伊作に戦で助けられギャップに惚れたくのたま五年生の彼女。
周りが呆れるほど彼女の様子が変わるものの、実は変わったのは彼女だけではなかった話。

彼女は作法委員会所属。
後輩想いな仙蔵君と先輩を思い(?)な綾部君がいます。

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責任はとってもらわないと

■見惚れる

 

「大丈夫かい?」

 

声をかけたのは六年は組の善法寺伊作。忍術学園では見たことのないその姿に、彼女は思わず言葉を失った。見惚れてしまったのだ。

 

遡ること少し前。

実習にて、とある戦の双方の兵力・実力・戦術などを調査……つまり印を取っていた彼女。しかしその姿を戦中の城の忍びに見つかってしまい追われていた。必死に逃げるも追いつかれ、振り上げられた刀にプロと自分の実力差はこれほどかと覚悟を決めたその時。突然現れた誰かがその忍びを瞬く間に倒してしまった。一体誰がとその顔を見た彼女。その相手がいつも医務室で世話になっている六年の善法寺伊作だと気づくのに時間はかからなかった。

 

 

「もしかして、印を取っていたのかい?」

 

 

伊作は彼女に怪我がないことを確認すると、状況を把握しようと声をかけた。

 

 

「そ、そうです。助けていただきありがとうございます」

「気にしないで。それより、早くここから離れよう」

 

 

逃げてきた方角をちらりと見る伊作は、どうやら追っ手が来ていると呟く。そして「ちょっとごめんね」と声をかけたのち、彼女を抱えて伊作は素早くその場を後にした。そして安全な場所まで移動した伊作は彼女を降ろし「実習の邪魔しちゃってごめんね」と言うではないか。

 

 

「まさか! 助けていただいたのに邪魔だなんて……」

「でも君なら、あの攻撃よけられたんじゃないかと思って」

「いえ、あれは死を覚悟しました……」

 

 

そうだったの? と笑いながら返す伊作は「それじゃあ、実習がんばってね」とその場を後にした。その後姿を見た彼女は、彼の普段との違いに驚きを隠せなかった。いつもはお人よしで、くのたまたちにいたずらの対象にされていた彼。しかし戦場ではああも頼もしく実力のある忍びだとは。しかし改めて考えてみれば、戦場で人を助けるということはそこで生き抜く力量がなければできない事である。それができている時点で、彼は忍びとしても医療従事者としても相当な技術と覚悟があると言うこと。

 

その様な彼のすごさを目の当たりにした彼女は、気づけば伊作に夢中になっていた。

 

 

・・・

 

 

「もしよかったら、お手伝いさせてもらえませんか」

「え、いいの? 助かるよ!」

 

 

彼女が伊作に手伝いを申し出るようになったのは、その実習の後のこと。彼のその生き方に自分が少しでも助力できればという気持ちと、少しでも彼と一緒に居たいという欲が合わさって行動である。彼女が自分に心を奪われていると知ってか知らずか、伊作はその申し出に大いに喜び、共に戦場で医療行為を行ったり不運から助けてもらったりという日々を送っていた。

 

 

「伊作先輩、準備できてるので、いつもの場所で待ってますね」

 

 

そう言ったのは先日から色々と手伝ってくれている可愛い後輩で。休日の今日、杭瀬村の大木雅之助に二人で届け物をする予定である。届け物だけなら伊作一人で良いのだが、いつもその後畑仕事を手伝うことになる伊作。大木は彼の不運による雨を期待して呼んでいるのだが、せっかくならついでに畑仕事を手伝ってもらおうという考えである。そして道中不運に見舞われる彼を助けるために、食満がいけない日は彼女が同行することになっていた。

 

 

「今日もびしょぬれになっちゃったね……」

「ですね……でも、今日もいっぱいラッキョウもらえました!」

「食堂のおばちゃんも喜ぶだろうなぁ」

「野村先生は困った顔をしそうですけどね」

 

 

その言葉に「あはは、確かに」と困ったように笑う伊作。二人にとってこのやり取りはもう何度目になるか。以前は非日常だった二人での外出も、今では日常に変わっていった。

 

そんな二人が仲良くラッキョウを持って帰って来たその様子に、最近の二人を知る者たちは思わず呆れたのだった。

 

 

・・・

 

 

「先輩、そんなに伊作先輩と一緒にいたいんですかぁ?」

 

 

