蝽嗄瞅炵〜ひととせ〜   作:Re:S

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Q.これは七松小平太の夢小説ですか?
A.た、たぶん……

七松くんに戦って勝ちてぇ人はぜひ読んでください。

三話後編は絶賛執筆中です。


春の段〜その参 前編〜

 

「面白そうな話をしているな。私もまぜてくれ」

 

見覚えのあるボサボサ髪。

聞き覚えのあるハスキーな声。

逆光を背にいつの間にか保健室の入り口に立っていたソイツはあの山で対峙した……。

 

「な、七松先輩!」

「……」

「おう不破。今は図書室の当番の時間だろ?長次が呼んでいたぞ」

「えっ……中在家先輩が?いや、でも……」

 

明らかに戸惑っている不破くん。

しかし何か風切り音のようなものが聞こえた瞬間にビクッと体を強張らせた。

 

「早く戻ったほうがいい。な?」

「っ!は、はい、すみません!失礼しますっ!」

「あ……」

 

取るものも取りあえず転がるようにして不破くんは出ていってしまった。

代わりにゆっくりと、ご丁寧に後ろ手で障子戸を閉めて彼が……七松と呼ばれた男が部屋に入って来たので思わず立ち上がって後退る。

しかし一歩下がったところで背中が壁に当たった。

七松……くんはと言うと、私の様子なんか気にもかけずにズンズンと向かって来る。

そうして腕を伸ばしたら届くぐらいの距離でピタッと止まった。

 

「えっ……と……」

「……」

 

何か私に用事でもあるんだろうか。

聞きたかったが、黙ってまじまじと私のことを頭のてっぺんから爪先まで眺め回しているのが不気味で次の言葉が出てこない。

どうしたら……と思っていると不意に声をかけられた。

 

「うん、怪我は大丈夫そうだな」

「え?あ……うん」

 

三日安静ですけどね……と思ったけど、あの時何も聞かずに彼に襲いかかったのは私の方だ。

気まずくなって彼の笑顔から目を逸らして俯く。

しまった、最初にそのことを謝ればよかったな。

 

「よし!じゃあ、やるか!」

「……は?」

 

どう謝ろうか考えていたので反応が遅れる。

やるって何を……そう言いかけた私の喉元に、いつの間にか鋭い何かが当てられていた。

 

「お前、私を殺しに来たんだろう?まだるっこしいことしてないで今ここでケリを着けよう!な!」

「な、にを……言って……」

 

チリッと、痛みが走る。

喋ったことで喉が動いて、刃先に触れていた皮膚が切れた。

それに気づいた瞬間、思わず首を手で押さえて頭を仰け反る。

ゴンッと鈍い音を立てて後頭部が壁にぶつかった。

しかしその痛みよりも、目の前の得体の知れない生き物に意識を持っていかれる。

 

「何って、私を殺すために乱太郎たちに近づいたんだろう?さっきも不破にわけのわからんことを聞いていたようだが……そんなまだるっこしいことをしなくても私は逃げも隠れもしない!正々堂々やり合おう!」

 

コイツは何を言ってるんだ。

わけがわからなすぎて言葉が出ない。

やり合うって、殺り合うってこと?

固まっている私をよそに、彼はキョトンとしながらも、"それ"をクルクルと回したあとしっかりと握り直して構えた。

 

「来ないなら私から行くぞ?」

 

彼の右手に握られている"それ"の刃先が私に向いている。

鈍色に光る刃先を見た瞬間、ドクドクと心臓が音を立て始めた。

 

「うっ……あ……」

 

さっきよりも激しい頭痛。

耳の奥でノイズ混じりの声が響く。

 

 

 

『本日未明、──に住む会社員、──さんの自宅に────さんと妻の──が殺害───』

 

 

ぬるくてどろどろしたものがてのひらいっぱいにひろがる。

 

 

『──さんの────の──ちゃんも背中を──で────重傷を──、病院に搬送──』

 

 

あつい……せなか……あつい、あついあついあつい!

 

 

『容疑者は──十五歳の少年──』

 

 

 

「あ……」

 

視界がまた、赤く、染まっていく……。

 

 

[newpage]

 

時は少し遡り、六年生と乱きりしんが目下謎の少女を運びながら下山し始めた頃。

 

「そういえばしんべヱ、ずっと背負っているそれはなんだ?」

「あ、これはお姉さんから預かった荷物で……」

 

自身の後ろを歩く留三郎に言及されたしんべヱは、たった今思い出したかのように自身の背中に目をやる。

 

「しんべヱ、それ見せてもらってもいいか?」

「ん〜……いいですよ!どうぞ!」

 

今度は隣に並んで歩く仙蔵が尋ねると、しんべヱは一瞬逡巡したが、いつも自分や同じクラスで同じ用具委員の山村喜三太に優しい仙蔵なら悪いようにはしないだろうと肩紐から腕を抜いてナップザックを彼に手渡した。

 

「ありがとう。……ふむ、どうやら着物のようだが……それにしてはずいぶん奇天烈だな……」

「南蛮服ですか?」

「どうかな……私は見覚えはないが、しんべヱはどうだ?」

 

聞きながら仙蔵はナップザックの拡げた絞り口をしんベエの目線に合うように下げる。

堺の貿易商福富屋の当主を父に持つしんべヱは、ナップザックに入っている衣服と自分が見たことのある南蛮衣装の記憶とを擦り合わせていたがいまいちピンと来ないようで首を傾げた。

 

「うーん……似たような服は見たことがあるようなないような……」

「つまり、わからないんだな」

「はい……すいません……」

「いや、しんべヱがわからないと言うこと、それ自体が情報になるから大丈夫だ。謝る必要はない」

「はい!エヘヘェ……」

 

やっぱり立花先輩は優しいなあと思いながら垂れてきた鼻水をすする。

当の本人はその音を聞いて「(湿り気はやめてくれよ……)」と冷や汗をかきながら、若干引きつった声で「これは私の方からこの人に返しておくよ」と再び口を絞ったナップザックを懐にしまった。

 

余談ではあるが、一行は下図のような隊列を組んでいたことを記しておく。

 

 

←進行方向

 

