TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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38 天皇賞春

 天皇賞(春)当日。

 新緑が眩しい京都レース場。

 ボクはパドックで、かつてないほどの軽さを感じていた。

 

(……軽い。まるで羽が生えたみたいだ)

 

 10kg近く絞り込んだ体は、重力から解き放たれたかのように動く。

 心は凪いだ湖のように静かだ。

 緊張はない。恐怖もない。あるのは、計算しつくされた勝利への道筋だけ。

 全距離制覇という偉業を成し遂げた自信と、最強のステイヤー・ライスシャワーの魂を宿しているという事実が、ボクを絶対的な安らぎの中に置いていた。

 

「……おい」

 

 背後から、低く、しゃがれた声が聞こえた。

 ドスの利いた、しかしどこか懐かしさを感じさせる声。

 

 振り返ると、一人のウマ娘が立っていた。

 小柄な体躯。黒鹿毛の髪に、左目元の特徴的な流星。

 そして何より、その全身から立ち上る、荒々しくも強烈な闘争心。

 

 ステイゴールド。

 主な勝鞍は阿寒湖特別。重賞未勝利。

 実績だけで見れば、GⅠ5勝のボクとは比べるべくもない。

 だが、彼女の纏う「黄金の旅路」の気配は、ボクの本能をざわつかせた。

 

『うげっ、親父……』

 

 脳内でゴルシが露骨に嫌そうな、それでいて敬意を含んだ声を上げる。

 そう、彼女(史実では彼)は、ゴールドシップの父にあたる存在だ。ボクの中にゴルシがいる以上、ある種の「血の繋がり」があると言っていい。

 それ以上に前に世話になったことがある彼女だ。あまり無碍にはしたくないが。

 

「……何か用かな、ステイゴールドさん」

「用? ああ、あるぜ。……挨拶しに来てやったんだよ。偉大なる『全距離制覇』の王者様に」

 

 彼女はニヤリと笑った。それは友好的な笑みではなく、獲物を品定めするような獰猛な笑みだった。

 彼女はボクの周りをゆっくりと歩き回り、鼻を鳴らした。

 

「ふん。……綺麗だな」

「え?」

「綺麗に仕上がってるよ。無駄がない。贅肉もない。……まるで、美術館に飾ってある彫刻みたいだ」

 

 それは褒め言葉には聞こえなかった。

 

「だがな……匂いがしねぇんだよ」

「匂い?」

「ああ。『血』と『泥』と……『飢え』の匂いだ」

 

 ステイゴールドは足を止め、ボクの目の前に立った。

 身長はボクの方がずっと高い。だが、彼女の見上げる視線には、見下ろされているような圧迫感があった。

 

「アンタ、満足してんだろ」

 

 図星を突かれた気がして、ボクは眉をひそめた。

 

「満足……? そんなことはない。ボクは常に勝利を目指している」

「口では何とでも言えるさ。だが、体は正直だ。……アンタの体からは、『勝たなきゃ死ぬ』っていう悲壮感が微塵も感じられねぇ」

 

 彼女はボクの胸元を指差した。

 

「全距離制覇? 偉業達成? 結構なことだ。だがな、満腹のライオンは、腹を空かせた野良犬より弱ぇんだよ。……今のアンタは、ただの『綺麗な置物』だ」

 

 カチンときた。

 ボクがどれだけの思いで減量に耐え、ライス先輩とトレーニングを積んできたと思っているんだ。

 

「……レースで見返してあげるよ。この体が、置物なんかじゃないことを」

「へっ、威勢がいいのは結構。……だが、気を付けな。俺みたいな『持たざる者』は、アンタみたいなエリートを引きずり下ろすためなら、なんだってやるぜ?」

 

 ステイゴールドは不敵に笑い、去っていった。

 その背中は小さかったが、周囲の空気を歪めるほどの熱量を発していた。

 

 

 

 

 ゲートイン。

 スタンドを埋め尽くす大観衆の視線が、一点に集中する。

 1番人気はボク、ロールフィヨルテ。

 2番人気はメジロブライト。

 

 ゲート内で、ボクは深呼吸をした。

 心拍数は安定している。視界もクリアだ。

 隣の枠には、不気味なほど静かなメジロブライトがいる。

 そして少し離れた枠で、ステイゴールドが首を激しく振って荒ぶっているのが見えた。

 

(……関係ない。ボクはボクの走りをするだけだ)

 

 ガシャン!!

 

 ゲートが開いた。

 絶好のスタート。

 ボクは、脳内のライスシャワーの指示に従い、スッと好位につけた。

 内ラチ沿い、5番手。

 前に壁を作り、風を避け、最短距離を走る。

 完璧なポジショニングだ。

 

『……いいよ、ロールさん。リズム良く、息を入れて』

 

 脳内でライス先輩が囁く。

 ボクの体はミホノブルボンほどではないがそれでも正確に、ラップを刻んでいく。

 1000m通過、1分1秒台。

 平均ペース。

 これならスタミナは十分に持つ。シミュレーション通りだ。

 

 だが、向こう正面に入ったあたりで、その「完璧」な世界に異物が混入した。

 

「オラオラァ! 道を開けろォ!」

 

 外から、強引に割り込んでくる影があった。

 ステイゴールドだ。

 彼女は折り合いなど度外視で、掛かり気味に上がってきた。

 そして、あろうことかボクの斜め前に位置取り、体を擦り付けるようなギリギリの距離感で幅寄せをしてきたのだ。

 

(っ!? ち、近い!)