委員会活動中。同じ作法委員会の綾部喜八郎からのその言葉に、彼女は忍びらしからぬ表情を出した。つまるところ顔を真っ赤にし驚きを隠しきれなかったのだ。

 

 

「べ、別にそういうことじゃ……!」

「隠さなくたっていいのに」

「私は伊作先輩のお力になれればと思ってッ!」

「はいはいそぉですか」

「立花先輩! この後輩に何とか言ってやってください!」

 

 

顔を赤くして先輩である立花に泣きついた彼女。しかし当の立花は彼女の求めぬことを言う。

 

 

「素直は美徳だが、忍びならもう少し隠すことを覚えた方がいい」

 

 

その言葉に開いた口が塞がらなくなった彼女。まさかここで委員長から見放されるとはと、眉をこれでもかと八の字にして悲しそうなうめき声を出した。

 

 

「立花先輩まで……」

「お前の態度が変わったことくらい、少し見れば誰でもわかるだろう」

「……もしかして伊作先輩もそう思ってたりしますか?」

「さあな、本人に聞いてみたらどうだ?」

「できるわけないじゃないですか……」

 

 

肩を落として哀れな声を出す彼女。五年生なって随分と成長したと思っていた彼女がそんな素直な態度を出すとはと。色恋については存外初心なのだなと、目の前でうろたえる可愛い後輩をにふっと笑う立花だった。

 

 

 

 

■気づく

 

 

 

のんびりとしたいつもの日常を送っていた彼女の元へ思わぬ誘いが来た。なんとあの善法寺伊作先輩から次の休みに共に出かけないかと誘われたのだ。誘う雰囲気はいつもの手伝いのそれではない。おずおずとした表情で、気恥ずかしそうに街への買い物に付き合ってほしいというもの。もしやこれは、とうとうデートというやつでは……? と。その言葉に喜びを露にしそうになった彼女は、次の伊作の言葉に肩を落とす。

 

「留三郎もいるんだけど、」と。

 

 

・・・

 

 

賑わう街に揃って歩く女性が三人。

にこやかに笑ってはいるが、その内一人は気が気でなかった。理由は二つある。一つは意中の彼の女装姿だから。もう一つは、女性と思うには少々仕草や化粧に難がある彼の存在である。女装がバレた時の周囲の反応を考えると……と。唯一の女性である彼女はドギマギするのだった。

 

 

事の発端は伊作からの誘い。詳しく話を聞けば、女装の実習があるので一緒に買い物に行ってほしいということだった。男性目線ではなく、女性目線で自分たちに似合う化粧品を選んでもらいたいとのこと。デートではなく残念な気持ちの残る彼女だったが、共に出かけることができその上役に立てるのならばと二つ返事で了承した。

 

そして当日目の当たりにした彼らに絶句した。

魅力的な女性に扮した伊作と、そしてその隣に雄々しくたつ食満。化粧も立ち振る舞いもそれは……と思った彼女だったが、当の本人も伊作も「じゃあ行こうか」とにこやかに言う。その様子に、彼女は様々な感情を抑え込んで元気に「はい!」と答えるほかなかった。

 

 

 

 

「どんな色が似合うかしら、ねえ留子さん」

「そうねぇ、これはどうかしら、いさ子さん」

 

店先で可愛らしい会話をしている“彼女ら”は、自分達で見繕った紅を手に取り「どうかしら?」と彼女へ朗らかな笑顔を向けた。あの六年生のこの様な姿を見ることになるとはと思いながら、その紅を手に取り「素敵ですね」と笑顔を返す。そして並んだ品に視線を移し、二人に似合いそうな色を吟味する。そして「そちらも可愛いのですが、個人的には……」と付け足した彼女は並んだ品から二つ手に取り近くで改めて確認する。

 

「いさ子先輩にはこちらの色が、留子先輩にはこちらの色の方が私は似合うと思います」

 

それぞれを二人に手渡し、その手の色と紅の色を合わせてみた彼女は納得の表情で「やっぱりこちらの色が映えますね」と。そう柔らかい笑顔で伝えると、「どうかしら?」などと言ってはいたが実は色の違いなんてわかっていなかった二人は「そ、そうなの……?」と照れた顔。

 

「白粉と頬紅がこの色でしょう? それに肌の色を踏まえて考えると……お二人にはやはりこちらです!」

 

自信満々の笑顔でそう言う彼女に気圧された二人は「あなたがそう言うのなら……」と素直にその紅を購入した。

 