し 留(担架)文

仙 乱 伊 き 長(小)

 

 

さて、乱太郎と伊作の二大不運小僧を抱えながらも、なんとか無事に忍術学園へと帰還した一行。

彼らは真っ先に医務室に向かい、未だこんこんと眠り続ける少女を校医の新野に預けた。

乱きりしんと小平太、少女の診察後、乱太郎たちが土井に連れて行かれ、新野も伊作にあとを任せて席を外す。

眠っている少女と薬の準備をする伊作の周りで六年生が矢羽根で会話を始めた。

 

『それで報告は?』

『五年生が帰ってきてからまとめて行う』

『その間この女はどうする?』

『どうするったって、新野先生は三日安静とおっしゃっていただろう?保健委員で面倒を見るよ』

『伊作、本気か?』

 

なんでもないように言い切った伊作に、長次が突き刺すように鋭く聞き返す。

沈黙の生き字引と渾名されるほど、普段から極端に口数が少ない彼からの反応に一同は少なからず動揺したが、当の伊作だけは先ほどと寸分違わぬ口調で返答した。

 

『うん。だって僕、保健委員だから』

『……』

『長次が不安に思うのもわかるよ。でも乱太郎たちを助けてくれたのも事実でしょ?』

『だが……』

 

納得がいかない様子の長次に、小平太がいつもの調子で明るく声をかける。

 

『長次、私のことなら気にするな!新野先生も何ともないと言っていたし、私もこの通りピンピンしている!』

『……もそ』

『えっ、そ、そんなことは考えてないぞ!』

『あの、ろ組語で話すのやめてもらっていい?』

『矢羽根で「もそ」って言う長次もどうかと思うが、それで伝わる小平太もなんなんだよ』

 

呆れる六はの二人。

細かいことは気にするな!と笑う小平太。

未だ納得はしていないものの、小平太自身が気にするなというのであれば、と意見をひっこめた長次。

緊迫した空気が緩んだ、その時だった。

 

『な、んだ、これは……』

『どうした仙蔵?』

 

ナップザックから制服を取りだして調べていた仙蔵から怒気と困惑が混ざったような声が響いて、一同は振り返る。

そして彼の少し震える手で差し出された”それ”を目にして、先程以上の緊張感が彼らを襲った。

 

『これ……』

『どう見ても……』

『小平太……』

『だよな……?』

「……わ、私ーー!?」

 

五人から一斉に顔を見つめられた小平太が、思わず矢羽根を使わずに叫んだ。

 

「待って待って、状況を整理しよう。

 まずこの……すごく精巧な絵が彼女の服から出てきた。

 そうだね?仙蔵」

 

全員で医務室のすぐ前の中庭に出たあと、伊作が切り出す。

こと治療中に当たっては不運以外の大抵のことに動じず、槍が降ろうが銃弾が掠めようが治療を続ける彼も薬作りの手を止めざるを得なかった。

 

「そうだ」

「それでこの絵には小平太が描かれている」

 

その”精巧な絵”に写った人物と、目の前の小平太を全員で交互に見比べる。

 

「髪型とか着物は違うが……」

「顔はどう見ても小平太だよなあ……」

 

犬猿の二人も今は喧嘩のけの字もなく、二人並んで小平太の顔をまじまじと見つめた。

 

「小平太、忍務でこういう格好したりとか、髪を切ったりとかしたか?」

「まったく身に覚えがないぞ」

「だよなあ」

 

腰に両手を当てて胸を張り自信満々に答える小平太。

 

「そもそもこんなに髪を切ったら髷が結えないじゃないか。伸ばすのだって時間がかかるし」

「だな。お前髪長いもんな」

「ボサボサだけどな」

「留三郎も言うほどサラサラじゃないだろ」

 

小平太と犬猿の前衛三人組がワチャワチャし出したところで、後衛の三人が絵の方に注力する。

 

「これ……どこなんだろう」

「家……か?こっちは瓦屋根っぽいが……」

「……木造ではないが、石垣でもなさそうだ」

 

小平太らしき人物を描いた絵には隙間なく背景も描かれていたが、しかしそのどれもが目にしたことのないものだった。

沈黙の生き字引と名高い図書委員会委員長の中在家長次ですら脳内に該当する知識はない。

 

「まあ、これがどこで、彼が小平太と何の関係があるのかは置いといてだ。重要なことはただ一つ。

 あの女、小平太を殺しに来た刺客なんじゃないのか」

 

その仙蔵の一言に全員が動きを止め、唾を飲み込んだ。

鋭く目を細めて絵を眺める仙蔵に、恐る恐るといった様子で伊作が問いかける。

 

「さすがに……悪い様に考えすぎじゃないかい……?」

「逆に聞くがこんなものを持った女が小平太に襲いかかったんだぞ?なぜそれを真っ先に疑わないんだ」

「それは……」

「けどよ、なんで小平太が狙われるんだ?学園長じゃあるまいし……六年とは言えただの忍たまだぞ?」

 

やり込められそうな同室をすかさずフォローする留三郎。

仙蔵はそれをハンッ、とその美しく通った鼻筋を鳴らしてあしらう。

 

「さあな。忍務先で何かやらかしたんじゃないか?」

「おいっ!私がヘマしたとでも言うのか!?」

「高価な壺とか割っちまったんじゃねえの〜?」

「「「あ〜……」」」

「なんだ皆してその反応は!?」

 

同じく同室に乗っかって小平太をからかう文次郎。

他三人も、あり得なくもないな……と納得しかけたところで、黙り込んでいた長次がもそりと、しかしハッキリとみんなに聞こえる声で呟いた。

 

「恨み」

「へ?」

「何か、恨みを買ったとか、そういう覚えはないか」

「な、なんだよ長次まで……」

 

まさか同室まで己の過失を疑うのかとショックを受けている小平太の両肩を掴んで、長次はジッとその大きな目を見つめる。

 

「これほどまでに精巧な絵を、グシャグシャに丸めて衣服にしまい込んでいたのが気になる。本当に何も、誰にも恨まれる覚えはないか」

「……ない。少なくとも、これまで私が一人で受けた忍務でそのようなことはなかった」

「……そうか」

 

