TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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3 学園入学前

 あれから8年の月日が流れた。

 4歳だったボクも、今や12歳。今年、トレセン学園中等部に入学する年齢だ。

 季節は冬。やっと少しずつ暖かくなる季節。

 ボク、ロールフィヨルテは今、河川敷の土手で泥だらけになって倒れこんでいた。

 

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 肺が焼けるように熱い。足の感覚がない。

 だが、時計を見たボクは、泥だらけの顔でニヤリと笑った。

 

「よし……タイム、更新できた……」

 

 4歳の頃、無謀にもハルウララを降ろして自滅した時のような、肉離れの激痛はない。 

 あの時は10メートルも走れなかった身体が、今は10キロの走り込みを「日課」として消化できている。

 喉の奥から鉄の味がする。

 だが、「壊れて」はいない。壊れることはない。

 自分の手を見る。あの日、クリームパンみたいだった手は、今はすらっとした長い指になっていた。

 

(……よし。今日のメニュー、完遂だ)

 

 ボクは空を仰ぎながら、意識の奥底にある「契約先」に感謝を送る。

 

(ありがとう、ゴルシ。今日も君の『頑丈さ』のおかげで死なずに済んだよ)

 

 現在、ボクがメインで契約を結んでいる魂。

 それは遥か未来の破天荒ウマ娘、『ゴールドシップ』だ。

 未来の知識にある彼女は、とんでもないウマ娘だ。気分屋で、常識外れで、それでいてGⅠを6勝もし、宝塚記念を連覇するほどの怪物。

 今のボクには、彼女の能力をすべて使いこなすなど到底不可能だ。あの常識外れのロングスパートも、変幻自在のコーナーリングも、荒れた馬場をものともしないパワーも、今のボクの技術では再現できない。

 

 だが、彼女の持つ「何があっても壊れない頑丈な肉体(タフネス)」の才能だけは別だった。どんな激しいトレーニングも受け止め、翌日にはケロっとしている回復力。 才能のないボクが天才たちに追いつくには、人の倍、いや数倍の練習量が必要だ。 そのためには、絶対に壊れない「才能」が不可欠だった。

 

 この能力『非存在の血統(Blood of null)』で借りているのはあくまで「才能(スペック)」のみ。本来の彼女のようなマッスルな筋肉も、見た目に寄らない精巧な技術もついては来ない。

 しかし、この「絶対に壊れない肉体の資質」があるだけで、ボクの体は驚異的な許容量を得る。

 本来ならオーバーワークで身体が悲鳴を上げるようなトレーニングをしても、一晩寝れば回復させてしまうのだ。

 まさに、努力するための「最強の土台」。

 

『おうおう、やるじゃねーか。アタシの魂(ソウル)を背負ってここまで走り切るとは、なかなか根性あるぜ』

 

 脳内に、軽い調子の声が響く。

 この8年の付き合いですっかり馴染んだ、ハスキーで明るい声だ。

 契約に至るまでは大変だった。夢の中で意味不明なカルタ勝負をさせられたり、延々と焼きそばを1000人前焼かされたり、時には宇宙人と戦わされたりして、ようやく認められたのだ。

 

『人間上がりのひ弱な精神(メンタル)にしちゃ上出来だ。これなら、焼きそばの屋台を引くどころか、店一軒任せてもいいかもしれねーな! ガハハ!』

 

(……最高の誉め言葉として受け取っておくよ。本当に、君がいなかったら舞台になんてとても上がれなかった)

 

 ボクが苦笑した、その時だった。

 

 プルルルルル……

 

 ゴルシの豪快な笑い声がかき消され、代わりに優雅な、しかし有無を言わせぬ着信音が脳内に響く。

 ボクは条件反射で背筋を伸ばし、泥だらけのまま正座の姿勢をとった。

 この8年で染みついた、パブロフの犬ならぬ、パブロフのウマ娘状態だ。

 

(……はい、もしもし)

『遅いわよ、出るのが』

 

 脳内に響く、凛とした、それでいて背筋が凍るような色気を含んだ声。

 メジロラモーヌだ。

 かつて史上初のティアラ三冠を達成した伝説のウマ娘にして、現在は一線を退きながらもレース界に絶大な影響力を持つ「女帝」。

 そして、ボクの最大の支援者(スポンサー)であり、頭の上がらないお姉さまである。

 

『今、どこにいるの?』

(河川敷です。……ラモーヌさんにお借りしている練習場の芝を荒らすわけにはいかないメニューだったので、今日は外で)

