TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

40 / 79
29 異次元の逃亡者

 静寂が、夕闇に沈むコースを包み込んでいた。

 ボク、ロールフィヨルテは、スタートラインで深く息を吐いた。

 隣に並ぶサイレンススズカは、前だけを見据えている。彼女の周囲には、誰も寄せ付けない絶対的な領域が展開されていた。その領域内では、ボクの「非存在の血統」という異能は完全に無効化されている。

 頭の中は静かだ。いつもなら聞こえるはずの、歴代の名馬たちの囁きも、叱咤激励も聞こえない。

 

 借り物の翼はない。

 ここにあるのは、ボク自身の肉体と、魂だけだ。

 

「ようい……スタート!」

 

 立会人を務めるメジロブライトの声が響くと同時に、スズカが弾かれたように飛び出した。

 

 ドンッ!

 

 速い。

 まるで重力から解き放たれたかのような、爆発的な初速。彼女の体は風そのものとなり、一瞬で視界の先へと消え去ろうとする。

 だがそれでも……

 

「ボクのほうが早いっ!!」

「っ!!」

 

 ボクもまた、同時に地面を蹴っていた。

 ローエングリンと散々練習したロケットスタート。

 合図と同時に動き始めるのではなく、合図の気配を察知して動き始める。コンマ数秒の世界での先読み。これにより、スズカよりもさらに早くスタートを切る。

 何もないボクの今でも、その技術だけは身体に残っていた。スズカの鼻先を制する。

 

 だが……

 

(……重いッ!)

 

 一歩、二歩と進むごとに、鉛のような重力が身体にのしかかる。

 スズカにすぐに追いつかれる。並ばれ、そして抜かれる。

 これまで、いかに自分が「借り物の力」に頼っていたかを痛感させられる。

 ペース配分も、フォームの微調整も、すべて無意識のうちに彼らがやってくれていたのだ。

 それがない今、ボクはただの、身体が大きくて不器用なウマ娘に過ぎないのか。

 

(いや、そんなことはない!!)

 

 ボクは歯を食いしばり、すぐにフォームを補正し、ペースをスズカに合わせる。

 今ボクの中にアーモンドアイはいない。彼女の冷徹なまでのペース管理能力はない。

 だが、彼女と走り続けた経験と記憶がなくなったわけではない。

 

『姿勢を正しなさい、マスター。効率的に、無駄なく』

 

 脳裏に蘇る、厳しい指導の声。

 この一年間、彼女の指導を受け、何度も何度も繰り返してきた反復練習。その記憶が、ボクの筋肉一つ一つに刻み込まれていたのだ。

 意識しなくても、身体が覚えている。

 足の出し方、腕の振り方、呼吸のリズム。

 踏み込みの角度1度単位で補正し、歩幅を1mm単位で補正し、スズカに食らいついていく。

 

 1000m通過。

 スズカの背中との距離はまだ離されていない。3バ身圏内。

 彼女の走りは研ぎ澄まされている。無駄な肉を極限まで削ぎ落とし、ただ走るためだけに最適化された肢体。

 だが、その足元には、やはりあの不吉な影が揺らめいている。

 速すぎる。肉体の限界を超えて、魂を削って加速している。

 

(このままじゃ、追いつけない……!)

 

 焦りが呼吸を乱し、フォームが崩れそうになるのを必死に補正する。

 肺が焼けつくようだ。心臓が早鐘を打っている。

 これが「素の自分」の限界なのか。借り物の力がなければ、ボクはただの凡庸なウマ娘なのか。

 絶望感が胸をよぎる。

 ボクは歯を食いしばり、地面を蹴った。

 

 その時、身体の奥底から、また別の記憶が熱を持って浮かび上がってきた。

 

『エンジンを吹かして! パワーで押し切るのよ!』

 

 マルゼンスキーだ。

 朝日杯で見せた、あの圧倒的なパワー。

 彼女は教えてくれた。繊細な技術だけじゃない。勝負に勝つには、時に暴力的なまでのパワーが必要なのだと。

 

(そうだ……ボクには、この身体がある!!)

