1.英雄が死んだ後に
迷宮都市オラリオには『古代』の英雄を讃える神殿がある。
そこには名が伝わらなかった英雄や精霊の遺物もまた保管されていた。
仕事を求めこの都市にやってきたアルバス・ソルヴァルクスは夜そこを訪れ、一通りを見たあと宿に帰り眠りについた。
自分が立ち去った後、端に置かれていた錆びた剣──『
△△△
『古代』初期、人類が魔物に追いやられている時代。
その時代に、一人の『英雄』がいた。
怪物を退け、人々を照らし、まだ世界は終わっていないと動いた者。
光の剣を掲げ、怪物を撃滅し、『
烈日を背負い、光輝たる威光を放つ、精霊と共に在る者。
『
英雄の名はケイオス。
世界を救った、大英雄である。
△△△
「これ俺!?」
妙な全身の痛みと高熱に目を覚ました俺はベッドから飛び上がると同時に叫んだ。
ごちゃ混ぜになった前世の記憶と今世の記憶、その濁流を前にベッドに倒れ込む。
頭が割れるような痛みが止まらない。
のたうち回りながら情報の濁流に耐えていれば、見過ごせない事に気が付いた。
「てか俺いなくない……?」
今まで読んできた英雄譚で、
『王都』を守るために単身で千に迫る怪物の大群と戦ったというのに。
とんでもなく強い漆黒の竜を追い払ったというのに!
今世で読んだ英雄譚の中で、一回もその名前を聞いたことがない。
そんな事あるか?
部分的にしか思い出せないけど、俺すごい頑張ってたぞ!?
あの時代の吟遊詩人何してんだ!?
けれど、そんな文句の矛先である相手はいなくて、ガンガンと痛む頭痛を耐えながら、俺は一人唇を噛むことしかできなかった。
△△△
迷宮都市オラリオの活気は他の国と比べても一線を画すほどに凄まじい。
今から迷宮に向かうと思わしき武器を携えた冒険者、客を呼び込む多くの店、街を駆ける子供たち。熱気とすら形容できそうな程に、笑顔と活力で満ちていた。
「あれから平和になったんだな……これ美味いな」
街を歩きながら、一人呟く。
朝食代わりに買ったじゃが丸くん──潰した芋を揚げたものらしい──を頬張りながらオラリオを見て回ると、その活気が肌で感じられる。
どこか記憶の中の『王都』を思い起こさせるこの街は、けれどあそことは決定的に違う。なにせ、此処は
「世界は終わらなかったのか」
本当に人類は成し遂げたんだな、と他人事のように思った。
実際の所、他人事だ。
前世の記憶を思い出した、とは言ってもどちらかというと『記録』を見たような感覚で、全体的に擦り切れていてぼやけていた。
何となく怪物と戦っていたこと、竜と戦って死んだことは分かるが、詳しいことは思い出せない。
「──」
なんて考えているとふと、感覚が鋭敏になった。
身体の末端まで詳細に把握できる。だから気づく。
「誰か見てる……?」
視線を感じた。
何処からか分からない。だが、確かに感じた。
えぇ、何? 知り合いとかいないし……俺そんなおのぼりさんだったか?
