TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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16 試験

 じりじりと肌を焦がすような日差しが、アスファルトから陽炎を立ち上らせている。

 あの日、伊豆の海岸で味わった絶望から、季節は一巡りした。

 再び巡ってきた夏。

 トレセン学園、芝コース。

 今日は、来たるべきデビュー戦への切符を賭けた「ゲート試験」が行われる日だ。

 

 会場には、独特のピリピリとした緊張感が漂っていた。

 バインダーを片手に鋭い視線を送る試験官たち。

 そして、ゲート裏で待機する数人のウマ娘たち。顔を青ざめさせている子、震える脚を必死に叩いている子、緊張を紛らわすように大声を出している子。

 誰もが、自分の未来がかかった一発勝負に怯えている。

 

 ボク、ロールフィヨルテもその中にいた。

 心臓の鼓動は激しい。喉の奥が張り付くように渇いている。

 けれど、不思議とパニックにはなっていなかった。

 一年前のボクなら、間違いなくここで足をすくませていただろう。でも今は、嵐の前の静けさのような、研ぎ澄まされた集中力が体の底に沈殿している。

 

(……見ているな)

 

 ボクはふと、コース脇にある観客席――本来なら無人のスタンドへと視線を向けた。

 一般の生徒や試験官には見えないだろう。

 だが、ボクの目にはハッキリと映っていた。

 

 誰もいないはずの最前列に、陣取っている「彼ら」の姿が。

 

 優雅に腕を組んで座る、銀の甲冑を幻視させる貴公子、ローエングリン。

 退屈そうに脚を組み、あくびを噛み殺しているマイルの絶対女王、グランアレグリア。

 仁王立ちでコースを見下ろす、豪快な笑顔のウオッカ。

 そして、日傘を差して涼やかな顔をしている女帝、アーモンドアイ。

 

 彼らはボクの脳内に住んでいるわけではない。普段はどこか別の次元、あるいは彼岸にいて、ボクが必要とした時(あるいは彼らが興味を持った時)にだけ、ふらりと現れる気まぐれな英雄たちだ。

 今日はボクの晴れ舞台ということで、示し合わせたように全員で「見物」に来ているらしい。

 プレッシャーなんてものじゃない。日本競馬史、いや世界競馬史に残るレジェンドたちが、値踏みするようにボクを見ているのだ。

 

『……おいおい、顔色が悪いぞマスター。ビビってんのかぁ?』

 

 不意に、すぐ耳元で声がした。

 スタンドではない。もっと近く、コースのラチ(柵)の上に、ジャージ姿の芦毛のウマ娘が器用にバランスを取って座っていた。

 手にはなぜか、湯気の立つカップ焼きそばを持っている。

 

(……ゴルシ。コースでの飲食は禁止だよ)

『へっ! アタシにルールなんざ通用するかよ。……で、どうすんだ? 手ぇ貸してやろうか?』

 

 ゴールドシップが、ニヤリと笑いながら焼きそばを啜る。

 彼女だけは特別だ。他の英雄たちが「観客」なら、彼女は「悪友」に近い距離感で、いつもボクの周りをうろついている。

 

『あの石頭の騎士サマ(ローエングリン)も言ってたぜ。「我が主が望むなら、スタートの背中を押してやる用意はある」とかなんとか。過保護なこった』

 

 スタートの補助。

 ゲート試験において最も失敗しやすい鬼門だ。出遅れれば即不合格。ローエングリンの反応速度を一瞬だけ借りれば、合格は確実なものになる。

 チラリとスタンドを見上げると、ローエングリンと目が合った気がした。彼は無言で頷いている。

 

 けれど、ボクは首を横に振った。

 

(ううん。今日はいい。断るよ)

『あん? 落ちても知らねーぞ?』

(落ちないよ。……今日は、「ボク」がどこまでやれるか試したいんだ)

 

 誰かの力を使えば、楽に合格できるかもしれない。

 でも、それでは意味がない。

 あの日、ドーベルに「アクセサリー感覚で技術を借りる」という発想をもらい、ブライトに「心を通わせる」ことを教わった。

 それから一年。来る日も来る日も、泥にまみれて特訓を繰り返した。

 借り物ではない、「器」そのものの性能がどれだけ上がったか。

 それを、あの偉そうな観客席の連中に証明するための試験だ。

 

『……ケッ、言うようになったじゃねえか』

 

 ゴルシは満足げに鼻を鳴らし、ひらりとラチから飛び降りて姿を消した。

 いや、消えたのではない。風になって、コース全体に溶け込んだのだ。

 

「第3グループ、ゲートに入ってください!」

 

 試験官の無機質な声が響く。

 ボクは深く息を吐き、ゲートへと歩を進めた。

 鉄の枠。狭い箱。

 ここに収まると、世界が切り取られたように狭くなる。

 前方に見えるのは、1600m(マイル)の滑走路だけ。

 

(大丈夫。……体は覚えている)

 

 ボクは静かに目を閉じ、そしてカッ開いた。

 

 

 

 ガシャン!

