苦しい、と少女は泣いた。
誰も助けてくれないのだから誰もが自分のようになってしまえばいい、と少女は思った。
どうして私はこんなに───と、少女は嘆いた。
リリルカ・アーデにとって、生とは即ち苦痛であり、いずれ訪れる死のみが安寧への切符だった。
親から金を強要された時から。『神酒』を飲んでしまった時から。或いは、この世に生まれ落ちた瞬間から。
幼少から変わらず、リリの生きる現実は地獄だった。
そう、地獄。
一切の救いのない、搾取されるのみの地獄。
差し伸べられる手のない孤独/苦痛を地獄と言わずして何というのか。
最初に自分が何を望んだのかすら分からない。
お前には過分だと取り上げられたから、思い出すと苦しいから、忘れてしまった。
与えられたものなどない。向けられたのは歪み切った侮蔑。
どうしてこんなにも厳しいのだと、少女は哭いて。
救いなんてないのだと、少女は諦めた。
だから、自分で何とかするしかないと少女は気づいた。
罠に嵌め、騙し、全部奪ってやるのだ。
その先にはきっと、自由と希望がある筈だから。
だから、灰を被って欺こう。
リリルカ・アーデには、それしかないのだから。
△△△
「乾杯~~~~!!!!!!」
手にデカいジョッキを持ち、アルバスは馬鹿でかい声で音頭を取った。
これには酒場にいた他の客もブチ上がり、負けず劣らずの声量でアルバスに乗っかる。もはや建物自体が揺れているかと間違えそうなほどの騒がしさだった。
『豊穣の女主人』は完全に宴のテンションに包まれていた。何なら画風も変わっている。今なら海賊王を目指して大航海時代が始まりそうだ。
彼らが此処、『豊穣の女主人』にやってきてから少し経ち、テーブルに料理が運ばれ始めた時のことだ。
何故か席に着いたシルも含め各々が手に飲み物を持ち、乾杯とグラスをぶつけようとすれば、急にアルバスが立ち上がり音頭を叫んだのである。
「ア、アルバスさん……? 急にどうしたんですか?」
「いや突然宴をしたくなってさ」
「アルバスさんって元は海賊なんですか?」
「まぁ海を横断したことはあるかな」
「本当に海賊なの……!?」
ベルに適当なことしか言っていないアルバスの姿を、リリとシルはじっと見つめていた。
その騒がしさに耳を抑えていたリリは、周りから感じてた
人の悪意に敏感であるリリにしか気づけないような違い。
(まさか……そのために?)
見窄らしいパルゥムである自分は置いておいて、ベルとシルの容姿は整っていて人の目を引く。
そこに男はアルバス一人。まるで侍らしているようにも見れる。
当然、そこには妬みが生まれ、酔いが回った冒険者であれば
「ま、楽しく食べたいだろ?」
チラと、アルバスと目が合い、リリは確信する。
彼は
やはり自分の知る冒険者像からかけ離れているアルバスにリリの困惑は強まるばかりだった。
「ありがとうございます、アルバスさん」
「さあ、なんのことだ? けど、ありがとな」
瞠目するリリをおいてシルは顔を近づけ、こそこそとアルバスにお礼を言った。
いや、こそこそとしてはいるが実際は明らかに見せつけるような挙動だ。確信犯である。
それに気づかずにアルバスは『自分の意図を察してくれた』と解釈し、シルへの好感度が上昇した。
「……何を話してたんですか?」
「いえ? 何も話してませんよ?」
「むぅ…………」
流れが悪いとベルが
しかし一枚も二枚も上手なシルにいなされてしまう。ここで追及できないところにベルの弱さが詰まっていた。
現状、ベルは恋愛頭脳戦において最弱であった。
「そ、そうだっ。アルバスさんの魔法ってすごく綺麗ですよね! 僕もあんな魔法、使ってみたいなぁ……」
「ああ、それはそうですね。あの時も、とっても綺麗な光でした」
苦し紛れの話題転換として、動転していたベルは自分の憧れの方向に話しを持って行った。
他の話題ならシルも『えっと……急にどうしました?』と盛大な冷笑をかましベルを殺していたが、そんな様子はなく同意を示した。
