TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

11 / 79
11 10日後にケガするウマ娘、100日後に死ぬウマ娘⑤

 スタートの合図も、ゲートの開く音もない。

 ただ、互いの魂が臨界点を超えた瞬間、3つの影が弾かれた。

 

 距離は2200m。

 京都レース場の外回りを想定した、持久力と瞬発力の双方が問われる距離。

 

 先手を奪ったのは、ミホノブルボンさんだった。

 現役時代を彷彿とさせる、正確無比なロケットスタート。

 彼女は迷いなくハナ(先頭)に立ち、自身の得意とするラップを正確に刻む逃げを展開した。

 

「……計測開始。目標タイム設定、限界突破(オーバーリミット)。……ついて来られますか、ライスさん」

 

 彼女の背中は、引退したトレーナー志望のそれではない。かつての「サイボーグ」としての輝きを取り戻している。

 だが、それを追うライスシャワーの瞳は、凍てつくように冷たかった。

 

「……知ってるよ、そのペース」

 

 ライスさんは焦らない。

 ブルボンさんの真後ろ、ピタリと影を踏む位置につける。

 そのプレッシャーは、かつてミホノブルボンの三冠を阻止した「菊花賞」の再現だ。

 

「あの時と同じだね。……ブルボンさんの逃げは、ライスが一番よく知ってるの」

 

 冷徹な言葉。

 彼女はブルボンさんの体力を削ぎ落とすためだけに、執拗にマークし続ける。

 情け容赦のない、完璧な「殺し」の走り。

 

「くっ……スタミナが持たない……」

 

 第3コーナー。

 ブルボンさんの足色が鈍る。

 現役を退いた体で、限界以上のハイペースを維持し、さらに現役最強ステイヤーのプレッシャーを受け続けたのだ。持つはずがない。

 

「……さよなら、ブルボンさん。ライスの勝ちだね」

 

 ライスさんは冷たく告げると、力尽きかけたブルボンさんをあっさりと抜き去った。

 その顔に喜びはない。ただ障害を排除しただけの、虚無的な強さ。

 先頭へ。

 視界が開ける。ゴールまではあと少し。

 邪魔者はもういない――はずだった。

 

「……いいえ。逆ですわ」

 

 耳元で、凛とした声が囁いた。

 

「――っ!?」

 

 ライスさんが驚愕に目を見開く。

 背後の死角(ブラインドスポット)。

 そこに潜んでいた芦毛の影が、一気に躍り出た。

 

 メジロマックイーン

 彼女はずっと隠れていたのだ。ブルボンさんが作り出したハイペースを利用し、ライスさんがブルボンさんに意識を集中している隙に、徹底的に気配を殺してライスさんをマークしていたのだ。

 

「あの天皇賞(春)とは……逆になりましたわね、ライスさん!」

 

 マックイーン姉さんが叫ぶ。

 あの日。三連覇を阻止した天皇賞(春)。ライスシャワーはメジロマックイーンを徹底的にマークし、そのスタミナを削り切って勝利した。

 だが今、メジロマックイーンは同じ戦法で、ライスシャワーを狩りにかかったのだ。

 

「な、んで……マックイーンさんが、後ろに……!?」

「貴女がブルボンさんに夢中になっている間に、足を溜めさせてもらいましたわ! ……さあ、今日は私が『刺客』です!」

 

 マックイーン姉さんが、並ぶ間もなく抜き去る。

 ブルボンさんが捨て身で作った隙を、マックイーン姉さんが突く。

 個の力では勝てないからこその、完璧な連携。

 

「ああ、ああっ……待って、待ってよぉッ!!」

 

 ライスさんが手を伸ばす。

 だが、届かない。

 ブルボンさんを潰すために足を使ってしまった彼女には、万全の状態でスパートをかけたマックイーン姉さんを差し返す余力は残っていない。

 

 ボクの目に見えていた、あの不吉な「黒い靄」。

 ライスさんの足元にまとわりついていたそれが、千切れるように霧散していく。

 「勝つために死ぬ」という運命が、「生きるために負ける」という現実に上書きされていく。

 

