TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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28 運命の分岐路

 夏合宿の熱狂が去り、季節は秋へと移ろおうとしていた。

 蝉時雨はいつしか虫の声へと変わり、トレセン学園の空気も、夏のお祭り気分から、秋のGⅠ戦線へ向けたピリリとした緊張感へと変質していく。

 

 その変化を最も象徴していたのが、マチカネフクキタルだった。

 夏合宿での彼女は、ただの占いに傾倒する不思議ちゃんではなかった。何か吹っ切れたような、あるいは「神が降りた」ような走りで、併せをした相手を次々とちぎり捨てていたのだ。

 彼女の目指す先は、神戸新聞杯から菊花賞。

 以前のようなコミカルさは影を潜め、ボク、ロールフィヨルテの三冠阻止を目論む、最大の伏兵へと成長していた。

 

 そして、もう一人。

 サイレンススズカ。

 彼女の進化は、フクキタルのそれとは異質だった。

 ただひたすらに、速く。誰よりも前へ。

 その走りは研ぎ澄まされすぎて、見ているだけで肌が粟立つような、触れれば切れそうな危うさを帯び始めていた。

 

 

 

 9月某日。放課後のカフェテリア。

 いつものようにしゃべるために集まっていたボクたちの話題は自然と秋のローテーションの話になっていた。

 

「わたくしは京都新聞杯から菊花賞へ向かいますわ」

 

 メジロブライトが優雅に、しかし力強く宣言する。彼女のふんわりとした雰囲気の奥には、ダービーでの惜敗を晴らさんとする打倒ロールの炎が静かに燃えている。

 

「ボクも菊花賞だ。三冠、獲らせてもらうよ。3000mは未知の領域だけど負けないから」

「私もです! シラオキ様のお告げ通り、菊の舞台で大吉を掴みます! 神戸新聞杯で勢いをつけて、ロールさんをあっと言わせてみせますよ!」

 

 フクキタルも水晶玉を掲げて鼻息が荒い。

 そんな中、少し離れたベンチに座っていたスズカが、静かに口を開いた。

 

「……私は、天皇賞(秋)へ行くわ」

 

 その場にいた全員の動きが止まった。

 天皇賞(秋)。2000m。シニア級との混合戦。

 クラシック級のウマ娘が挑むには、あまりに過酷な壁だ。

 

「スズカ、本気かい? 菊花賞でボクたちと走る選択肢もあるはずだよ。3000mが長いのは確かだけど」

 

 ボクが尋ねると、スズカは首を横に振った。

 

「ううん。3000mは私の距離じゃない。……試してみたいの。私のスピードが、2000mという極限の舞台でどこまで通用するのか。限界の、その先へ」

 

 スズカが微笑む。

 その瞬間、ボクの視界がノイズ混じりに歪んだ。

 

 ザザッ……。

 

 彼女の足元。左足首のあたりに、黒い靄のようなものが揺らめいた気がした。

 それはただの影ではない。もっと不吉で、粘り気のある、死の予感。

 

(……ッ!)

 

 ボクは息を呑んだ。

 この感覚は初めてではない。

 かつて、脚部不安に泣くはずだったサクラローレルの足元に見たもの。

 そして、宝塚記念で散るはずだったライスシャワーの周囲に漂っていたもの。

 それは「確定した破滅の未来」が放つ、特有の腐臭だ。

 

 前世の記憶が、激しい警鐘を鳴らす。

 沈黙の日曜日。

 1998年の天皇賞(秋)。圧倒的なスピードで逃げたサイレンススズカが、レース中に粉砕骨折を発症し、予後不良となった悲劇。

 あれは2回目の天皇賞(秋)の話だったはずだ。だからこれは一年早いが、彼女が選んだ道と、その危ういまでの加速への執着は、あの日の悪夢と完全に重なる。

 

 彼女は急ぎすぎている。

 ボクに勝つために、自分の肉体の限界を超えて、魂を削って走ろうとしている。

 その代償が、あの黒い影だとしたら。

 

(止めなきゃ……今すぐ、力ずくでも……!)

