TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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33 スプリンターズステークス

 12月。

 マイルチャンピオンシップでの激闘から数週間。

 季節は冬へと移り変わり、中山レース場には冷たく乾いた風が吹き荒れていた。

 世間では有馬記念のファン投票の中間発表が話題になる中、ボク、ロールフィヨルテの脳内は、かつてないほどのカオスに包まれていた。

 

 次走、スプリンターズステークス。1200m。

 電撃の6ハロン戦。

 瞬きする間に決着がつくこの極限のスピード勝負に向けて、ボクは調整を進めていた。

 ――はずだったのだが。

 

「……頭が痛い」

 

 放課後の教室。ホームルームが終わった直後、ボクは机に突っ伏して呻いた。

 物理的な頭痛ではない。

 脳内(メンタル)のキャパシティが、限界を迎えていたのだ。

 

 

 

 事の発端は、数時間前の脳内会議にある。

 

『当然、我が出る。スプリント戦こそ、我が龍王の領域ぞ』

 

 重厚で、威厳に満ちた声が脳内空間を震わせる。

 ロードカナロア。

 日本競馬史上最強のスプリンターにして、世界の龍王。

 香港スプリント連覇など、その実績は圧倒的だ。1200mを走るなら、彼の右に出る者はいない。ボクも当初は彼にお願いするつもりだった。

 

 だが、そこに待ったをかけたのが、先のマイルCSでボクを勝利に導いた功労者だ。

 

『はぁ? 何言ってんの? アタシが出るに決まってんでしょ!』

 

 グランアレグリアだ。

 彼女は腰に手を当て、不満げに龍王を睨み上げている。

 

『マイルCSであれだけ気持ちよく走れたんだよ? 調子は最高潮! このままスプリントも獲って、完全制覇といこうじゃない!』

『……若造が。マイルとスプリントは別物だ。1200mの激流、貴様の加速力(ギア)が上がりきる前に終わるぞ』

『ああん? アタシのスプリント能力なめてんの? 1200mは0.75マイル! 四捨五入すればマイルみたいなもんでしょ! 庭だよ、庭!』

 

 暴論である。

 だが、彼女も実際にスプリンターズSを勝っている実績馬だ。言い分に理がないわけではない。

 

 バチバチと火花が散る。

 脳内で二つの巨大なエゴが衝突し、ボクの精神はきしみを上げていた。

 ボク自身の自我が押しつぶされそうになるのを必死に耐える。

 

(あー、もう! 二人とも喧嘩しないでください! ゴルシ、ちょっと助けて!)

 

 ボクは一番の古株であるゴールドシップに助けを求めた。

 彼はあくびをしながら、面倒くさそうに出てきた。ボクとは一番付き合いが長いし、なんとなく頼ってしまったがこれが失敗だった。

 

『あー、うっせぇなぁ。夫婦喧嘩は犬も食わねぇって言うだろ?』

(夫婦じゃないでしょ! 他人だよ!)

『ま、どっちも譲らねぇなら……毒を持って毒を制す。劇薬を投入するしかねぇな』

 

 ゴルシがニヤリと笑い、どこかへ「電話」をかけるような仕草をした。

 

『もしもし? あ、姉貴? おう、久しぶり。……ああ、元気にしてるぜ。ちょっと頼みてぇことがあってよ。……そうそう、あの「カワイイ」の化身を呼んでくんね?』

 

 姉貴? だれのことだ?

 ボクが首を傾げていると、脳内空間の雰囲気が一変した。

 キラキラとしたピンク色のエフェクトが舞い散り、甘い香りが漂う。

 

『やっほー♪ お呼びかな? カレンだよっ☆』

 

 現れたのは、あざといまでに可愛らしいウマ娘の幻影。

 カレンチャン。

 スプリントGⅠを制した実力者でありながら、その武器は圧倒的な「カワイイ」。

 全てのウマ娘とファンを魅了し、支配する、閃光の乙女。

 

『あらあら~、ここが新しいお家? なんだかむさ苦しいおじ様と、キャンキャン吠える女の子がいるねぇ』

『なっ……!?』

『ぬぅ……?』

 

 カレンチャンは、硬直する二人を見回し、小悪魔的な笑みを浮かべた。

 