 

 ボクは意識を、自慢の太ももに集中させた。

 それは重りではない。爆発的な推進力を生み出すための、巨大な機関部だ。

 踏み込む足に、体重のすべてを乗せる。

 地面を叩くのではない。地面を掴み、後ろへ放り投げるイメージ。

 

 グンッ!

 

 加速が変わった。

 重戦車が、スーパーカーのような鋭さを帯びて加速する。

 スズカとの距離が、半バ身縮まる。

 

 コース脇で見守るドーベルが、ハッと息を呑むのが見えた。

 彼女の瞳には、ボクの姿がどう映っているのだろう。泥臭く、不格好かもしれない。でも、決して諦めていない。

 

 第3コーナー。

 スズカがさらにギアを上げた。

 彼女は一度も振り返らない。ただひたすらに、前へ。孤独な逃亡者。

 そのスピードに、空気が悲鳴を上げ始める。

 

『遠心力と友達になるんだよ!! もっと体を倒せ!! ビビんな!!!』

 

 ゴールドシップに教えてもらったコーナーリングを思い出す。

 いつも以上に思いっきり内側に体を倒す。地面スレスレまでバンクさせる。

 転倒が何だ。スズカにおいていかれることに比べればこんなの大したことじゃない。

 スズカとの距離が、さらに半バ身縮まる。

 

『ビビってんじゃねえぞ! 壁なんてぶち壊せ!!』

 

 ウオッカの怒号が聞こえた気がした。

 ダービーの時、内ラチ沿いのわずかな隙間をこじ開けた勇気。

 目の前にあるのは空気の壁だ。スズカが作り出す、誰も寄せ付けない拒絶の風圧。

 それを恐れるな。身体ごとぶつけて、こじ開けろ。

 

「おおおおおおおおっ!!」

 

 ボクは咆哮と共に、風の壁に突っ込んだ。

 顔に当たる風が痛い。だが、ボクは目を逸らさない。

 あの緑の背中。今にも消えてしまいそうな、儚い光。

 

 4コーナーを回り、直線へ。

 スズカがボクの接近に気づいたのか、さらに加速しようとする気配を見せた。

 二の脚。

 彼女の真骨頂だ。ここからさらに突き放す、異次元の加速。

 

 だが、その瞬間。

 彼女の左足が、ガクンとブレた。

 

(――ッ!)

 

 限界だ。

 あの影が、彼女の足を掴もうとしている。

 スズカの顔が苦痛に歪むのが見えた。それでも彼女は、走ることをやめようとしない。壊れてでも、前へ行こうとする。

 死に向かって走る姿は、あまりにも美しく、そして残酷だった。

 

「スズカァッ!!」

 

 ボクは叫んだ。

 スキルも理論も捨てた。

 ただ、彼女を止めたい。その一心で、残った全ての力を爆発させる。

 

 もう、特定の誰かの記憶ではない。

 ボクの奥底にある、この身体の持ち主としての本能。

 自分自身の努力の積み重ねは、経験は、何もなくなっていない。

 この巨大な身体を動かすために流した汗も、ドーベルが用意してくれた食事も、ブライトやフクキタルと競った日々も。

 すべてが今のボクを形作っている。

 

「ロール! 行けぇぇぇッ!!」

 

 コース脇から、ドーベルの絶叫が聞こえた。

 いつもボクを心配し、管理し、そして誰よりも信じてくれている幼馴染の声。

 その声が、ガス欠寸前のエンジンに、最後の火花を点けた。

 

 残り100m。

 並んだ。

 ボクの巨大な影が、スズカを飲み込む。

 

「……っ!?」

 

 スズカが驚愕に目を見開く。

 彼女の「拒絶の領域」を、ボクの、そしてボクを支えてくれるみんなの「生」のエネルギーが食い破った。

 

「一人で行くな! ボクを置いて行くな!」

 