両者、夜にそれぞれの
「やっぱり、魔法の発現って難しいんでしょうか」
「うーん、どうなんでしょう。本を読むのがいい、みたいのは聞きますけど。ベルさんは本はお読みになられますか?」
「あ、はい。英雄譚とかは特に…………」
二人は
ちびちびと
確かに、彼の光は綺麗だ。
けどそれは誰かと共感し共有するものではなく、胸のうちに秘めるべき美しさなのではないか。
こいつら分かってねぇな、とでも言いたげな顔をしていることにリリは気づいていない。
擦れて捻くれた少女は普通に逆張っていた。
そんなリリに、アルバスが声をかける。
「騒がしいの、苦手だったか? ごめんな」
「い、いえ……あれって、わざと……なんですよね?」
「シルにもだけど全然バレてるじゃん……まぁ、そうだよ。そんなに露骨だった?」
「かなり露骨でした」
リリは真面目な顔で頷いた。
逆にあれが露骨でないとしたら、それは日ごろからバリバリ海賊やってることになるので当然だった。
アルバスはそんなか……と渋い顔をしてから口を開く。
「違ったら申し訳ないけど、あんま
「……出会ったばかりのサポーターに、そこまで気を遣う必要はないんじゃないですか」
口をついたのは皮肉がかった言葉だった。
咄嗟に、リリはその暖かさを否定しようとしていた。
「…………そうかもしれない。けど、君の存在はすごく助かったし、これからも良い関係で…………ごめん、嘘だ」
言葉を続けようとしていたアルバスが首を振った。
やはり嘘だ。そんな冒険者がいるわけない。彼もまた、自分から搾取しようとしているんだ、とリリの視界が色褪せる。
むしろ、そうあることを望んでさえいるようだった。
「君に不快な思いをしてほしくなかった。君が嫌な思いをしてる顔が見たくなかったんだ」
「───ぇ」
なんだ、それは。
頭の中が真っ白になった。
かぁっ、と燃えるように全身に熱が集まる。
「な、何なんですかアルバス様は会ってすぐでもそんなことを言うすけこましなんですか女好きなんですか好色漢なんですかそうやって誑かしてヒモを目指されてるんですか!!!」
「一息に込められる罵倒ではないだろ…………って違う違う違う! ごめん俺の言い方が最悪だった! そういうつもりじゃなくて!」
リリはもはや自分が何を口走っているのかすら分からなかった。
装っていた態度すら捨てて口調を荒げている。
それに対するアルバスの対応はしっかり駄目だった。
「じゃあどういうつもりなんですか!? 言い方じゃなくてあれを素で言ってしまうところが最悪です!」
衝動的な言葉にしては鋭利な口撃にアルバスはボコボコにされた。
周りにいる他の客はもっと言ってやれとすら思っていた。完全に酒の肴扱いである。
「はい…………俺は考えなしで喋って迷惑かける愚か者です…………」
「あっ……い、いえ……すみません。つい思わず」
萎れるアルバスにリリはフォローになってないフォローをした。思わずであれが出るレベルなのか……とアルバスは死にたくなった。
そんな周りの盛り上がりと反比例するように冷えた空気を取り払うべく、シルが動き出す。おい誰か止めろ。
「皆さん興奮気味みたいですし、このスープはいかがですか? きっと落ち着きますよ」
「これスープなんですか?」
空気が変わった。
シルの合図に合わせアーニャが運んできた容器には液体が入っていた。
スープ──いや食べ物というにはこう……かなり、様相がおかしい。
まず色が変だ。
いっそ溶けた銀ではないかと思わせる綺麗な銀色。綺麗ではあるが食べ物の色ではなかった。
入っている食材もどういう訳か変貌を遂げ、何が入っていたか分からなくなっている。入ってるのは普通の食材の筈なのに。
匂いすらおかしかった。甘いような、しかし焦げたような、いやこれ
スリーアウトである。
早くマウンドから離れてほしい。
ニコニコした顔のシルとは対照的にアルバス達の顔はビキバキと引きつっていた。シルの料理を普通においしいと食べる馬鹿舌であるアルバスからしても流石に見た目が異常すぎる。
