TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

50 / 79
37 極限まで鍛え上げられた肉体

 春の天皇賞。3200m。

 それは、近代競馬において「時代遅れ」と揶揄されることもある、過酷な長距離戦だ。

 だが、だからこそ尊い。

 スピードだけで誤魔化すことは許されない。

 スタミナ、精神力、折り合い、そして淀の坂を御する技術。

 ウマ娘としての総合力と、底知れぬ「執念」が求められる、ステイヤーたちの聖域。

 

 全距離制覇を成し遂げたボク、ロールフィヨルテにとって、このレースは「防衛戦」であり、同時に「未知への挑戦」でもあった。

 昨年の菊花賞(3000m)は勝った。だが、3200mは未体験だ。たった200mの差だが、その距離には魔物が住んでいると言われる。

 ましてや、ライバルであるメジロブライトは、ステイヤーズS(3600m)を大差で圧勝し、長距離において覚醒している。

 今のボクの体は、フェブラリーS(ダート1600m)を勝つために、パワーと瞬発力重視のマッスルボディに仕上がっている。このままでは、3200mの長丁場で「重り」となって自滅するだろう。

 

 作り変えなければならない。

 それも、生半可な調整ではない。骨の髄まで、ステイヤー仕様に。

 

(……なら、教えを乞うしかない。ボクが知る限り、最も小さく、最も削ぎ落とされた、最強のステイヤーに)

 

 3月の冷たい風が吹く中、ボクはトレセン学園を離れ、ある場所へと向かっていた。

 

 

 

 訪れたのは、近隣の大学にある陸上競技場。

 放課後の学生たちで賑わうキャンパスを抜け、静寂に包まれたトラックへ足を踏み入れる。

 そこに、彼女はいた。

 

 黒い勝負服ではなく、シンプルなジャージ姿。

 小柄な体躯は変わらないが、その身に纏う空気は、現役時代よりもさらに静謐で、研ぎ澄まされていた。

 ライスシャワー。

 かつて菊花賞と天皇賞(春)を制し、レコードブレイカーと呼ばれた伝説のウマ娘。

 現在はトレセン学園を卒業し、トゥインクルシリーズを引退、さらに高みにある「ドリームトロフィーリーグ」に所属しながら、大学に通っている。

 

「……ふぅ」

 

 トラックの隅でストレッチをしていた彼女が、細く長い息を吐く。

 その所作一つ一つが、無駄なく洗練されていた。

 ボクが近づくと、彼女は長い睫毛を揺らしてこちらを向き、ふわりと微笑んだ。

 右目を隠す前髪。青い薔薇の髪飾りはないが、その幻影が見えるようだ。

 

「……あ、ロールさん。こんにちは」

「お久しぶりです、ライス先輩。……突然押しかけてすみません」

「ううん。ロールさんが会いに来てくれるなんて、嬉しいな。……全距離制覇、おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 ボクは頭を下げた。

 彼女とは、昨年の菊花賞前に少し交流があった。彼女の悲運を回避するため、ボクなりに気にかけたりもしていたのだ。今こうして、彼女が元気に走り続けていることが何より嬉しい。

 

「今日は……天皇賞(春)のことで、相談があるんです」

「天皇賞……。そっか、ロールさんも走るんだね」

 

 ライス先輩の表情が、スッと「走り屋」のものに変わる。

 優し気な雰囲気はそのままに、瞳の奥に鋭い光が宿る。

 

「ボクは、この長丁場を乗り切るために、貴女の力を借りたいんです。……物理的な意味で」

 

 ボクは意を決して、自身の秘密を打ち明けることにした。

 これまで、ドーベルや一部の勘のいい相手にはバレていたが、自分から明確に説明したことはない。

 だが、彼女に対して嘘をついたり、隠し事をしたまま力を借りるのは、失礼だと思ったのだ。

 彼女の走りは、彼女の生き様そのものだ。それを借りるなら、仁義を通さなければならない。

 

「ボクの能力……『非存在の血統』。それは、過去や未来の名馬の魂を、自分の体に憑依させる力なんです」

 

 ボクは包み隠さず話した。

 自分が空っぽの器であること。

 だからこそ、誰の魂でも受け入れられること。

 そして今、3200mを走り切るために、最強のステイヤーであるライスシャワーの魂を降ろしたいと思っていること。

 

 荒唐無稽な話だ。笑われても仕方がない。

 だが、ライス先輩は驚くこともなく、静かに聞いていた。時折、「うん」「そうなんだ」と相槌を打ちながら。

 そして、ボクの話が終わると、彼女は自身の胸に手を当てて、少し考え込み――やがて、花が咲くように微笑んだ。

 

「……ふふっ。ロールさんは、ちょっとずるいね」

「……はい。自分でもそう思います」

「でも、すごいな。……いろんなウマ娘の気持ちや、走りを、全部自分のものにできちゃうなんて。……それって、すごく大変なことだと思うから」

 

