「見間違えて言い間違えただけなので気にしないでください……」
「は、はい?」
「それじゃあ、この娘上に送り届けるので……」
「お願い、します?」
「はい、先行かせてもらいます。そちらもお気をつけて」
「ありがとう……?」
────迷宮で起きた、一つの会話であった。
△△△
「なんとかなったな……」
白髪の少女を背負い迷宮を歩きながら、俺はついさっきの会話を思い出した。
アイズ・ヴァレンシュタインとアリアドネの名前を混ぜ合わせて間違えるという、どう見ても意味が分からない間違いをしてしまい、収拾がつかない状況になってしまった。
今この場でこれ以上話してもややこしくなるだけだな、と判断した俺は早々に会話を切り上げることにして、助けた少女を担いで退散した。
混乱しているヴァレンタインさんは相槌しか打てず、さっさと逃げられたのは助かった。あの驚いた顔を放置したのは、ちょっと罪悪感があるけど。
いや、忘れかけてたけどそれより気になることがあるんだった。
「アルゴノゥトが女の子かあ…………」
チラと背負う少女の顔を見た。やはり、似た顔立ち、似た雰囲気をしている。
アルゴノゥトが元から女顔なこともあり、記憶の中の顔とあまり違いがない。それも、混乱を加速させた一因だった。
本当に似てるんだよな、頭おかしくなりそう。
「いやでも、あんま違和感はないな……」
新たに思い出した記憶は、彼女たちの名前や経歴、それとぼんやりとした会話なんかだった。
仲は良かった筈だ。険悪な感じではなかった。
何となく、笑顔で話していたような、そんな気がする。
「記憶があるのは、俺だけっぽいけど」
思い起こされる二人の少女の反応。もしも前世の記憶があるのなら彼女らの驚きは種類の違うものになっていただろう。
しかし、そういう表情ではなかった。この娘はよく分からないけど、ヴァレンシュタインさんの方は普通に俺が悪いしな……
記憶持ちは自分だけと仮定したほうがいいな、と心に留めた。
「この調子だと、他の奴らもいるかもなあ…………」
ぼやけた記憶の中にいる、顔も分からぬ仲間たち。
もしかしたら、彼らも此処にいるかもしれない。そう考えると、笑みが浮かんだ。
ま、そんなわけ無いか。こうして二人がいること自体が奇跡みたいなものだし。
軽い冗談のつもりで言ったその言葉が事実であったことを俺が知るのは、もう少しばかり先のことであった。
△△△
ギルドを目指してベルは走っていた。
目を覚ました時、ベルがいたのはバベル内にある医療施設だった。そこのベッドの一つに、ベルは寝ていた。
ギルド職員から説明を受け、寝起きでぼんやりとしていた頭は先刻の事を思い出す。
逃げる自分、追いかける猛牛、そして『光』。
胸の奥から湧き出てくる衝動が力となって、ベルを加速させる。
呼び込み盛んな街中を走り抜け、北西のメインストリートにあるギルド本部にたどりいた。
名前も知らない、ベルを助けた英雄。
エイナなら彼のことを知っているのではないか、と思ったら止まれなかった。
バン、と大きな音を立てて扉を開けた。
「あれ、エイナさんは……」
「あっ、ベルちゃん!」
普段ならカウンターにいるエイナがいない。
出鼻をくじかれたベルに、話しかけたのはミイシャだった。
慌てたように、憐れむように、少し泣きそうな雰囲気でベルに詰め寄る。
「ミイシャさん? どうかしたんですか?」
「そうなの! エイナが……」
ミイシャが指さしたのは、ロビーに設けられた一つの面談用ボックスだった。
ステイタスを始めに隠し事が多い冒険者のために、防音性が高い部屋である。
行って、とばかりに指差すミイシャに困惑しながら、ベルは中に入った。
「エイナさ──」
「それで貴方は何故迷宮に潜ってたんですか!? 恩恵もなしに!!」
「いや、その、ひと目見たくて」
「ひと目見たくて!? そんな理由で危険な迷宮に!?」
「はい…………」
「はいじゃありません! 死んでいたかもしれないんですよ!」
「すみません……」
「──ん」
体が固まった。
視界の先に広がっていたのは、怒声を響かせるエイナと身を縮こませるベルを助けた
その光景は、ベルの情報処理能力の限界を容易く超えていた。
ベルは考えるのをやめた。
そうしないと、また気絶しそうだった。
「僕のことをソ、ソルヴァルクスさんが報告してくれたんですよね?」
「うん。それで詳細を聞いたら彼、ファミリアには入ってないって言い出して」
立ったまま思考停止中のベルを見てエイナは職員を呼び、アルバスを何処かに連行させた。
そしてベルに状況の説明を行ったのが、現在である。