『カナロアく~ん♪ 久しぶりだねっ☆ 元気してた?』

 

 彼女がカナロアに近づき、上目遣いで見つめる。

 その瞬間。

 世界の龍王、ロードカナロアの威厳が音を立てて崩壊した。

 

『カ、カレン……! 我が愛しき……いや、麗しの……!』

 

 史実において、ロードカナロアがカレンチャンに惚れていたという話はあったし、引退後は交配相手ともなった深い仲。

 どうやら魂になっても、彼はカレンチャンに頭が上がらない……というか、ベタ惚れらしい。

 

『ねえねえ、ここ退屈じゃない? カレン、久しぶりに外の空気が吸いたいなぁ~』

『む……! し、しかし我は今、スプリントの覇を競うために……』

『え~? カレンのお願い、聞いてくれないの? ……プンプンしちゃうぞ?』

 

 ズキューン!!

 カナロアのハートが撃ち抜かれる音がした。

 

『……よかろう!! 我が背に乗るがいい! 世界の果てまでエスコートしようぞ!!』

(えっ、ちょ、待って!?)

 

 いやな予感がしたが止められない。ここではないどこかへ、カレンチャンと二人で消えようとしているのだ。

 

『さらばだ、我が契約者よ! スプリントの覇権など、愛の前には些細なこと!』

『はーい♪ 行ってきまーす☆』

 

 二つの魂が、デートに行ってしまった。

 音信不通。呼びかけても応答なし。

 

『……はぁ。バカみたい』

 

 そして残されたグランアレグリアが、心底つまらなそうに吐き捨てた。

 

『あーあ、興ざめ。なんか走る気なくなっちゃった』

(えっ、グランさんまで!?)

『だってさー、あんなの見せられたら戦う気も失せるでしょ。……そうだ』

 

 グランアレグリアが、ふと思いついたように顔を上げた。

 

『アタシ、タイキ先輩のところ遊びに行ってくる』

(は?)

『ここより、あっちの方が楽しそうだし。タイキ先輩と女子会してくるわ』

(ちょ、待って! ボクの体は一つしかないんですよ!?)

 

 制止も聞かず、グランアレグリアは強引にボクの回線を「外」へと繋いだ。

 

『なんですかこれ? ロールからのテレパシーですか?』

 

 ターゲットは、タイキシャトル。

 

『わーい、タイキ先輩、今から遊びに行きますね♡』

『キュートガールですね! 誰かはわかりませんが、パーティはいつも大歓迎ですよ!!』

『じゃあねロール!』

 

 そんな会話を残して、どうやったのかは知らないが、グランはそのままタイキシャトルの元へと飛んでいってしまった。

 

 プツン。

 通信が途絶える。

 残されたのは、ボクと、爆笑しているゴールドシップだけ。

 

『ギャハハハハ! 傑作だなオイ! 全員職場放棄かよ!』

(笑い事じゃないよゴルシ!! どうすんですかこれ!!)

 

 スプリンターズS目前にして、主力候補が全滅。

 龍王と閃光乙女はデート中。女王は敵陣営で女子会中。

 ボクの手元には、1200mを走れる駒が一つもない。

 

(……いや、いるか?)

 

 ボクは必死に記憶を検索する。

 短距離最強。

 ロードカナロアと双璧をなす、あるいはそれ以上の、伝説のスプリンター。

 1200mなら誰にも負けない、「驀進」の化身。

 

(……サクラバクシンオー)

 

 だが、問題がある。

 彼女は、この時代のウマ娘だ。

 ライスシャワーと同期であり、最近は卒業して大学に進学しているはずだ。

 「同時代のウマ娘の力は借りられない」。

 それは、この能力『非存在の血統』の鉄則だ。

 

(でも……彼女なら)

 

 彼女は、常識や理屈で測れる存在ではない。

 「バクシン」という概念そのものだ。

 ダメ元だ。ボクは一縷の望みをかけて、彼女の名前にアクセスした。

 

(……サクラバクシンオーさん! 聞こえますか!?)

 

 呼びかけた瞬間。

 脳内に、ファンファーレのような大音量が鳴り響いた。

 

『ハッハッハッハ!! 呼びましたか!? 呼びましたね!? この優等生・サクラバクシンオーを!!』

 

 繋がった。

 しかも、ノイズ一つないクリアな回線で。

 

(えっ、繋がった!? バクシンオーさん、まだご存命ですよね!?)

