TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る 作:雅媛
夕闇が迫るトレーニングコース。
張り詰めた空気の中、ボクたち3人は、1人の小さなウマ娘と対峙していた。
「……どうして、邪魔するの?」
ライスシャワーが、低く、冷たい声で言った。
その瞳には、天皇賞で見せた鬼気迫る光が、さらに鋭さを増して宿っている。
そこにあるのは迷いではない。自身の行く手を阻む者への、明確な敵愾心だ。
「ライス、やっと……やっと、みんなに『おめでとう』って言ってもらえたの。ヒーローになれたの。……ここで止まったら、またガッカリさせちゃう」
「……否定します」
一歩踏み出したのは、ミホノブルボンさんだった。
彼女は悲痛な面持ちで、手書きのノートを強く握りしめている。
「ライスの現在の数値はレッドゾーンです。次走の故障発生率は98%以上。……私は、私を超えていった最強のライバルに、二度と走れなくなるような怪我をしてほしくありません」
「……ブルボンさんは、ライスのこと、信じてくれないんだね」
ライスさんが、ギリッと奥歯を噛み締めた。
その体から、どす黒いオーラが立ち上る。
「あの時……ライス、誓ったの。今度こそヒーローになるって……なのに、どうして止めるの!?」
拒絶。
かつてのライバルの言葉すら、今の彼女には「自分の否定」にしか聞こえない。
彼女は自分を犠牲にしてでも、輝こうとしている。それが彼女の選んだ修羅の道だ。
「……ライスさん。貴女のお気持ちはわかりますわ」
メジロマックイーン姉さんも必死に言葉を紡ぐ。
「ですが、それは『破滅』への道です。ファンの期待は、貴女の命と引き換えにするものではありません!」
「違う! ライスは……ライスは走り続けることでしか、みんなに報いることができないの!」
議論は平行線だ。
彼女の周りの空気が、重く淀んでいく。
ゾクリ。
その時、ボクの背筋に、冷たい悪寒が走った。
ライスさんの足元にまとわりつく、タールのように粘り気のある「黒い靄」。それが大量にあふれ出したのだ。
それは以前よりも濃く、そして彼女の足首を死の淵へと引きずり込もうとしているように見えた。
(やっぱり……あれ……)
その時、ボクの脳裏に、あの軽い、しかし神威を帯びた声が響いた。
『あらあら、見えちゃってるみたいね』
(……三女神!?)
脳内通話に割り込んできたのは、あのふざけた神様だった。
『それが「死の運命」よ。彼女が史実通りに辿るはずの、悲劇への引力』
(運命……!?)
『彼女は今、「走ることで死ぬ」という運命のレールに乗っている。言葉で説得しようとしても無駄よ。彼女の魂はその運命を全速力で走っているんだから、外からの声なんかで変わるわけないわ』
女神の声が、低く厳かに響く。
『死の運命を払いたければ、それ以上の「生」のエネルギーをぶつけなさい。レースで彼女をねじ伏せて、「走らなくてもいい」という事実を運命に刻み込むの。……彼女の覚悟を、あなたたちのエゴで上書きしてごらんなさい』
プツン、と声が消える。
……上書き。レース。
それしかない。
「……皆さん。構えてください」
ボクは低く告げた。
マックイーン姉さんとブルボンさんが、ボクを見る。
「言葉じゃ止まりません。……ライスさんを説得するには、レースで彼女をねじ伏せるしかありません!」
ボクは一歩前に出て、ライスシャワーを指さした。
「ライスシャワーさん。貴女は自分がヒーローだと思っている。……なら、その力でボクたちを黙らせてみてください」
ボクは挑発的な笑みを浮かべた。
「ここにいる3人とのレースで、貴女が逃げ切れたら、誰も貴女を止めません。宝塚記念でもどこでも行ってください。……でも、もし私たちが勝ったら、即刻休養に入ってもらいます」
「ふふふ、わかりやすくていいね。いいよ」
ライスさんが、ゆらりと構えた。
その背後に、鬼神のような気迫と、黒い靄が渦巻く。
「ライスは、誰にも負けない。……全員、まとめて置いていく」
交渉成立。
ボクは拳を握りしめ、脳内の最強メンバーを招集しようとした。
(頼む、みんな! ゴルシ、キタサン、カフェ……グランアレグリア! ボクに力を……!)