アルバスはバベルにベルを預けたあと、ギルドに報告を行ったらしい。それに対応したのがエイナで、彼の話に出てきた白髪の少女という言葉が引っかかり、面談用ボックスに移動。
詳しく話を聞く過程で所属ファミリアについて尋ねた所、返ってきた答えはまさかの無所属。
当然、エイナは激怒した。それはもう、邪智暴虐な神々でさえ尻尾を巻いて逃げ出すほどに。
ズボラにして色々と無沈着なことが多い冒険者相手によく怒りを露にするエイナだが、今回の怒りは彼女のギルド職員史でも最上位に君臨するものだった。
本来なら白い目で見られる規則違反を冒したアルバスが、憐れみの視線しか貰っていないのが全てを如実に語っていた。
比較的落ち着いてる状態である今でさえ普通に怖い。
アルバスの説明の後、エイナの忠告を破って5層に入ったベルはしっかりと叱られた。
恐ろしく激怒していて、ベルは半泣きで謝ることで命拾いした。
思い出すと、それだけで震え上がりそうになる。
「えっ、ソルヴァルクスさんって恩恵が無いんですか!?」
「うん。だから二人で逃げてロキ・ファミリアに助けてもらったんでしょ?」
「え…………あぁ、えっと、そうだったような……?」
驚愕、そして困惑。
自分を助け出したアルバスが恩恵を刻まれていないことに驚き、覚えのない話に戸惑う。
一瞬の間を置いて、それがアルバスが示した
おかしな反応のベルをエイナが訝しんでいると、扉が開かれる。
「罰金払ってきました……」
とぼとぼ、そんな擬音が似合う動きでアルバスが部屋に入ってきた。
ベルの体が固まる。心臓の鼓動が跳ね上がった。
顔に熱が集まっていくのが分かった。
「ソルヴァルクス氏、本当に危険な行動だったんですよ? 次はないようお願いします」
「はい……ん、ア──じゃなくて君は……あの時の」
蒼の瞳が深紅の瞳の中に映る。
視線が絡まり、無言の空白が広がった。
火を吹くように全身が熱くなる。ベルはもう逃げ出したくなった。
目を回しながらベルが勢いよく立ち上がる。
「えっと、その、あ、ありがとうございました!」
「いや、別に大したことはしてな──」
「え? なんでベルちゃんがお礼してるの?」
「いわけないだろうクラネルさん!? 君が先導してくれたから俺は生きられてるんだ! お礼をするのは俺の方だよ!?」
「え……あっ」
エイナのツッコミは強力だった。
挙動不審になったアルバスの大げさな言い方に、ベルも失言に気づく。
アルバスの考えを完璧に理解できてはいないが、彼はミノタウロスを倒したことを知られたくはないようだった。
なのに二人の会話は、まるで恩恵のないアルバスがミノタウロスを倒したようにしか聞こえない。
残念なことに二人共々、腹芸の心得はてんでなかった。
挙動と発言の全てがおかしい二人にエイナが向ける視線はどんどん冷たくなっていく。
「…………ソルヴァルクス氏はダンジョンに潜りたいのならファミリアに所属するように。ベルちゃんも、調子に乗って下層に潜っていかないこと。分かりましたか?」
「はい…………」
「はい…………」
呆れたように、エイナはため息をつく。
ぐうの音も出ない正論だった。
忠告を受け、二人は揃って縮こまることしかできなかった。
△△△
ベルと一緒にギルドを出て、俺は頭を抱えたくなった。
ギルドの規則違反。その罰金で手持ちの金の殆どが消え失せたからだ。
元々は、まあまあと言える金を持っていた。それこそ最低限の生活だけなら一ヶ月以上宿暮らしができるぐらいには。
そう、金はあった筈なのだ。
まあ、最低限の生活しなかったし……
冒険者用のロングソードと外套が致命傷となった。ただそれだけのことである。
後悔はない。迷宮に行ったからベルを救えたのだ、後悔するなんてことはあり得ない。
あり得ないのだが、それはそれとして辛いものは辛い。無一文は流石に嫌だなぁ……
まさかオラリオ生活二日目から宿なしとは。予想だにしなかった事態に肩を落とす。
前世では野宿の経験もあったし、それ自体に抵抗感があるわけではない。
けれど街中で浮浪者のように路端に寝っ転がった経験は殆どない、筈だ。少なくともそんな記憶はない。
そして今世もそんな経験は勿論なく。
だから、殆ど初めてみたいなものだった。
「ソ、ソルヴァルクスさん? どうかしましたか?」
「ん……いやなんでもない。ただ野宿が決定しただけで」
「何でもなくないですよ!?」
「あっ」
ごく自然に、アルゴノゥトと話す時のように、親しい相手に接する態度を出してしまう。
黙っていようと思っていたのに、ついポロっと本音を言ってしまった。
何してんだ俺!?
