この箱庭に生ける花々よ   作:プニぷに

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第34話 絶望の始まり

***

 

 時の止まった世界でタイムに連れられ、リンは王立ローゼンクロイツ学園の門をくぐる。

 またアインソフ嬢と会うのは正直生理的に嫌だ。けれど優先するべきは他人の命であって、自分のではない……いや、少し違うか。

 

(学校……私も普通の女の子だったら、こういうところで勉強したり友達を作ったり……でも、アルバやガーネットさんとは会えない運命になっちゃうのかな?)

 

 他人を尊重しているのではなく、自分を尊重できない。理由がない。

 むしろ自分がアイン教に属するだけでフラワ王国を守れるのなら十分だ。ずっと独りで、唯一の人は何でもできる『災厄の魔女』だった。そんなリンにとって『誰かの為』というのは代えがたい欲求に他ならず……。

 

 なんてリンが現実逃避している内に、二人は目的の場所に到着した。

 

「入って」

「……はい」

 

 タイムに言われるがまま、体育館に入る。

 一体中でアインソフ嬢は何をしているのだろうと、これから自分は何を要求されるのだろうとリンは身構えていた。だが、現実はリンの想像を遥かに超え、初めて出会った時の鮮烈な不快感を思い出させる。

 

 まず目にしたのは怯えた様子の人々。

 加えて、広い体育館の天井と床を除く四方の壁に肉が張り付いている。

 

 ピンクの、それも腸壁のような肉の壁だ。そこには無数の目があり、中にいる人達を監視しているように見える。だからこそ人々は壁から離れ、かと言って中央に立つアインソフ嬢にも近付かず、自然とドーナツ状に集まっていた。

 

 ただ唯一の救いは、タイムの【時間停止】によってまだ誰も傷ついていないことだけ……。

 

「それじゃ、【時間停止】はここまで。あとは僕とアインソフ様にリンさんが自分で交渉するんだ」

「なっ!? さっきと話が――」

「違わない。というかリンさんは勘違いしてる。僕達は悪人で、君は僕らの目的で、それなのに僕達は互いについて何も知らないし、リンさんは何も話さなかった。そのツケだよ」

 

 そう言ってタイムは鼻で笑う。

 あぁ、そうだ。最初からこちらに選択権などない。交渉だなんて、間違っていた。そもそも切れるカードが『自分』だけの時点で負けている。いや、搾れるだけ搾り取られるに決まっていたのだ。

 

 瞬間、時間が流れると同時に体育館内の視線がリンの方に集まる。

 怯える人々。蠢く肉壁の目。そして、最も目を輝かせて見つめる視線が一つ。

 

「あら? あらあらあらあら! まぁ! タイム君ってばお手柄ね!」

「お嬢様も、かなり頑張ったご様子で」

「そうなの。皆に髪色や瞳が違う人や界法師を集めて貰ったの。でもこういう探し物はタイム君が一番ね!」

 

 灰桜色の髪。深紫の瞳。忘れもしない。

 小さな体躯に似合わない大きな胸と、熟し過ぎて腐る程に甘い声色。危うげな幼さに、時折見え隠れする妖艶さ。

 

「……アインソフ」

「覚えていてくれるなんて! アハ。嬉しいわ、お姉様」

 

 純真無垢な悪。リンの知る最もおぞましい存在。

 屈託のない笑みでこちらに近付き、苛立ちにも気付かず話しかける少女。

 

 生きていた。それ以上に『本体』と呼べる存在が本当に複数人いた。

 これで、未確定だったタイムの前提を覆す発言が確定してしまう。仮に目の前のアインソフ嬢を殺せても、意味はない。同じ『代行者』を二人創れて、三人目以降がいないとは考えにくい。

 

 何よりこれだけ計画的なテロを考える人間のいる組織の主力を、簡単に失わせる危険を冒すとは思えない。

 

「こっちのワタシと会うのは初めてよね? なら改めて自己紹介させて――」

 

 そう思うと、リンの心身から力という力が抜けていく。

 無駄だった。虚無感が全身を支配して、目の前で話すアインソフ嬢の言葉が脳に届かなくなる。

 

『やっと繋がった。お姉さん! 緊急事態。落ち着いて聞いて』

 

 それでもどこからか、リンの脳内に直接話しかけてくる声があった。

 