『細かいことは気にしません!! 困っている生徒がいれば、駆けつけるのが委員長の務め!! 悩みがあるなら、走って解決です!!』

 

 理屈が通っていない。

 だが、その圧倒的な陽のエネルギーが、全ての制約を「バクシン」の一言で吹き飛ばしていた。

 彼女には「過去」も「現在」も関係ない。ただ「走る」という真理があるだけなのだ。

 

(あ、あの、スプリンターズSに出たいんですが……力を貸してもらえませんか?)

『1200mですか!? それは素晴らしい!! 1200mは私の独壇場! 短距離こそが我が王道! 任せてください、私の「バクシン理論」を伝授しましょう!!』

 

 快諾だった。

 あまりにもあっさりと、最強のカードが手に入ってしまった。

 

『さあ、行きましょう! 目指すは勝利の二文字のみ! バクシンバクシン、バクシーン!!』

 

 ……若干、鼓膜が痛い。

 だが、頼もしいことこの上ない。

 こうしてボクは、予想外のパートナーと共に、スプリンターズSへ挑むことになった。

 

 

 

 12月。中山レース場。

 スプリンターズステークスのパドック。

 冬晴れの空の下、ボクは周回していた。

 

 脳内では、サクラバクシンオーが延々と「学級委員長としての心得」と「短距離の素晴らしさ」を説いている。

 騒がしいが、不思議と緊張はない。彼女の底抜けの明るさが、プレッシャーを吹き飛ばしてくれている。

 

「ヘーイ! ロール!」

 

 明るい声がして、振り向く。

 タイキシャトルだ。

 彼女は満面の笑みで近づいてきた。その隣には……誰もいないはずなのに、もう一人の気配を感じる。

 

「調子はどうデスカ? ミーは絶好調デース!」

『うんうん、タイキ先輩の筋肉、今日もキレてるね! 最高!』

 

 タイキの言葉に重なるように、ボクの脳内に直接、グランアレグリアの声が響く。

 彼女は今、タイキシャトルに「憑依」……というか、背後霊のようにくっついているらしい。

 

「あ、グランさん……今日もそこにいたんですね」

『いるわよー。タイキ先輩とずっと一緒! 厩舎も一緒だったし、気が合うのよねー』

 

 史実では、二人とも藤沢和雄厩舎の名馬だ。魂の相性は抜群なのだろう。

 タイキシャトルも、自分の中にいる(?)グランアレグリアの存在を自然に受け入れているようだ。

 

「ロール、今日はグランも一緒デース! ダブルのパワーでユーをクラッシュしマスよ!」

「二人掛かりとは卑怯ですね……」

「No! これはフレンズの絆デース! HAHAHA!」

 

 タイキが豪快に笑う。

 その姿に、悲壮感はない。純粋にレースを楽しむ喜びが溢れている。

 

『ロールも頑張んなよー。まあ私とタイキ先輩のペアに勝てると思えないけどね!』

 

 グランが挑発してくる。

 ボクは苦笑しながら、脳内の委員長に話しかけた。

 

(バクシンオーさん、相手は手強いですよ。世界最強マイラーと、マイルの絶対女王のタッグです)

『望むところです!! 数が多ければ速いというわけではありません! 速い者が勝つ、それが真理!!』

 

 バクシンオーの声が弾む。

 

『1200m×3回走れば3600m! つまり私はステイヤーの素質もあるということですが、今日はあえて1200m1本に全力を注ぎます!! つまり通常の三倍です!! ついてきてくださいね、ロールさん!』

(はい、委員長!)

 

 止まれの合図がかかる。

 ボクはタイキシャトルと視線を交わし、不敵に笑った。

 

 いざ、本バ場へ。

 スプリントの頂点を決める戦いが始まる。

 

 

 

 中山芝1200m。

 スタート地点は、坂の頂上付近。そこから一気に下り、最後に急坂を登る、トリッキーかつタフなコースだ。

 

 ゲートイン。

 16人のスプリンターたちが、一瞬の静寂に包まれる。

 

『いいですかロールさん! 1200mのレースでの作戦は一つです!』

 

 バクシンオーが叫ぶ。

 

『スタートからゴールまで、全力で走る! 息を入れる暇があったら足を動かす! それがバクシン的勝利の方程式です!』

(……シンプルですね!)