小平太は長次のその真剣な眼差しに少したじろいだが、すぐに同じぐらい真剣に見つめ返して言い切った。

 

思えば、あの山で小平太と彼女を見つけてから、長次はずっと小平太から離れていない。

もちろん伊作が怪我をした疑いのある小平太を運ぶように長次に指示をしたからというのもあるが、新野先生の診察を受けて問題ないということがわかってからも、眠る彼女を物珍しそうに眺める小平太の隣に居続けていた。

そして伊作が彼女を保健室で預かると言った時に真っ先に反応したのも長次だ。

長次はずっと小平太のことを心配していたのだ。

 

『……もそ(もう一度手合わせしたい、などと思っているんじゃないだろうな)』

『えっ、そ、そんなことは考えてないぞ!』

 

好戦的な小平太のことだ、自分を失神寸前まで追い込んだ女のことが気にならないはずがない。

しかし次に戦ったとき小平太は無事でいられるだろうか。

何せあの女にはわからないことが多すぎる。

知識が人生の道行きを照らす篝火とするならば、未知とは汚泥のごとく足元を掬おうとする暗闇だ。

闇を味方につける忍は、誰よりもその中で道を見失わぬ術を身に着けねばならない。

学年、いや忍たまの中で随一の知識量を誇る中在家長次には、だからこそ南蛮の書物にすら書かれていない着物を身に纏い未知の技を使う少女が、酷く恐ろしいもののように思えて仕方なかった。

まして同室の命が狙われているかもしれないとすれば尚更に。

 

長次の内心を悟り、静まり返った六年生たち。

いつの間にか自分たちの影が医務室の障子に伸びていた。

逢魔ヶ刻……。

今、この影の先で寝ているように見える女は、一体……。

 

「六年生、五年生が帰ってきたから四半刻後に学園長に報告を……お前たち、みんな外に出てどうしたんだ?」

「山田先生!実は……」

 

こうして六年生から報告を受けた山田伝蔵が学園長たちに報告をあげたのは先の通りである。

 

[newpage]

 

そして現在──。

 

小平太の脳裏にはそれぞれの表情で己の身を案ずる同期五人の顔が浮かんでいた。

 

文次郎。留三郎。仙蔵。伊作。

そして……長次。

 

「(悪いみんな。だが……回りくどいのは性に合わん!)」

 

三日後の期限まで、伊作と留三郎は彼女を懐柔する方向に、逆に仙蔵と文次郎は排除する方向に動くだろう。

長次は常であればは組について、できるだけ彼女から新たな知識を得ようとするだろうが、同室の(つまり私の)命の危機がかかっているのであればい組と同じく排除側に回る。

い組の排除策が始まれば三日を待たず『彼女はいつの間にか消えていました(もしくは自分からいなくなりました)』との通達が来る羽目になるだろうし、は組の懐柔策がハマればきっと彼女はもう真剣勝負を受けてくれなくなるに違いない。

 

「(だがそれでは意味がないのだ)」

 

であるならば、い組もは組も動き出していない、今このとき。

ここが彼女と純粋に勝負ができる、最初にして最後のチャンスだった。

 

「(さて、どう来るかな)」

 

苦無を構えながら相手の出方をうかがう。

少し皮膚を掠めた刃先がつけた傷を抑えて、小刻みに震え目を見開いて後頭部をぶつけるぐらい仰け反る、まるで怯えているような様子を見せる少女に少し脅かしすぎたか?と思ったが、すぐにそれが杞憂だと察した。

苦しそうに呻いて俯いたあと、ゆっくりと上げた顔。その重たい前髪の奥。

 

焔が燃えている。

すべてを灼き尽くさんとばかりに、その双眸に焔が揺らめいている。

 

「(同じだ)」

 

山で出遭ったあの時と。

構え直した苦無の奥で、知らず口角が上がっていた。

背筋から項へ雷(いかづち)が駆け上る。皮膚が粟立つ。

武者震いでその獅子のたてがみのような髪を逆立てる小平太とは裏腹に、少女の震えは止まっていた。

 

「(──来る!)」

 

小平太が察知した通り、ドンピシャのタイミングで少女は動き出す。

向かって左、苦無を構えた右手を避けるように沈み込んだ彼女を見て、蹴りが来ると予測した小平太は、空いていた左手で少女の右脚を捕まえる。

下腹部に叩き込まれた右脚はしかし、それ自体に威力はなく、本命は膝裏に滑り込ませた左脚との挟撃をまともに食らった。

 

「ぐっ!」

 

バランスを崩された小平太は、刃先から三分の一が床に沈むぐらい深々と苦無を突き刺し、その反動で素早く跳ね起きる。

そのまま、入り口から見て右奥、骨格標本のコーちゃんが佇む方へ距離を取った。

技をかけて、自身もまた倒れこんでいた少女もすでに体勢を立て直している。

 

「(また簡単に転ばされた!)」

 

忍たまと言えど最高学年。

足場の悪い場所での戦闘も幾度となく経験した。

体幹と平衡感覚には自信があったし、何よりも今は平らな部屋の中。

山の中よりむしろ条件は良いはず、だった。

だが現実はどうだ?

明らかに膂力で自身より劣る少女が、いとも簡単にこの身を宙へ踊らせている。

一度ならず、二度も三度も。

であればこれは紛れなどではなく、歴とした彼女の実力なのだ。

 

「いや~すごいなぁ!また投げ飛ばされてしまった!やはりお前、只者ではないな!」

「……」

 

未知の技を操る相手への心からの賞賛。

しかし少女の瞳に灯る仄暗い焔が弱まることはない。

流石に怒らせすぎたか?と思案するが、どうにも様子が奇妙だ。

 

「(私を……見ていない?)」

 

もちろん視界には捉えているのだろう。

事実彼女は自然体といった出で立ちをしているが重心はブレず、両手を前に出した構えを取って体をこちらに向けている。

けれども小平太には、どうにも彼女が己を見ているようで、その実どこか遠くを見据えているように感じられた。

その眼差しに、何故だか胸中が靄(もや)に覆われていく。

 

「?」

 

