TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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23 弥生賞

 3月。中山レース場。

 春の訪れを告げる弥生賞のファンファーレを待つ場内は、GⅡとは思えないほどの熱気に包まれていた。

 クラシック三冠、その第一関門である皐月賞への切符をかけた重要なトライアルレース。

 だが、観客の視線と関心は、ある一人の「怪物」に集中していた。

 

「おい、来たぞ……!」

「うわ、でけぇ……」

 

 パドックにどよめきが走る。

 地下道から姿を現したのは、圧倒的な1番人気、ロールフィヨルテだ。

 今日の装いは、朝日杯のあの衝撃的な勝負服ではない。G1以外の重賞レースで着用が義務付けられている、トレセン学園指定の体操服だ。

 しかし、シンプルな黒いブルマ姿であるからこそ、彼女の規格外の肉体美が誤魔化しようもなく露わになっていた。

 

 特に目を引くのは、その下半身だ。

 推定100cmの大台に乗ったヒップから、丸太のように太く、しかし鋼のように引き締まった太ももが伸びている。歩くたびに大腿四頭筋が躍動し、ハムストリングスが唸りを上げる。

 飾り気のない体操服が、かえってその「生々しい強さ」を際立たせていた。

 

「すっげぇ……体操服であの迫力かよ」

「あの太もも、マジでエンジンの塊だな」

「スプリンター体型に見えるけど、2000m持つのか?」

 

 観客たちの下世話な、しかし畏敬の念を含んだ囁きが聞こえてくる。

 ボクは努めて冷静を装いながら、周回を重ねていた。

 

(……相変わらず、視線が痛いな)

 

 だが、今のボクには、この視線を跳ね返すだけの自信がある。

 冬の間の特訓。アーモンドアイの指導。そして、ドーベルによる執拗なまでの身体測定とメンテナンス。

 全てが、今日のこの日のためにあった。

 

「ロール」

 

 不意に、涼やかな声がかけられた。

 振り返ると、そこには対照的な少女がいた。

 鮮やかな緑のメンコ。同じく体操服姿だが、ボクとはまるで違う、無駄な肉を極限まで削ぎ落とした、ガラス細工のように繊細で美しい肢体。

 サイレンススズカだ。

 

「やあ、スズカ。調子はどうだい?」

「……ええ。悪くないわ」

 

 スズカはボクの隣に並んで歩き始めた。

 その瞬間、パドックのざわめきが一層大きくなった。

 

「おい見ろよ、あの対比!」

「重量級戦車とF1マシンが並んで歩いてるぞ!」

「ボン・キュッ・ボンのロールと、スレンダーなスズカちゃん……これ、芸術だろ」

 

 確かに、ボクとスズカが並ぶと、その体格差は歴然としている。

 ボクの豊満なボディラインと、スズカの直線的な機能美。

 剛と柔。動と静。

 全く異なる二つの才能が、今まさに激突しようとしているのだ。

 

「ふふ。みんな、ボクたちのことを見てるね」

「……そうね。でも、私が見ているのはゴール板だけよ」

 

 スズカは静かに、けれど熱い闘志を秘めた瞳でボクを見上げた。

 

「ロール。今日は、あなたの背中は見ないわ」

「……へえ?」

「私が前を行く。あなたには、私の影も踏ませない」

 

 それは、明確な「逃げ宣言」だった。

 彼女は自分の世界に入ろうとしている。研ぎ澄まされた集中力で、自分のペースだけを刻もうとしている。

 それは厄介だ。自分の世界に入った逃げウマ娘ほど、捕まえにくいものはない。

 

(……なら、少し邪魔をさせてもらおうか)

 

 ボクは悪戯っぽく笑い、スズカとの距離を詰めた。

 そして、彼女の細い肩に腕を回し、わざと体重を預けるように密着した。

 

「ひゃっ!? な、何するの……!」

 

 スズカが驚いて声を上げる。

 ボクの豊満な胸部が、彼女の薄い背中や肩に押し付けられる。体温が高く、熱いボクの肌の感触が、体操服越しに彼女に伝わる。

 

「スキンシップだよ、スズカ。レースが始まったら、こんなことできないからね」

 