 ボクはスズカの進路を塞ぐように、強引に前に出た。

 壁になる。

 お前の前には、ボクがいる。

 死の運命になんか、渡さない。

 

 接触寸前のデッドヒート。

 互いの身体から発せられる熱気がぶつかり合い、火花を散らす。

 スズカの瞳に、ボクの姿が映る。

 そこにあるのは、死神ではない。泥だらけで、汗まみれで、必死な形相のライバルの姿。

 

 その気迫に、あるいは安堵に、スズカの脚が一瞬だけ緩んだ。

 その隙を見逃さず、ボクは全身全霊でゴール板を駆け抜けた。

 

 

 

 ゴール後、ボクは勢い余って芝の上に転がり込んだ。

 全身が鉛のように重い。心臓が早鐘を打っている。

 借り物の力なしで、あのスズカを捕まえるなんて本当にできるとは。

 視界が明滅し、手足の感覚がない。

 

「……ハァ、ハァ……ッ……」

 

 空を見上げていると、視界にスズカの顔が入ってきた。

 彼女は膝をつき、ボクを覗き込んでいる。その瞳から、いつもの冷徹さは消え、呆然とした色が浮かんでいた。

 

「……どうして」

 

 スズカが震える声で呟いた。

 

「どうして、追いつけるの? 私の領域だったのに。……あなたは、空っぽのはずなのに」

「空っぽなんかじゃないよ」

 

 ボクは苦笑しながら、重い体を起こそうとして、諦めて大の字になった。

 

「ボクには、この体がある。君たちと走って鍛えた努力が……そして、想いが詰まってる」

 

 ボクは彼女の左足を見た。

 黒い影は、消えていた。

 運命は、書き換わったのだ。

 

「……怖かった」

 

 スズカがポツリと言った。

 

「あなたが、後ろから迫ってくる足音が……まるで、死神みたいだった。捕まったら、もう走れないんじゃないかって」

「死神じゃないよ。……君の、友達だ」

 

 ボクは彼女の手を取った。その手は氷のように冷たかったが、ボクの体温が伝わると、少しずつ温かさを取り戻していく。

 

「……負けたわ。約束通り、ローテはあなたの言う通りにする」

「うん。……天皇賞には出てもいい」

 

 ボクの言葉に、スズカが目を見開く。

 

「えっ?」

「ただし、一つだけ条件がある。『壊れるまで』走らないこと。……君の走りは、まだ完成してない。その先があるはずだ」

 

 沈黙の日曜日の先。

 生きて、走り続けたサイレンススズカが見るはずだった景色。

 それを見られるのは、彼女がボクの隣にいてこそだ。

 

「……わかった。あなたの言う通りにするわ」

 

 スズカは憑き物が落ちたような顔で微笑んだ。

 そこへ、ドーベルたちが駆け寄ってくる。

 

「ロール! スズカさん! 大丈夫!?」

 

 ドーベルが涙目でボクに抱き着いてくる。その勢いで、ボクの肺から残りの空気が絞り出された。

 ブライトも、フクキタルも、安堵の表情だ。

 

「ぐえっ……大丈夫だよ、ドーベル。……ただの、ガス欠だ」

 

 ドーベルに支えられながら、ボクは立ち上がった。

 夕闇に包まれたコース。

 もう、不吉な影はない。

 あるのは、秋の天皇賞、そして菊花賞へと続く、希望の道だけだ。

 

 スズカの問題はこれで解決した。

 だが、ボクにはまだ、話さなければならない相手がもう一人いる。

 夏合宿で恐るべき成長を見せ、菊花賞での大波乱を予感させる、あの占い好きの少女。

 マチカネフクキタル。

 彼女の「神懸かり」的な強さの秘密と、三冠を阻むかもしれない不確定要素。それと向き合う時が近づいていた。




評価お気に入り・感想お待ちしております

他サイトで投稿中の小説
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=335002&uid=349081

雑談等はディスコード鯖
https://discord.gg/92whXVTDUF

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。