アルバスの前に器を配膳したアーニャは機嫌よさそうに胸を張った。
「これこそ『豊穣の女主人』の
「確かに
リリの冷たい返しを無視し、アーニャはシルを指し示す。
「シルが最近編み出した
「食戟?」
「三人の審査員による一対一の料理対決にゃ! シルは審査員を全員
「それは反則負けだろ…………」
アルバスは力なく首を横に振った。
が、そんなことを気にする店員などこの場にはいない。
シルは一切気にも留めずに自ら取ったスプーンをアルバスの口に近づける。
「はい、あーん♪」
「あっ、これは本当に死んだかもしれんね」
「ア、アルバスさんーーーーーーッ!!!!!」
美味しさの秘密は愛情だとかなんとか。
愛ほど歪んだ呪いはないよ。
△△△
「アルバスさん、大丈夫ですか?」
「………………」
「駄目です。意識が回復していません」
それから暫く。
もういい時間だからそろそろ解散の流れとなったベルたちは、スープを口にしてからぶっ倒れたアルバスに声をかけるが返事はない。
一口目で意識が飛んだアルバスはしかし、これ以上の犠牲者を出させまいと白目をむきながら完食したのだ。
その偉業にかつての『暴食』を継ぐ『悪食』だとざわめきが起きたのは別の話。
「はぁ……しようがないね。もう少し寝かせてやりな。起きたら一人で帰らせるから、あんたたちは先に帰んな」
「え、でも…………」
「でもじゃないよ! 男には情けない姿を見られたくない時もあるのさ!」
ミアの声に押され、二人は会計を済ませる。
割引価格になっていたのに疑問を覚えるベルに、リューがこっそり『迷惑をかけてしまったので』と伝える。
実際とんでもなかったので二人は遠慮なく割引を受けた。ベルがアルバスの分も払い、自分の分だけを払うのでよかったリリは変な顔をしていた。アルバスもだが、この少女も変だ、と。
「あっ、ベルさん!」
「シルさん? どうかしましたか?」
店を去ろうとするベルたちを、裏でミアからお仕置きとして雑用をやらされていたシル──頭に
その手には、
真っ白に塗装がされ、幾何学模様が刻まれた、分厚い本。
「ほら、さっき話してたじゃないですか。だから、この本とかどうですか?」
「いいんですか? なんだか立派に見えますけど……」
「実は知り合いの方からいただいたんです。いらないから、と」
「へえ、そうなんですね。なら、読ませてもらおうかな……ありがとうございます」
受け取った本を抱えながら、ベルは礼を言う。
笑顔のシルの目が、怪しい色を帯びていることに気づかずに。
そうして、少女たちは店を後にした。
「あれ、どうかしましたか? ミア母さん?」
「……別に何もないさ。ほら、店じまいだから片づけを始めなッ!」
ミアの声が轟き、店員が慌ただしく動き出す。
そんな中、リューはアルバスが突っ伏しているテーブルを見つめていた。
聞こえる微かな息遣いに、生きている安心からほっと息を吐いた。
「ミア母さん。ソルヴァルクスさんはどうしますか」
「上にでも運んどきな。寝かしておけば、直に目が覚める……筈さ」
「ミア母さん?」
歯切れが悪い物言いにリューは眉をひそめた。やっぱり危険な状態なのでは、と思い直し、そっとアルバスを持ち上げる。
「リュー、その坊主を見といてやりな。客を気絶させたんだ、面倒を見てやらなきゃ店として恥だからね」
あの料理を提供したこと自体が恥な気もするが、それはおいておいて。
リューはアルバスの介抱をすべく、離れの二階へと消えていった。
「……あれ、アルバスさんは?」
「さあね、帰ったんじゃないかい」
手に
ミアとして、できる限りはこの馬鹿娘の我儘に付き合うつもりだったが、今回は嘘をついた。
今アルバスの所にシルが向かえば、更なる厄介ごとが起きそうだったからだ。
「もうちょっとで
何が?
シルは
フレイヤ「この男面白れぇ~~一緒にいる女も面白れぇ~~~もっと面白くなってほしいから魔導書あげちゃお!」
次回
18.
18.福音はかく鳴り響き