『マリアがやられっ、て……王城前の戦力が足りない! しかもっ、マリアが行方不明になったせいでアタシも戦えないから、手が空いてるならすぐこっちに来て』

『そうですか…………大丈夫ですよキョウちゃん。もうすぐ、全部片付きます』

『は? お姉さんまさか――』

 

 珍しく焦りを感じるキョウの声。

 所々から戦闘時の思考が混じっているのを感じたリンは、フラワ王国が遂に防戦一方になっていると推察してキョウとの繋がりに抵抗し、拒絶した。

 

「お姉様? どうかしたの?」

「いえ。それより要求は何ですか?」

 

 キョウの界法が途切れる。リンの中で諦めがつく。

 王城前の戦力がどうなっているかは知らないが、マリアの消失とキョウの言葉。そして新人騎士として式典に出ているはずのアルバに関する情報の無さから『そういうこと』だと考える。

 

 真実かどうかは、この際どうでもいい。

 

「フフッ。素直で嬉しいわ。きっとタイム君のおかげね?」

「まさか。お互いの事情を整理しただけ。何もしてませんよ」

「いいから。アイン教は私の何を欲してるんですか?」

 

 大切なのは、自分が身を捧げればこの国と国民が救われる。

 早ければ早いほどに多くを救える。もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。それだけだ。

 

「あらぁ、前のワタシは教えてなかったのかしらぁ?」

「さぁ。あなたの言葉なんて一々覚えてないですよ」

「ふふっ。ならお姉様の初めてをワタシが何度でも貰えるのね。嬉しいわ」

 

 品の無い発言。思わず苛立ちが沸き立つリン。

 さっきまで虚無感に飲まれていたはずなのに、前回もそうだ。このアインソフという女に対しては、どうしてか感情が荒ぶる。

 

 うるさい。黙れ。早くしろ。そんな言葉がリンの中に溢れ出す。

 しかし口にはできない。言ったところでアインソフ嬢は気にしないだろうが、それでもだ。何故ならリンの後ろにはまだタイムがいる。この場を支配しているのは彼だ。何がどう作用するか分からない以上、無駄口は控えるしかない。

 

「それで、何をすれば?」

 

 リンは少しでも早く話を戻す。こうしている間も時間は進み、犠牲者は増えているはずだ。目の前で怯え震えている一般人達だって……と、リンが視線をアインソフ嬢から外して前を見た直後。

 

「……力を解放して、世界を壊して? お姉様。簡単でしょ?」

「ッ!?!?」

 

 目と耳から、それぞれ驚愕と困惑が同時に脳へ。

 耳を疑う言葉だった。目の前の光景を信じたくなかった。

 

「リン……お姉、さん?」

 

 人々が不安に互いを抱き締めあう中に、何故かフランがいた。

 彼女が口を開くと即座にアインソフ嬢も気付いて目を見開き、表情に愉悦を滲ませていく。絶望が、リンの脳に確かな形をもって広がっていく。

 

 終わった。嫌だ。駄目だ。しかし解決策は無い。

 

「ウッヒヒ! お姉様ぁ? もしかしてお友達がいたのかしらぁ~?」

「いや……そんな……」

「『自己解放(アイデントピア)』って言うんだっけぇ? それともお姉様の力は特別だから、また違うのかしらぁ? 早く見せて欲しいなぁ~」

「ア、 ハハ。そう……力、ね。分かった。分かったから――」

 

 目に思考が映った。表情に動揺と回答を出してしまった。

 それをよりにもよって彼女に見られた。暴かれてしまった。

 

(アインソフ嬢は気付いてる。私が力のことを知らず、それに『自己解放(アイデントピア)』ができないことも……)

 

 敵の目的はリン自身に思えて、実際にはリンの中身だ。

 焦りが思考をフル稼働させ、余計な、それでいて間違いなく迫っている最悪の未来をリンに想起させる。

 

 また、自分のせいで人が傷つく。悲しむ。死ぬ。殺されてしまう。

 

「それじゃーあ~、お姉様が力を出せるようにぃ~! ワタシタチが手伝ってあげる! 応援してあげる!」

「ま、待って! 約束が違う! 私は従うって……私には何してもいいから! ねぇ!」

 

 縋るようにタイムへ叫ぶ。しかし彼は微笑むばかりで動かない。

 予感はあった。恐らくアイン教が求めているのはリンの『セカイ』、もしくはそこに含まれる何かなのだろう。メリュラントとの交渉材料だけであれば、捕まえるだけでいいはずだ。