「それって、僕を助けたからですよね……?」
「いや、原因は俺が潜ったからだ。君に一切の非はない」
「で、でも僕がいなかったらギルドに報告することもなくて、バレなかったですよね?」
「それは、そうなんだけど」
この子、アルゴノゥトみたいに鋭いな! さっきまで凄い動揺してた感じなのに、頭の回転が速いんだけど!
まずい、何も言い返せない。
もっと上手く誤魔化したいのに、全く言葉が思いつかない。俺の話術がないだけかこれ……?
「…………ソルヴァルクスさん。よ、良かったら僕の
「へ?」
俺の喉から間抜けな声が飛び出た。
遥か彼方の天空で、『流れ変わったな』と誰かが言った。そんな気がした。
△△△
オラリオを八等分するメインストリートの、北西と西の中間地点。
そこにある廃教会の地下部屋にアルバスはいた。正確には、正座していた。
自身の横、同様に座るベルは顔を赤くしたり青くしたりして、人がしてはいけない顔色になっている。
眼前、屹然と立つ神ヘスティアを前にしてアルバスは冷や汗をダラダラと流していた。
呆けたアルバスは押しに弱く、ベルに連れられるがままに廃教会にやってきた。アルバスは思考を放棄していたし、ベルは憧憬が側にいるという事実に脳内のブレーキがぶっ壊れていた。
つまるところ。
両者、どうしようもなくポンコツであった。
「ベルくん、おか────どぉえぇぇぇぇ!?」
「あっ」
「そりゃこうなるよ」
そんな二人、地下室の扉を開ければヘスティアが出迎えに来た。
今日も危険な迷宮に潜り、生活費を稼ぐ愛する眷属の帰りを待っていた女神は笑顔を浮かべて扉の前に赴き、眷属である少女が知らない男と一緒にいるという光景にピシリと固まる。
ヘスティア視点だと、それはベルが男を家に連れ込んだ以外に見えず。
処女神の心は砕けた。言い換えれば、ヘスティアは脳が破壊された。
ベルはヘスティアのことを完全に失念していた。今更ながらに焦りと羞恥が湧き上がる。
アルバスはもう表情が抜けきった顔だった。諦めたとも言える。
間抜け面のアルバス、暴走兎のベル、脳破壊のヘスティア。
三者三様、場は混沌を極めていた。
というのが、少し前のこと。
「ベルくん、ソルヴァ某くん。二人とも正座」
他の神々が見れば爆笑必至の状況下、各々がなんとか正気を取り戻していき、どうにかこうにか経緯を説明することに成功した。
結果、待っていたのはヘスティアの説教だった。
極めて妥当な対応だった。
説教の詳細こそ省くが、女神の名に相応しい荒ぶり具合にベルは恐怖し、アルバスは死んだ目をしていた。
この日2回目の説教、2人は地に伏せるが如く項垂れた。
仁王立ちのヘスティアは判決を下す直前の審判官のように厳格な面持ちだ。彼女のツインテールも呼応するようにうねりにうねっている。
アルバスは静かに死を覚悟した。
そして、神の裁定が下される。
「…………しょうがないなぁ。いいよ、こんな何もないような所でいいんならね」
「えっ」
「た・だ・し・! ここはボク、ヘスティアの拠点だからルールには従ってもらうぜ?」
「は、はい。それは勿論…………じゃなくて、いいんですか?」
「ベルくんを助けてくれた恩があるんだ、出来ることで恩返しをしないと。それに、困ってる子供を見捨てる訳にもいかないだろ?」
アルバスは目を見張った。まさか了承されるとは思ってもいなかった。
最悪の初対面、拒絶されるのが当然の筈だ。
けれど、彼女は竈の神であり。
ヘスティアという女神は、困っている子供を見捨てられない性格なのだ。
そんな彼女の神意に触れたからだろうか。
元は受け入れられようが拒否されようが自ら断ろうとしていたアルバスに迷いが生まれる。
逡巡の後、躊躇いを消しアルバスは口を開いた。
「暫くよろしくお願いします。アルバス・ソルヴァルクスです」
「うん、よろしく頼むよアルバスくん。ボクはヘスティア。ヘスティア・ファミリアの主神さ」
「べ、ベル・クラネルです! ヘスティア・ファミリアの団長をやってます! よろしくお願いします!」
悩んだ末、ベルとヘスティアの好意に甘えることにした。
恵まれた縁を拒むことを、アルバス自身が良しとしていない。
それにもし断ったら、たぶんベルは悲しそうな顔をする、そんな予感が決め手だった。
「よし、自己紹介も終わったし、ご飯としよう。見よ、ボクのバイトの成果を!」
ふふん、と自慢げに胸を張ったヘスティアが示す机の上には大量のジャガ丸くんが置かれている。
揚げられた芋の匂いがアルバスの腹を刺激する。
「ふっふっふ……アルバスくんの歓迎パーティと洒落込もうじゃないか!」
胸を張った時、小柄な体躯に似合わぬ大きさのそれの揺れを目で追わないようアルバスが必死だったのは、幸いバレることはなかった。
△△△
温かいな、と思った。
懐かしいその光景が、何だか嬉しかった。
戦いと離れた、家庭の空気が心地よかった。
ベルもヘスティアも良い人で、めっちゃ居心地がいい。
気軽に話す距離感になるまでそう時間はいらなかった。ベルだけは何か変に緊張してる感じがするけど。何なんだろう、俺変なことしてないよな?
