TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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36 頂点と下り坂

 2月。

 凍てつくような寒さが残る東京レース場は、熱狂の坩堝と化していた。

 フェブラリーステークス。ダート1600m。

 芝の絶対王者であるボク、ロールフィヨルテが、未踏の領域である「砂」の猛者たちに挑んだ一戦。

 その結果は――ボクの予想を超えて、あまりにも鮮やかで、そして「幸運」に満ちたものだった。

 

『ラッキー! 今日のラッキーカラーは黄色! 龍脈の通り道、バッチリ見えてるよぉ!』

 

 脳内で、鈴が鳴るような明るい声と共に、風水の羅盤を回すウマ娘の魂。

 コパノリッキー。

 圧倒的なパワーでダートのGⅠを11勝し、砂の女王として君臨した至高のラッキーガール。

 彼女の適性は、ボクの身体に恐ろしいほどの「調和」をもたらした。砂を被ることを恐れるどころか、『この砂の跳ね方、運気が上がってる証拠だよ!』と前向きすぎるほどだ。

 

 メイセイオペラやバトルラインといった歴戦のダート馬たちが作る激流。重く、足を取られる砂の感触。

 だが、ボクの体はそれを「抵抗」とは感じなかった。

 リッキーの魂が、路面から溢れ出す「気」の流れを読み取り、最も効率よく加速できる「黄金の龍脈(レーン)」へとボクを導く。

 直線に入り、リッキー流のパワフルな踏み込みで砂を蹴り上げると、あとは『ラッキーの向こう側』へ突き抜けるだけだった。

 

 圧倒。

 力任せに砂をねじ伏せるのではなく、砂と共鳴するかのような軽快さで、猛者たちを置き去りにし、先頭でゴール板を通過した。

 

「……勝っちゃった」

 

 ウイニングランを行いながら、ボクは呆気にとられていた。

 これで、芝のクラシック三冠、マイル、スプリント、そしてダートのGⅠ制覇。

 SMILE区分すべての距離、そして芝・ダートの両路面制覇。

 前人未踏。空前絶後。

 ボクは名実ともに、この世界の「全て」を手に入れてしまったのだ。

 

『ハッピー! 最高の風水効果だね! 私のラッキー、しっかり受け取ってくれてありがとー!』

 

 満足げに、温かな光となって(なぜか)昇天していくリッキーの魂を見送りながら、ボクの心には達成感と共に、凪いだ海のような「静けさ」が広がり始めていた。

 

(……ああ。やりきったなぁ)

 

 もう、証明することは残っていない。

 ボクの「器」は完成された。全距離を制覇し、この世にボクが走れないレースは存在しないことを証明した。

 これからのレースは、ボクにとっての「余生」のようなものかもしれない。

 そんな、どこか隠居老人のような穏やかな思考が、熱狂するスタンドの歓声とは裏腹に、ボクの胸を満たしていた。

 

 

 

 3月。

 季節は巡り、トレセン学園には春の気配が満ちていた。

 ボクはシニアクラスに進級した。

 学園の廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちの視線が熱い。それも、以前のような「変な新入生」を見る目ではなく、「生ける伝説」を見る崇拝の眼差しだ。

 

「あ、ロール先輩だ!」

「おはようございます! フェブラリーS、現地で見ました! 砂煙を切り裂く末脚、痺れました!」

 

 元気よく挨拶してくるのは、今年クラシック級として本格的に始動する後輩たち。

 いわゆる「黄金世代」の面々だ。

 北海道から来た純朴なスペシャルウィーク。

 アメリカ生まれの元気印、エルコンドルパサー。

 飄々とした策士、セイウンスカイ。

 お嬢様気質で負けん気の強いキングヘイロー。

 

 彼女たちは去年入学しすでにメイクデビューしていたが、本格的なレースはこれからだ。

 希望に満ち溢れたその瞳は、かつてのボクが持っていたものと同じ――いや、それ以上にキラキラと輝いている。

 

「やあ、おはよう。みんな調子はどうだい? 皐月賞やダービー、楽しみにしてるよ」

 

 ボクは穏やかに手を振り返す。

 以前のようなギラついた闘争心はない。後輩たちの成長を眩しく思う、良い先輩の顔になっている自覚がある。

 彼女たちはボクにとって「倒すべき敵」ではなく、「見守るべき次世代」になりつつあった。

 

「ロール先輩! 今度、私のトレーニング見てくれませんか!? 併走をお願いしたいんです!」

「ミーとも! ミーともバトルしてくだサーイ!」

 