 耳元で囁くと、スズカの顔がカッと赤くなった。

 普段クールな彼女が、ボクの腕の中で小さくなっている姿に、観客席から「尊い……!」「てぇてぇ!」という悲鳴にも似た歓声が上がった。

 

「ちょ、ちょっと……離れて、ロール! 集中できないじゃない……!」

「おや、冷たいな。ライバル同士、健闘を誓い合おうと思っただけなのに」

 

 ボクはすぐに離れず、彼女の心拍数が上がり、呼吸が乱れるのを肌で感じてから、ゆっくりと腕を解いた。

 スズカは乱れた前髪を直しながら、恨めしそうに、しかし明らかに動揺した瞳でボクを睨んだ。

 

(……ごめんね。これも戦術だ)

 

 彼女の「自分の世界」に、「ボク」という異物を強制的に混入させた。

 これで彼女は、レース中も背後のボクを意識せざるを得ない。

 

 そんなボクたちの様子を、スタンドの最前列からじっと見つめる視線があった。

 メジロドーベルとメジロブライトだ。

 

「……ロールのバカ。何デレデレしてるのよ」

 

 ドーベルが手すりをギリギリと握りしめている。その目は据わっていた。

 

「あんな衆人環視の中でスズカさんに抱き着いて……! 自分の胸が当たってる自覚あるの!?」

「あらあら~、ドーベルちゃん。あれはただのイチャイチャじゃありませんわよ」

 

 ブライトは扇子で口元を隠しながら、目を細めた。その瞳には、レースを分析する冷静な光が宿っている。

 

「スズカさんは、自分のリズムで走ることで真価を発揮するタイプ。ロールちゃんはそれを知っていて、わざと心を乱しに行ったんですわ。……『私を意識しろ』と、体に刻み込んだんですのよ」

「えっ……盤外戦ってこと?」

「ええ。ロールちゃん、意外と性格が悪いですわね~。……ゾクゾクしますわ」

 

 ブライトの言葉に、ドーベルはハッとしてパドックを見直した。

 そこには、いつものクールな表情を取り戻そうと必死なスズカと、それを余裕の笑みで見つめるロールの姿があった。

 

「……なるほどね。体だけじゃなくて、頭も使ってくるわけか。……スズカさんも大変ね」

 

 パドックの周回が終わり、各ウマ娘が本バ場へと向かう。

 地下道への入り口で、ボクはスズカに離れ際に囁いた。

 

「先に行ってるよ、スズカ。……景色が良い場所で待ってる」

 

 スズカは無言で頷き、緑のメンコの下の瞳を、怒りと闘志で鋭く光らせた。

 術中にはまった。だが、それすらも推進力に変えようとする彼女の気概は本物だ。

 

 

 

 

《さあ、弥生賞。春のクラシック戦線を占う重要レース。皐月賞への切符を掴むのは誰か!》

 

 実況の声が響き渡る。

 中山レース場、芝2000m。

 スタート地点はスタンド前の直線の入り口だ。

 大歓声が、地面を揺らすように響いている。

 

 ゲート内。

 狭い空間の中で、ボクは深く息を吸い込んだ。

 冷たい空気が肺を満たし、熱い血流が全身を駆け巡る。

 

(準備はいいかい、アイちゃん)

 

『ええ。心拍数、呼吸、筋肉のテンション、すべて正常値(グリーン)。完璧よ、マスター』

 

 脳内で、アーモンドアイの冷静な声が響く。

 今日のボクは、彼女の分身だ。

 一切の無駄を排し、勝利への最短距離を駆け抜ける精密機械。

 

 隣の枠を見る。

 サイレンススズカ。彼女もまた、極限の集中状態で前を見据えていた。

 ボクへの対抗心で、ゲート内での悪癖が出る気配はない。

 

《各ウマ娘、ゲートに収まりました。……体制完了》

 

 一瞬の静寂。

 

 ガシャン!!

 

《スタートしました! 13人のウマ娘、一斉にきれいなスタート! おっと、注目のロールフィヨルテ、好スタートを切りました!》

 

 ドンッ!

