「はい、これ」
「お、おぉ……!」
作業衣姿のヘファイストスが渡した小型のケースを、ヘスティアは震える手で受け取った。
目の下にはっきりと浮かぶ隈。睡眠不足からくる疲労すら忘れる勢いで、そのケースをまじまじと見つめる。
彼女の喜びに呼応するようにツインテールがうにょんうにょんと小躍りしていた。
「こんな大変な仕事になるって分かってたら、絶対断ってたわよ……」
「はは……いやまさか君にそうまで言わせるとはね」
「当たり前でしょ。『
ヘスティアは慎重にケースを開ける。
顕になる、一本の短刀。
それは漆黒だった。鞘から柄に至るまで漆黒に染まった直刀。
ベルが現在使っている《短刀》より少し長い刀身には神聖文字が刻まれている。
ヘスティアには、分かる。
この短刀に自らの神血を以て【
この武器は正しく最強に至る一振りだと。
ベルが進む道を切り開いてくれる武器だと。
「本当にありがとうっ、ヘファイストス!」
ヘファイストスは自身が鍛えあげた武器を見つめ、眉に皺を寄せた。
どこか納得していないような、悔し気な顔。
「正直、
「え、作ってる時に教えてくれたじゃないか。それだけじゃないのかい?」
「そりゃそうよ。あんなもの渡されて、想定通りに済むなんて思える訳ないでしょ」
向けられた眼差しに責められた気になり、ヘスティアは口をつぐんだ。
確かに、あれ──アルバスから渡された
「じゃあ、鍛冶神である君に聞きたい。どうなると思うんだい?」
「……『解放』されてくんじゃない?」
「……なにが?」
ベルに手を引かれ、街中を必死に駆けながら、ヘスティアが思い出されたのは先刻の会話だった。
寝不足の体に鞭を打ち、もつれそうになる足を回す。
なんでこんな走ってるんだっけ、と他人事みたいに考える。
『ガァァァアアアアア!!』
咆哮が響いた。
びくり、と心の臓まで震えが走る。
そうだ。思い出した。
武器を作って、ベルに渡そうとして、一緒に祭りを回って──
「神様ッ、曲がります!」
「う、うんっ」
──巨大な猿の怪物に襲われ逃げている。
△△△
(狙いは神様っ!? なんで──いや、今はそれより神様の安全を!)
逃走を続ける中、ベルの思考は冷静だった。
何故かヘスティアを狙う怪物の正体を、ベルは知っている。エイナによる指導で、この怪物のことも頭に叩き込んでいる。
3メドルほどの巨体に、腕に着けられた長い鎖を容易く振るう怪力。
白い体躯。背を流れるくすんだ銀の髪。発達した肩と腕の筋肉が隆起している。
出現階層、11階層。
ベルの到達階層である6階層より遥か下に巣食う怪物。
ベルには護衛の経験はない。
だから、焦ることなく優先事項を整理し、ヘスティアを逃がす事のみに注力する。
相手は本来格上である筈なのに、心がいやに落ち着いている。
(神様を守る。安全な場所に向かいたい。僕でシルバーバックと戦えるか? 分からない。距離は一定。抱えて走る?)