 スペシャルウィークとエルコンドルパサーが、尻尾をブンブン振って群がってくる。

 可愛いものだ。ボクもここまで来たんだなぁ、と感慨にふけっていると、控えめな、しかし凛とした声がかけられた。

 

「……ロールさん。お久しぶりです」

 

 人垣の後ろから現れたのは、栗毛の美しいウマ娘。

 グラスワンダーだ。

 大和撫子を思わせる淑やかな佇まいだが、その内には底知れない闘志を秘めた「怪物」。

 彼女は昨年末の朝日杯を圧倒的な強さで制した。

 本来の歴史(史実)であれば、彼女は年明けに骨折が判明し、春のクラシックシーズンを棒に振るはずだった。

 だが、今の彼女の足取りは軽く、一点の曇りもない。

 

「やあ、グラスちゃん。足の具合はどう?」

「はい。おかげさまで、何の不安もありません」

 

 彼女は深々と頭を下げた。

 去年の暮れ、ボクは彼女の走り方に微かな違和感を覚え、執拗に精密検査を勧めたのだ。

 さらに、ボクの身体作りを支えてくれたメジロ家の優秀なトレーナーを紹介し、負担のかからないフォームへの修正も手伝った。

 その結果、骨折の予兆となっていた微細なダメージは早期発見され、大事に至ることなく完治したのだ。

 

「あの時、ロールさんが止めてくださらなかったら……私は今頃、走ることすらできていなかったかもしれません。本当に、感謝してもしきれません」

「いいんだよ。君ほどの才能が、怪我で終わるなんて競バ(レース)の損失だからね。ボクも、万全の君たちが走る姿を見たいし」

「……ふふ。やはりロールさんはお優しいですね」

 

 グラスワンダーは微笑んだが、その瞳の奥には静かな炎が宿っていた。

 

「必ず、恩返しをさせていただきます。……いつか同じ舞台に立った時、私の全力を以て」

「うん。楽しみにしているよ」

 

 ボクは彼女の頭をポンポンと撫でた。

 本当に楽しみだ。彼女たちがどれほど強くなるのか。

 もしボクが負ける日が来るとしたら、それはそれで「競馬の歴史」として美しいことなのかもしれない。

 そんな風に、どこか他人事のように、歴史の観測者のような気分で考えてしまっている自分がいた。

 

 

 

 放課後。

 いつものようにメジロドーベルとカフェテリアで落ち合った。

 シニア級になり、お互いに忙しくなったが、このティータイムだけは欠かさないようにしている。

 だが、今日のドーベルはどこか居心地が悪そうで、眉間に皺を寄せていた。

 

「……なによ、その顔」

 

 ドーベルが、ボクの顔を見るなり不満げに言った。

 

「え? ボク、なんか変な顔してる?」

「してるわよ。……なんか、とろけてるっていうか、お爺ちゃんみたいっていうか。縁側でお茶すすってる隠居老人みたい」

「失礼な。これでも全距離制覇を成し遂げた王者の風格と言ってほしいな」

 

 ボクは苦笑しながら、背もたれに深く体を預けた。

 正直、肩の荷が下りた気分だった。

 これ以上、何を証明すればいい?

 国内の敵はあらかた倒した。記録も作った。

 有馬記念やジャパンカップはまだ勝っていないが、それも「流れ」の中で獲れればいいかな、くらいの感覚だ。

 去年のように、身を削って、魂をすり減らしてまで勝ちに行く必要性を感じられない。

 

「あーあ。春の天皇賞はどうしようかなぁ。ブライトちゃんもステイヤーとして完成しつつあるし、ボクは胸を借りるつもりでのんびり走ろうかな」

 

 ボクが何気なく言ったその言葉に、カチャン、とソーサーにカップを置く音が強く響いた。

 

「……ロール」

 

 ドーベルの声が低くなる。

 彼女はティーカップの縁を指でなぞりながら、視線を伏せていた。

 

「アンタ、本気で言ってるの?」

「ん? ああ。もう十分やっただろ? これからは、後輩たちの壁になりつつ、いいレースができればそれで……」

「……行けばよかったのに」

 

 ボクの言葉を遮るように、ドーベルが呟いた。

 

「え?」

「フランス。……ローレルさんと一緒に」

 

 ボクは動きを止めた。

 サクラローレル。

 彼女は年明け早々に渡仏し、現在は向こうの前哨戦に向けて調整中だと聞く。

 あの初詣の夜、ボクが断った「世界への誘い」。

 