 

 ゲートが開く乾いた金属音。

 その音が鼓膜に届くよりも速く、ボクの神経が火花を散らした。

 

(……前へ!)

 

 思考するな。反応しろ。

 一年間、ローエングリンに何度も体を貸し、その「重心移動」の感覚を筋肉に焼き付けてきた。

 膝を抜き、上体を倒し、重力を利用して前へ崩れ落ちるように飛び出す。

 そこへ、鍛え上げた脚のバネを爆発させる。

 

 ドンッ!

 地面を蹴る感触が鋭く伝わる。

 ローエングリン本人のような、音速のロケットスタートではない。

 それでも、以前のような「よっこいしょ」というもたつきは皆無だった。

 

「よしッ!」

 

 心の中でガッツポーズをしつつ、加速に移る。

 横目に見える景色が流れる。

 緊張で出遅れてゲート内で躓く子もいる中、ボクは周りよりも半歩先を進み集団の先頭――ハナを切る位置につけていた。

 熱気を帯びた風が、前髪を巻き上げて頬を叩く。

 ここから1600m。長いようで短い、マイルの旅路だ。

 

 向こう正面の直線。

 風の音が強くなる。

 息が上がる。太ももに、じわりと熱い鉛のような疲労が溜まり始める。

 この一年で基礎体力は飛躍的に向上した。だが、素の身体能力(フィジカル)は、やはりあの化け物じみた英雄たちには遠く及ばない。

 スタンドで見ているグランアレグリアなら、あくびをしながら走れるペースだろう。

 だが、今のボクにとっては、すでに全力疾走に近い負荷だ。

 

(苦しい……重い……!)

 

 肺が焼けるようだ。

 酸素が足りない。フォームが崩れそうになる。

 油断すると、アゴが上がってしまいそうだ。

 

(立て直せ! 腰を落とせ!)

 

 ボクは自分自身を叱咤する。

 ここで思い出すのは、あの破天荒な芦毛との特訓の日々だ。

 雨の日も風の日も、泥だらけになりながら叩き込まれたバランス感覚。

 『体幹を使え!』『地面と友達になれ!』

 彼女の言葉が、脳裏に蘇る。

 そうだ、脚だけで走るんじゃない。腹の底、丹田に力を込めろ。

 

 第3コーナー。

 勝負どころのカーブに差し掛かる。

 スピードに乗ったまま突入する遠心力が、ボクの体を外へ外へと引き剥がそうとする。

 

(負けるな……! 倒せ! 壁を作れ!)

 

 恐怖心をねじ伏せ、体を内側へ傾ける。

 ゴルシのような常識外れの「ワープ」はできない。地面スレスレまで体を倒す度胸も、今のボクにはまだない。

 それでも。

 以前のように恐怖でブレーキをかけ、外へ膨らむような無様な真似はしなかった。

 靴底が芝を噛みしめる。

 しっかりと内ラチ(柵)沿いのラインをトレースし、最短距離を回る。

 確かな技術(テクニック)が、スタミナの浪費を防ぎ、スピードを殺さずにコーナーをクリアさせてくれる。

 

 スタンドの一角で、ゴールドシップがニカっと笑って親指を立てた気がした。

 

 そして、最後の直線。

 残り400m。

 

「はぁッ、はぁッ、はぁッ……!!」

 

 ここからが地獄だ。

 肺が破裂しそうだ。視界が白くチカチカする。脚が棒のように重い。

 スタンドの方から、強烈な視線を感じる。

 ウオッカだ。グランアレグリアだ。

 彼女たちが、誘惑しているように思える。

 

『使いなよ』『貸してあげるわよ』

『ここから加速したいなら、アタシのエンジンが必要でしょ?』

 

 そう囁かれている気がする。

 今ここで、彼女たちの力の一部を借りれば、ボクの体は羽が生えたように軽くなり、爆発的な末脚でゴール板を駆け抜けられるだろう。

 楽になれる。

 圧倒的なタイムが出せる。

 

 だが。

 ボクは歯を食いしばり、首を振った。

 

(断るッ!!)

 

 まだだ。まだ自分の足で走れる。

 ウオッカが教えてくれたのは、単なるパワーじゃない。「こじ開ける勇気」だ。

 それは他者を抜くためだけじゃない。自分自身の弱さを、限界をこじ開けるための意思の力だ。

 

 腕を振れ。

 脚を上げろ。

 泥臭くてもいい。華麗じゃなくてもいい。

 一歩ずつ、確実に地面を噛みしめて進む。

 自分の筋肉が悲鳴を上げているのを感じろ。それが生きている証だ。それが成長の証だ。

 

 誰かを驚かせるようなスーパータイムじゃない。

 観客が湧くような派手な追い込みもない。

 ただひたすらに、一年間教わったことを忠実に守り、一年前とは違う自分の全力を、一滴残らず絞り出す走り。

 