・・・

 

「今日はついてきてもらえてよかったわ~」

 

と、そう言うのはいさ子。茶屋で休憩していた“彼女”は買った紅をまじまじと見ながらそう言った。正直自分では全く何色が自分の肌に似合うなどわかっていなかった。それを女性である彼女に「あなたの肌の色ならこれが似合う」と選んでもらえたのだ。次の実習にも安心して臨めそうだと安堵の息を漏らす。

 

「確かに、自分じゃ全然わからなかった……わ」

 

少々性別を忘れかけた食満もそれに同調した。

そんな二人に「それはよかったです」とはにかんだ笑顔を返す彼女だったが……食満の座り方、そして胸元のはだけ具合が気になってしまう彼女。どうしても、じぃ……っと食満を見てしまう。

 

「あら、留子さんがどうかした?」

「あ、いえ、その……」

 

いさ子にそう言われ気まずそうに視線をそらせた。ここで食満先輩に気があると思われては困る。しかしこの彼女……いや、すでに“彼”の姿に何も言わないのも……と思った彼女は意を決して留子へと視線を戻した。

 

「少し失礼しますね、留子先輩」

「?」

 

二人が不思議そうな顔をしていると、彼女は留子の胸元をいそいそと直すではないか。驚く彼らを気にも留めず、少々困ったような笑顔を携えている。ずっと気になっていたのだ。座り姿勢だけでも雄々しさが隠しきれていないのに、はだけた胸元からは筋肉質な胸が露になっておりこれではと……。

 

「ま、まあ……ありがとう」

「いえ、お気になさらず」

 

照れた留子と柔らかな笑みの彼女。その二人の姿に、これが女装していなければまるで仲睦まじい恋仲だろうと思ってしまった伊作。ほほえましいはずのその情景になぜか妙な違和感を覚える。その違和感が何かを言葉に表せないまま、伊作は思わず彼女の手を取った。

 

「ねえ、私にもなおすところがないか教えてくれない?」

 

少々強引に彼女の手を取った伊作は「ねえ、何かないかしら」とまた尋ねる。その表情は若干拗ねたような顔で。手を取られた彼女は初めて見る彼のその表情に、思わずかわいらしさを感じこう言った。

 

「いさ子先輩は、その、……お綺麗です…………」

 

何かないかと問うてみれば、視線を外して頬を染めながらそんなことを言う。伊作はそんな彼女を可愛らしいと思ったが、そう感じると同時に衝動的に手を取ってしまったことに気づいた。女性に対してなんてことをと、伊作ははっとした表情で手を放す。そして申し訳なさも相まって、慌てて「そ、そっか、ならよかった」と彼女同様目をそらせ少し頬を染めながらそんな風に返した。

 

それを間近で見ていた留子。彼女の一方的な思いかと思いきや、存外これは違うのかもしれないと同室の無自覚な春への予感に呆れたように笑みをこぼすのだった。

 

 

 

そうこうしているうちに良い時間になり。

彼女から女装のお墨付きをもらった伊作は嬉しいやら残念やらな複雑な胸中で買い物を終え、そしてそんな伊作の姿に胸の高鳴りを抑えきれない彼女。そんなみずみずしい二人を他所に「これで次の実習は完璧だぜ!」と謎の確信を得ている食満。無論、彼は不合格である。

 

 

・・・

 

 

その夜。

茶屋での出来事にあれは一体なんだったのだろうかと思いを馳せる彼がいた。二人が仲良くしている姿は素直に嬉しい。その上女装の指南を受けている姿に対して自分も学ばなければと思いながら見る光景だったはず。であるにもかかわらず、沸き上がった感情はそうではなかったのだ。未だ言葉にできぬ淀みのような何か。気を紛らわせないかと寝返りを打つもそのようなことで消えるものでもなく。

 

随分と考え込んだ彼は「ねえ、留三郎」と声をかけた。しかしいつもなら返ってくるはずの返事はない。もうそんなに時間が経ってしまったのかと。

 

そんなことにも気づかなかった自分に呆れつつ、彼は静かに目を閉じ朝を待つのだった。

 

 

 

 

 

■収める

 

 

 

 

「化粧の仕方を教えてくれ!」

 

とある日、自分を呼び出し二人になったかと思えば先輩である食満留三郎は開口一番そんなことを言うではないか。その彼の綺麗なおじぎを前に困惑した彼女は理由を聞いた。いや、理由など聞かなくてもわかるのだが。念のためと尋ねると、予想通りの回答が返ってくる。

