TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る 作:雅媛
夏の日差しが、中山レース場の緑のターフを容赦なく焼き焦がしていた。
陽炎がゆらめくコース上。
本日の第5レース、メイクデビュー中山。
芝1200m、右回り、外回りコース。
17人の若きウマ娘たちがデビューを競う、多頭数の短距離戦だ。
パドックには、これからデビューを迎える若き才能たちが周回している。
新バ戦にしては珍しく、スタンドにはそれなりの数の観客が入っていた。夏レース特有の湿った熱気と、ファンの大人たちの視線が、肌にまとわりつく。
(……熱い。でも、悪くない)
ボク、ロールフィヨルテは大きく深呼吸をした。
肺いっぱいに吸い込んだ夏の空気は、どこか鉄と芝の匂いがした。戦場の匂いだ。
身に纏っているのは、学園指定の純白の半袖シャツ。
そして下は、機能性と動きやすさを極限まで追求して選んだ、黒色の体操服(ブルマ)だ。
今回のレースでボクが引き当てたのは2枠4番。
規定に従い、ボトムスの色は「黒(ブラック)」が指定されている。
余計な装飾を削ぎ落としたその漆黒のスタイルは、ただ速く走るためだけの戦闘服。
ドーベルと悩み抜き、ブライトが太鼓判を押してくれたこの姿。今はもう、恥ずかしさなど微塵もない。あるのは、風と一体になれる予感だけだ。
『……ふん。悪くない面構えになったな、小娘』
脳内で、低く、地響きのように威厳に満ちた男性のような声が響いた。
今日、ボクがその力を借りるために呼び出した新たな英霊。
日本競馬史上、最強のスプリンターと言われる一頭にして、日本と香港の地で世界を制した「龍王」。
『ロードカナロア』だ
彼はボクの脳内空間に、黄金と翡翠で飾られた豪奢な玉座を出現させ、頬杖をついて外の世界を見下ろしている。
(カナロア……力を貸してくれるね?)
『言葉を慎め。我は「貸す」のではない。「支配」するのだ』
カナロアは傲然と言い放つ。その声には、絶対的な王者の響きがある。
『1200m(6ハロン)。それは瞬きの時間だ。迷いも、策も、呼吸すらも不要な、純粋なる速度の世界。……貴様にその領域を統べる覚悟があるなら、我の翼をくれてやろう』
圧倒的なプレッシャー。
ボクの心臓を鷲掴みにするような重圧。
だが、今のボクはそれに呑まれたりはしない。一年間の泥にまみれた特訓、ドーベルたちとの絆、そしてゲート試験で見つけた自信が、背骨を支えている。
(……分かった。統べてみせるよ。君の力を使って、ボクが)
『よかろう。……往くぞ、凱旋のパレードだ』
ボクはパドックの周回を終え、地下道へと向かう列に加わった。
フェンス越しに、二人の幼馴染の姿が一瞬だけ見えた。
メジロドーベルとメジロブライト。
ドーベルは祈るように胸の前で両手を組み、ブライトは日傘の下からニコニコと、しかし力強く手を振っている。
言葉は聞こえない。けれど、想いは届いた。
ボクは小さく頷き、暗い地下道へと足を踏み入れた。
「各ウマ娘、順調に枠入りが進んでいます」
実況の声が、場内のスピーカーから響き渡る。
中山レース場のスタンドから一番遠い、第4コーナー奥のポケット地点。
フルゲートに近い17人が横一線に並ぶ光景は壮観だ。
《さあ、注目の新バ戦。1番人気は外、15番のカシマサンサンです。その末脚に期待が集まっています。パドックでも素晴らしい気配を見せていました》
実況が人気どころの名前を挙げていく。
《続いて2番人気は14番スーパーオージャ。さらに内からは、3番のエプソムシェーバーも人気と支持を集めています》
ボク、4番ロールフィヨルテの名前は、有力バとしては呼ばれない。
入学時の成績はよかったがその後はいまいち。ゲート試験の時の成績もあまりよくなかったためだ。観客の多くは、カシマサンサンを見ている。
狭いゲートの中。
周囲の熱気と、ライバルたちの荒い息遣いが混ざり合う。
隣の3番、エプソムシェーバーが小刻みにステップを踏んでいる。緊張しているのだ。
外枠の方からは、カシマサンサンの鋭い視線を感じる。
だが、ボクの視界には何も入っていなかった。
ただ一点、1200m先のゴール板だけが、鮮明に焼き付いている。
『来るぞ。……我の後塵を拝する者たちに、絶望を教えてやれ』
カナロアの声が響くのと同時。
ゲートが開いた。
ガシャン!