自分でもわからないその感情に引っ掛かりを覚えながらも、小平太は姿勢を低くして構える。

細かいことは気にするな!という、いつもの口癖を頭の中で唱えて、目の前の少女には溌剌とした笑顔で宣言した。

 

「お前のその技を見極めるまで……もう少し付き合ってもらうぞ!」

「……」

 

その身勝手な宣言を合図に、彼は狭い部屋を人離れした速度で左右斜めと縦横無尽に駆けながら少女に突っ込んだ。

一方、憤怒や憎悪を湛えた双眸とは裏腹に、彼女の体捌きは予めプログラムされたマシンのように静かで最小限。

恐ろしく正確無比なその動作は、山で自分が掛けられた技を逆に掛けようと懐に潜り込んできた小平太を、容易に床へ叩きつけた。

 

「ッ!マジか!」

 

掛けようとした技をすかされ、気付いた時には天井を見ていた小平太は、また素早く部屋の隅へと距離を取る。

部屋の中は先程から小平太が壁も天井もなく駆け回るせいですっかり荒れていた。

薬棚はギリギリ倒れていないが引き出しがところどころ飛び出ていて、中の薬草や棚上に乗せられていた包帯が床に散らばっている。

小平太自身も、左前腕が床に突き刺さったままの苦無に擦れて切れたようだが、今の彼にとっては些末なことだ。

彼は少女から目線を外さないまま、足元に転がっていた包帯を一つ、足で掬うように拾い上げて彼女の顔目掛けて投擲した。

 

「……ッ」

「(これならどうだ?)」

 

もちろん包帯なので殺傷能力はないが、目眩しにはなる。

少女が怯んでいる隙に、小平太はまた彼女に接近した。

だがしかし。

 

「っ!?」

 

視界が回る。

また転ばされたことはすぐに理解したが、襟や袖は掴まれていない。

そもそも距離的にまだ届く範囲ではないはずだ。

ならばなぜ……?

少女のいる方に目をやって、すぐにその絡繰りを理解する。

そのあまりにも単純な事実に思わず声が漏れた。

 

「脚、なっがっ……」

 

確かに自分よりも上背はある。

それでも同室の長次と同じか少し高いぐらいのもので、自分ともそれほど差があるわけではない。

なのに畳の上で伸ばされた脚は明らかに自分たちのそれよりも長く、故に思わぬ距離から足を引っ掛けられ転ばされたのだ。

上の着物が、袴の腹回りを覆うような作りをしている妙な着物を着ていたせいで、今の今まで気がつかなかった……。

 

転がった体が、うつ伏せの状態で止まる。

少女が背後に回り込んだ気配を感じていたが、抵抗する気は起きなかった。

仕掛けた技はすかされて、不意打ちを不意打ちで返された。

完敗だ。

上体を抱き起されて、腕が顎の下に滑り込んでくる。

首が絞まる。

喉が潰されて息ができない。

苦しい。

死ぬのか。ここで。

 

母上。

きょうだいたち。

体育委員の皆。

桜木先輩。

土井先生。

 

色んな顔が浮かんでは消える。

 

文次郎。

留三郎。

仙蔵。

伊作。

──長次。

 

抵抗するまいとしていたが、体が勝手に生を求めてもがく。

しかし呼吸ができないため力は入らない。

少女の着物も、妙につるつるとした布でできているので掴みづらく、まさに蟻地獄に捕らわれた蟻のようだった。

苦しみから逃れようとして、首をのけ反る。

 

「……ッぐ、うぅ」

「あ……」

 

目が合った、気がした。

それからすぐに喉が楽になって、代わりにあの山の時と同じ、首筋への圧迫感と共に私の視界は暗転した。

 

 

[newpage]

 

 

小平太と少女が対峙していた頃、小平太に追い出された雷蔵はいつもの迷い癖を発揮しながらも、図書室へと歩を進めていた。

立ち止まらなかったのは単純にその場にいたくなかったというのと、元々本を渡したあとは当番のために図書室に帰るつもりだったからである。

 

「(七松先輩……あんなこと言ってたけど大丈夫なんだろうか……)」

 

あんなこと、とは、もちろん長次が図書室で呼んでいるということでも、だから早く行ったほうがいいということでもない。

常人には風切り音にしか聞こえない、矢羽根での指示である。

 

「(私がこいつから情報を引き出す。お前は長次を見つけたら足止めしろ)」

「と、言われても……」

 

はぁ……。と深く溜息を吐きながら雷蔵は考え込む。

そもそも今日の当番は自分なので、中在家先輩が図書室に来るとは限らないのに……。

それとも、当番をやめて探しに行けということだろうか?

いやいや、そんなことしたら例え中在家先輩を見つけたとしてもその先輩に「何をサボっている」なんて笑顔で怒られてしまう……。

 

「ああ~困ったなあ……」

「どうした、雷蔵」

「なっ!中在家先輩!?」

「うん」

 

声を掛けられた方を見れば、いつの間にか図書室に着いていて、中にはまさに中在家長次その人が静かに座って本を開いていた。

 

「ど、どうして図書室に……今日は私が当番なのでいらっしゃらないかと……」

「調べたいことがあってな」

「はあ……あ、もしかしてあの人のことですか?」

「うん」

 

長次の前に積み重なっているのはどれも南蛮のことを書いた書物だった。

積み重なっている、とはいっても片手で数える程度で、内容も似たり寄ったりのものだ。

 

「何かわかりましたか?」

「何もわからない、ということがわかった」

 

長次は図書委員会委員長だけあって、新しく書物が入ってくればすぐに目を通している。

南蛮に関する書物に関しても当然そうだ。

だからあの少女に繋がるような情報はない、ということはわかっていた。

わかっていて、それでも図書室に来たのは、少しでも手がかりを掴みたいという気持ちの表れなのだろう。

 

「そうですか……」

「少なくとも、彼女が南蛮人ではないことは確かだ」

「そうですね。顔はなんというか私たちと変わりない感じでしたし……」

 

目を覆う前髪のせいであまりハッキリとした人相はわからなかったが、目の色や鼻の形は南蛮人のようではなかった、とさっき見てきた少女のことを思い出しながら呟く。

 