『そう。熱心ね』

 

 短い言葉だが、そこには確かな慈愛が含まれている……気がする。

 

 4歳のあの日、ボクが彼女の意識に触れてしまってから、奇妙な縁が続いている。

「体の鍛え方がわからない」と悩んでいたボクに、彼女は救いの手を差し伸べてくれた。ちょっとしたアドバイスから始まり、後にはメジロ家の優秀なトレーナーを紹介し、最高級の練習場を使わせてくれた。

 

 だが、それらの恩恵(ギブ)には、当然ながら対価(テイク)が伴う。

 そして何より――悔しいかな、ボクは前世から「美人に弱い」。

 

 脳裏に浮かぶのは、彼女の姿だ。

 夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪。吸い込まれそうな瞳。そして、完璧なプロポーション。今は現役時代よりもさらに深みを増した、大人の色気が漂っている。

 ただそこにいるだけで周囲の空気を支配する、圧倒的な「魔性の美」。

 前世でどんなアイドルや女優を見ても感じなかった、本能レベルでの敗北感。彼女に見つめられ、あの唇で命令されると、元男の魂が「YES」以外の選択肢を消去してしまうのだ。

 

『すぐではなくてもいいけど、とある場所へ伝言を頼みたいのだけれど』

(……相手は、誰ですか?)

『シンボリルドルフ』

 

 やっぱりだ。

 ボクは天を仰いだ。

 この痴話喧嘩のようなメッセンジャーの仕事を、彼女からしばしば頼まれている。

 かつては学園の先輩後輩として、今は共に社会人としてレース界を支える立場にある二人。だが、その関係性は相変わらず「美しきライバル」のままだ。自分で伝えたらいいじゃないかと思うし、そんなだから関係が変わらないんじゃないかと思うのだが……

 

(あのですね、ラモーヌさん。ルドルフさんは今やURAの重鎮ですよ? 来賓室にいるようなVIPじゃないですか。ボクみたいな一般人が気安く会える相手じゃ……)

『貴女、近いうちにトレセン学園に入るのでしょう? なら入学式の時に見かけるじゃない』

(まだ合格もしてませんが!? これから試験受けるんですよ!?)

 

 彼女は聞く耳を持たない。

 

 なぜボクを使うのかというのは昔は疑問に思っていたが、以前、彼女がポロっと漏らしていた。

 『私が直接言うと角が立つし、あの人も身構えるでしょう? でも、貴女のような「年下の、何も知らない無垢な子供」からの言葉なら、無下にできないものよ』と。

 

 要するに、ボクは彼女たちが直接殴り合わないための緩衝材(クッション)なのだ。もうちょっと面と向かって腹を割って話していいと思うが。ボクの見立てでは両片思いだと思うし。まあその割には発言がどっちも厳しいのだけれども。

 

『いい? もし合格したら、入学式の後にでもこっそり伝えなさい。「いつまで会議室でふんぞり返っているの。貴女が走らないと、帝国の威光も錆びつくわよ」とね』

(ただの煽りじゃないですか! 下手したらボク、入学初日に退学になりませんか!?)

『あら、私の頼みが聞けないの?』

 

 脳内で、彼女がふわりと微笑む気配がした。

 背筋がゾクゾクするような、甘美な威圧感。

 ダメだ。抗えない。

 

(……わかりました。やりますよ)

『ふふ。良い子ね』

 

 その時だった。

 ボクの脳内で、聞いていたもう一人の住人が口を挟んだ。

 

『おーおー、相変わらずキッツイねぇ、お姉さんは。自分で行きゃいいのに、素直じゃねーんだから』

『……あら、久しぶりね。元気そうで何よりだわ、不沈艦さん』

 

 ラモーヌさんの声色が、フッと柔らかくなる。

 ボクの脳内で、未来の破天荒と、伝説の女帝が挨拶を交わした。

 8年前の邂逅以来、二人はボクの脳内回線を通じて時折こうして言葉を交わす仲になっている。

 

『へへっ、アタシはいつだって絶好調よ。アンタこそ、現役退いても相変わらずの迫力だな。ウチの契約者(マスター)をあんまりイジメないでやってくれよ』

『イジメてなどいないわ。これは教育よ。……貴女が授けた「壊れない土台」のおかげで、私の無茶ぶりにも耐えられるようになったのだもの。感謝しているわ』

『おっと、礼を言われる筋合いはねーよ。アタシはこの子の「器」が気に入っただけだ。……ま、アンタのその「愛のムチ」ってやつも、この子を育てる役には立ってるみたいだしな。仲良くやろうぜ、先輩』

『ふふ。頼もしい後輩ね。……でも、悪くないわ』

 

 ……なんか、勝手に意気投合している。

 ボクは置いてきぼりだ。

 というか、ゴルシがラモーヌさん相手に物怖じせず会話できているのが凄い。

 いや、ゴルシですらラモーヌさんの美貌には一目置いている感じか? さすがは魔性。

 

『じゃあロールフィヨルテ。伝言、頼んだわよ』

『おう、任せとけ! アタシが背中押してやるからよ!』

(……はい、わかりましたよ。やればいいんでしょ、やれば!)

