TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る 作:雅媛
4月。中山レース場。
桜の季節は過ぎ去ろうとしていたが、ターフの上の熱気は、今まさに満開を迎えようとしていた。
クラシック第一冠、GⅠ・皐月賞。
「最も速いウマ娘が勝つ」と言われるこの舞台に、今年は歴史的な面子が揃った。
1番人気は、弥生賞を制した「新時代の怪物」、ロールフィヨルテ。
2番人気は、スプリングステークスを豪快に差し切った「世代最強の豪脚」、メジロブライト。
3番人気は、弥生賞で怪物に食らいついた「異次元の逃亡者」、サイレンススズカ。
単勝オッズは、この3人に集中している。まさに三強対決。
パドックに姿を現した彼女たちを、割れんばかりの歓声が迎えた。
「来たぞ、ロールフィヨルテだ!」
「やっぱりあの勝負服、すげぇ……」
ボク、ロールフィヨルテは、再びあの「正装」を纏ってパドックを周回していた。
ドーベルがデザインした、漆黒のハイレグ・レオタードに、黄金の騎士アーマー。
冬場よりもさらに研ぎ澄まされ、かつボリュームを増した筋肉の鎧が、光沢のある生地の下で脈動している。
特に、推定100cm超えのヒップラインと、そこから伸びる大腿部の迫力は、見る者を圧倒する「暴力的な美」を放っていた。
(……弥生賞の時より、さらに空気が重いな)
GⅠ独特のヒリつくような緊張感。
だが、ボクの隣を歩く二人もまた、只者ではないオーラを放っている。
メジロブライト。
白と緑を基調としたメジロ家の勝負服。優雅なロングスカートに見えるが、歩くたびに深いスリットから太ももが覗く。おっとりとした笑顔の下に、猛獣のような闘争心を隠している。
サイレンススズカ。
鮮やかな緑と白の勝負服。余計な装飾を一切廃したその姿は、空気抵抗を極限まで減らすための機能美の塊だ。弥生賞の敗北を経て、彼女の瞳はより深く、静かな光を宿している。
周回中、ふとブライトがスズカに歩み寄った。
「ごきげんよう、スズカさん。……今日は随分と、荷物が軽そうですわね」
ブライト独特の、ゆっくりとした口調。だが、その内容は強烈な皮肉だ。スズカの「胸部」の軽量さを揶揄しつつ、自分の豊満さを誇示するような仕草を見せる。
スズカは眉一つ動かさず、涼しい顔で返した。
「ええ。おかげで風とお友達になれそうよ。……ブライトさんは、随分と『重そう』ね。スタートで置いていかれないか、心配だわ」
スズカのカウンターが決まる。ブライトの「出足の鈍さ」と「体重(豊満さ)」を同時に刺す鋭い一撃だ。
「あらあら~、手厳しいですわ~」
ブライトは口元を扇子で隠して笑っているが、その目は笑っていない。バチバチと火花が散っている。
「二人とも、仲が良いのはいいけど、ボクを置いてきぼりにしないでくれよ」
ボクが苦笑しながら割って入ると、二人の視線が同時にボクに向いた。
「あら、ロールちゃん。わたくし、今日は貴女のその立派なお尻を、後ろからじっくり眺めさせてもらいますわ。……ゴール前で、きっちり捕まえますから」
「私は前を行くわ、ロール。弥生賞の借りは、今日ここで返す。……私の背中、見失わないでね」
二人とも、ボクを倒す気満々だ。
スタンドの最前列では、ドーベルが胃を押さえながら、それでも必死にボクを見守っている。
(……いいレースになりそうだ)
ボクは武者震いを抑え、本バ場へと向かった。
中山芝2000m。
ファンファーレが鳴り響き、大歓声が地響きとなってコースを包む。
ゲート内。
ボクは意識を深く沈め、最強のパートナーにアクセスする。
(頼むよ、アイちゃん。今日の相手は手強い)
『ええ、分かっているわ。……スズカの集中力が異常に高い。それに、ブライトの底知れない圧。……油断はできないわね』
脳内でアーモンドアイが冷静に分析する。
彼女の力を借りて、ボクの感覚は研ぎ澄まされた刃のようになる。
心拍数、呼吸、筋肉の収縮。すべてをコントロール下に置く。
ガシャン!!
ゲートが開いた。
18人のウマ娘が、一斉にスタートを切る。
ドンッ!
ボクのスタートは完璧だった。
だが、それ以上に速かった影がある。
大外枠から、矢のように飛び出した緑の疾風。
サイレンススズカだ。
「……ッ!」
速い。弥生賞の時よりも、さらに一歩目の踏み込みが鋭い。
彼女は迷うことなく内へ切れ込み、ハナを奪い去った。
《先頭はサイレンススズカ! 迷いなし! 大逃げだ! これが行きたかった自分の形! グングン加速していきます!》
1コーナーへ入る時点で、スズカと後続の差はすでに5バ身以上。
ボクは2番手集団の先頭、絶好の位置を確保した。
『深追いしてはダメよ。自分のリズムを守りなさい』
アーモンドアイの指示に従い、ボクは冷静にスズカとの距離を測る。
弥生賞と同じなら、彼女は前半で飛ばしすぎて、後半に失速するはずだ。
1000m通過タイム、58秒フラット。
弥生賞以上のハイペース。常識的に考えれば、これは暴走だ。
だが。
第2コーナーから向こう正面に入った時、ボクは違和感を覚えた。
(……あれ?)