『シンプル・イズ・ベスト!!』

 

 ガシャン!!

 

 ゲートが開いた。

 好スタート。スタートの良さだけはすでに自分の身に沁みついていた。

 ボクの体は、思考するよりも速く反応していた。

 ロードカナロアのような王道の先行でも、グランアレグリアのような爆発的な差しでもない。

 ただひたすらに、前へ。

 

「行きますよぉぉぉッ!!」

 

 ボクは迷いなく先頭を奪った。

 ハナを主張する逃げウマたちを、2歩早いと言われるロケットスタートと圧倒的な初速でねじ伏せる。

 

 そのままバクシン理論に乗って走り続ける。

 

 前半600m、32秒台。

 殺人的なハイペース。

 だが、バクシンオーにとっては、これすら「巡航速度」だ。

 

『速い! 速いです! 気持ちいいですねぇ!』

 

 脳内で彼女が笑っている。

 苦しくない。息が上がらない。

 むしろ、走れば走るほど、体の中から力が湧いてくる。

 「短距離なら誰にも負けない」という絶対的な自信が、ボクの脚を回転させる。

 

 第3コーナーから4コーナーへ。

 後続が離される。

 だが、一頭だけ、猛烈な勢いで迫ってくる影があった。

 

「ヘーイ!! 待つデース!!」

 

 タイキシャトルだ。

 彼女もまた、このハイペースを苦にしていない。むしろ、グランアレグリアの魂と共鳴し、さらなる加速を見せている。

 規格外のパワー。一歩ごとに地面を削り取るような走り。

 

『タイキ先輩! いっけぇぇぇ!』

 

 グランの声援を受けて、タイキが並びかけてくる。

 だが、こちらは振り返らず前を向き、バクシンを続ける。

 そうして直線。

 中山の急坂が待ち構える。

 普通ならここで脚色が鈍る。

 だが。

 

『坂!? そんなもの、気合でバクシンすれば平坦です!!』

 

 バクシンオーの謎理論が、物理法則を凌駕した。

 ボクの足は止まらない。

 坂を、まるで平地のように駆け上がる。

 

「なっ……!?」

 

 隣のタイキシャトルが、驚愕に目を見開く。

 彼女のパワーをもってしても、この「理不尽なまでの前進気勢」には対抗できないのか。

 

「これが! サクラバクシンオーの! バクシンだぁぁぁぁっ!!」

 

 ボクは叫び、最後の100mでさらに加速した。

 二の脚? 三の脚?

 違う。最初から最後まで、トップスピードを持続させているだけだ。

 それができるのは、彼女だけ。

 

 ――ゴール!!

 

 

 

 1着でゴール板を駆け抜けたボクは、ウイニングランへと入った。

 歓声が降り注ぐ。

 疲労はあるが、不思議と息は切れていない。爽快感だけが残っている。

 

『ハッハッハ! 大勝利! やはりバクシンこそが正義でしたね!』

 

 バクシンオーさんが満足げに笑う。

 そこへ、2着のタイキシャトルが近づいてきた。

 

「……負けマシタ。完敗デース」

 

 タイキは肩をすくめ、しかし清々しい表情をしていた。

 

「1200mで、あのペースで逃げ切るなんて……ユーは本当にクレイジーデース。グランも『あんなの無理ゲーじゃん』って言ってマシタ」

「あはは……。まあ、最強の先生がついてましたから」

 

 ボクは脳内の委員長に感謝を捧げる。

 これで、マイルCSに続き、スプリンターズSも制覇。

 短距離路線の頂点に立った。

 

 そして、スタンドを見上げる。

 そこには、有馬記念を控えたメジロドーベルの姿があった。

 彼女はボクに向けて、力強く拳を突き上げていた。

 

(次は、君の番だね。ドーベル)

 

 ボクは頷き返した。

 全距離制覇の夢を成し遂げた。

 今年残りのGⅠは、中長距離の総決算。

 有馬記念。

 ボクは出ないが、彼女が、世界クラスの怪物に挑む。

 

 1997年、最後の大一番。

 熱狂はまだ、終わらない。




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