 

 だが、前回の襲撃。敵は明らかにリンへの精神攻撃を主としていた。

 今回だってそう。最初は物理攻撃が有効ではないからだと、そう思っていた。でも今は違う。リンは気付いた。

 

(心を壊す。『セカイ』の暴走? カエルムが言ってた、楽園の再創造……自然界ならってこと? 無理……でもやらなきゃ。やらなきゃ、フランちゃんも殺される)

 

 時間制限は判断を焦られるため。目の前に集められた人質達は、リンだけに分かる共通項として。ピンクの髪。赤い瞳。高身長。界法師。女性。全部、リンを構成する一部分だ。

 

 つまり敵はリンに対し、お前のせいで誰かが傷つくと分かりやすく示している。

 言われなくたって最初から分かっている。けれどそれだけで心が壊れる程、リンは強くも弱くもない。だからもう一押しの為に、アインソフ嬢がいる。

 

「アッハハ! お姉様! 山羊(ヤギ)の拷問って知ってるかしら?! ザラザラの舌で何度も皮膚を舐められると、最初はゾワゾワするのが段々とピリピリして、グジュグジュして、奥の脂肪や骨が見えるようになって! そうやって少しずつ命が削られていくの! 死ぬまで!」

 

 始まる。それだけは駄目だ。

 アインソフ嬢の興奮した様子に、周囲の人質達も自身の未来を想起してざわめき出し、悲鳴を上げ始める。

 

 決断しなくては……早く。早く、早く。早く。

 

「それでね、めくれた皮膚にワタシが虫の種を植えてあげるの。あは、もちろん簡単には殺さないよ? だってお姉様の大切な人達なんでしょ? お友達だって、お姉様が力を出すために協力してくれるよね? ね?」

「…………い、ゃ」

「あら? どうして泣いてるの? どこか痛いの? それともお腹が空いたの?」

「いや! いやっ! お姉、さん! 助けて!」

 

 わざわざ屈んで目線を合わせ、笑顔で語るアインソフ嬢に怯え、泣いてしまうフラン。

 それを心底不思議そうに見つめながらも、彼女は振り返ってリンの表情を見る。確認は一瞬だった。アインソフ嬢は本能的直観で『正解』だと認識して、泣きじゃくるフランの頭を優しく撫でながら、もう一度話しかける。

 

「大丈夫だよぉ~? 怖くない。ただちょぉ~っと頭の中が痛みでいっぱいになるだけ。最初はくすぐったくて気持ちいいし、虫さんだって自分がママみたくなったみたいで、とってもカワイイよ? ヒヒッ」

 

 直後、騒ぐ群衆の真ん中でアインソフ嬢が界法を行使する。

 彼女の肉体と四方の壁から無数の虫達が溢れ出し、恐怖と混乱が頂点に達した瞬間。リンの中で覚悟が決まった。

 

「見て、アインソフ」

「えへ。初めて呼んでくれ……」

「【乱れ咲け――華凛】」

 

 呼び止め、振り返るアインソフ嬢の目に映ったのは、自らの掌底を全力で自身の側頭部に打ち込むリンの姿だった。

 

「がハっ!?」

 

 鈍い打撃音と、激しく花開く衝撃波。

 リンの目は一瞬で散乱し、肉体はその場で倒れる。

 

 そうするしかなかった。

 心を壊されるまでにフラン達が傷つくくらいなら、いっそ自分から壊してやる。

 

 全身全霊。最大出力。

 これできっと、敵の望むモノが溢れるはず。

 

「素敵よ、お姉様。本当にアイシテル」

 

 倒れたリンの姿にアインソフ嬢は発動したばかりの界法を解除しながら満足そうに笑い、タイムは約束通り【時間停止】を発動する。動けるのはタイムとアインソフ嬢だけ。

 

「さて、これからですね。お嬢様」

「うんうん。魔女さんが何を仕込んでるのか、楽しみだね!」

 

 時の止まった世界。倒れたリンは知るはずもないが、タイムは最初からリンを壊せた時点で【時間停止】を行使する予定だった。

 

 理由は単純。世界の時間を止めても危険な何かが、これから現れる……はずだ。

 

『発……件を、認。……起動式、法を……します。既、値を変更、ます……』

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