 ゴール板が近づく。

 風の音だけが聞こえる。

 スタンドの英雄たちが、静かに立ち上がった気配がした。

 

 そして――ボクは、誰もいないゴールラインを駆け抜けた。

 

*

 

「ゼェ……ッ、ハァ……ッ! ゲホッ……!」

 

 ゴール板を過ぎた瞬間、糸が切れたようにバランスを崩す。

 膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか堪え、コース脇の手すりにしがみついた。

 喉が血の味がする。

 汗が滝のように流れ落ちて、目に入って痛い。

 キツかった。本当に、死ぬほどキツかった。

 英雄たちの力がいかに偉大で、いかにボクを「楽」させてくれていたか、痛感する。生身で走るマイルは、こんなにも長く、苦しいものなのか。

 

「……ロールフィヨルテさん。タイム、1分38秒5」

 

 近づいてきた試験官が、ストップウォッチを見ながら事務的に、しかし少しだけ感心したような声色で告げた。

 

「基準タイム1分40秒をクリア。……合格です」

 

 その言葉が脳に浸透した瞬間、全身の力が抜けた。

 

「よ、っっしゃあぁ……!」

 

 小さく、けれど噛みしめるように叫ぶ。

 合格だ。

 マイルのレースで勝つ一線級のタイムから見れば、決して速い数字ではない。

 一分三十秒台前半を叩き出すようなトップ層に比べれば、「ぼちぼち」の平凡なタイムだ。新聞に載るような記録でもない。

 スタンドにいた女王様たちは「まあ、及第点ね」と笑っているかもしれない。

 

 でも、これは「100%ボクの力」で出したタイムだ。

 スタートで遅れず、コーナーで膨らまず、最後までバテずに走り切れた。

 あの合宿で、何もできずに立ち尽くしていた「空っぽの器」は、もういない。

 中身はまだ半分も埋まっていないかもしれないけれど、確かに満たされ始めている。

 

「……お疲れ様。見てたわよ」

 

 フェンス越しに、見知った顔があった。

 メジロドーベルだ。

 彼女は一足先にゲート試験をパスし、すでにデビュー戦に向けて調整に入っている。

 いつも自分にも他人にも厳しい彼女の表情が、今は少しだけ緩んでいるように見えた。

 

「合格ラインぎりぎりかと思ったけど……意外と余裕あったじゃない。この一年、サボってなかった証拠ね」

「ドーベル……ありがとう。……キツかったよ、本当に……」

「ふふっ。でも、最後までフォーム崩れなかった。……合格点、あげてもいいかな」

「ドーベルにそう言ってもらえるのが、一番嬉しいかも」

 

 ボクがタオルを受け取って顔を拭いていると、その後ろから、のんびりとした足音が近づいてきた。

 

「ロールちゃ~ん! おめでとうございます~!」

「ブライト! 来てくれたんだ、ありがとう!」

 

 メジロブライトだ。

 彼女はニコニコと目を細め、ボクの手を握りしめた。

 

「すごいですわ~。何も『降ろして』いないのに、あんなに堂々と走れるなんて。……ロールちゃん自身の魂も、この一年でキラキラ輝くようになりましたわよ~」

「そっか……。輝いて見えたなら、よかった」

 

 ブライトの言葉が、疲れた体に染み渡る。

 自分の足で立った感覚。それが、これほどの自信になるとは思わなかった。

 今のボクという強固になった土台(ベース)の上に、あの最強の英雄たちの力の一部を借りれば――。

 

(……行ける)

 

 確信が生まれた。

 ボクは、戦える。

 ふとスタンドの方を見ると、もう幻影たちの姿はなかった。

 ただ、夏の日差しが照りつけているだけだ。彼らは満足して帰ったのだろうか。それとも、次のステージで待っているのだろうか。

 

「さあ、これで文句なしにデビュー戦への切符は手に入れたわね」

 

 ドーベルが、コースの奥にある掲示板――今後のレース予定表を見据えて言った。

 そして、くるりとブライトの方へ向き直り、ジト目を向ける。

 

「で、ブライト? アンタはいつ受けるつもりなの?」

「あら~? わたくしですか~?」

「そうよ。ロールも合格したのよ。いつまでもフワフワしてないで、さっさと申し込みなさい。置いていくわよ」

「ふふ~、わたくしはゆっくり仕上げますわ~。秋風が吹く頃には……たぶん」

「たぶんじゃないでしょ! もう! アンタのトレーナーも泣いてたわよ」

 

 ドーベルに怒られても、ブライトは柳に風と受け流して微笑んでいる。

 そんな変わらない幼馴染たちのやり取りが、試験後の高揚した心に心地よかった。

 

 デビューの夏。

 ボクは大きく息を吸い込み、拳を握りしめた。

 

 ゲート試験合格。

 それは、ロールフィヨルテという一人のウマ娘の、本当の物語の始まりだった。

 次は、本番のレース。

 どこまで行けるのか、それだけが不安であり楽しみであった。




本日11時に閑話更新予定です。

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