……まぁ、今は感じないし、気にしても無駄だな。
話を戻すが、『ケイオス』の記憶を思い出しただけで、俺は『ケイオス』ではない。
無意識に混同している部分があるが、アルバス・ソルヴァルクスのままだ。
そう、決して『英雄』ではないのだ、俺は。ほぼ別人だろ、前世の自分とか。
「……うん、良い世界だ」
街並みを見渡して、そっと呟いた。
もう
今の世界には嘗てとは違う『英雄候補』が多くいて、神の恩恵を宿し己の可能性を切り拓き、世界を革新させていく彼らの前では、古ぼけた力なんて必要がない、と思った。
今世はなんか適当に働きながら英雄たちの活躍聞いたりして、そんな感じでのんびり暮らそう、と思った。
たぶん、前世の自分もそういう未来を望んだんだろうなと、何んとなく、そう思った。
「…………とは、思ってるんだけどな」
本当に、何をしてるんだろう。
眼前に広がる、バベルの巨塔。
今も冒険者が出入りしている迷宮への入り口に俺は来ていた。
一本の長剣──オラリオ北西にある武器屋で買った──の柄を握り、自嘲とも言い訳とも取れる声音で吐き捨てる。
きっかけは些細な事だった。
前世での日々は思い出した限り、戦いの連続だった。怪物を殺して、殺して、殺して……そんな殺伐とした記憶が大半を占めている。
満足に武器があることすら珍しい、なんてことも少なくはなかった。
限界寸前で戦ってきた、そんな記憶があった。酷いもんだ、よく今まで滅びなかったなこの世界。
そんな事を考えながら街を探索していると、武器屋が目に入った。そこには、前世と違い多くの武器が飾られていて。気が付けば中に入っていた。
そうして並ぶ武器達を見ていると、ふと一つの衝動が湧いてしまう。
「1回、1回で良い。ただ見たいってだけだ」
ダンジョンに入りたいと、思ってしまった。
『ケイオス』が生きた時代、目と鼻の先だった
蓋をしただけで、内部は未だ怪物が跋扈することに変わりない地下迷宮。
ついぞ辿り着くことがなかったその大穴をこの目で見たいと、そう思ってしまった。
一度考えてしまえば、もう抗えなかった。
多いとは言えない手持ちの金を使って剣を買い、冒険者用の外套に身を包み、迷宮の入口に赴く。
何となく、長剣の重さが懐かしい気がする。感覚的な部分はかなり
幸いなことに
良かった、心のなかで息を吐いた。
バレたらどうなるか、考えたくもない。
今の世界で迷宮に入るには冒険者になる必要があり、その冒険者になるには
精霊の加護に似た──いや、これって繋がってるのか。精霊の加護をより汎用的な機能に変えたのか……? まあそんな
こんなことはただの一度きりであり、これ以降はオラリオで職を見つける気なのだ。
もし入るのなら農業系とか料理系とかがいい。平和に生きたいよ、俺は。
軽く調べた限り上層に出現するのはゴブリンやコボルトといった低級の怪物であり、その程度なら神の恩恵がない今の身体でも退けられる。
前世の記憶を参照し、
「ここが迷宮か」
特に問題なく、すんなり迷宮に入れた。
青みがかった壁、辺りを照らす光。そして、
地上の法則から隔絶した、地獄の具現。あるいは、神秘に満ちた世界。正しく異界であった。
綺麗だな、と思った。
悍ましい、とも思った。
それ以上の感想が出てこない。
胸の中で渦巻く感情が大きすぎて、言葉にならなかった。
「…………」
迷宮内を歩き回る。怪物の気配を感じれば、遭遇しないように避けていく。普通に殺せるだろうけど、最低限の自衛以外をする気はない。
そんな感じで階層を数層降りた時、突然迷宮の壁に亀裂が走った。
剣を抜くと同時に意識を集中させると、壁からゴブリンが現れる。
壁を突き破り、侵入者を排除するように、生み出される。
最初から成熟した姿で動き回る
産まれたばかりのゴブリンは俺の姿を捉えると、牙を剥き突っ込んでくる。
先手を打たずに相手の攻撃を待った。知性が感じられない杜撰な攻撃を躱し、隙だらけの相手に剣を振るう。
銀の軌跡を描き、長剣が正確に魔石を穿った。
舞い散る灰を切り裂きながら、剣を鞘に納める。そして一つ溜息を吐いた。
「……弱いな」
ゴブリンが、ではなく俺自身が。単体のゴブが弱いのは分かりきってるしな。
回避から攻撃。一連の動きを通して、
