この箱庭に生ける花々よ   作:プニぷに

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第24話 沈む意識

 意識の深海に光が射す。

 決して眩(まばゆ)いとは言えない、僅かな光だ。

 

 けれどリンにはそれが懐かしい。

 薄暗くて、灰色で。きっと自分と母様以外の人には陰鬱で寂しい印象を与える光。ただ私達には唯一の光だ。それが今ぼんやりと、煙のように立ち昇って暗闇の世界を緩やかに照らす。

 

「…………?」

「んっ? 起こしてしまったかな。おはようリン」

 

 幼い少女がベッドで目を覚ます。

 窓からは薄っすらと光が射し、熱くも寒くも無い空気に温かなスープの香りが混ざっている。少女は瞬間目を大きく開いて身を起こし、香りと声のする方を向いた。

 

「おはようございます! 師匠!」

 

 開けたままの扉。

 その先で少女に微笑む、中性的で美しい人。

 床には寝る時に抱いていたはずのアメーバのようなぬいぐるみが落ちていて、少女はそれに気付かずに親代わりの人へと駆けていく。

 

『あぁ、夢だ。ずっと昔の。まだ私が小さかった頃の』

 

 明確な日時までは思い出せないけれど、これは間違いなく存在した一日だと確信できる。これがいわゆる走馬灯というヤツだろうか。しかし夢と走馬灯との境界などリンに分かるはずも無く、終わりならば仕方ないと彼女は過去の思い出を見守ることにした。

 

「おっとっと。こら、急に抱き着いたら危ないだろう? 少し待ってなさい」

「はぁ~い」

「いい子だ。ごめんね、さっきは鍋を持ってたから」

「いえ、ごめんなさい。……今日の朝ご飯はなんですか!」

「んふふ。今日はうどんと、デザートにポナフヌ(混沌/混ぜ物)だよ」

「やったー! 急いで顔とか洗ってきます!」

 

 洗面所へ走る少女。それをゆっくりと追いつつ「一人で大丈夫?」と気遣ってくれるメリュラント。何もかもが懐かしい。特に今のリンにとっては食卓にならんだ黒いピンポン玉のような料理『ポナフヌ』など、家を出てから食べていない。

 

 家庭の味。我が家だけの一品。

 外に出るまで気付かない、家だけでの特別な拘り。

 

 リンにとってそれは、メリュラントが作ってくれた古代ガーデン料理だ。特にポナフヌはリンだけでなくメリュラントも大好物で、今にして思えば当時を生きた者が作る『本物』の味なのだから格別である。

 

『懐かし~! あー本物のポナフヌだぁ。いいなぁ、外だと闇鍋とか寄せ鍋とか、あとはミックスなんたらとか、そんなのばっかりだったし。というかあの黒い見た目と所々に見える極彩色が食べるまで何味なのか分からなくてワクワクしたな~。ま、食べてもなんの味なのか分からなかったけど』

 

 そんな家と外での違いに当時を羨み笑うリン。

 景色の幼い自分も甘いとか酸っぱいとか、表情豊かに味の感想をメリュラントへ伝えている。

 

 温かな食事。温かな空間。温かな家族のような、当時の二人。

 もう戻れない関係性。それを思い出した時、リンの中でこの懐かしさと温かさが光となって自らの影を濃く浮かび上がらせる。

 

 何故これ以上を求めたのか。

 これらがあったのに何故手放してしまったのか。

 

 自分で選んだ道は、やはり全部間違いだったのではと突き付けられているようだ。

 本当に、過去がこうも温かくては、自分の平熱が冷たく感じてしまう。体温はあの日からさほど変わっていないのに。だから、変わったのは体ではなく、心。求めていたものは最初から手にしていたのだ。ただ、その黒い石がダイヤモンドだと気付けずに、無知なまま有り余る程の幸福を手にしようとしたから……。

 