思考回路は正常に作動している。
──
ベルの脳は速やかに結論を叩き出した。
速度差はほぼ五分五分だ。
メインストリートから路地へと動き回るベルたちと屋根の上から追ってくるシルバーバック。
現在のヘスティアの速度では距離が離せない。
なのに、既にヘスティアの体力は限界に近しい。
聞こえてくる息遣いは荒く、顔は苦渋に染まっている。
徐々に速度も落ちていくだろう。
必然、追いつかれる。
なにか疲れるようなことがあったのか。
いや、一緒に祭りを回っていた時から様子はおかしかった。
あの時も、テンションの高さで疲労を上書きしていたような感じだったことを、ベルは思い出す。
「……神様」
「なっ、なんだい? ベル、くん……」
息も絶え絶え。
ろくに言葉を紡ぐことすら難しいヘスティアを見て、ベルの覚悟が固まる。
焦燥はない。
思考は冷静だ。
だから、ベルは至って自然にその行動を選択する。
「──僕があいつを倒します」
△△△
白光が奔る。
輝白の軌跡が空に描かれる。
空間すら切り裂いて、光が閃いた。
北西メインストリート。
暴れる二体の怪物。
肥大し、通常より凶悪な様相を有する剣角を携えたソードスタッグ。
アルバスの加護に反応し花開いた、何本もの触手を従える食人花。
アルバスはシルを抱えながら、その二体と対峙していた。
地面から突き出される触手は駆ける脚が照準を捉えさせない。
振りかぶられた剣角をかわす。
突っ込んできた食人花を飛びずさるようにして避け、宙に浮いたまま、懐からナイフを取り出し魔力を流す。
指に挟む形で二本持つ。身体内部を循環する加護をナイフにも回し、光を宿したそれをソードスタッグと食人花のそれぞれに向かって投擲する。
手首のスナップにより刃が加速。
残光を残し、ナイフが空間を駆けた。
アルバスの腕の中にいるシルには、何かが光ったとしか認識できない速度。
けれど。
(──効いてない)
撃ち出されたナイフはしかし、両者共に痛手には程遠い。
ソードスタッグはその角を振り回し弾き、食人花は黄緑の体皮に突き刺さって途中で勢いを失い止まってしまう。
(あの食人花はともかく、鹿はやっぱり通常個体じゃない。どっちも
迫る攻撃を避け、撹乱するように動き回り、情報をひたすらに集めていく。
思考回路は正常に作動している。
見極めるべき、戦闘の要点になる箇所を紐解いていく。
(シルを遠くに……いや、その間暴れられたら逃げ切れてない人が危ない。そして、下手な回避は街への被害が甚大になる。と、なると……)
奇しくも、その思考過程はベルと似通っていた。
数日の訓練、その中でベルが学び、己の物とした思考回路。
故に、工程はベルと同一。
目的と自身の能力を照らし合わせ取捨選択する。
(一に人命。二に建物)
アルバスの戦闘用思考回路が高速回転する。
目的と目標から最適解を弾き出す。
怪物の動き、人々の動き、余すことなく掌握した。
だから、食人花が体を丸め、周囲ごと自分たちを弾き飛ばそうとしているのも、触手が無作為に暴れるのも、鹿が苛立ちをぶつけるように剣角を振り回すのも、分かった。
「シル」
「は、はい……なんですかっ!」
「申し訳ないけど、我慢してしがみついててくれ」
「へ──」
先ほど定めた、目的の順位付け。
常に頭の中で冷酷に物事を見定める自分が行う、合理的な行為。
それが今、明確な勝機を見出した。
怪物たちの攻撃捌ききり、その後隙を『全力』──加護の最大出力起動で仕留める。
被害は周囲の商店を始めとした建造物のみ。
この地域の人も、暫くは苦労するかもしれないが、その程度だ。
なるほど正しい。
なにより明解だ。
最小の被害で済む、最良の選択。
「
──を、無視してアルバスは動く。
ふざけるなよ、と。
許せるわけがない、と。
意思に呼応するように、魔力が吹き荒れる。
それは怒りだった。
それは嚇怒だった。
それは奪っていく存在への憎悪であった。