 

 プツン、と通信が切れる。

 ボクは大きくため息をついた。

 そんなことを考えていると、別の、鈴を転がすような優しい声が脳内に響いた。

 

『……もしもし? ロールさん?』

(……アルダンさん?)

 

 メジロアルダン。ラモーヌさんの妹君だ。

 彼女もまた、ボクが頭の上がらない「美しき人」だ。現在は姉と同じく社会人として、メジロ家の公務などを支えていると聞く。

 姉のラモーヌさんが「夜の薔薇」なら、アルダンさんは「深窓の白百合」。

 透き通るような白い肌、触れれば壊れてしまいそうな繊細な佇まい、そして何より、すべてを包み込むような聖母の微笑み。

 もし彼女に命令されたら、それが命でもボクは「はい、喜んで」と即答して切腹する自信がある。それくらい、彼女の可憐さは破滅的だ。

 

『あの……姉さんとの話、聞いていました。また無茶を言いつけたのでしょう?』

(あはは……まあ、いつものことですから)

『ごめんなさいね。姉さん、ああ見えて不器用だから……貴女のように間に立ってくれる人がいないと、うまく気持ちを伝えられないの』

(不器用、ですか。……まあ、ボクで役に立つなら構いませんけど)

 

 アルダンさんの困ったような、それでいて愛おしそうな声。

 これだ。この「姉思いの健気な妹」ムーブ。

 ラモーヌさんの猛毒を浴びた後に、アルダンさんの清浄な空気を吸う。

 この姉妹の完璧な「飴と鞭」のサイクルに、ボクは完全に手玉に取られている。

 

『ふふ、貴女のそういう優しいところ、私はとても素敵だと思います』

(っ……!)

『入学試験、応援していますから。……良い報告を、待っています』

 

 脳内通話越しでもわかる、彼女が頬を染めて微笑んでいる気配。

 もし合格したら、制服姿を見せに行こう。きっと彼女は、まるで自分のことのように喜んでくれるはずだ。

 その笑顔を見るためなら、どんな地獄の特訓も天国に思えてくる。

 

「……はぁ。それにしても入学前から前途多難すぎる」

 

 ボクは重い体を引きずって立ち上がった。

 肉体はゴールドシップ譲りのタフネスで回復しつつあるが、精神的な疲労はときめきとともに増すばかりだ。

 

 だが、ラモーヌさんの期待に応えたいという気持ちも、アルダンさんに良いところを見せたいという下心も、原動力としては十分だ。

 

 8年。

 ボクは、自分の才能のなさに絶望し、それでも「借り物」の力を使いこなすために足掻いてきた。

 才能は借りられても、それを扱う身体能力(パワー)も技術(テクニック)もない。だから、才能に見合うものを手に入れるために努力してきた。

 その過程で、ラモーヌさんの走りも参考にした。彼女の華麗な走りには、今のボクにはない「品格」があった。

 それを取り入れようとして、失敗して転んで、また立ち上がって。

 その繰り返しが、今のボクを作っている。

 

 ボクは拳を握りしめる。

 あの両親に、そして面倒を見てくれたメジロの人たちに、恩返しがしたい。

 「何も持たざる者」として生まれたボクが、数多の魂たちと共に、黄金の輝きを放つ瞬間を。

 

「……行くか」

 

 ボクは河川敷の風に、少し伸びた金色の髪をなびかせた。

 目指すは、ウマ娘たちの聖地。

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園。

 

 そこには、まだ見ぬ同世代のライバルたちも待っている。

 そして何より、伝言を待っている恐ろしいURAの重鎮もいる。

 

(まずは入学試験、どうにかして合格しなきゃなぁ)

 

 ボクは大きく深呼吸をすると、家路に向かって走り出した。

 その走りは、まだ不格好で、洗練されていない。

 だが、その一歩一歩には、8年分の「質量」と「感謝」が宿っていた。




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