体格は前世の成長しきっていない時と同等。ある程度の身体は出来上がっているが、まだ発展途上だ。全盛期には及ばない。
技術自体は魂にでも染み付いているのか、衰えはあまり感じない。
いや、衰えたという表現が正しいかは分からないが、かつてより明確に劣っている。
素振りをして感覚の差異を調整しつつ現在の実力を分析し、一つの結論を出した。
───
分析を纏め、思考が完了した。
その途端だった。
『ヴオオォォオオオオ!!!』
刹那、脳裏によぎる一種の怪物。は? おいマジか。迷宮って実力ごとに出現階層変わんじゃないのかよ。
「ミノタウロス……ッ!?」
咆哮を聞いた直後、続くように耳に飛び込んだのは人間の足音だった。
焦るように、足音の回転数が早い。明確に何かから逃げる時の音だった。
「─────」
自衛以外はしない、だとか。
俺の出る幕じゃない、だとか。
そういう、
動かないなんてできない。
この声を無視なんてできない。
助けを求める人を見捨てられるわけがない。
動け、と叫ぶ魂のまま、地面を踏み抜く。
考えるより早く、ただ全力で駆け出した。
クソッ、遅え! 上手く動かない身体に苛立つ。
「【
出し惜しんでる場合ではない。
だから俺は、
「────【ルクス】ッ!!」
起動する『全力』───
瞬間、俺は光と化した。
◇
兎のような白髪を揺らして、その顔を恐怖に染め上げながら、迷宮をひた走る。
後ろから聞こえる猛牛の鳴き声と足音から逃げるように。
迷宮第五層をベル・クラネルは死に物狂いで駆け抜けていた。
調子が良いからと、エイナの忠告を聞かずに五層に足を踏み入れたベルを待っていたのは、本来居る筈のないミノタウロスだった。
Lv.1の、それも駆け出し中の駆け出しであるベルではLv.2であるミノタウロスには傷一つ負わせられない。
抵抗が抵抗として成り立たず、ただ一方的に蹂躙されて終わるだろう。
必然、逃走。
拠点にて帰りを待つ主神を置いては逝けないと、ベルは生存を目指してこれまでの生涯で最速の逃亡を敢行した。
その走り様たるや脱兎の如く。
Lv.2の中では遅いミノタウロスとは言えど、その能力差を覆すほどの逃げっぷりをベルは見せていた。
まだ追いつかれていないという事実が、ベル・クラネルの快挙の何よりの証左だった。
けれど。
「ハッ、ハッ、ハッ……!」
息が荒い。
酸素を取り込まないといけないのに、肺が正常に動作しない。ただ鈍い痛みが広がっていくだけだった。
喉の奥から血の味が込み上がってくる。
全速を出し続けているからか、視界が歪み始めた。
徐々に、徐々に距離が縮まってきた。
疲労により僅かに緩まった勢いを、ミノタウロスが喰い潰しているのだ。
「ッ……!」
懸命な頑張りをまるで無駄だと言うようにミノタウロスが笑ったのが、背中越しで伝わった。
繰り広げられる逃走劇の最後は、呆気なく訪れた。
四方に広がる
壁にぶつかりそうになっている事に寸前まで気づかず、咄嗟に止まる時に勢い余って転けた。
ゴロゴロと転がり、結果的にベルは壁に寄りかかる形で尻餅をついた。
「う……ぁ」
ドスン、ドスン、と奥から足跡が響き渡る。
聞きたくなくても聞こえてしまう猛牛の荒い息に、ベルは息を詰まらせた。
来ないでと願い、しかし叶うはずもなく曲がり角から猛牛は現れた。
異常発達した体躯は人を優に上回り、握られた石斧は荒々しく高い破壊力を想起させる。
恐怖に思わず、涙が浮かんだ。
「い、いや……! 助、けて…………」
ミノタウロスとの距離はもうない。
このまま斧を振り下ろされ、自分の頭はかち割られて終わりだ。
鮮明な光景として未来が見えた。
今際の際、その言葉は特定の誰かに言ったわけでもない。
此処に居るわけもない
『オオオオオォオオオォ……!!!』
その嘆願を意に介さず、ミノタウロスは斧を振り上げる。
ここは迷宮。誰の祈りも届かない、地下に広がる異界。
その
瞬間、迷宮に破砕音が轟いた。
「…………?」
来るであろう衝撃に目を閉じていたベルは、異変に気づく。
轟音があったのに、その瞬間が訪れない。
開けた視界に映っていたのは石斧が柄を残して消えて困惑するミノタウロスと。
その奥で輝く、一筋の光だった。
「え?」
『ヴォ?』