「医務室に行っていたのか」

「はい。……あ!あのっ!決してサボっていたわけではなく!新野先生に彼女に御伽草子でもと頼まれて……」

「大丈夫だ。雷蔵がそのようなことをする人間でないことはわかっている」

「中在家先輩……」

 

長次は慌てて弁明する後輩を落ち着かせるために、ゆっくり静かに、しかしいつもよりもハッキリと声を出す。

いつもは言葉少なで、発する言葉ももそもそとしている彼が自分のために声を張ってくれたことに雷蔵は感涙にむせんだ。

 

「彼女と何か話したか」

「そうですね。本を持ってきてくれてありがとうとか……今がせいれき?何年かとか……」

「……答えたのか?」

「いえ、途中で七松先輩が来て……あ」

 

話の流れでついするすると本当のことを喋ってしまったことに気づく、が、時既に遅し。

 

「小平太ァ……」

 

仏頂面だが寡黙で穏やかな長次が、大口をパカリと開けて笑い出す。

ウヘァッアハッアハハハハハ!!!と地獄の底から響くようなその笑い声が怒りから来るものであることを雷蔵は良く知っていた。

 

「あ〜……中在家先輩?ここは私が片付けておきますから、どうぞ行ってください」

「アハッアハッ…………任せた」

 

一瞬真顔に戻った長次だったが、図書室を出てすぐまた笑い出す。

その声が遠のくのを聞きながら、雷蔵は心の中で小平太に手を合わせた。

 

「(ごめんなさい七松先輩。私には止められません)」

 

そもそも委員会直属の先輩のほうがどうあっても怖いに決まっている。

恨むなら人選を見誤ったご自分を恨んでください。

そんなことを思いながら雷蔵は図書委員の仕事に戻った。

 

一方、図書室を出た長次。

彼はまっすぐに医務室へ向かっていた。

忍術学園は敷地が広大である。

教室の方にある図書室と忍たま長屋の方にある医務室は、深い堀と塀で隔てられており、六年生の長次の脚でも三分はかかる。

雷蔵が小平太に追い出されて図書室に帰ってきた時間と合わせると、長次が到着する前に小平太と少女が顔を合わせている時間は十分ほどだろうか。

その時間が、奇しくもあの山の中で小平太と離れていた時間と同じであることに気づいた彼の額から嫌な汗が流れていた。

そしてその嫌な予感は、間もなく的中してしまう。

 

勢いをつけて堀を飛び越え、塀を駆け登る。

塀の板屋根の上から屋根伝いに医務室まで来るとすぐに異変に気付いた。

 

医務室の障子戸が廊下に倒れている……。

 

そのまま部屋の奥へ目を向けると、部屋中に飛び散った薬草や包帯の中、小平太が仰向けに倒れていた。

 

「っ……小平太!!!!!」

 

木々に止まっていた小鳥たちが飛び立つほどの空気の振動。

あらん限りの声で長次は友の名を呼んだ。

反応は、ない。

すぐさま駆け寄って抱え起こす。

触れたその体には温もりがあり、胸は確かに上下していた。

一先ず最悪の事態にはなっていないことに安堵しながらも、長次は奥歯を強く噛み締めた。

 

やはり離れるべきではなかった。

小平太があの女の技に興味津々であったことも、そんな彼がどう動くのかも、自分が一番よくわかっていたはずなのに。

 

部屋の隅で皺になっている布団を整えて、そこに小平太を横たえていると、長屋に残っていたであろう他の六年生たちが続々と集まってきた。

 

「長次、無事か!?」

「小平太がどうした?!」

「仙蔵、文次郎」

「どうした?!何があった!?」

「小平太に何が!?」

「留三郎、伊作……見ての通りだ」

 

少し身体をずらして、自分の陰になっていた小平太を見せる。

 

「おいおい嘘だろ……?」

「生きてる……よな?」

「どいて!」

 

この騒がしさに目を覚まさない小平太に思わずたじろいだ犬猿を押し退けるようにして、伊作が部屋の中に入る。

しばらく触診をして、ふう……と大きく息をついた。

 

「大丈夫。命に別状はないよ」

 

伊作のその言葉にその場の全員が、先ほどの彼と同じように大きく安堵の息をこぼした。

 

「良かった……」

「ったく、長次があんなデカい声出すからてっきり死んじまったかと……」

「おいこら不謹慎だぞ文次!」

「うるせぇ!お前だって疑ってたくせに!」

「二人とも少し黙らんか」

 

仙蔵に一喝された二人が無言になってなお目線で喧嘩している最中、伊作が続ける。

 

「きっとあの山の時と同じ方法で意識を落とされたんだろうね。他に外傷はと……あれ?長次、僕が来る前に小平太に手当したかい?」

「いいや。布団に寝かせただけだ」

 

左の前腕部の、ちょうど手甲がない部分の着物が切れていて、その下から包帯の白色が覗いていた。

 

「変だな……昨日は左腕なんて手当した覚えないんだけど」

「伊作でも長次でもないんなら新野先生がなさったんじゃないか?」

「そんなはずないよ。そばで見てたけど小平太はそもそも怪我はしてなかったんだから」

「伊作、つまり何が言いたいんだ」

「彼女が……手当したとしか……」

「はぁ!?なんでそうなるんだよ!?」

「だって見てよこの包帯の巻き方!こんなの見たことない……」

 

伊作は見せびらかすように、小平太の左腕を軽く上げる。

見ると包帯は一方向の螺旋状ではなく、まるで人という字が折り重なったような巻かれ方をしていた。

 

「こんなの絶対あの人しか知らないよ」

「だからぁ!なんッであいつが小平太の手当なんかするんだよッ!」

「そんなの僕が聞きたいよ!」

 

ついでにこの包帯の巻き方も!