 

 ボクが動こうとした瞬間、脳内に別の声が響いた。

 

《待て待て。慌てるんじゃないよ》

 

 聞き覚えのある、軽薄そうでいて威厳のある声。

 三女神だ。

 

(三女神様……!? 見えていますか、あの影が! スズカが危ないんです!)

《見えているとも。あれは「特異点」だ。彼女の魂に刻まれた、逃れられぬ宿命の残滓さ》

(だったら、止めてください! 神様なんでしょう!?)

《言っただろう? 運命ってのは、そう簡単にねじ曲げられるもんじゃない。お前さんが言葉で説得したところで、彼女の運命は納得しない。むしろ、無理に止めれば歪みが生じて、別の場所でより大きく破綻するだけさ》

 

 三女神の声は冷徹だった。

 だが、突き放すだけではない響きも含まれていた。

 

《いいかい、ロールフィヨルテ。前にも言ったろう? 死の運命を覆せるのは、それ以上の「生」の輝きだけだ。言葉じゃない。理屈でもない。魂と魂がぶつかり合う、極限のレースの中でしか、運命は書き換わらないんだよ》

(レースで……書き換える……)

《彼女の体に染みついた「限界」のイメージを、お前さんが上書きしてやるんだ。「その先」があることを、体で教えてやりな。……お前さんにしかできないことだよ》

 

 ノイズが消え、意識が現実に引き戻される。

 ボクは拳を握りしめた。

 説得ではダメだ。ローテを変えろと言っても、彼女は聞かないだろう。

 ならば、やることは一つ。

 

「……ダメだ」

 

 ボクは強い口調で言った。

 

「え?」

「スズカ。そのローテは認めない」

 

 スズカが怪訝そうに眉をひそめる。

 

「どうして? 私の勝手でしょ」

「今の君の走りじゃ、壊れる。……ボクには見えるんだ」

 

 根拠のない言葉だとは分かっている。だが、彼女の足元にまとわりつく黒い靄は、今にも実体化しそうなくらいに濃厚だ。

 ボクのただならぬ気配を感じ取ったのか、ドーベルが心配そうにボクの腕を掴んだ。

 

「ロール、どうしたの? 顔色が悪いわよ」

「……スズカ。ボクと走ろう。今から」

 

 ボクの言葉に、スズカがきょとんとする。ブライトやフクキタルも驚きの表情だ。

 

「今から? トレーニングってこと?」

「違う。勝負だ。2000m、一対一のマッチレース。……もしボクが勝ったら、君の秋のローテはボクが決める」

 

 それは強引すぎる、理不尽な提案だった。スズカに何のメリットもない。ボク自身その不合理性を理解している。

 だが、言葉で説得できる相手ではない。あの黒い影を払拭し、彼女に「ブレーキ」と「身を守る術」を教えられるのは、彼女が唯一ライバルと認めるボクだけだ。

 三女神様の言う通り、レースで語るしかない。

 力ずくでねじ伏せて、あの運命へ向かう足を止めさせる。

 

 スズカはしばらくボクをじっと見つめていたが、やがてフッと冷たい笑みを浮かべた。

 

「……面白いわね」

 

 スズカの瞳に、静かだが激しい闘志の炎が宿った。

 

「いいわよ。でも、私が勝ったら、もう二度と私の走りに口出ししないで。……私は私のやり方で、あなたを超える」

 

 

 

 夕暮れのトレセン学園、芝コース。

 他のウマ娘たちが寮へ戻り始めた時間帯。無人のコースに、二人のウマ娘が対峙する。

 立会人はブライトとフクキタル。そして、心配そうに唇を噛むドーベル。

 

「ロール、本当にやるの? こんな時期にガチの勝負なんて、怪我したらどうするのよ」

 

 ドーベルが不安そうに言うが、ボクは首を振って制した。

 

「やらなきゃいけないんだ。……彼女を、止めるために。ドーベル」

 

 スタートラインに立つ。

 隣のスズカは、すでに自分の世界に入っている。

 その体から立ち上るオーラは、春よりも、夏よりも鋭く、そして儚い。

 極限まで削ぎ落とされた肢体は、風に乗るためだけの翼のようだ。

 そして、その左足には、やはりあの黒い影が揺らめいている。

 

(アイちゃん。……力を貸してくれ。スズカを無傷で止めるには、君の精密な技術が必要だ)

 

 ボクは心の中で、最強のパートナー、アーモンドアイに呼びかけた。

 2000mで最強と言ったら必ず名前が挙がる彼女。彼女の理論と効率的な走法があれば、スズカの暴走気味なスピードを安全に、かつ完膚なきまでに叩きのめして、格の違いを見せつけられるはずだ。

 

(行くぞ、アイちゃん。……あれ?)

