TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る 作:雅媛
それはラモーヌさんの紹介で例の「職人気質すぎるトレーナー」に基礎を教わり始めたころだった。彼女はさらなる課題――という名の「お節介」を命じてきた。
「――ロール。貴女に一つ、頼みたいことがあるの」
メジロ家の大邸宅のテラス。優雅に紅茶を嗜んでいたラモーヌさんのご相伴にあずかっているときに、ふと思いついたようにボクを見た。
「何でしょうか、ラモーヌさん」
「メジロの子に、少々……いえ、かなり内気な子がいてね。メジロドーベルというのだけれど。最近、部屋に閉じこもってばかりで退屈しているようなの。貴女、あの子の遊び相手になってあげてくれないかしら?」
「ボクが、ですか?」
「ええ。貴女なら、あの子の『壁』を壊さずに中に入れる気がするわ」
それが、ボクとドーベルの出会いだった。
*
邸宅の離れにある、静かな部屋。
紹介されて訪ねたボクを待っていたのは、冷たい拒絶の視線だった。
「……誰? ラモーヌさんの使い?」
そこにいたのは、息を呑むほど美しい、けれどひどく脆そうな少女だった。
彼女はボクの姿を確認すると、あからさまにホッとしたような、それでいて警戒を解かない複雑な表情を見せた。
「ロールフィヨルテと言います。ラモーヌさんに、君と遊んでくるように言われて」
「……遊ぶ? 私と? ……いいわよ、別に。放っておいてくれたら、適当に報告しておいてあげるから」
彼女――メジロドーベルは、そう言って窓の外に視線を逸らした。
重度の人見知り。特に男性に対しては強い拒絶反応を示すと聞いていたけれど、同性であるボクに対しても、心のシャッターは固く閉ざされているようだった。
けれど、ボクは気づいた。
彼女のデスクの端に、隠すように置かれた一冊のノート。
そこからはみ出した紙には、繊細なタッチで描かれたウマ娘のイラストが見えた。
「……絵、描くんだね。すごく上手だ」
「っ!? 見ないで!!」
ドーベルは顔を真っ赤にしてノートを抱え込んだ。
「……最低。勝手に見るなんて」
「ごめん。でも、本当に綺麗だと思ったんだ。……ボクにも、見せてくれないかな?」
*
それから、ボクは毎日のように彼女の元へ通った。
最初は会話もままならなかったけれど、ボクが彼女の描く「物語」に興味を示すようになると、少しずつ、本当に少しずつ、彼女は口を開いてくれるようになった。
彼女は自分の殻の中に、豊かで熱い世界を持っていた。
それはレースへの憧れであり、同時に「自分には無理だ」という諦めが生んだ、幻想の物語。
彼女の描く漫画やイラストは、悲しいほどに美しかった。
「ねえ、ドーベル。これ、他の人にも見せてみない?」
「……無理よ。こんなの、メジロのウマ娘が描いてるなんて知られたら……」
「なら、名前を隠せばいい。……ちょうど来月、街の小さなホールで同人誌の展示即売会があるんだ。そこに出してみようよ」
「即売会!? ……そんな、人がたくさんいるところ……男の人だっているんでしょ!?」
震える彼女の手を、ボクは優しく握った。
「ボクが隣にいる。君が描く騎士のように、ボクが君の『騎士』になって、悪いものは全部追い払ってあげるから。……自分の描いたものが誰かに届く瞬間を、見てみたくない?」
*
イベント当日。
いくつかの嘘を重ね子供二人でどうにか潜り込んだ会場。その会場の隅に用意された小さなスペースに、ドーベルは深く帽子を被り座っていた。
サークル名『伊院堂(いいんどう)』。
「これでいいんだ」という彼女の迷いと、ボクが言った「いいんだよ」という言葉を掛け合わせた、小さな嘘の名前。
「……ロール、やっぱり帰りたい。怖い……」
「大丈夫、深呼吸して。ほら、誰か来るよ」
一人の女性客が、足を止めた。
彼女はボク達を少し怪訝な目で見た後、並べられた数冊のコピー誌を手に取り、じっくりと眺め――そして、顔を輝かせた。
「……これ、すごく素敵ですね。一冊、いただけますか?」
「っ……! あ、あ、ありがとうございます……っ」
ドーベルの声は震えていた。
けれど、代金を受け取り、本を手渡す彼女の指先は、確かに「世界」と繋がっていた。
数時間のイベントが終わる頃には、用意した本は完売していた。
「絵が好きです」「次の話も読みたいです」
顔も見えない誰かからの言葉が、彼女の閉ざされていた心に、温かな光を灯していく。
帰り道。夕焼けに染まる公園のベンチで、ドーベルは大きく息を吐いた。
「……お疲れ様。よく頑張ったね、ドーベル」
「……最低。……最悪よ、あんなに緊張するなんて。心臓が止まるかと思った……」
彼女は悪態をついたけれど、その瞳は潤んでいて、口元には小さな、本当に小さな微笑みが浮かんでいた。
「……でも、嬉しかった。私の絵を見て、笑ってくれる人がいるなんて」
「そうだね。……君の絵は、人を幸せにする力があるんだよ」
ドーベルはしばらく黙っていたが、やがてボクの肩にコテンと頭を預けてきた。
「……ねえ、ロール」
「ん?」
「……来年も、一緒に行ってくれる? ……貴女がいないと、私、また部屋に閉じこもっちゃうから」
「もちろん。……君が望むなら、ボクはどこへだってついていくよ」
ラモーヌさんの「お節介」から始まったこの関係。
でもこの震える肩を支えるのは、命令だからじゃない。
ボク自身が、彼女の描く未来を、一番近くで見ていたいと願っているからだ。
『ふふ。……案外、似合いの二人じゃない』
脳内で、ラモーヌさんの満足げな声が響いた気がした。