という副音声が聞こえてきそうな顔をしている伊作に対し、仙蔵がぴしゃっと言い放つ。

 

「手当がどうとかは一先ず置いておいて、小平太が昏倒させられたのは純然たる事実だ。違うか?」

「……そうだね。その通りだ」

 

医術への情熱が仇になってしまったと伊作は自省する。

 

「まあ、なんだ、あの女を捕まえりゃ色々聞けるだろ。

 ……小平太が倒れてる理由も、包帯の巻き方も、な」

「文次郎……うん」

 

怒鳴ってしまった手前、気まずそうにそう付け足した文次郎を見て、仙蔵は「不器用なヤツめ」と片眉を上げて少し口の端を緩めた。

微妙になったしまった空気を変えるように、留三郎が切り出す。

 

「そうと決まったら手分けしたほうが早いな。伊作はここに残るとしてどう分ける?」

「長次はあの女がどこに行ったのか見たか?」

 

文次郎にそう問われて、長次はつい先ほどのことを思い出しながら口を開いた。

 

「いや……私は図書室からまっすぐ、堀と塀を突っ切ってきたからすれ違ってもいないし見てもいない。

 気配は……すまん、焦っていてそれどころではなかった」

「そうか……では私と文次郎で校舎の方を見てくる。長次と留三郎で長屋の方を見てきてくれ」

「承知した」

「……くのいち教室の方はどうする。一応男子禁制だろう?」

 

留三郎がそう言うと、仙蔵は少し逡巡する。

目下のところ、優先されるべきは他の忍たまたちの安全だ。

何があったのかは知らないが、小平太がこうなってしまった以上、最悪を想定して動く他にない。

すなわち彼女が、小平太以外の命も狙っている可能性……。

それぞれに得意武器を持った四年生以上ならば問題ないだろうが、下級生たちはそうもいかない。

 

「あっちは今学外で実習のはずだから後回しにして問題ないだろう。長屋と学園で見つからなければ先生たちに報告して探してもらおう」

 

生徒のいないくのいち教室の方ならば、たとえ彼女が隠れ潜んでいたとして他の忍たまたちに危害を加えられる恐れはない、と彼は判断した。

 

「わかった。よぉし、どっちが先にあの女を見つけるか、勝負だァ!」

「へッ、あとで吠え面こいても知らねえからな!」

「お前らホント学ばんな……」

「三つ子の魂百まで……」

 

少女捜索の方針が決まったあと、じゃれ合いながらもすぐさま行動に移そうとしていたところでそれまで沈黙していた小平太の「ぅ”う……」という小さな呻き声が聞こえて彼らは足を止めた。

 

「小平太……!」

「あ"……ぃ”さく……?」

「声が変だ……喉をやられたのかもしれない」

「……ッ!」

 

伊作のその言葉に長次が顔を歪める。

他の三人も長次のその様子に声を掛けることはできず、押し黙っていた。

 

「小平太、あまり大きな声を出さないで。何があったか話せる?気づいたことなんでもいいから教えて」

「……ち、が」

「血?左腕のことかい?それなら出血は止まっているよ」

「ち……で……」

 

小平太の一言一句を聞き漏らすまいと全員が耳を傾ける。

そんな中彼が発したのは衝撃的な一言だった。

 

 

 

 

 

 

「乳が……でかかっ……た」

「「「「「……」」」」」

「「「「言ってるバヤイかぁーー!!!!」」」」

「もそ…………」

 

長次の心、小平太知らずである。

 

 

[newpage]

 

 

 

月の綺麗な夜だった。

 

こちらに向けられた刃が光を放つほど。

 

目の前には男が立っている。

 

刃をこちらに向けた、男が立っている。

 

恐怖はない。

 

あるのはただ、憎悪と憤怒。

 

それらを薪にして、焔は燃え続ける。

 

男の命を、尊厳を、すべてを、この身と諸共に灼き尽くすまで。

 

 

 

[newpage]

 

 

「はぁ……はぁ……ッ……」

 

気がついた時には保健室から靴も履かずに飛び出していた。

知らない敷地で地理もわからないけれど、ひたすら出口を目指して塀沿いに走る。

 

「(まただ……またッ……体が勝手に動いた……ッ!)」

 

刃を向けられて、砂嵐に紛れた映像が流れ込んできたところから、自分の体が自分のものじゃないみたいに動いた。

そうして、知らないはずの動きをする度に、その技の名前が浮かんでいた。

 

────蟹挟み。

────後腰。

────裸絞め。

 

それから目の前にいる彼への憎悪も……。

 

『できるだけ苦しめて■してやる』

 

あの時私は、明確に、そう思っていた。

 

「ッ……ふ……うぅ……」

 

山賊に襲われたときだってそうだ。

いくら命を狙われたからと言って、命乞いをする相手に追い打ちをかけるような真似をしてしまったことに変わりはない。

自分の中に渦巻く何かが、酷く恐ろしく悍ましい。

 

「(ここにいちゃ駄目だ)」

 

腕の中でぐったりとした彼の顔が目に焼き付いている。

それを引き離そうとして、脇目も振らず走り続ける。

しばらくすると立派な木造りの門が見えた。

早く、早く、出て行かないと。自分がまた、誰かを傷つけてしまう前に。

震える手で、大きな門に取り付けられた小さい扉の閂を外そうとした。

が、その時。

 

「あー!そこの人!何やってるんですか!」

 

後ろから突然呼び止められる。

思わずビクッと肩を竦ませて恐る恐る後ろを振り返った。

 

「あ……ごめん、なさ……」

「出て行かれるなら、出門票にサインを!」

「……え」

 

出門票と書かれた紙とバインダー、筆をずいっと目の前に差し出されてるという思いがけない行動に、思わず固まってしまった。

 

「えっと……」

「あれ?君……もしかして昨日六年生の子たちに運び込まれた人ですか?」

「あ……多分、そう……」

「昨日は気絶していたので見逃しましたけどぉ、起きたならこっち、入門票にもサインしてください!