光が瞬いた。
幾多もの線が猛牛の全身に走る。
一拍置いて、思い出したかのように肉片としてずれ落ちるミノタウロス。そこから顕になった魔石を、光が穿った。
ベルが流血を浴びるよりも早く、ミノタウロスは灰へと変わった。
舞い落ちる灰の奥に立っていたのは、一人の少年だった。
黒髪と、蒼の瞳。顔立ちは鋭い気配と相まって少し年上に見える。
灰を払うように振るった剣から光の粒子が舞った。
まるで物語の英雄のような、その姿。
ベル・クラネルが憧れた英雄そのものが、そこにいた。
頬が熱い。
耳の先まで赤くなっている自覚があった。
先程までの死の恐怖から来る動悸よりも、ずっと早く心臓が動く。
憧憬は眼前。配役は完璧。想いはド頂点。
その余りの情報量にベルの意識が遠のく。
暗くなる視界の中で、黒髪の少年が驚愕に満ちた表情を浮かべるのを見つけた気がした。
そうして、ベルの意識は暗闇に落ちたのだった。
△△△
(私よりも、速かった)
その一部始終を見ていた者──アイズ・ヴァレンシュタインは目の前で起こった光景に目を見開いていた。
『遠征』の帰り、アイズたちから逃げだしたミノタウロスを追いかけ、そして最後の一匹を見つけた。
アイズが最初に目にしたのは、壁に追い詰められた白髪の
もはや間に合わないのではと思うほど、少女に迫る危機は近かった。
アイズが魔法を使った全速力でようやく間に合うかもしれない、ぐらいのギリギリの状況。
アイズが走り出す、その刹那。
その横を、何かが通り過ぎた。
風を、光が追い抜いた。
それは斬撃だった。
それはアイズの目を以てしても見切れぬ光速の斬撃だった。
それは時すらも纏めて斬り裂くような、荒々しく鋭い斬撃だった。
気づけばミノタウロスは灰となり散っていた。
見たことがない人だった。
見たことがない、のに。その剣は
Lv.換算5──6に匹敵するその能力を持つ少年の情報が一切ないという異常。
そして、なにより。
その少年からは、
共鳴するように騒ぎ立つ、アイズに流れる精霊の血がそれを確かに知らしめる。
「貴方は……」
倒れた白髪の少女に駆け寄った少年に近づく。
数歩進んだところで、少年がアイズに気がついた。
向けられた顔。金と蒼の瞳が交差する。
その瞬間、少年の顔を驚愕が満たした。
「アリズ・ヴァレドシュネイン……ッ!?」
「…………誰?」
全く知らない名前だった。というか、この世界に存在しない名前であった。
◇
金の長髪に、同じ金の瞳。
蒼の軽装に身を包んだ剣士。
女神すら嫉妬するような美貌。
神々から与えられし二つ名は【剣姫】。
俺はアイズ・ヴァレンシュタインという少女の情報を知っていた。
オラリオに到着した日に街中で聞いた話から、その少女の容姿を何となくアルバスは知っていた。
だから、一目で彼女がアイズ・ヴァレンシュタインではあると分かった。このレベルで特徴が揃ってる美人が複数人いる訳ない。いたら凄いよ、この都市。
けれど。
けれどである。
それと同時に。
靄がかかった様な記憶の一部が、その少女の容姿を見た瞬間、
まるで切り取られた頁が復元されたように、とある王女の事を思い出したのだ。
想起される前世の記憶。即ち、
重なる二つの姿。脳がバグった。
何なら、助けた少女からも同様の事が起こっている。
アルゴノゥト。道化の振る舞いをする、始まりの英雄。
男である。そう、男なのだ。
助けたのは少女。逃走していたからか、髪で顔が隠れていた。
ミノタウロスを殺して正面から顔を見て、姿が重なった。
俺はもう限界だった。
なので普通に名前を間違えた。
アイズ・ヴァレンシュタインとアリアドネがごちゃ混ぜになった、なんかもう別人の名前にしてしまった。
マジで誰?
「えっと、それは誰…………?」
本当に誰なんでしょうね。
貴方の前世の名前とごっちゃになった貴方の名前です。なんて、そんな気の狂ったような事を俺は言うことができなかった。
ベル・クラネルというTSが似合う主人公。見た目はダンメモで出た女装姿。ほぼメーテリア。
全12話予定。
原作一巻、外伝一巻までの内容。
書き貯めは7話までしかないのに投稿したくなってしまったので投稿。
毎日投稿が何時までできるかは未来の自分に期待して頑張ろうね!