『何一つ奪わせてなるものか』という意志の下、少年は悪を滅する浄光と化す。
シルが悲鳴を上げながら息絶え絶えになっていることも分かっていた。無視する。加護の一部を防衛用に付与しているから問題はない。
シルの言葉は途中で途切れた。
いや、言い切る前に、高速の世界に足を踏み込んだのだ。
「【ルクス】」
唄われる真名。
3分間に限定された、『全力』の起動。
放たれる白光は輝きを高め、遍く世界を照らす救世の光と化す。
地を蹴り砕かん勢いでの踏み込み。向かう先は、暴れ狂う大鹿。
精霊の加護により強化された身体能力は、容易くアルバスを一秒を刻んだ先にある刹那へと誘う。
時間が拡張された世界で悲鳴が間延びして聞こえた。すぐに聞こえなくなった
魔力を回す。
バチリ、と臨界に達した白光が火花を散らす。
高速の世界で、剣を上に投げる。
まるでお手玉かのように宙を舞う剣、その間に懐から残りのナイフを取り出す。
ナイフに魔力を流し込む。即座に限界に到達。刃に亀裂が生じ、中から光が漏れだした。
それでも強引に、強制的に魔力を注ぐ。当然の帰結としてナイフが砕け散る。
──その、砕けた刃全てが、光を宿している。
煌めく刃片。精霊の光。故に、操作は容易い。
そしてアルバスは
自由落下を拒絶し、己の掌へと帰還する。
再度、魔力を回す。
光が溢れて、世界を照らす。
握る長剣が流し込まれる魔力に耐え切れないというように震えた。無視して光を宿す。刃に亀裂が入り、自壊する長剣にそれすら許さず光が刀身を押し固める。
長剣の耐久限界を見極めた結果、極光と化した剣。
ギギ、と音がした。
空間が拉げるほどに魔力が集束したのだ。
そして。
それと並行して。
「【
──光が瞬く。
光粒が弾け、食人花を囲むように展開される。
唱えられる
それに従うように、光粒が収斂されていく。
アルバスが定めた形──食人花を囲む結界として光が形成された。
瞬間、メインストリートに幾重に重なった音が響き渡る。
ザザザ、と数十もの着弾音が鳴って。
ザン、と合間を縫って斬撃音が走った。
リィン、と清廉な音が奏でられる。
それは放たれた刃片が触手を蹂躙した音。
それは、振り回される剣角を一切の抵抗なく白光を宿した刃が斬断した音。
それは、体を丸め
収束された刹那の中で起きた、常人では認識不可能な世界。
もはや隔絶した速度域に身を置いたアルバスによる、
故に、全てが完了された後に、世界に色が戻り悲鳴が帰ってきた。
「ええええきゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「うお、ごめん。大丈夫か」
「だ、大丈夫……じゃないです!! こんなの死んじゃいますよ!?」
「それはない。俺が必ず君を守る」
「んんっ、アルバスさんに殺されそうなんですが……」
「舌嚙むから黙ってた方がいいぞ」
「あーーもぉーーー!!!」
会話が可能な数瞬。
その間にアルバスは怪物たちを注視していた。
結界内にて行動を封じられた食人花。力なく道に垂れる触手。片方の角を斬り落とされた動揺からか、動きが明らかに鈍ったソードスタッグ。
勝利を見据え身体が駆動する。
音を食い破り、空間さえも破壊して、アルバスは駆ける。
接近。食人花。長剣をその開かれた口内へと突き立てる。
『────────ッ!?』
「黙って死ねよ」
叫び声すら上げられない。
刺さり抉る刀身から放たれる極光が体内を焼き尽くす。
反応すらできぬまま、口腔の奥に位置する魔石を光に壊され、食人花は灰となって消えた。
視界の端で触手も灰燼に帰すのを見届けながら、ソードスタッグへと向かう。
魔石の位置は覚えている。心臓付近。問題ない。同様に刺突からの光の放出で片付く。
だから、ソードスタッグに近づき、長剣を突き立て───
△△△
狭い路地の中で、比較的広さを保つ一角。
そこで、ベルはシルバーバックを相手に戦っていた。
振り降ろされる拳。半身になって回避する。
