとばかりの自身有りげな顔になる。
「それには二つの理由があります。まず一つ目に、貴方の信頼を得たい」
少し語りだした後、一転して暗い顔つきで境内を見つめだす。
「正直あのファーストコンタクトは失敗だったと言わざるを得ません。昨日、ここであった事を思い出しながら待っていたんです。まさか貴方があれほど凄まじい戦闘能力を有しているとは思っていませんでした。私が調べあげた情報だと私の勝率は五分でした。いかに直死の眼を持ってるとしても肝心なのはそれを活かしきるスペック。その点においては体育の授業も見学に回るほどの病弱な貴方より私のほうが分があると考えていました。しかし、実際には歯が立たぬどころか何も出来ずに数秒でやられてしまいました……貴方は私を殺そうと思えば直ぐにでも殺せる。きっと私が何かを思考した瞬間の隙間から直ぐにでも。正直に言うと……私は貴方が、少し怖い」
不安げな表情で目を伏せる。
それが、自分の機嫌を損ねる事に対するものか、死徒として反転してしまった時に処理されるのではないかという危惧なのかは俺には測れない。
俺はなんて答えれば良いのか迷い、結局黙ったままでいることにした。
謝ったところで筋が違う気がしたし、そうすると彼女の大切な部分を貶してしまいそうだったから。
「そして二つ目に───いいえ、なんでもありません」
タオルをギュッと握りしめて、押し黙ってしまう。
言いたい事の予想はつく。
エーテライトを俺に使いたいのだろう。
昨日の不意打ちはそのエーテライトを使って俺から先制を取る、そして同時に俺からアルクェイドの情報を抜き取るつもりだったのだろう。
しかし、良いのだろうか───俺には殺人衝動がある。
厳密に言えば退魔衝動だが。
あの苛烈な衝動を他者に、しかも死徒になりかけているシオンに与えるのが。それがどれだけ辛いことかを、アルクェイドを見ていたから分かる。いや、きっとシオンも知っているからこそ、うやむやにしたのだろう。
「わかったよ、とにかくその糸で情報収集をしていたんだろ?それさえ解ればいいさ。それで、その吸血鬼というやつの情報は何か掴めた?」
信頼は、信じる奴と信じられる奴がいないと成立できない。
お互いが譲り合って受け皿になっても、一方的に相手を信じても、信じている事が伝わらない。
それが食い違いすぎて、俺は沢山のものを取りこぼしてしまったから。
今まで俺は受け入れてもらう側だったから、今度は受け皿になろう。
シオンの信頼を得たいという思いに、その言葉から出た心の受け皿になる為に、俺はヒントを出しつつも話題を元に戻す事にしたのだ。
「……はい、その話についてですが」
シオンはタオルを首にかけて、服のポケットからメモ帳を取り出して内容を見ながら続ける。
「現在、三咲市内では色々な噂が広がっているようです。曰く、学生服の少年が夜間にナイフを持ってうろついていて、それが連続殺人の犯人。曰く、瞳が真っ赤な制服姿の少女が路地裏にいたのを目撃、それが連続殺人の犯人。曰く、シスター服のような格好をした女性がビルの屋上にいたと目撃、それが連続殺人の犯人。など、確証の無い噂がベースで確たる証拠は無いものしかありません」
ちらりとメモを遠目で見たが、他にも複数の目撃情報があるのかびっしりと書き込まれていた。
エーテライトによってわざわざ聞き込みをしなくても良い分、時間的なロスが少ない結果なのだろう。
自分より得意だと言ってのけただけはあり、その能力に俺は驚いた。
さて、情報を精査しよう。
なるほど、学生服のナイフ持った少年ってのはあり得る話ではあるから広まりやすいだろう。
瞳が真っ赤な制服姿の少女、これは完全に怪談めいていてそっち方面の話が好きな人はすぐに広めてしまうだろう。
シスター服の女性って……自分が考えつくのは一人しか思い浮かばなかった。やはり"先輩"はそうそうくたばる人じゃなかったが、まさかまだ日本に居るとは思わなかった。もしかしたら、邂逅する事もあるかもしれない──それが敵同士では無い事を祈るばかりだが。