 

「俺と文次郎と小平太だけ再実習になってしまったんだ。あいつらには負けたくない!」

 

特に文次郎には! と。だから化粧を教えてくれと食満留三郎は彼女へと頼んだ。作法委員会の彼女、化粧に関しては他のくのたまよりも仙蔵仕込みの技術も相まって抜きんでている。その上先日買い物にも付き合ってくれているのだ。頼りになるのは彼女しかいないと食満は思った。

 

その彼の気合いの入った依頼に、理由を分かっていた彼女は頭を上げてくださいと頼み「私が力になれるのなら」と快諾した。

 

というわけで。授業後の誰もこない六年は組の教室で化粧の手ほどきが行われることとなった夕刻。机を挟んで白粉の付け方や頬紅の差し具合などを指南する彼女。その指示通り自分の顔でも試してみるが、どうもうまくいかない様子の食満は難しい表情でぽつりとこぼした。

 

「塩梅が難しいな……」

「慣れですよ。……そうだ、一度私が先輩にお化粧しましょうか? 目指す形が分かればやりやすいかも」

「なるほど、一理あるな」

 

頼んでもいいか? と食満が問うので、ここまで付き合ったのだからと「勿論です!」と、彼女は元気よく答えたのだった。

 

 

・・・

 

 

食満に用があった伊作は普段彼が放課後いるであろう場所を探していた。しかしいつもならいるはずの場所にいないではないか。困った彼は最後にまさかとは思いつつ教室へ向かう。戸の窓からひょっこり中を覗くと、そこには探していた食満の姿が。そして食満の顔に触れながら、柔和な笑みで化粧を施す彼女の姿も。

 

思わずしゃがんで気配を消し身を隠す伊作。

なぜ、彼女が留三郎の顔にと。妙に心臓が早く動くのを感じながら考えようとするがうまく考えがまとまらない。普段の彼ならすぐに気づくであろうその事実に、今の彼がたどり着くまで時間を要した。その間にも楽しそうに会話をする二人の声が聞こえる。しかし何を話しているのかまで理解ができない。

 

嫌だ。

 

真っ先に自覚できた心はそれである。

一体何が嫌なのか。一体なぜ身を隠したのか。

 

落ち着かせるように深呼吸をした彼は状況を整理した。会話を聞き取ることに集中すれば、どうやら文次郎がとか実習ではなどの声が聞こえる。そこでようやく、ああ例の補習の件かと胸をなでおろした。化粧をしている時点で気づけるはずだったのになぜ、とも彼は思った。

 

そして静かに立ち上がり、とりあえず離れようと医務室へと踵を返す。戻った医務室は珍しく新野先生も他の保健委員の後輩も不在で。伊作はその静かな部屋で、一人思考を張り巡らせた。

 

なぜ身を隠してしまったのか。

なぜ最初に浮かんだ言葉が「嫌だ」だったのか。

 

考えれば考えるほど、一つの答えにたどり着く。しかしそうではないはずだと、彼は必死に違う答えを探すもやはりたどり着く先は同じで。

 

生れてはじめて気づいたその気持ちに思わず困惑する伊作。しかも相手は同室の食満留三郎。まさか、まさか自分にもそのような感情が湧くとはと。

 

ようやくその感情を自覚し受け入れた伊作の元へ、下級生たちがやって来た。

 

「あ、伊作先輩! お戻りになったのですね」

「食満先輩は見つかりましたか?」

 

可愛らしく尋ねるのは乱太郎と伏木蔵。戻って来た伊作に笑顔で駆け寄り声をかける。そんな可愛い後輩二人の頭を撫でながら伊作は返した。

 

「まだ見つけられてないから、少し留守番を頼んでもいいかな?」

 

すると「はーい!」と元気よく重なる二つの声。にこやかな後輩の笑顔につられ同じく笑顔で「ありがとう」と返事をした伊作は足早に医務室を後にした。

 

 

・・・

 

 

「ねえ、僕にも化粧、教えてくれないかな?」

 

食満への化粧も終わり委員会活動へと戻っていた彼女。突然現れた伊作に呼び出されたかと思えば先ほどまでいた六年は組の教室へと連れられそんなことを言われた。

 

「でも伊作先輩は十分お綺麗でしたし……」

「留三郎にはして、僕にはしてくれないの?」

 