 

 抜群のスタートを切ったのは――ボクだった。

 散々練習を重ね、かなり身についてきた、ロケットスタート。

 一歩目で他を置き去りにし、二歩目で完全に前に出る。

 そのままハナを奪い、逃げ切りの体勢に入ることも容易だった。

 

 だが。

 

(……どうぞ、お先に)

 

 ボクはあえて、アクセルを緩めた。

 手綱を絞り、一歩引く。

 その一瞬の隙間に、緑の疾風が滑り込んできた。

 

 サイレンススズカだ。

 彼女もまた、素晴らしい二の脚を使っていた。

 ボクが譲った先頭の座を、彼女は迷うことなく奪い取った。

 

《先頭はサイレンススズカ! 外から押してハナを主張しました! ロールフィヨルテは……控えた! なんと2番手! 怪物が、逃亡者をマークする形です!》

 

 実況が叫ぶ。

 スタンドがどよめく。

 朝日杯で見せた大逃げではなく、2番手でのレース。

 だが、これは消極策ではない。

 最も残酷な、狩人の戦術だ。

 

『いい位置よ。スズカとの差、1バ身。……ロックオンしたわ』

 

 アーモンドアイが冷徹に告げる。

 ボクはスズカの斜め後ろ、彼女の視界の端に常に映り込む絶妙な位置にピタリとつけた。

 風除けに使いつつ、常に「ボクがいるぞ」というプレッシャーを与え続ける。

 

《1コーナーから2コーナーへ。先頭は依然としてサイレンススズカ。リードは1バ身。ピタリと2番手につけるのが1番人気ロールフィヨルテ。少し離れてエアガッツ、ランニングゲイルと続きます》

 

(……っ!)

 

 前を行くスズカの背中から、焦りのような気配が伝わってくる。

 パドックでの接触、そしてスタート直後に一度前に出られたという事実。

 それらが、彼女の脳裏に「ロールはいつでも私を抜ける」という恐怖を植え付けている。

 

 背後にいるのは、朝日杯をレコード大差で圧勝した、世代最強の怪物だ。

 その巨大な質量とプレッシャーが、背中にのしかかる。ヒタヒタと迫る足音が、カウントダウンのように聞こえるはずだ。

 

 逃げなければ。

 もっと速く。もっと遠くへ。

 捕まったら、終わる。

 

 スズカの本能が、警鐘を鳴らす。

 彼女の脚が、無意識のうちに回転数を上げる。

 

《1000m通過! タイムは……58秒6! 速い! これは速いぞ! 2000mの通過タイムとしてはかなりのハイペースです!》

 

 実況の声が裏返る。

 58秒台。これは消耗戦のペースだ。

 

《サイレンススズカ、飛ばしています! しかしロールフィヨルテ、涼しい顔でついていく! まったく離されません! この2人が後続を大きく引き離した! 3番手以下は7バ身、8バ身と開いていく!》

 

 3番手以下の集団、エアガッツやランニングゲイルたちは、この殺人ペースに付き合いきれず、遥か後方に置き去りにされている。

 レースは完全に、ボクとスズカのマッチレースと化した。

 

『ラップタイム58秒6。……スズカの消耗率は想定以上ね。自滅するペースよ』

 

 アーモンドアイが分析する。

 スズカは速い。だが、今の彼女はまだ未完成だ。

 このペースで2000mを押し切るスタミナは、まだない。

 対して、ボクの体は、ゴールドシップの尽きることのないスタミナと、アーモンドアイの効率的な走法によって、まだ心拍数すら上がりきっていない。

 

 第3コーナー。

 スズカの息遣いが荒くなるのが聞こえた。

 彼女の美しいフォームが、わずかに乱れる。

 

(……今だ)

 

『――討ち取るわよ』

 

 アイちゃんの号令と共に、ボクはギアを上げた。

 アクセルを踏み込む。

 巨大なエンジンの回転数が、唸りを上げて跳ね上がる。

 

 ヒュンッ!

