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テロが始まってから数時間。
不安と恐怖が空気を重く冷やすフラワ王城の、その一階。
未だ意識の戻らないアルバの身体を激しく揺するキョウの姿があった。
「アル兄! アル兄起きて!」
「…………」
普段の飄々とした猫みたいな彼女とは程遠い、必死な声。
それでもアルバが起きる様子はない。ただ静かに眠っている。周囲の人も、キョウとアルバのような関係だ。
無音、とはまた違う静けさ。
常に音はある。だがどれもが鋭く長く響く。まるで金属同士を叩き合わせた時のような、冷たく無機質な音だ。
静かに横たわる者と、それを横で見つめる者。
その間を淡々と、役職と義務を表情に張り付けて歩む者。
「アル兄……お願い。マリアも消えて、リリーとヒマワリも限界で……夜まで待ってたらフラワが滅んじゃうよ……」
「…………」
言葉に詰まり、思わず窓の方を見る。
テロは今も続いている。キョウがここにいるのは、戦っていた赤い髪の少年は忽然と姿を消したからだ。
理由は分からない。ただ、代わりに真っ黒な何かが戦場に現れた。
正体不明。目的不明。しかしキョウもまたマリアの【未来視】の内容を知る一人であり、リンの力の一端を直接見た人物でもある。
粘性の高い、タールのような暗い淀みの高波。そのせいで地平線の下半分は、まだ日があるというのに夜が迫っているかのよう。あれがマリアの言っていた未来の通りであるならば、リンは既に暴走している。フラワ滅亡の未来が、すぐそこまで迫っている。
「早く起きて……じゃないと、お姉さんが消えちゃうよ? アル兄……」
「…………ッ!?」
直後、希望が目覚める。混濁した意識の中で、確かな何かに突き動かされた。
しかし現実は甘くない。アルバは何故自分が気絶したのかを覚えている。加えて目の前にいるのがリンやマリアや医者ではなくキョウである意味を、薄靄のかかった脳で理解した。
「アル兄!」
「……あぁ、ありがとう。……それでキョウ、状況……は?」
日頃無表情な彼女の、僅かな安堵が消え去る。
言わずとも分かる。考えうる限りの最悪を想定するべきだ。
「……落ち着いて、聞いて。まず、マリアがどこかへ消えた」
「は!? なっ、え? 負けて拉致されたのか?!」
「落ち着いて、お願い。アタシ達にも分からないから。とにかく戦況は最悪だし、国の界法は機能してない。そのせいで外は半分くらい異界化してる。それと――」
「リン……なのか? あれ」
けれど実際、アルバは大きく狼狽えた。
話の途中で割り込み、冷静さを欠いて窓の方を見るくらいには。
そして、見た。
「……どこまでかは分からないけど、お姉さんが暴走してるのだけは絶対」
「マリアと見た未来より酷い現実なんて……おかしいだろ」
良いのか悪いのか、明らかに未来は変わっている。
跳梁跋扈するアイン教と、人々の混乱と恐怖が生み出した界物(かいぶつ)達。マリアとの【視覚共有】で見た黒い淀みと波。ここまではいい。
だが最も異質なのは、三メートル近い花の巨人だ。
身体は細身の人間。頭は幼子がクレヨンで描いたような花。そこに写真を切り貼りしたような目と口がある。巨人は、あれは間違いなく界物でもなく、かと言って界法で生み出された存在とも思えない。
いつかリンが言っていた。界法で生み出せるのは、あくまで『セカイ』に存在する要素の組み合わせで可能なものだけ。リンの『セカイ』で界物であるドラゴンは生み出せないが、各種生物の要素を切り貼りしてドラゴンに似たものは創れる。けれど、あの花の巨人はあまりに異質。界法に詳しくないアルバですら絶対に違うと断言できる。
「あの巨人、界物やアイン教を喰ってる。あんなの、人の想像力で生まれる界物とも違うよな? なぁ! あれってリンが生み出したってことなのか!? 違うよな!? なぁ!」
返答はない。あっても聞こえなかったかもしれない。