まるで置いていたかれた子供の様な寂しい表情を浮かべる伊作。しかしその表情の中に、声に。どこかいつもの彼ではない面影を感じた彼女。なんと表現すればよいか分からぬが、じわりと追い詰められる様な空気を感じてしまった。自然と頬に汗が伝う。しかしまさか伊作先輩がそのような圧など……と彼女は頭を振りそんな思いをかき消した。

 

そして、実習を合格しているはずの彼からそのようなことをお願いされるとはと考えを戻す。食満先輩に教えていたことを知られていたなんて、一体いつの間に。というよりも、好いた相手の顔を見つめながら化粧を施すことほど難しいことはない。と彼女は思った。それと同時に「他の者にはして自分にはしてくれないのか」と、そのようなことを想い人から言われて断れる人間は少ないだろうとも。故に、彼女が返せる言葉はこれしかないのである。

 

「い、伊作先輩の頼みなら……」

 

 

 

 

 

食満も整った顔立ちだが、伊作も綺麗な顔をしている。自分の顔を見本にしてみせれば、その綺麗な顔に至近距離でまじまじと見つめられ。一通り説明し終えたかと思えば「僕の顔で試してもらってもいい?」など言われてしまい。先ほど食満にしていた化粧の時にはなかった胸の高鳴りを感じながら、その整った愛らしい顔へと化粧を施した彼女。

 

「こんな感じですが、いかがでしょう……?」

 

頬紅以上の朱がさしたその顔で伊作に鏡を渡す。化粧が大変だったとでも言うような表情で、その実高鳴る胸のせいで上がった熱を逃がすように手で顔を扇いだ。

 

「すごく綺麗だよ、ありがとう」

 

手鏡を見た伊作はすぐに視線を彼女へと戻し、にこやかな顔で彼女を見つめてそう言うものだから。「よかったです」と無難な返事をした彼女は「しかし熱いですね~」などと窓の方を見やった。故に不意に伸びてきた手に気づかず。気恥ずかしそうに視線をそらせる彼女の髪をさらりと掬い、男はこう言った。

 

「こういうことをするのは、僕だけにしてくれないかな?」

 

そのいつもと違う声色に思わず「え」と視線を戻す彼女。そこにはいつも見ていた“伊作先輩”はおらず。目の前にいるのは綺麗な女性のはずなのに。自分の髪に触れる伊作の手に、自分を見つめる彼の表情に。普段はみない、しかしどこかで見たことのある顔。そうだ、あの時。戦場で助けてもらった時と同じようなあの顔だと。そこに気づいてしまった彼女は女性の姿であるはずの伊作にときめいてしまい。「は、はい……」と答え顔を赤くした。

 

そんな彼女に「ありがとう」と笑顔で返す伊作。しかしその笑みもやはり普段と違う。

 

「でも、あの、なぜ――」

「それじゃ、僕は医務室に戻らないといけないから」

 

教えてくれてありがとう、と。

ぱっと空気の変わった伊作は言うなり教室を後にした。残された彼女は一体あれは何だったのかと、先ほどの出来事を改めて思い返した。そして起こった事実をきちんと認識してしまう。

 

途端に顔が更に熱くなる彼女。硬直し頭が真っ白になり固まる彼女の耳に、聞きなれた声が入って来る。

 

「一人で何をしている」

「た、立花先輩!」

 

不思議そうにこちらを見つめる立花に、今日の出来事を説明できるわけもなく。「な、なんでもないです!」と顔を真っ赤にした彼女は慌てて教室を去るのであった。

 

そんな彼女と、そして少し前にすれ違った伊作の顔を見て合点がいく立花。踵を返し綺麗な髪をなびかせた彼は男の元へと向かった。

 

 

 

 

「伊作、」と。立花が声をかけるといつもの声色で「どうしたんだい、仙蔵?」と返す彼。しかし表情は普段と違う。かわいい後輩に何をしたのかは知らないが、少々いたずらが過ぎるのではと言葉を返す立花。

 

「そんなことをしなくても、あいつがお前から離れることはない」

 

「だからあまりいじめてやるな」とあきれた声で続けると、普段の笑顔に戻った伊作は口を弧にし、しかしどこか重い何かを秘めた瞳で言う。

 

「知ってる」

 

そう言いながら手に持っていたあの時の紅を懐の奥にしまい込んだ。まるで、彼女はすでに自分の手中にあるとでも言うかのように。

 

 

 


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