スズカとの差が、縮まらない。
いや、それどころか、彼女の背中から感じる「焦り」が消えている。
ハイペースで逃げているはずなのに、彼女の走りは水面を滑るように静かだ。
『……まさか!』
アーモンドアイが驚愕の声を上げた。
『息を入れている……!? あの高速巡行の中で!?』
コーナーでの一瞬の減速。遠心力を利用した重心移動。
スズカは、トップスピードに近い速度を維持したまま、コーナーワークの中で呼吸を整え、スタミナを回復させていたのだ。
それは、本来ならシニア級になってから、彼女が完成させていくはずの高等技術。
「沈黙の日曜日」の先にあるはずだった、異次元の逃亡者の完成形。
それを、彼女はこの一ヶ月でモノにしていた。
ボクに勝つために。
(……すごいな、スズカ!)
ボクの背筋に悪寒と歓喜が走る。
彼女は進化した。ボクという壁を越えるために、才能を強制的に開花させたのだ。
第3コーナー。
スズカのリードは10バ身近くに広がっていた。
このままでは逃げ切られる。
『行くわよ、マスター! プランBに変更! ここからロングスパートで捕まえに行く!』
アーモンドアイの檄が飛ぶ。
ボクはアクセルを踏み込んだ。
精密機械のペース配分を捨て、出力を全開にする。
グンッ!
ボクの体が弾かれたように加速する。
後続のランニングゲイルやエアガッツが、一瞬で置き去りになる。
視界には、遥か前を行くスズカの背中だけ。
《ロールフィヨルテが動いた! 3コーナーで早くもスパート! スズカを追いかける! その差がみるみる縮まる!》
4コーナー。
スズカの背中が近づく。
彼女もボクの接近に気づき、二の脚を使った。
再加速。
コーナーで溜めたスタミナを、ここで爆発させる。
直線入り口。
ボクとスズカの差は、3バ身。
中山の急坂が待ち構えている。
「逃がさないッ!」
ボクは叫び、太ももに力を込めた。
一歩ごとに地面をえぐり取り、スズカとの距離を強引に削り取る。
残り200m。
坂の途中で、ボクはスズカに並びかけた。
「……来ると、思ってたわ!」
スズカが横目でボクを睨む。その顔は苦痛に歪んでいるが、目は死んでいない。
彼女は譲らない。並ばれてから、さらに粘る。
根性勝負だ。
ボクのパワーと、スズカの執念がぶつかり合う。
ガリガリと音を立てて削り合うような、壮絶なデッドヒート。
だが、その時。
外から、白い影が飛んできた。
《大外からメジロブライト! メジロブライトが飛んできた!》
実況が絶叫する。
視界の端に映る、優雅にみえるストライド。それはしかし白鳥のように、水面下では獰猛に暴れまわる鬼脚だ。
道中、最後方で様子を伺い続けていた彼女が、前が崩れる展開を見越し、溜めに溜めた末脚を一気に解放したのだ。
ボクとスズカが削り合っている横を、ブライトが豪快に強襲する。
速い。
上り3ハロン34秒台の脚は伊達ではない。
「……捕まえましたわよ!」
ブライトの気迫が、ボクの肌を刺す。
内で粘るスズカ。真ん中でねじ伏せようとするボク。外から飲み込もうとするブライト。
三つの影が、ゴール前で一直線に並ぶ。
残り50m。
誰が勝ってもおかしくない。
スズカの足色が鈍る。ブライトの勢いが勝る。
ボクは、二人の間に挟まれながら、最後の力を振り絞った。
『――負けるなッ!』
アーモンドアイの声が響く。
それと同時に、ボクの奥底にあるなにかが目覚める。
絶対に抜かせない。絶対に前を譲らない。
ボクは首を伸ばした。
身体中の筋肉が悲鳴を上げ、視界が白く染まる。
それでも、ボクの脚は止まらない。
三人が、ほぼ同時にゴール板へ飛び込んだ。
――ゴール!!
一瞬の静寂。
そして、爆発するような大歓声。
誰が勝ったのか、肉眼では全く分からない。
ボクは荒い息を吐きながら、電光掲示板を見上げた。
隣ではスズカが膝に手をつき、ブライトが天を仰いでいる。
「……ハァ、ハァ……すごかったですわ、お二人とも……」
「……ええ。出し切ったわ」
長い、長い写真判定の時間。
そして。
1着 ロールフィヨルテ
2着 メジロブライト
3着 サイレンススズカ
着差は、ハナ、ハナ。
紙一重の勝利だった。
「……やった……!」
ボクは拳を突き上げた。
勝った。皐月賞。クラシック一冠目。
スズカの驚異的な進化と粘り、ブライトの計算し尽くされた強襲。
すべてをねじ伏せて、ボクが頂点に立った。
「……おめでとう、ロール」
スズカが、悔しさを押し殺して微笑んだ。
「あのコーナーワークでも、あなたを振り切れなかった。……次は、もっと速くなるわ」
「わたくしもですわ。次はもっと長い距離……ダービーで、リベンジさせていただきます」
ブライトもまた、不敵な笑みを浮かべている。
二人とも、負けてなお強くなる目をしている。
ウイニングラン。
スタンドの大歓声に応えるボクの目に、最前列でへたり込んでいるドーベルの姿が見えた。
彼女は顔を両手で覆い、指の隙間からボクを見て、安堵の涙を流している。
(……心配かけたな)
ボクは胸を叩き、彼女に向けて小さく手を振り投げキッスを送った。
これで一冠。
だが、戦いは終わらない。
次は日本ダービー。
もっとタフで、もっと過酷な戦いが待っている。
それでも、今日のボクたちは証明した。
この世代が、最強であることを。