 ――ゴール。

 

 先頭で駆け抜けたのは、メジロマックイーン。

 数瞬遅れて、ライスシャワーがゴール板を通過した。

 さらに遅れて、ミホノブルボンさんがよろめきながらゴールした。

 

 

 

 全員が芝の上に倒れ込み、荒い息をつく。

 空は完全に夜になっていた。星が瞬いている。

 

「……う、ううっ……負けちゃった……負けちゃったよぉ……」

 

 静寂の中、ライスシャワーの悲痛な声が響いた。

 さっきまでの冷徹な表情は消え失せ、彼女は芝を握りしめ、子供のように泣きじゃくっていた。

 

「これじゃ、ライス、走れない……。みんなの期待に応えられない……」

「……ええ。約束ですもの」

「走らなきゃ……走らなきゃいけないのに……っ! ライスが走らなきゃ、誰も喜んでくれないのに!」

 

 それは、彼女の魂の叫びだった。

 勝つことでしか自分の存在を肯定できなかった少女の、絶望の淵。

 

 そんな彼女の体を、優しく包み込む影があった。

 ブルボンさんだ。

 彼女は汗だくの体で、震えるライスさんを強く抱きしめた。

 

「……否定します」

「……ブルボン、さん?」

「貴女が走らなくても、誰も失望などしません。少なくとも、私は」

 

 ブルボンさんが、いつもの機械的な口調ではなく、熱のこもった声で告げる。

 

「貴女は、私の夢を砕き、私を超えていったウマ娘です。……貴女は、ずっと私の目標であり、私のヒーローなんです」

「……ヒーロー……?」

「はい。ですから……これ以上、傷つかないでください。貴女が壊れることこそが、私にとって一番の絶望です」

 

 ライスさんの瞳が大きく見開かれ、そこから大粒の涙が溢れ出した。

 

「……まったく。あんな冷たい走りをしておいて、最後は泣き虫に戻るんですの?」

 

 そこに、マックイーン姉さんがふらりと立ち上がり、見下ろした。

 その言葉は皮肉めいているが、瞳には深い慈愛と、ライバルへの敬意が宿っていた。

 

「私から『最強のステイヤー』の称号を奪っておいて、こんなところで燃え尽きるつもりでしたの? ……そんな安い幕引き、私が許しませんわ」

 

 彼女はフン、と鼻を鳴らし、勝気な笑みを向けた。

 

「貴女には、もっと長く、もっと美しく走ってもらわねば困ります。……貴女のこと、ドリームトロフィーシリーズで待ってるんですからね」

「マックイーン、さん……」

 

 二人の言葉が、ライスさんの呪いを解いていく。

 走らなくてもいい。壊れてまで、期待に応えなくていい。

 生きていてくれるだけで、そこにいてくれるだけで、彼女はすでに誰かのヒーローなのだ。

 

「……う、うわあああああんッ!!」

 

 ライスさんは、ブルボンさんの胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。

 それは悔し涙ではなく、ずっと張り詰めていた糸が切れた、解放の涙だった。

 

「……止まるよ。ライス、止まる……! また……またみんなと走りたいから……ッ!」

 

 泣きじゃくりながら、彼女は誓った。

 その瞬間、彼女の足元に残っていた最後の黒い靄が、完全に消え去った。

 

 ボクは少し離れた場所からその光景を見守っていた。

 安堵で膝が震える。

 

(……終わった)

 

 史実は変わった。

 6月4日の宝塚記念。そこにライスシャワーの名前はない。

 彼女は生きる。そしていつか、万全の状態でターフに戻ってくるだろう。青い薔薇を咲かせるために。

 

『……へっ。綺麗にまとまりやがって』

 

 脳内で、ゴールドシップがニヒルに笑った。

 

『ま、今回はアタシの出番がなくて正解だったな。……帰って寝ようぜ、マスター。テメェの体もガタガタだろ』

(……ああ。そうするよ)

 