 滑稽。気付けばあまりに滑稽な話だ。

 自分という存在は、言わば氷に憧れる炎のよう。

 本当に、全くもって愚か。結局理想の中にいては、理想の正体には気付けないのだ。

 

「ごちそうさまでした!」

「いっぱい食べたね。よし、じゃあ師匠が片付けている間に鍛錬の準備をしておいで。師匠とどっちが早いか競争だ」

「界法を使ってもいいですか?」

「もちろんいいよ。ただし妨害はなし。いいね?」

「はい!」

「じゃ、よーいドン」

 

 あの時の日常。いつもの会話。

 今のリンには眩しすぎて、ただ意識の中で乾いた笑いを漏らすしかない。

 

 そうだ、きっと自分は寂しかったのだ。

 いや、『きっと』じゃない。間違いなく、ずっと。ずぅぅうううっと、寂しかったのだ。より多くの幸福を、足りない愛を余計なまでに欲していたのだろう。

 

 血が繋がらなくとも、親として育ててくれたあの人を『母』と呼んでいたかった。そして自分にとって母であり父でもある淡いの境界を、身内であり他人のようでもあったあの人を、どちらか一方に定めたかったのだ。

 

 誰よりも決められなかったのは、あの人のはずなのに。

 

「あーっ! 母様ズルい! 過程飛ばした!」

「ん~? 界法を使ってもいいって言っただろうリン。それと、私のことは師匠と呼びなさい」

 

 孤独感。最初、寂しさは人の数で埋められると思った。

 でも空いた穴は『人恋しさ』ではなく『親愛』だったのだ。

 

 母と父。他人と身内。理想と現実。自分を叱る人と、自分を慰める人。

 これらが同じ人。選べない。逃げられない。他に誰もいない。相談できない。

 

 そう理解が進んだ今、メリュラント以外に思い浮かぶのは――

 

(……アルバなら、なんて言うかな)

 

 夢の中で想いを馳せる。

 誰でもいいから聞いて欲しい。だが、誰にでも話す訳ではない。それこそ信頼できる友人に聞いて欲しいが、大切な人に心配をかけたくもない。

 

「師匠……私! 外の世界に行きたいです!」

「駄目だ」

「お願いです! 一生のお願いですから!」

 

 矛盾の解決には選択するしかない。なんて、リンにも分かっている。

 だからこそ簡単に出来ない自分が不甲斐ないし、黙って苦しみ続けるだなんて問題の先送りを繰り返してしまう。

 

 あの時の自分ははっきりと気持ちを言葉にして伝えられたのに。

 

「一生の? ならばいいだろう。ただし条件がある」

「……」

「戦闘でこの私に一度でも有効打を与えられれば許そう。もちろん、準備期間はお前の一生の中で好きなだけ使えばいい。だが、チャンスも一生に一度だ」

「えっ……?」

「世界の厳しさ恐ろしさなど、私の比ではない。仮に私に勝てたからとて、世界に通用するわけではない。当然その後の準備もある。これが最低条件だ」

 

 家の中。

 誕生日ケーキの前で不安に瞳が震え、心が折れかける幼き自分。それを見透かして更に畳みかけるメリュラント。今の自分は、きっとあの時の自分より心が弱い。

 

「それと、先に言っておくが外の世界に私は同行できない。一人で生きていくんだ。戻ることも許さぬ」

「なっ、なんでですか!?」

「当然だ。いつも言っているだろう?」

 

 どんどんと厳しくなっていくメリュラントの言葉。

 まだ十歳になったばかりの日に、「欲しいものは?」と問われて答えた「自由。外の世界」。これが意味する結末など当時から分かっていたはずなのに。

 

「…………分かり、ました。約束です」

「あぁ。約束だ」

 

 それでも自分はやり遂げた。

 手にした自由は空虚となり、心は脆く弱くなってしまったが、それでも。

 

 選択した勇気を、讃えてあげたい。

 

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