「――ッ!!」
《スタートしました! きれいなスタート! ……おっと、内から弾丸のように飛び出した影がある! 4番ロールフィヨルテだ!》
ボクの体は、思考するよりも速く反応していた。
ローエングリン直伝のスタート技術。
ゲートが開くコンマ1秒前、重心を極限まで前へ崩す。
開いた瞬間、倒れ込むエネルギーを推進力に変える。
完璧なロケットスタート。
カシマサンサンやエプソムシェーバーといったライバルたちも遅いわけではない。だが、見てスタートした者と読んでスタートした者の間の差があった。
さらに二の足のつき方が決定的に違う。
『加速しろ! 地面を「叩け」!!』
カナロアの檄が飛ぶ。
ボクは歯を食いしばり、ロードカナロアの力の一部――その『翼』を解放する。
通常のウマ娘が地面を「蹴る」のだとしたら、今のボクは地面を「爆破」しているような感覚の一歩。
一歩ごとに地面をえぐり取る、重戦車のごとき推進力。
金色の弾丸となって、ボクはバ群から頭一つ、いや、3バ身を一瞬で抜け出した。
《先手を取ったのは4番ロールフィヨルテ! 速い、速い! グングンと加速してハナを奪います! 2番手に15番カシマサンサン、直後に14番スーパーオージャと続く!》
風の音が変わる。
先頭に立った者だけが聞ける、鼓膜を切り裂くような風鳴り。
それは静寂にも似た、孤独な音だ。
第3コーナーへ突入する。
スタートからここまで中山の緩やかな下り坂が続いている。
ここでスピードに乗りすぎると、第4コーナーの急なカーブで遠心力で外に振られ、最後の急坂でバテる。それがこのコースのセオリーだ。
背後から、1番人気カシマサンサンの足音が迫る。彼女もいい位置につけている。マークされている。
普通なら、ここで息を入れる。ペースを落として脚を溜める。
だが、龍王は鼻で笑った。
『緩めるな! 誰が休んでいいと言った!?』
(えっ!? でも、ここからカーブがきつく……!)
『関係ない。我が速度は、カーブごときで減速せぬ。……ねじ伏せろ! コーナーごと踏み潰して進め!!』
無茶苦茶だ。
けれど、ボクの体は、その暴君の命令に熱狂していた。
(なら……やってやるッ!)
ゴールドシップから教わったコーナリング技術を発動させる。
体を極限まで内側に倒す。地面スレスレまで顔を近づける。
遠心力がボクを外へ引き剥がそうとする暴力的な力を、強靭な体幹でねじ伏せ、すべてを「前」へのエネルギーに変換する。
黒い体操服から伸びる脚が、残像のように回転する。
最短距離。インベタ。
ラチ(柵)と接触するギリギリのラインを、カミソリのように鋭く切り裂いていく。
外を回るライバルたちが遠心力でわずかに膨らむ中、ボクだけが異次元の軌道を描いていた。
《第3コーナーから第4コーナー! 先頭はロールフィヨルテ! ……おっと!? さらに加速した!? 後続との差が開いていく! これは速い!》
第4コーナーを回り、最後の直線へ。
ここで、決定的な差が生まれた。
コーナーを抜けた遠心力を利用し、ボクは弾かれたように最内を維持したまま直線へ飛び出した。
《4コーナーを回って直線! 先頭は依然として4番ロールフィヨルテ! リードは3バ身、4バ身と広がる! 独走だ! 外から懸命にカシマサンサン! 内を突いてエプソムシェーバーも脚を伸ばすが、差が縮まらない!》
中山名物、心臓破りの急坂が目の前に立ちはだかる。
高低差2メートル以上の急勾配。
普通の新人なら、ここでガクンと脚色が鈍る。乳酸がたまり、脚が棒になる場面だ。
実際、後続のライバルたちの脚が一瞬止まる気配があった。
だが、ボクの脚は止まらない。
止まるどころか、唸りを上げた。
『見ろ、器よ。これが「格」の違いだ』
ロードカナロアの力が、全身の血管を駆け巡る。
坂? それがどうした。
龍が空を昇るのに、坂など関係ない。
苦しいはずの勾配が、まるで平坦な滑走路のように感じられる。
地面を蹴るたびに、加速していく。
《――強い! これは強い! ロールフィヨルテ、坂を登っても脚色が衰えない! むしろ突き放す! ぐんぐんと突き放す! 後ろはもう見えない!》
(行ける……! 誰にも、影すら踏ませない!)