何せアルバはまた一つ絶望を目撃した。王城からかなり離れた場所からの轟音。家屋を破壊しながら現れた三つの小さな影と、巨大な影。
アルバの視力で分かったのは、あの三人は影の本体と戦っていること。そして、影の本体にはあまりに特徴的で見慣れた、あの三角帽子が乗っていたことだった。
「リン……」
漏れた言葉。呆然と立ち尽くすアルバを他所に、冷たい空気が一瞬にして沸き立つ。
王城は界法理論上、安全なはずだ。それでも人々の恐怖や混乱は止められない。ギリギリのところで留まっていた人々の理性は、あの恐るべき『災厄の魔女』のような黒い人型が王城に向かっているという事実で瓦解した。
「あぁああああああ!」
「終わった! 俺達は死ぬんだ!」
「神様! あぁどうか神様!」
「嫌! お願い! 助けて!」
アルバの耳に、自身の高鳴る鼓動が聞こえる。人々の恐怖と混乱が大地を揺らし、アルバの手を震わせる。怖い。そんな自分の恐怖を誰かの恐怖が紛らわせてくれる。
「アル兄……」
「大丈夫。まだ……そう、まだだ! まだ、リンママとの約束がある!」
おかげで、大切なことを思い出した。
たった一つの約束。今こそすべき約束だ。幸い、帽子は彼女の頭に乗っている。なら、後は彼女の下へ……と、アルバが踏み出そうとした直後、足がもつれる。
(は? なんだ……? 怖がってんのか? 俺……)
また恐怖にと苛立つアルバだったが、彼の心の問題ではない。
肉体へのダメージは、応急処置があったとはいえ深刻だ。興奮物質の過剰により、正確に痛みを感じられてはいないが、それでもアルバの身体はボロボロなのだ。
「キョウ。俺の身体、手伝ってくれないか」
「もちろん。アタシもできる限り手伝うから」
それでもなお、心は折れない。
約束は守る為にあるのだ。キョウの手を借り立て直す彼の下に、もう一つ。新たな変化が訪れる。
『ジリリリリリリン――』
それは、黒電話だった。
「なんだ、これ?」
「アル兄! 駄目! 界物の影響が王城内に――」
何もなかった虚空に浮く、謎の黒電話。
混乱と恐怖の喧騒すら引き裂く鈴の音。
『ジリリリリリリン! ジリリリリリリン!』
アルバは初めて『電話機』を見たが、音と共に激しく震える受話器を直感的に手にする。
瞬間、キョウの言葉は遥か遠くに。意識だけが黒電話に連れ去られたかのように、アルバは電話をかけてきた誰かの声を聞く。
『私、メリーさん。今、あなたとの距離を半分にしたの』
声の主は、アルバでも知っている恐怖の少女人形からだった。
だが、同時に彼は『メリー』という名前の主をもう一人知っている。
『あなたとの境界を半分にし続けるの』
声を聞く最中、アルバの視界にはいつの間にかモノクロの少女が現れた。向こうから瞬間移動し続ける少女の影。それは『黒と白』、『長と短』を互い違いにしたゴスロリドレスに、灰色の髪を紫のリボンでツインテールに纏めた姿で、人形のように虚ろな青と赤のオッドアイをした界物だった。
「――私、メリーさん。今、あなたの後ろ。近付き続けるのが『セカイ』の意思なら、触れるのは私の意思」
「…………」
「アル兄!」
触れようと背後から迫る手を、キョウが払いのける。
けれどアルバは自分の前に立ってくれたキョウの肩に手を置き、現れた界物メリーをしっかりと見据える。
「大丈夫。多分、コイツは俺達の味方だ」
「え?」
界物の手には、またしても鳴り響く黒電話。
もう、アルバは受話器の向こうを想像できている。
人々の恐怖の源であり、終着点。マリアが助けられた『メリー』と名乗った人物。
界物は人々の想像の産物であり、『代行者』が創造できるのは『セカイ』に含まれる要素で構成できるもの。
アルバは受話器を手に、思わず笑ってしまった。
両方の条件を満たせる存在がいるという事実と、実現させた『界法師』の発想力。
「良かった。まだリンは大丈夫なんすね、リンママ」
『瀬戸際だ。少年、命に代えても約束を果たしてもらうぞ』