 でないと、ここから出せませんよぉ」

「サイン……」

 

事務と書かれた布を縫い付けた着物を見るに、目の前の男の子は事務員なのだろう。

ここが学校というのならば、訪問客の把握のため、サインさせることも理解できる。

 

「あの……ごめんなさい、私、サイン、できません」

「そんなこと言われましても……」

「私、自分の名前わからないんです……」

 

しかし私は未だに自分の名前がわからない。

 

「ええ〜?!ううん困りましたにぇ……」

「ごめんなさい……」

 

いや……わからないままのほうが良いのかもしれない。

思い出してしまったら、私は……。

 

「あっ、お、怒ってるわけじゃないんですよ!だから泣かないで……」

「え……あ……」

 

勝手に涙が出るぐらい切羽詰まっていたらしい。

けれど袖で顔を拭うこともなぜだか億劫で腕が上がらなかった。

 

「ううん……サインを貰えない以上出してあげるわけにはいかないんで……とりあえず食堂行きましょ〜!」

「……え?」

「うちの食堂のおばちゃんの料理、とぉっても美味しいんですよ〜」

「や、でも……」

 

手首を掴まれてぐいぐいと引っ張られ始めた。

……多分、この人の手を振り払って出ていくことぐらい簡単にできる。

だけど……。

 

「僕もよく仕事失敗して落ち込むんですけどぉ、おばちゃんのおいしいご飯を食べるとどうでもよくなっちゃうんですよにぇ〜。だからきっと大丈夫ですよ〜!」

 

そう言ってニコニコ笑う、人のよさそうな目の前の男の子をぞんざいに扱うことはできなかった。

 

正門からほど近いところに食堂はあった。

外の入口には扉がなく厨が丸見えで、割烹着を着たふくよかな女性が立っている。

 

「おばちゃあん。朝ごはんの残りとかありますかぁ?」

「小松田くん?どうしたのぉ、今日はもう食べたでしょ?」

「僕じゃなくって、この人にお願いしますぅ」

「ええ~?」

 

小松田さんがためらいなくその女性に話しかけると、その人は何か作業をしていたのを中断して外に出て、私の方を見て言った。

 

「……あらっ!もしかして乱太郎くんたちを助けてくれた?」

「こ、こんにちは……」

「まぁまぁまぁ!お嬢さんにしては背が高いって乱太郎くんたちが言ってたけど本当に大きいのね~!

 三日安静って聞いてたけどもう良いのかしら?」

「いえ、あの、はい」

「わかった、おうどんだけじゃ物足りなくって出てきちゃったのね?

 そんなに大きかったらそりゃそうよねえ~。ごめんねおばちゃんたら気が利かなくって」

「いやそんな」

「何か食べたいものがあったら作るからリクエストしてちょうだい!」

 

中年の女性……自称しているのでおばちゃんと呼ばせていただくが、おばちゃんはどの時代でも勢いがすごい。

碌な返事もできないままにあれよあれよと話が進んでいく。

 

「って、あなた草履は?ないの?なんだか服も汚れてるし……」

「あ……保健室の方に置いてきてしまって……服も昨日から着替えてなくて……」

「保健室?医務室のことかしら?ったく男所帯だからって女の子に着替えの一つも用意しないなんて!

 いいわ、おばちゃんの服と草履貸してあげるからすぐそこの客間で着替えてらっしゃいな」

「いえそんな、そこまでご迷惑をおかけするわけには」

「いいのいいの!そんな汚れたまんま食堂に入ってもらうわけにもいかないし。

 はいこれ、着替えと草履。小松田くん、悪いけど客間まで案内してあげて」

「はぁ~い。それじゃ、こちらにどうぞ~」

 

そうこうしている間に着替えと草履を持たされた私は、食堂のすぐ隣にある客間に案内され「それじゃあ僕は仕事に戻るのでごゆっくり!お名前、思い出したら教えてくださいにぇ」と言い残した小松田さんを見送ることとなった。

二人の厚意を無駄にするわけにもいかず、下着はそのまま、ジャージと靴下だけ渡されたものに着替えて草履……否、木製のつっかけを履いて食堂に戻る。

 

「あの、着替えました。ありがとうございます。洗って返します」

「いいのよぉ!ってあらぁ~……わかってたけど思った以上につんつるてん……ごめんなさいねえ」

「いえ、私がでかいだけなんで……」

「ふふ、食べさせがいがあっていいわぁ!

 さ、何食べたい?なんでも言ってちょうだいね」

「えっと……じゃあお肉を……」

「お肉料理ね。そのままでいいから中に入って座ってて」

「……お邪魔します」

 

勝手口から厨へ、厨から食堂の中へ入ると、そこには大きな木の丸太を半分にしたような机と椅子が並んでいた。

その中の、一番厨に近いところに腰掛ける。

ちゃきちゃき動くおばちゃんの背を見ているとすぐにおいしそうな匂いが漂ってきて、それに呼応するようにお腹が鳴る。

 

「はい、どうぞ」

「わぁ……」

 

出てきたのはカツ丼だった。

カツをとじている卵が黄金色に輝いて見える。

 

「いただきます」

「お残しはゆるしまへんで」

 

おばちゃんがそのセリフを言い終わる前に、目の前のご飯にがっついた。

雑炊もうどんもすごくおいしかったのに、それらの比じゃないぐらいにおいしい。

おいしくて、幸せで、だからこそ引っ込んでいた涙がボロボロとこぼれ落ちるのを止められない。

 

「ぐすっ……ううっ……」

「あらら、どうしたの?おいしくなかった?」

 

厨からわざわざ出てきて背中を撫でてくれるおばちゃんのその言葉を、首をぶんぶん振って否定する。

 

「おっ……おいしいです……ッ」

「そう?なら良いんだけど……」

「お、おいしすぎるからっ……ッグ…」

 

小松田さんとおばちゃんの優しさが沁みて、もう少しここにいてもいいんじゃないかって、ここにいることを赦されたような気持ちになってしまう。

……本当は、早くここを出て行った方がいいのに。

私のそんな気持ちを知ってか知らずか、おばちゃんは言う。

 

「大丈夫よ。いくらでも作ってあげるからね。だから残さず食べなさい」

「っはい……!」

 

涙でしょっぱくなってもおいしいカツ丼は、あっという間になくなった。

 

 

 

「あの、すみませんでした。突然泣いたりして」

「いいのよぉ。女の子だもの、そういうときもあるわよね」

「あはは……」

 

女の子だからというわけではないのだけど、かと言って理由を説明できる気もしないので笑ってごまかす。

 