ボクは前傾姿勢を深め、最後の100mを駆け抜けた。
歓声が聞こえる。
いや、それは歓声ではない。どよめきだ。悲鳴に近い、畏怖の念だ。
あまりの独走劇に、観客が言葉を失っている。
風が祝福している。
これが、頂点の景色。
《ロールフィヨルテ、圧勝!! 強い、強すぎる! 2着以下を大きく引き離して、今ゴールイン! 鮮烈なデビューです! 2着争いは遥か後方、カシマサンサンがようやく入線!》
「……っ、ふぅー……!」
ゴールを過ぎ、緩やかに減速する。
息は上がっているが、倒れ込むほどではない。
ゲート試験の時よりも遥かに速いペース、殺人的なラップで走ったはずなのに、体にはまだ余力が残っていた。
これが、ロードカナロアという「最強のエンジン」の燃費の良さなのか。
いや、ボク自身の器が、この速度に耐えられるようになった証拠だ。
『フン。……まあ、デビュー戦にしては上出来か』
脳内で、カナロアが玉座から立ち上がり、満足げに頷いた。
『世界への挨拶代わりにはなっただろう。……だが、満足するなよ。我の背中を追うならば、これくらいは日常茶飯事だ』
言い残して、龍王の気配は霧のように消えていく。
代わりに、スタンドからのパラパラとした拍手が、次第に爆発的な歓声へと変わっていくのが聞こえた。
ふと、ターフビジョンを見上げる。
そこに表示された数字を見て、ボク自身も目を疑った。
1着 4番 ロールフィヨルテ
タイム 1:08.9
着差 大差
「……いっ、ぷん……はち……?」
会場がざわめいているのが分かる。
1分8秒9。
それは、2歳(旧3歳)のメイクデビューで出るようなタイムではない。シニアのオープンクラス、いやGⅠクラスに匹敵する、異常な時計だ。
2着のカシマサンサンとは、10バ身……いや、もっと離れている。「大差」の二文字が、その異常さを物語っていた。
「……勝った。……勝ったんだ、ボク」
実感が、じわじわと湧いてくる。
圧勝だった。
カシマサンサンも、エプソムシェーバーも、決して弱くはなかった。
ただ、ボクたちが規格外すぎただけだ。
「ロールーーッ!!」
ウイニングランでスタンド前を通ると、フェンスの最前列でドーベルが身を乗り出して叫んでいた。
彼女は瞳に涙を溜めて、思い切り手を振っている。
その隣で、ブライトもハンカチで目元を拭いながら、優雅に、しかし激しく手を振っていた。
「おめでとう! バカ! 凄かったわよ! あんなタイム……信じられない! 誰よりも速かった!!」
「ロールちゃ~ん! 感動しましたわ~! 本当に龍が見えましたわ~!」
二人の姿を見て、ボクは大きく手を振り返した。
ドーベルが選んでくれた黒い勝負服。
ブライトが信じてくれた可能性。
そして、龍王が授けてくれた翼。
空はどこまでも青く。
芝の匂いが鼻をくすぐる。
これが、勝利の味。
夏合宿の屈辱も、特訓の辛さも、すべてがこの一瞬のためにあったのだと思えた。
メイクデビュー、大差での圧勝。
衝撃のタイム。
ロールフィヨルテの伝説は、この中山の坂から始まった。
次は重賞、そしてG1へ。
まだ見ぬ強敵たちが待つ、覇道の先へ。
ボクは黒い2枠の体操服を誇らしげに風になびかせ、喝采の中をゆっくりと歩き出した。