 ボクは3人の輪には入らず、静かにその場を後にした。

 これは彼女たちの物語だ。

 ボクはただの、通りすがりのイレギュラー。

 

 空を見上げると、月が綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

 月明かりの下、ボクは人気のなくなった寮の廊下を歩いていた。

 体は鉛のように重いが、心は晴れやかだ。

 部屋に戻ったら、泥のように眠ろう。そう思ってドアノブに手をかけた。

 

「……ただいま」

 

 ガチャリと扉を開ける。

 部屋の中は真っ暗――ではなかった。

 デスクライトの明かりだけが点いており、その光の中に、腕を組んで椅子に座るルームメイトの姿が浮かび上がっていた。

 

「……おかえりなさい、ロールちゃん」

 

 サクラローレル先輩だ。

 その顔は笑顔だ。春の陽だまりのように温かく、そして――桜吹雪の夜のように、底知れぬ圧力を放つ笑顔。

 

「あ、ただいま戻りました、先輩。……起きてたんですね」

「ええ。ロールちゃんの帰りを待っていたの」

 

 彼女はゆっくりと立ち上がり、ボクに近づいてきた。

 そして、ボクの包帯だらけの足をじっと見つめ、次にボクの目を射貫いた。

 

「……聞いたわよ。あそこで、自分も走ろうとしたんですって?」

 

 ギクリ。

 心臓が跳ねた。

 

「え、いや、それは……未遂というか、先輩に止められたというか……」

 

 どこから洩れたんだろうか。先輩たちの誰かが言いつけたか? ゴルシあたりが言いつけたか? だが、その原因を思いつく前にローレル先輩が畳みかける。

 

「止められなかったら、走るつもりだったのよね? そのボロボロの足で」

 

 逃げ場がない。

 ローレル先輩の手が、ボクの肩に置かれた。優しい手つきだが、決して逃がさないという強い意志を感じる。

 

「ロールちゃん。貴女、私になんて言ったか覚えてる?」

「えっと……」

「『壊れるよりマシだ』。……そうやって、私の無茶を止めたのよね?」

 

 彼女の指に力がこもる。

 

「なのに、どうして自分は平気で壊れようとするの? ……自分の体は、どうなってもいいの?」

 

 その声が、微かに震えていた。

 ボクはハッとして顔を上げる。

 ローレル先輩の瞳には、怒りだけでなく、今にも溢れ出しそうな涙が溜まっていた。

 

「……貴女が壊れたら、私はどうすればいいの?」

「先輩……」

「私を助けてくれた貴女が、私の目の前で壊れたりしたら……私は、一生後悔する。ブライアンちゃんに追いつくどころじゃなくなるわ」

 

 彼女はボクの体を抱きしめた。

 温かい。

 そして、ボクの無茶を本気で心配し、怒ってくれる人の体温だ。

 

「ごめんなさい……。夢中だったんです」

「……わかってる。貴女はそういう子だって、わかってるけど……」

 

 彼女は顔を上げ、涙を拭うと、今度は母親のような厳しい顔つきになった。

 

「お仕置きよ」

「は、はい」

「ベッドに行きなさい。……朝まで私が、徹底的にアイシングとマッサージをしてあげるわ」

「えっ、いや、先輩も疲れてるのに!」

「ダメ。拒否権はないわ。……貴女が私にしてくれたように、今度は私が貴女を守る番なんだから」

 

 有無を言わせぬ迫力。

 ボクは観念して、ベッドに腰を下ろした。

 

 窓の外では、月が静かに輝いている。

 厳しいトレーニングよりも、強敵とのレースよりも、怒れるルームメイトの愛ある説教の方が、今のボクには一番効いた。

 

「……痛いっ! 先輩、そこツボです!」

「我慢なさい。……もう、本当に筋肉がカチカチじゃない。バカなんだから……」

 

 こうして、長い長い一日は、湿布の匂いとルームメイトの小言に包まれて、ようやく本当に幕を下ろしたのだった。




評価お気に入り・感想お待ちしております

雑談等はディスコード鯖
https://discord.gg/92whXVTDUF

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。