「ええ!? アルバスくん、君恩恵ないのに激強モンスター倒したのかい!?」
「激強モンスター……? あー、恩恵はないですけど、似たものを持ってるので」
「そ、そう! ずっと気になってたんですけど、それって精霊の加護ですか……!? 古代の英雄みたいな……!」
ベルがぐいっと体を寄せた。目を輝かせて、子どものような面持ちで。うお、急に距離感おかしくなるなこの子。此処に俺を連れてきた時もだけど、アルゴノゥトに似て行動力あるんだよな。
特に誤魔化す必要もないと思うし、正直に答えることにしよう。
「あぁ、縁があって力を借りてるんだ」
「も、もしかして光の精霊だったり……?」
「あぁ、あの時見てたもんな。うん、光の精霊で合ってる」
「うわぁぁ……光の精霊、それに輝く剣。まるで『天光の御使い』みたい……」
聞き慣れない名前に首を傾げる。
ケイオスの死後に生まれた英雄なのだろうか。人並みに英雄譚を読んできた俺の記憶にも存在しない。
ちょっと気になるな。地方の伝承とかか?
「天光の御使いって?」
「えっと、古代を題材にした物語なんですけど。その、伝説上の人物なんです」
「へー、伝説なんだ」
「はい。光を纏い、輝く剣を掲げて怪物を打ち倒す、って言われているんですが実在したのか不明で」
「実在したか不明?」
「語られる功績が、あんまりにも現実的じゃないんです。多くの英雄譚にその姿を見せていて、そこで語られる内容と、その余りに多くの英雄譚で語られるということ自体が、彼が架空の存在──それこそ神様たちが天から現れるまで信仰されてた架空の神様なんじゃないかという説を有力にしていって、今では殆どの英雄譚から姿を消してしまいました」
ベルは水を一口飲み、一息置いて話し出す。
「有名なので言えば、アルゴノゥトが王女を助けるため地下迷宮に行った時、その裏で何万もの怪物を一人で倒しきった、とか」
「ん?」
アルゴノゥト。
何か、覚えがある気がする。
待て、嫌な予感がし始めた。
「フィアナ騎士団が怪物に追い詰められた時、颯爽と現れて助けたとか」
「ん〜?」
フィアナ騎士団。
心当たりがある、ような。
背中に嫌な汗が流れた。
「何故か極東に突然現れ大蛇を討伐したとか」
「…………」
極東、大蛇。
覚えがある。というか今思い出した。あるわ馬鹿でかい蛇と戦った記憶。
心臓は嫌に動悸していた。
「極めつけは、黒竜──当時はまだ隻眼ですらなかった竜の尾を斬り裂いて、その地に押し留めて世界を救ったとか」
「ふん!」
「アルバスさん!?!?」
俺は机に頭を叩きつけた。受け入れ難い現実が耐えきれなかった。
確定だった。
全部、ケイオスがやったことだ。
アルゴノゥト達が姫を助けに行った時、その裏で何万何千という怪物を屠った。
フィアナ騎士団と共闘して怪物を討伐した。
世界を彷徨う中、流れ着いた極東にて大蛇を討った。
命を懸けて黒竜が世界を滅ぼすのを止めた。それが原因で死んだんだ、間違えるなんてあり得ない。
これ俺じゃん!! え、あっそういうこと!? 俺実在したか怪しまれたの!?!?
語り継がれなかった訳ではなくて。
本当に待ってくれ。それは流石にないだろう!?
自分一人ではないため、のたうち回りながら叫ぶこともできず、俺は頭を下げたまま静止した。
「ど、どうかしましたか……?」
「これ受け入れたの早まったかもな…………」
いや……違くないけど違うんです。
前世の英雄譚が語り継がれなかった理由が、架空の人物だと思われていたからということを知ったからなんです。なんて、そんな頭がおかしい弁解を俺は言うことができなかった。
黒竜周りは原作でもまだあんま触れられてないので怯えながら書いてます。早く教えてくれ、必要だろ。
次回
3.運命は巡る