ともかく、噂は噂である以上は証拠を固めていく必要がある。
「目ぼしいところがそんな感じか。何処でどう見たってのは分かってる?」
俺の質問に、シオンはメモをめくって解答する。
「三咲市中央区が多く目立ちましたが、その中でも歓楽街での目撃情報が多いようです」
歓楽街というとつまりスナックやキャバクラ、性風俗を提供する店が多い地域か。
シオンと二人でいくのも憚られる気もしたが、彼女は生真面目そうだから気にしないかもな。ともかく俺は制服から着替えてジャージにでもなった方が良いだろうな。
「わかった。そういうところに行くなら俺も着替えてから向かった方が良いだろうな。とはいえ、今日は雨が降ってるし出歩くのに向かないから──また明日でどうだろう、明日は晴れのようだし」
事前にテレビで調べた天気予報は、明日の夜が晴れであった事を確認して提案した。
小雨とはいえ視界が雨で遮られて鬱陶しいという状況を、わざわざ自分から進んで選択する意味は無い。
今この時に吸血鬼に襲われてるかもしれない人には申し訳ないが、そこまで面倒は見きれない。
俺は身近な人だけ守れればいい。
全員を助けようと欲張っても、誰も助けられなかったから。
更に言えば、本日の宗玄のじいさんの診察でやはり普段より健康状態が良くない俺は、気分的にも日を置いてから動き出したいという思いもあったのである。
「わかりました、ではそうしましょう」
シオンはメモをしまい込んで帰ろうとする。
ああ、このまま。また雨に濡ねていくんだろうなと思うと少し気になった。なので。
「ああ、シオン」
「はい?」
呼び止められてこちらに振り返るシオン。
「君、名前からして外国人のようだけど日本在住じゃないよね?」
「いえ、エジプトにいましたが…突然何を?」
唐突な質問に、シオンはきょとんとした顔になる。
「なるほど。ほら、傘」
俺は持参してきた傘をシオンに差し出す。
シオンは困惑した顔で受け取るかどうか迷い出した。
「ですが、志貴。それは貴方のもので」
「俺はここから近いから、平気だ」
思うに、シオンはこの一帯ではなく恐らく繁華街の方を拠点としているだろうと踏んだ。
噂を探すという点においてあそこは最適だからだ。
そして、日本に元々住んでいたわけでは無いのなら旅支度が必要なはず。
シオンがきちんと旅支度をした上で日本に来たかどうかまでは判別出来かねていたが、少なくとも昨日と今日で来ている服が同じなところを見ると旅支度なんて出来ていないのだろう。
その状態で日本に来ているという事は、並々ならぬ事情があったのだろう。
シオンは数秒迷った内に傘を受け取る。
「解りました、傘はお借りします──お返ししますので、明日もまた会いましょう、志貴」
シオンは俺に微笑みを向けながら傘を差して言った。
「ああ……でもタオルは返さなくていいからな」
傘を差して境内まで出ていたシオンが、むっとした表情で振り返って言葉を返す。
「……志貴?貴方、私が洗濯が出来ないとか思ってませんか?」
しまった、もしかして俺は苦笑いでもしてたのかもしれない。
俺はしどろもどろになってしまう。
「いやそれは、そういうのを意図して言ったんじゃなくて、あれだよ。やっぱ女の子に使わせたものを返してもらうのはなんか……」
シオンは俺がどぎまぎしているのを見て、むっとした表情から突然笑い出した。
「ふふっ…すいません。これで志貴に一本取れました。今まで主導権を握られてたので、意趣返ししたかったのです」
シオンは雨が降る夜空を見上げながら微笑む。その顔はなんだか今までの緊張がほぐれたように、柔らかなものだった。
雨の中をシオンが帰っていく姿を見送る。
鳥居を潜り完全に姿が見えなくなり、辺りを雨の音が支配する。
さて、俺も帰ろうか。
「……あ」
そういえば、連絡手段を取る方法を聞いておくのを忘れていた。
久々に素の自分に戻った感覚でいたせいで、気が緩みすぎていた。
これが
今後の事を心配しつつも、小雨を受けながら境内を駆け足で後にした。