巻き起こる風がベルの髪を揺らした。
揺れる髪の奥で、ベルは臆することなく怪物を見据える。
元より、恐れは僅かだった。
アルバスとの訓練により鍛えられた
本来であれば、冒険者になり一ヶ月程度の駆け出しなら本能的に恐れをなして当然の相手。
なのに、感覚が、思考が、勝てる相手だと告げていた。
だから、戦うという選択をして。
「はぁッ!」
裂帛の叫びと共に握られた獲物が紫紺の軌跡を描く。
握られしは、ヘスティアから受け取った
自分用に調整してくれたのか、初めて握るというのに手に馴染む。
シルバーバックの剛毛が一切の抵抗なく切り裂かれた。
『ギィガァァァァ!?』
想像だにしなかった痛みに、シルバーバックが暴れる。
本来は拘束用で着けられた鎖、それが怪物の膂力によって振り回され、暴嵐となる。
「──」
一閃。
否、一閃を幾重に重ねた連撃。
それが展開された領域をいとも簡単に終わらせた。
──今のベル・クラネルに、もはやシルバーバックは敵ではない。
アルバスとの訓練によって蓄積された技と駆け引き。
たった数日しか経っていないというのに、
今のベルならば、
そして、ベルは此処で迎え撃つと決め、ステイタスを更新している。
ベル・クラネル
Lv.1
力:G205→E415
耐久:I92→F317
器用:G266→C608
敏捷:F331→C652
魔力:I0
合計アビリティ熟練度、上昇値トータル1100越え。
たった数日、しかしフル稼働するスキルたちが相互に作用し続け、常軌を逸した伸び。
シルバーバックが本来出現する11階層での推奨アビリティに手がかかりそうな程にまで上昇し、強化された身体能力。
鎖を切断され、それに反応すらできぬまま、シルバーバックは懐への侵入を許してしまう。
紫紺の光を帯びて、神の刃が怪物を斬断せんと振られる。
だから、ベルも、ヘスティアも、勝利を確信して──
△△△
また、あなたの輝きが見られるなんて。
とっても綺麗だった。
思わず見惚れちゃったのよ?
でも、やっぱりまだ足りないのね。
本当のあなたはもっと、もっと、世界すら照らす烈日。
ああ、思い出したら、我慢できなくなっちゃいそう。
早く、あなたに会いたい。
またあなたと一緒に笑っていたい。
あなたを、ずっと探しているの。
ほんとうのあなたにあいたいの。
大好きよ。
愛してる。
誰よりも、何よりも。
私たちの愛は、世界一なんだから。
だからね。
もっと輝いて。
目を焼くほどに、光って。
そのための試練はちゃんと用意しているから。
あなたなら乗り越えられるって、しんじてるから。
今日は、私じゃなくてあのこだけど。
いつか、必ず私たちは再会する。
待っててね、
△△△
赤い、紅い輝きが巻き起こる。
肌を撫でる熱風が痛みすら与えてくる。
チリチリ、と空気が焼け付く。
目を見開いた。突如として、ソードスタッグを中心に火柱が巻き上がった。
感じる莫大な魔力。これは、まずい。
「チィッ──!」
くそ、失敗した。止まるべきではなかった!
己の失態に舌打ちしながら、強引に長剣を突き立てて──
刀身が砕ける。
破片すら残さず、塵のように消え去った。
無理矢理な行使がこの場で限界を迎えたのだ。
光剣の生成すら間に合わない。
この場に来てようやく、俺は妨害は不可能だと理解した。
火柱の中からソードスタッグが現れる。
元から異形であった剣角には炎が巻き付き、高熱の影響かひび割れていた。
巨躯は更に隆起し、上げられる荒い鼻息にすら炎が混じっている。
それを見た瞬間、衝動が襲いかかってくる。
なんだ、この、気持ち悪さは……!?
嬉しい、違う。これは……
分からない。
何か分かりそうで、肝心な部分が決定的に足りていない!
「クソ……ッ!」
得も知れぬ不快感を感じながら、まるで仕組まれたように、次の戦いが始まった。
というわけでハードモード。オリ主居るし、ベルも強化したからちょうどいいね。
次回
9.火に惹かれる蛾のように