「何を言ってるんだい、ドーベル。ボクは君を選んだんだ。後悔なんてしてないよ」

「アンタはしてなくても……私が、してるかもしれないじゃない」

 

 ドーベルは顔を伏せたまま、絞り出すように言った。

 

「ローレルさんは言ってたわ。『私ならもっと高いところへ連れて行ける』って。……実際、そうだったんでしょ。アンタの実力なら、凱旋門賞だって狙えたはずよ。世界中の強豪と戦って、もっともっと強くなれたはずよ」

 

 彼女の声が震え始める。

 

「なのに、私が引き留めたから。アンタが私を選んだから……アンタは日本に留まることを選んで、それで『上がり』だなんて思ってるんじゃないの? ここがアンタの天井だなんて、勝手に決めてるんじゃないの?」

 

 ひどくつらそうなドーベル。

 なぜそんなにつらそうなのか、ボクにはわからなかった。

 これからも一緒に居たいとただ思ったことの何が悪いのかがわからなかった。

 

「考えすぎだよ、ドーベル。ボクは幸せだし、君と一緒にいられることが一番の……」

「そういうのが、嫌だって言ってるの!」

 

 バンッ!

 ドーベルがテーブルを叩いて立ち上がった。

 カフェテリア中の視線が集まるが、彼女は気にする様子もなく、潤んだ瞳でボクを睨みつけた。

 

「優しくしないでよ……。『君がいればいい』なんて、そんな甘い言葉で誤魔化さないでよ……。アンタはロールフィヨルテでしょ!? 誰にも負けない、世界最強のウマ娘なんでしょ!?」

 

 彼女は胸元を握りしめ、悲痛な叫びを上げた。

 

「もっとギラギラしててよ……。誰にも負けないって、世界中を敵に回しても勝つって、そう言っててよ……。今の、牙が抜けたみたいなアンタを見てると……私がアンタをダメにしちゃったみたいで、苦しいのよ!」

 

 ボクは言葉を失った。

 彼女は、ボクのことが好きだからこそ、ボクの才能を誰よりも信じているからこそ、今のボクの「安寧」が許せないのだ。

 ボクが「負けてもいいや」という態度を見せるたびに、彼女は「私がこの人を弱くしてしまった」と自分を責め続けていたのだ。

 

「ドーベル、違うんだ。ボクは……」

「……もういい」

 

 ドーベルは涙を拭い、背を向けた。

 

「私、トレーニングに戻るわ。……アンタみたいに『完成』してないから。有馬で負けたまま終わるなんて、私は絶対に嫌だから」

 

 彼女は早足で去っていった。

 追いかけることができなかった。

 彼女の背中が、拒絶しているように見えたからだ。いや、今のボクには彼女にかけるべき「正解の言葉」が見つからなかった。

 

 残されたボクは、冷めた紅茶を見つめながら、深いため息をついた。

 

「……何怒ってるんだろ。ボクはただ……」

 

 ボクの中にある「前世の記憶」。

 それが、今のボクを妙に大人びさせてしまっている。

 「名馬にも引き際がある」「世代交代は世の常」。そんな達観した思考が、現役のウマ娘としてのハングリー精神を蝕んでいる。

 

『……本当に、どうしようもない阿呆ね、私のマスターは』

 

 脳内で、アーモンドアイが呆れたように呟く。

 

『あなたは満足かもしれないけれど、彼女はあなたの「隣」に立つために、必死に背伸びをしているのよ。あなたが立ち止まったら、彼女はどうすればいいの?』

(……でも、アイさん。全距離制覇したんですよ? これ以上の目標なんて……)

『目標がないなら作りなさい。……いいこと? 彼女が求めているのは、優しい恋人じゃないわ。背中を預けられる、圧倒的な「ヒーロー」よ』

 

 アーモンドアイの言葉が、胸に突き刺さる。

 ボクは大きな勘違いをしていたのかもしれない。

 全距離制覇はゴールじゃない。

 彼女のヒーローで居続けると約束した以上、ボクは常に「誰よりも強く、誰よりも速いボク」でいなければならなかったのだ。

 

 一度気合を入れ直そう。

 言葉ではなく態度でそれを示そう。

 

 だが、一度緩んでしまった糸は、そう簡単には戻らない。

 心に空いた穴、「燃え尽き」の隙間風は、すぐには埋まらない。

 

 そして、その隙を見逃してくれるほど、この時代のライバルたちは甘くなかった。




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