 

《3コーナー過ぎ! ロールフィヨルテが動いた! 一気に差を詰める! スズカも必死に抵抗するが、足色が違う!》

 

 一瞬でスズカとの差が詰まる。

 並ぶ。

 横に並んだ瞬間、スズカが驚愕と絶望の入り混じった表情でこちらを見た。

 汗に濡れた前髪。苦痛に歪む美貌。

 その瞳に、ボクの姿がどうしようもないほど大きく映り込む。

 

「……ごめんね、スズカ」

 

 ボクは小さく呟き、彼女を抜き去った。

 

 第4コーナー。

 中山の短い直線に入る手前で、ボクは完全に先頭に立った。

 そこからは、独壇場だった。

 

《ロールフィヨルテ、先頭! 4コーナーであっという間にスズカをかわした! 強い! 強すぎる! 坂などないかのような加速!》

 

 中山名物の急坂。

 多くの名馬、そしてウマ娘を苦しめてきた心臓破りの坂を、ボクは平地のように駆け上がる。

 鍛え上げた臀部の筋肉が爆発的な収縮を繰り返し、地面を叩きつける。

 一歩ごとに、世界が後ろへ置き去りにされていく。

 

 後ろから、スズカが必死に食らいつこうとする気配がする。

 だが、届かない。

 物理的な距離以上に、今のボクと彼女の間には、「完成度」という絶望的な壁があった。

 

《ロールフィヨルテ、独走! リードは3バ身、4バ身と広がる! サイレンススズカも粘る! 後方からランニングゲイルが突っ込んでくるが、2着争いまでだ!》

 

 残り100m。

 ボクは一度だけ後ろを振り返った。

 スズカはまだ足を止めず、懸命に走っている。あのハイペースで逃げて、まだ粘っている。

 サイレンススズカ。君は間違いなく、最強の器だ。

 でも、今はまだ、ボクの時代だ。

 

《強い! これが新時代の怪物だ! 距離延長も関係なし! ロールフィヨルテ、圧勝でゴールイン!!》

 

 ――1着、ゴールイン。

 

 

 

「……はぁっ、はぁっ……」

 

 ゴール後、緩やかに減速しながら、ボクは大きく息を吐いた。

 2000m。走り切った。

 マイルの時とは違う、全身の重い疲労感。だが、その中にある確かな達成感。

 

『任務完了。……完璧なペース配分だったわ、マスター』

 

 アーモンドアイが満足げに微笑み、意識の奥へと戻っていく。

 入れ替わりに、グランアレグリアが『ケッ、地味な勝ち方ね! もっと派手にちぎりなさいよ!』と悪態をつくのが聞こえたが、今は無視だ。

 

 ウイニングラン。

 スタンドからの大歓声に応えながら、ボクは2着に入ったスズカの元へと歩み寄った。

 彼女は肩で息をしながら、悔しそうに唇を噛んでいる。ランニングゲイルの追撃をハナ差で凌ぎきり、2着を死守していた。

 

「……完敗ね」

 

 スズカが、絞り出すように言った。

 

「私のペースで逃げたつもりだった。でも、あなたが後ろにいるだけで、息が詰まりそうだった。……パドックの時から、全部あなたの掌の上だったのね」

「君の逃げも凄かったよ。あのペースで最後まで粘って2着に残るなんて、普通じゃない」

 

 ボクは素直に称賛した。

 彼女はこれからもっと強くなる。今日の結果は、彼女をさらに進化させるだろう。

 

「……次は、負けないわ。もっと速くなって、あなたに影すら踏ませないところまで行ってやる」

「ああ。待ってるよ」

 

 ボクたちは互いに健闘を称え合い、握手を交わした。

 スタンドからは、惜しみない拍手が送られている。

 

 その最前列。

 ドーベルが、安堵と興奮で涙ぐみながら手を振っていた。隣のブライトは、扇子で顔を隠しながらも、その瞳は鋭くボクを見据えている。

 

(次は、皐月賞だ)

 

 ボクは拳を握りしめた。

 そこには、スプリングステークスから勝ち上がってくるであろうメジロブライト、そしてまだ見ぬ強豪たちが待っている。

 しかし、今日の勝利で確信した。

 2000mも、ボクの領域だ。

 

 弥生賞を制し、いよいよクラシック第一冠へ。

 黄金の矛は、曇りなく輝いている。




11時に閑話更新予定です

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