 彼女はボクの手を取った。

 小さくて、でも硬いマメのある手。極限まで走り込んだ者だけが持つ手だ。

 

「私の魂……ううん、私の『走り』が、ロールさんの中で生き続けるなら……それはとっても、幸せなことだもの。……いいよ、使って」

「いいんですか? プライドとか……」

「私のプライドは、誰よりも速く走ることだけだから。……それにね、ちょっと興味があるの」

 

 ライス先輩は、悪戯っぽく小首を傾げた。

 

「私が二人いるみたいになるんでしょ? ……私と一緒に走る『私』。なんだか、不思議で面白そう」

「……ありがとうございます!」

 

 ボクは胸が熱くなるのを感じた。

 やはり、この人は強い。そして、根っからのランナーだ。

 

「その代わり……条件があるの」

「条件?」

「ロールさんの体、触らせて?」

 

 ボクがきょとんとしていると、ライス先輩は遠慮なくボクの体――特に太ももや二の腕、背中の筋肉を触り始めた。

 ペタペタと確かめるように。そして、時折ギュッと摘まむように。

 

「……やっぱり」

 

 一通り触診を終えた彼女は、厳しい顔つきになった。

 

「重すぎる」

「え?」

「今のロールさんの体、ダートや短距離を走るための筋肉がつきすぎてる。……鎧を着て走るようなものだよ。これじゃ、3200mは持たない」

 

 彼女の指摘は的確だった。

 グランアレグリアやロードカナロア、そしてアグネスデジタルの力を使いこなすために、ボクはこの半年で上半身や太ももの筋肉を肥大させてきた。

 それは瞬発力にはなるが、長距離においては酸素を浪費する「燃費の悪いエンジン」でしかない。

 

「落とそう。……極限まで」

 

 ライス先輩の声色は、氷のように冷たく、そして鋭利だった。

 

「私の走りは、無駄を削ぎ落とした先にあるの。……余計な脂肪はもちろん、余計な筋肉も、甘えも、全部捨ててもらうよ」

「……はい。望むところです」

 

 こうして、地獄のトレーニングが幕を開けた。

 

          *

 

 トレーニング初日。

 提示された食事メニューを見て、ボクは絶句した。

 

「……これだけ、ですか?」

 

 トレーの上に乗っているのは、少量の玄米と、茹でたササミ、そして山盛りの野菜。

 デザートはおろか、味付けすら最低限だ。

 今まで、ゴールドシップの魂の影響もあり、大盛りのご飯を平らげていたボクには、あまりにも少なすぎる。

 

「これでも多い方だよ」

 

 ライス先輩は平然と言った。

 

「体の中を空っぽにするの。……お腹が空いて、感覚が研ぎ澄まされて……風の音が聞こえるくらいまで」

 

 彼女の現役時代のあだ名は「黒い刺客」。

 だが、その裏で彼女がどれほどの減量を強いられていたか、ボクは知識として知っていた。

 それを、今からボクが体験するのだ。

 

 食事制限だけではない。

 トレーニングの内容も、筋力トレーニングは一切禁止。

 ひたすら、長い距離を、一定のペースで走り続けるLSD(Long Slow Distance)と、坂路での走り込みのみ。

 速筋を落とし、遅筋を鍛え上げ、心肺機能を極限まで高める。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

 一週間後。

 ボクはトラックの隅で、胃液を吐き出していた。

 空腹で目が回りそうだ。

 手足が鉛のように重い。いや、筋肉が落ちて軽くなっているはずなのに、エネルギー不足で力が入らないのだ。

 

『だらしねぇぞ、マスター! 焼きそば食わせろ! ソースが足りねぇ!』

 

 脳内でゴールドシップが暴れているが、無視する。

 今は、彼女のタフネスすら邪魔になる。

 ひたすらに、耐える。

 

「……立てる?」

 

 ライス先輩が、冷たい水が入ったボトルを差し出してくる。

 彼女はボクの伴走をしてくれているが、息一つ乱していない。

 

「まだ……行けます」

「うん。……いい目になってきた」

 

 彼女はボクの頬に触れた。

 鏡を見なくても分かる。ボクの顔はゲッソリと痩せこけ、頬骨が浮き出ているだろう。

 だが、それが美しいのだと、彼女の瞳が語っていた。

 

「贅肉が落ちて、本質が見えてきたね。……さあ、ここからが本番だよ」

 

 

 

 二週間後。

 ボクの体は、劇的に変化していた。

 丸太のようだった太ももは引き締まり、血管が浮き出るほどに研ぎ澄まされた。

 上半身の厚みも消え、あばら骨が薄っすらと見えるほどになった。

 ドーベルが見たら泣いて悲しみそうな姿だが、鏡に映るその姿は、紛れもなく「ステイヤー」のものだった。

 

 そして、この日から「シンクロトレーニング」が始まった。

 

「準備はいい?」

「はい」

 

 早朝の静寂。

 ボクは意識を集中させ、脳内のアーカイブから『ライスシャワー』の魂を呼び出す。

 

(ライス先輩。……力を、貸してください)

