Melty Blood Another 作:Unknown37564
私の顔面へ足刀蹴りが飛んでくる。咄嗟に腕で防ぐも、大きく上体を反らしてしまう。
スローモーションになっていく世界。痛みで痺れる腕。
弾かれた腕の隙間から、オリオン座が見える。
視線を目の前に戻すと、外灯が照らす公園だけ。
咄嗟に左へスウェイすると、右側面から私の首元へ刃が掠めていく。
刃の持ち主へ視線を向けると、それは不気味な笑みを浮かべる志貴くんに扮したタタリだった。
刃を構えながら、軽快なステップで横移動をしながらこちらを見ている。
「ほう。勘ではなく、判じて避けたか。軸足の方向か?」
怖い怖い、とまるで無邪気な子どものように笑う。
その様子は、明確に私の知っている彼とは別人であることを証明していた。
私は姿勢を屈める。柔道家のように、顎を引いて、利き手を前へ、右自然体に。
最も、私は柔道家じゃないから、技らしい技なんて出来ない。
けれど、一個だけ出来る事はある。それだけをこれまで、練習してきた。
「君は頑丈だが、この眼の前ではいかなる防御もすべて無為である事を、君も良く知っているだろう?」
タタリが失望したかのように、溜息混じりで私に言う。
そんな事は、とっくに知っている。準備期間で手ほどきを受けてる間にも、彼から散々聞かされてきた。
だからこそ、はっきりと言える事がある。
彼の言葉が正しければ──遠野志貴を倒せる可能性が高い人物は、この私なんだから。
意識して、呼吸をする。鼻で大きく息を吸って、口から吐く。奴の為に消費する酸素さえ惜しい。
「やれやれ、
「──は?」
予想外の言葉が飛び出てきて、思わず口を開いてしまった。
「おや、自覚無しか。ならばあえて言おうか」
彼の姿をした
「君は、遠野志貴をどう思ってるのかね」
惑わされるな。こんな問答に付き合う事は無い。
減らず口を叩けるのは、私がその余裕を与えているからだ。
足元にある握り拳程の石を拾って、思い切りタタリへと投げつけた。
それと同時に、私もタタリの頭上へと飛び上がる。
以前に彼が私の偽物へやった、あの技の真似事だった。首を捻るなんて芸当は出来ないけど、掴んで投げ飛ばすぐらいなら出来ると。
しかし奴は私に飛びかかるでも石を迎え撃つでもなく、後方の雑木林へと一瞬で逃げた。
空振った私は、そのまま地面へと降り立つしか無かった。
「君は、自分が抱えている彼への感情を、綺麗なものだと錯覚しているようだが、それは大きな勘違いだ」
闇夜の雑木林から、彼の声が響いてくる。
「オマエに、何が!!」
堪えきれず、思わず口が出てしまった。
わかられてたまるか。他人なんかに、何も知らない他人なんかに、私の気持ちが。
「尊敬、友情、恋、愛。確かにそれらもあるのかもしれない。だが、君が持つその劣情はそれらの全てを上回る」
不快だ。本当は聞く耳を持ちたくないけど、耳を塞いではどこに敵がいるのか分からない。
かといって視界不良の雑木林で戦えば、間違いなく機動力で勝る奴に負ける。
「なんだったかな? “そんな志貴くんを最期まで見てあげたいんだ“だったか? 全く、笑わせる!」
前後左右あらゆるところから声が響いているように感じる。
ミシリ、と木の軋む音が後ろから聞こえる。確かめる為に振り向くと──街路樹が倒れようとしていた。
枝まで含めれば幅は相当な長さだ。枝程度ならぶつかってもダメージにはならないが、身動きが取れなくなる。
その場を離れようと一歩足を踏み出した──その足へ、ドスリと。ナイフが、刺さった。
「うあぁッ!!」
足が止まり、その場へ前のめりに倒れ込んでしまった。
このままでは、幹が足へと直撃する! 下半身が動かない、なら上半身で!
飛び込みの前転で回避をしたその瞬間、目の前が真っ白になった。
揺さぶられる真っ白な世界、吐き気、そして左耳からキーンという耳鳴り。
二回転ほどしたような気がする。仰向けになっていることだけはわかるけど、高い音がうるさすぎて、右耳から聞こえる音もうまく認識できない。
そしてぼやけた輪郭が徐々に戻ってくると、志貴くんが馬乗りになっていて、私にこう言いながらナイフを振り下ろそうとしていた。
「醜い独占欲を抱いたまま、孤独を抱えて死ぬがいい」
ナイフが振り下ろされる。降ろされる先は心臓でも、首元でも無い。
急所とは違った箇所へ、突き立てようとしている事は感じる。
──これだ。私は振り下ろされるナイフへ、手を出した。
「何?!」
ずぶりと、ナイフが私の掌へ刺さる。
掌から貫通した刃、そこから徐々に血が染み出し始めてくる。
握りこもうとするけど、全然力が入らなかった。
歯を食いしばって、それでも逃さないようにナイフを手ごと抑える。
そしてその腕を引くのと同時に、思い切り上体を起こした。
「うああッ!!!!」
一瞬に全力を込めるために、短く叫んだ。
腕を伸ばすと、タタリは身を捩ってそれを避けようとするが、もう無駄。頭を掴んだ。
「ぐっ!」
そして、私はわざと後ろへ倒れ込む。
まだタタリの彼は逃げようと足を立膝にしようとしてるが、それも足で蹴飛ばして転ばせた。
勢いよく彼は上体が伸びた。
私の目の前へと来る、彼の白くて細い首。
飢えた猛獣のように、私はそこへ食らいついた。
目の前が鮮血で染まる。びゅう、びゅうと血が飛沫を上げる音が聞こえる。
眼に血が入る。最早視界は赤、朱、アカだけ。
鉄を含んだ生臭さが鼻腔を刺激する。久々に感じた、血潮の温もり。
粘ついたそれが、私の喉を潤していく。
美味しい。美味シイ。オイシイ。
「──はぁっ!!」
美味しい彼の首元から離れる。
彼は仰向けの状態で、虚ろな眼で線の切れたマリオネットのようにぐったりと身体を横たえていた。
その姿が、何だか妙に艶めかしくて。下腹部が、疼かずにいられなかった。
「はぁ……はぁ……志貴くん……!」
私は這いつくばりながら、彼の元へと近寄る。
もっと良く、顔をミタイ。どんな最期なのか。
横に向く顔を、回り込んで覗こうとする。
瞬間、彼は私の襟元をぐいと掴んで引っ張った。
「──良い、顔、だ、弓塚、さ、つき」
耳元でそう囁かれると、彼はぷっつりと、倒れた。
彼は、志貴くん、で、タタリで、私は、弓塚さつき、で。
私は、彼の血を吸って、最期を見て。
今、私は、何を──何をしてるんだっけ。
目の前には、血溜まりの中で横たわる志貴くんの姿。
「──ウッ!!!」
堪らず、胃から全てが口へと戻ってくる。
生温かい、アカ色。鉄の匂い。
食道が無理矢理広がって、苦しくなる。
そうして出来上がった夥しい血溜まりの中で、私は呆然と座り込んでいた。
上を見上げる。私の、血液混じりの吐息と、オリオン座が見える。
頭がひどく痛む。志貴くんたちのところへ行かなきゃいけないのに。
身体が、もう、動かなかった。