その、瞬間だった。
『――よせ』
ドスッ、と重い衝撃が脳内を走り、ボクの意識が強制的に遮断された。
能力が、発動しない。
(えっ……ゴルシ?)
いつもの軽い口調ではない。
地を這うような、本気の怒気を含んだ声が響く。
『テメェ、死ぬ気か?』
(なっ……何を言ってるんだ! 今、ボクが走らないでどうする!)
『自分の体の状態、わかってんのか? ローレルとの一件で負ったダメージ、まだ半分も抜けてねえぞ。医者の診断忘れたか?』
ゴールドシップが、冷徹に告げる。
『今のテメェは、ヒビが入ったガラスの器だ。そこにまたアタシらみたいなデカい魂を降ろしてみろ。……スタートの一歩目で、テメェの足は砕け散る。二度と走れなくなるぞ』
(それでも構わない! ライスさんを救えるなら……!)
『ふざけんなッ!!』
怒号。
ボクの脳が揺さぶられるほどの覇気。
『テメェが壊れてどうする! テメェの物語はどうなる!』
(でも……)
『テメェの両親の心配はどうなる!!』
(……)
それを言われるとつらい。
両親にだけはできるだけ心配させたくない。再起不能の大けがなどしたら心配性の両親がどう思うかわからない。
だが……
『……それに、テメェは一番大事なことを忘れてるぞ』
唇を噛むボクにゴルシの声が、諭すようなトーンに変わる。
『目の前にいる二人が、誰だと思ってんだ? ……あのメジロマックイーンと、ミホノブルボンだぞ?』
ハッとした。
ボクは隣を見た。
そこには、静かに闘志を燃やすメジロマックイーン姉さんと、機械的な冷静さの中に熱い情動を秘めたミホノブルボンさんが立っていた。
「……ロールさん」
マックイーン姉さんが、ボクの肩に手を置いた。
「貴女、顔色が真っ青ですわよ。……無理はいけません」
「スキャン完了。ロールフィヨルテの身体数値、活動限界です。……これ以上の走行は、私が許可しません」
ブルボンさんも、ボクの前に立ちはだかるように位置取った。
バレていた。
ボクがボロボロの状態であることなど、歴戦の彼女たちにはお見通しだったのだ。
「で、ですが……ボクが……!」
「いいえ。貴女の役割は私たちを連れてきただけで十二分に果たしました。ここからは、私たちに任せてください」
マックイーン姉さんが、優雅に、しかし力強く微笑んだ。
「ライスさんとの因縁は、私たちの物語でもあります。……かつて彼女に敗れ、夢を絶たれた私たちが、今度は彼女の夢(いのち)を繋ぐ。……これは、私たちの役目ですわ」
「肯定します。……かつてのライバルとして。彼女を止める資格と義務は、私たちにあります」
二人の背中が、大きく見えた。
かつてターフを沸かせた最強のステイヤーと、最強の逃げ馬。
引退してなお、その魂の色は少しも褪せていない。
『……ほらな。デカい顔してんじゃねーよ、新人』
脳内でゴルシがニッと笑う気配がした。
『あの二人が本気になったんだ。……信じて待ってろ。それが今のテメェの仕事だ』
ボクは唇を噛みしめ、そして拳を解いた。
ゴルシの言う通りだ。今のボクが出ても、足手まといになるだけだ。
「……わかりました。お願いします、先輩方」
「ええ。任されましたわ」
「行ってきます」
二人がスタートラインに並ぶ。
その対面には、黒いオーラを纏ったライスシャワー。
2対1。
変則のマッチレース。
距離は2200m。あの宝塚記念と同じ距離。
ゲートはない。合図もない。
ただ、互いの魂が臨界点に達した瞬間が、スタートだった。
「……行くよ!!」
ライスシャワーが叫び、地面を蹴った。
同時に、マックイーン姉さんとブルボンさんも飛び出す。
ボクは、その背中を見送ることしかできなかった。
祈るように手を組み、ただ見つめる。
頼む。届いてくれ。
あの黒い靄を、その走りで焼き払ってくれ。
夕闇の中、3つの影が風となって消えていった。