 

 ドクン。

 心臓が、静かに、しかし力強く脈打つ。

 普段の彼女とは違う。

 鬼気迫る闘志。青い炎のような、冷たく燃え上がる魂。

 それがボクの身体に宿る。

 

『……うん。行こう、ロールさん』

 

 脳内のライス先輩の声。

 そして、隣に立つ、実体のライス先輩の声。

 

「行くよ」

 

 二人の声が重なる。

 スタート。

 ボクとライス先輩は、並走して走り出した。

 

 カッ、カッ、カッ、カッ。

 

 足音が完全に一致する。

 呼吸のリズム、腕の振り、重心の移動。

 すべてがシンクロしている。

 

『……もっと低く。地面を蹴るんじゃなくて、滑るように』

 

 脳内の声に従い、フォームを微修正する。

 隣のライス先輩を見ると、彼女はまるで氷の上を滑るように走っていた。

 無駄な上下動が一切ない。

 エネルギーのロスをゼロに近づける、究極の省エネ走法。

 

「……すごい」

 

 隣を走るライス先輩が、感嘆の声を漏らした。

 

「本当に……私がいるみたい。鏡を見て走ってるより、もっと正確」

「貴女の感覚を、そのままトレースしていますから」

「ふふっ。……負けてられないな」

 

 ライス先輩のペースが上がる。

 ボクも、思考するよりも早く体が反応してついていく。

 苦しくない。

 極限まで絞った体は、羽のように軽い。

 空腹感も、渇きも、すべてが「走るための燃料」に変わっていく感覚。

 

 3000m通過。

 ペースは上がったままだ。

 ラスト200m。

 

「……っ!」

 

 ライス先輩がスパートをかける。

 現役時代を彷彿とさせる、鬼の末脚。

 だが、ボクも離されない。

 彼女の魂が、ボクの限界を超えた領域へと足を運ばせる。

 

 同時ゴール。

 芝の上に、二人のウマ娘が倒れ込む。

 

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 空が青い。

 肺が焼けるように熱いが、心地よい。

 

「……あはは。すごい、すごいよロールさん」

 

 ライス先輩が、息を切らしながら笑っている。

 彼女がこれほど感情を表に出すのは珍しい。

 

「私、現役の頃より速く走れたかも。……ロールさんに引っ張られたのかな」

「ボクこそ……貴女がいなければ、ここまで仕上げられませんでした」

 

 ボクは自分の体を見下ろした。

 無駄なものが何もない。

 走るための機能美。

 これが、天皇賞を勝つための体だ。

 

「完璧だね」

 

 ライス先輩が体を起こし、ボクを真っ直ぐに見つめた。

 

「身体能力は、私以上。スタミナも、技術も申し分ない。……今のロールさんなら、メジロブライトさんやマチカネフクキタルさんがどれだけスタミナがあっても、技術で封じ込められる」

「はい。……負ける気がしません」

 

 ボクは拳を握りしめた。

 手応えは十分すぎるほどにある。

 シミュレーション上、勝率は100%に近い。

 どんな展開になろうと、この体と、ライス先輩の技術があれば対応できる。

 

「……ロールさん」

 

 ふと、ライス先輩の表情が曇った。

 彼女は何かを探るように、ボクの瞳の奥を覗き込んだ。

 

「……強いね。本当に、綺麗で、強い」

「ありがとうございます」

「……でも」

 

 彼女は言葉を濁した。

 何かを言いかけて、飲み込んだ。

 その瞳には、一抹の不安のような色が浮かんでいた。

 

「……ううん。なんでもない。今のロールさんなら、きっと大丈夫」

 

 彼女は微笑んで、ボクの頭を撫でた。

 その手の温かさが、少しだけ寂しく感じられたのは気のせいだろうか。

 

(今のボクは、最強のステイヤーだ)

 

 ボクは自分に言い聞かせた。

 不安要素などない。

 フィジカルも、テクニックも、すべてが最高水準で噛み合っている。

 慢心ではない。客観的なデータに基づいた自信だ。

 これだけ苦しい減量に耐え、トレーニングを積んだのだ。負けるはずがない。

 

「ありがとうございました、ライス先輩。……本番、見ていてください」

「うん。……祈ってるよ、ロールさん」

 

 ライス先輩は、穏やかに手を振って見送ってくれた。

 

 ボクは気づかなかった。

 彼女が飲み込んだ言葉の意味に。

 そして、彼女の背中にある「鬼気迫る執念」――勝たなければ存在意義がないとすら思わせる、悲痛なまでのハングリーさが、今のボクには欠けていることに。

 

 ボクは完成された。

 美しく、機能的で、無駄のない、走る芸術品として。

 まるで、博物館に飾られる名刀のように。

 

 だが、勝負の世界において「綺麗すぎる」ことが、時に脆さとなることを、ボクはまだ知らなかったのだ。




評価お気に入り・感想お待ちしております

雑談等はディスコード鯖
https://discord.gg/92whXVTDUF

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。