 

 心の中でアーモンドアイを呼びかける。

 いつものように、意識の奥底から強大な力が湧き上がってくる――はずだった。

 

「……?」

 

 違和感。反応がない。

 エンジンのキーを回したのに、点火しないような感覚。

 

(アイちゃん!?)

 

 脳内で呼びかける。

 だが、返事がない。

 いつもなら即座に『了解、マスター』とクールな声が返ってくるはずなのに。

 聞こえるのは、砂嵐のようなザラついたノイズだけ。

 

(ゴルシ!? ウオッカ!? グラン!? 誰か!)

 

 他の魂たちに呼びかける。

 だが、誰も答えない。

 『非存在の血統』が、完全に沈黙している。

 まるで、スマホが急に圏外になってしまったかのような状況だ。

 

 冷や汗が背中を伝う。

 これは、どういうことだ? 今まで一度だってこんなことはなかった。

 よりによって、今この瞬間に?

 

「……無駄よ」

 

 不意に、涼やかな声が聞こえた。

 スズカだ。

 彼女は前を向いたまま、ボクの方を見ようともしない。

 

「え……?」

 

「言ったでしょう?」

 

 スズカがゆっくりとこちらに顔を向けた。

 その瞳が、夕闇の中で妖しく光る。

 それは「異次元の逃亡者」だけが到達できる、孤独で静寂な領域の色。

 彼女の全身から放たれる凄まじい「個」の力が、周囲の空気を支配しているのが分かる。

 

「『一対一』だって」

 

「スズカ、君は……」

 

 彼女は、ボクの胸元――魂が宿る場所――を視線で射抜いた。

 

「私とあなた。二人だけの勝負。弥生賞や皐月賞の時のあの子でも呼ぼうとしたのかしら?……でも、邪魔者は、いらないわ」

 

 ボクは戦慄した。

 彼女は気づいていたのか? ボクが「非存在の血統」という異能を使っていることに。

 いや、理屈で理解しているわけではないだろう。

 彼女の研ぎ澄まされた野生の勘が、ボクの中にいる「他者」の気配を感じ取っていたのだ。

 そして、彼女はそれを「拒絶」した。

 

 サイレンススズカという強烈なエゴが、周囲の領域を支配し、ボクと魂たちのリンクを強制的に断ち切ったのだ。

 そんなことが可能なのか? ただ走るだけのウマ娘に。

 いや、彼女はもう「ただのウマ娘」ではない。運命すらも焼き尽くすほどの速度で、異次元へと足を踏み入れようとしている存在。

 

「私の前では、小細工は通用しない。……あなたの本当の速さで来なさい」

 

 スズカは再び前を向いた。

 彼女の背中が、とてつもなく遠く、そして大きく見える。

 

(……そうか)

 

 ボクは震える手を抑え込んだ。

 借り物の力は使えない。

 ここにあるのは、これまで死に物狂いで鍛え上げてきた自分の肉体だけだ。

 大柄で重量級の肉体。スキルも才能もない。純粋な筋力と、心肺機能、そして自ら磨き上げた技術のみ。

 

 丸裸にされた気分だ。

 だが、不思議と恐怖は薄れていく。

 彼女が望むなら、受けて立つしかない。

 ボク自身の全てをぶつけて、彼女を止める。

 

「……分かったよ。スズカ」

 

 ボクは重心を落とし、スタートの構えをとった。

 借り物の翼はない。

 自分の足で、地を蹴る覚悟を決める。

 

「ようい……」

 

 ブライトの声が響く。

 静寂が、世界を包み込む。

 次の瞬間、運命を賭けた2000mが始まる。




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