「あの、昨日の雑炊とか、今朝のうどんも作ってくれたんですよね。どっちもすごくおいしかったです。ありがとうございました」

「それが仕事だからね。でも嬉しいわぁ。食べっぷりも気持ちがいいし、お箸の使い方もとってもきれい。親御さんの育て方が良いのねえ」

「親……」

 

チリチリと心臓が焦げ付くような感覚がして、思わず胸のあたりを押さえる。

 

「どうかしたの?」

「あ、いえ……その、思い、出せなくて。両親のこと」

「そうなの……ごめんね。おばちゃん余計な事言っちゃったね」

「いいんです。気にしてません」

「そう?なら良いんだけど……」

 

実際、言われるまで両親のことなんて考えつきもしなかったのだ。

だからきっと、私にとって両親はそこまで身近な存在ではなかったのだろう。

……あのニュースの音声のことは、今は考えないことにした。

 

「さて、そろそろお昼ご飯作り始めないと……。

 お嬢ちゃんはこれからどうするの?医務室に戻るなら送るけど」

「あ……」

 

今は、というか当分医務室には戻れそうにない。

挑発されたとは言え、七松くんを傷つけてしまった。

それにせっかく手当してくれたのに、部屋を無茶苦茶に荒らしてしまったのだ。

新野先生や伊作くんに合わせる顔がない。

だから……。

 

「あの、良ければお手伝いさせてください」

 

問題の先送りにしかなっていないとしても、今はここにいたかった。

 

 

[newpage]

 

「しっかし、あの女どこに行ったんだぁ?」

「履物も荷物もそのままだ。そう遠くには行っていないだろうが……」

 

文次郎と仙蔵は医務室のある忍たま長屋の入口から、校庭の方をぐるりと時計回りに回った後、学園の外壁の上を校舎の方に向かって走っていた。

文次郎は学園の外側、仙蔵は内側をそれぞれ見渡していく。

あの見慣れない履物(現代ではごく一般的なシューズである)を履いていればすぐに足跡で分かっただろうが、生憎と医務室の前に置いていかれてしまっている。

 

「わざとだと思うか?」

 

痕跡を残さぬように、あえて目立つ履物を置いていったのか。

であればやはりあの女は手練れの刺客なのか。

文次郎は最小限の言葉で仙蔵に尋ねる。

それで十二分に伝わるのは、い組だからか、それとも同室のなせる技か。

仙蔵は言外の意図も余すことなく受け取り、返答した。

 

「どうかな……だが小平太を殺すつもりなら止めを刺す時間はあっただろう。

 小平太の苦無も転がっていたしな」

「そうなんだよなあ……」

 

どうにも人物像がチグハグとしていて、だからこそ次の行動が読みにくい。

それともそれすらも計算の内なのだろうか。

六年生の中でどちらかと言えば頭脳派の二人は、正門まで来たところで思考の海に飛び込む代わりに足を止める。

と、そこで、いつもなら正門のあたりにいるはずの事務員の小松田の姿が見えないことに気が付いた。

学園への出入りに関して人一倍厳しい彼は、外壁に登ったところで学園のどこにいても駆けつけてくる。

しかし今この瞬間にも、彼が現れる気配はなかった。

 

「おい、小松田さんは?今日は休みか?」

「いや、今朝一年は組が校外実習へ行くところを見送っていたのを見た」

「それじゃあまさかあの女……!」

 

小松田さんを手にかけて外に……!

二人がそう結論付けて外に体を向けたまさにその瞬間。

 

「あ~~~~!!!!!潮江くん!立花くん!外出するなら出門票にサインを!!」

「「こ、小松田さん!!」」

 

件の小松田秀作がいつもと変わらぬ様子でこちらに走ってくる。

その姿を見て、文次郎と仙蔵は先を争うように駆け寄った。

 

「小松田さん!無事ですか!?」

「どこか怪我とかはしてませんか!?」

「ほぇ?!な、なんで?」

 

六年生二人の勢いに呑まれる小松田。

その様子を気にかける余裕は今の二人にはない。

 

「俺たちずっと外壁の上を走ってたのに全然来ないし正門の方にもいなかったから……」

「どこかで動けなくなってるんじゃないかって思ったんです」

「僕はどうもしてないよ。正門から離れてたのは、ちょっと別のお仕事ができちゃってね。

 二人が外壁の上を走ってたのも気づいてたけど、外に出て行く感じじゃなかったから大丈夫かなぁって。

 でも心配してくれたんだにぇ。ありがとう」

 

柔和に笑って礼を言う小松田に、二人は胸を撫でおろした。

 

「いえ……無事で良かったです」

「ところで別の仕事というのは何ですか?」

 

何とはなしに尋ねたその質問で、また度肝を抜かれることも知らずに。

 

「えっとね、昨日君たちが運んできた女の人を食堂に案内してたんだ」

「「…………なんだってーー!??!?!」」

 

二人の叫びを相殺するように、ヘムヘムの突く鐘の音が響いた。

 

 

 

 




最後の絞め技について

裸絞め
→柔道着を使わないで自分の腕だけで絞める絞め技(他の絞め技は自分のか他人の柔道着を使って絞める)
柔道の場合、気管を潰して絞めるのでチョークスリーパーとほぼ同じ技。

チョークスリーパー
→正式にはリア・ネイキッド・チョークか。同じく腕で気管を潰して絞める技。

スリーパーホールド
→気管ではなく頸動脈を腕で絞める技。調べた感じ、柔道以外の格闘技(ブラジリアン柔術とか)は裸絞めといえばこっちを指している動画が多かった。


なので大きな括りとしては最後の技はどちらも裸絞めにはなるんですがより正確に言うとチョークスリーパーからのスリーパーホールドで絞め落としたという感じです。
スリーパーホールドはしっかり相手の後頭部に自分の胸部を押し付けて肩甲骨を引いて背中全体を使って絞める……と動画で言っていたのでこれが七松のあの発言に繋がります。

夢小説の解説ですか?これが……(すまない)

とはいえここから!ここからはもう上がっていくだけなんで!ね!!
三話後編から四話にかけて、七松くんと夢主の関係がどうなるのか、楽しみにしていただければ幸いです。
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