 

 ボクは反射的に身を固くした。

 接触寸前。

 これまで戦ってきたライバルたちとは違う、ルールぎりぎりのラインで精神を逆撫でする「喧嘩」を仕掛けてきている。

 恐怖心から引きそうになった、その時。

 

『引いちゃダメ! ロールさん!』

 

 脳内で、ライス先輩の鋭い声が響いた。

 

『引いたらリズムが崩れる……相手の思う壺だよ! 体幹を意識して! 相手に寄りかかられても、押し返すんじゃなく「壁」になって耐えるの!』

 

 的確な指示。

 ボクは反射的にそれに従った。

 ブレーキをかけない。無理に押し返してバランスを崩すこともしない。

 ただ、自分の走るレーンを死守し、ステイゴールドの圧力を、鍛え上げた体幹とライス先輩の技術で受ける。

 

 ガッ、と肩が触れ合う。

 だが、ボクは揺るがない。

 フィジカルならこちらがの方が上だ。はじき返して彼女のラフプレイを無効化する。

 

(……よし、凌いだ!)

 

 ボクは安堵した。

 これならペースは乱されない。このまま自分の走りを続ければいい。

 

 だが、ステイゴールドはニヤリと笑った。

 

「へっ、上等だ! いい『足場』になりやがる!」

 

 彼女の狙いは、ボクを潰すことではなかった。

 ボクが技術的に完璧な対応をして「動かない壁」になったこと。それこそが、彼女の計算通りだったのだ。

 彼女はボクの体に自分の体重を預け、コーナーワークの遠心力を強引に殺した。

 ボクを「支点」にして、無理やり体を前へとねじ込む。

 

「借りるぜェェッ!!」

 

 グンッ!

 ステイゴールドが加速した。

 ボクとの接触を推進力に変え、弾かれたように前へ飛び出す。

 まさに「足場」。

 ボクの安定感を利用して、彼女は自身の限界を超えた加速を手に入れたのだ。

 

 第3コーナー。淀の坂。

 ここで動いたのが、メジロブライトだった。

 

「……行きますわ」

 

 彼女は大外を一気にまくり、先頭集団を飲み込みにかかる。

 その走りは、優雅な令嬢のそれではない。髪を振り乱し、泥を跳ね上げ、一心不乱に前を目指す「鬼」の走り。

 

(まずい、行かれた!)

 

 ボクも反応する。

 だが、目の前には、ボクを踏み台にして加速したステイゴールドがいる。

 彼女が壁となり、ボクの仕掛けを一瞬遅らせる。

 

 坂を下り、加速をつける。

 直線。

 残り400m。

 

 先頭はシルクジャスティス。それを飲み込むメジロブライト。

 そして、その直後をステイゴールドが猛追する。

 ボクはその後ろ、3番手から追う形になった。

 

 体は軽い。足は残っている。極限まで絞った肉体は、まだ死んでいない。

 

 グンッ!

 

 加速する。

 ライスシャワーの技術と、ボクの意地が噛み合い、猛烈な末脚が爆発する。

 一歩ごとに差が縮まる。

 ブライトの背中が近づく。

 

(届く……! これなら、まだ間に合う!)

 

 計算上、ここからの末脚ならボクの方が速い。

 ステイゴールドをかわし、ブライトを捕らえる。そのビジョンは見えている。

 

 だが。

 

「う、おおおおおおっ!!」

「どけぇぇぇぇッ!!」

 

 前方から聞こえる、ブライトとステイゴールドの叫び。

 彼女たちの背中から、どす黒いほどのオーラが噴き出している。

 それは「勝ちたい」という執念。

 なりふり構わず、泥をすすってでも前へ出るという、生々しい渇望。

 

 対して、ボクは?

 「綺麗に」走ろうとした。

 ラフプレイも「技術」で凌いだ。

 そこに、相手をねじ伏せるような「熱」はあったか?

 

『ロールさん! もっと! もっと熱くなって! 理屈じゃないの!』

 

 ライス先輩の声が響く。

 分かっている。頭では分かっているのに、心が着火しない。

 「負けてもいい」という深層心理の安全装置(セーフティ)が、リミッターを解除させてくれない。

 

 残り100m。

 ブライトが完全に抜け出す。

 ステイゴールドが、ボクを踏み台にして得た勢いを殺さず、驚異的な粘り腰で2番手を死守する。

 

「ちっ!! まだまだあああああ!!!!」

 

 ステイゴールドが吠える。

 ボクは彼女に並びかけるところまで行った。

 だが、抜けない。

 彼女の気迫が、物理的な壁となってボクを弾き返す。

 

 ――ゴール!!

 

 1着、メジロブライト。

 2着、ステイゴールド。

 3着、ロールフィヨルテ。

 

 その差は、それぞれクビ差、ハナ差という僅差だった。

 

          *

 

「……負けた」

 

 ゴール後、ボクは息を整えながら電光掲示板を見上げた。

 3着。

 全距離制覇後、初めての敗北。

 だが、体は疲れていない。余力すらある。

 それが余計に、この敗北の異質さを際立たせていた。

 

「……ふぅ。ブライトちゃん、強くなったなぁ。……これはこれで、美しい結末か」

 

 ボクは苦笑いを浮かべた。

 悔しさがないわけではない。だが、それ以上に「いいレースだった」という、どこか他人事のような感想が先に出てきてしまう。

 

「……おい」

 

 低い声がして、振り向く。

 ステイゴールドが、肩で息をしながらボクを睨みつけていた。

 彼女は2着に入った。ブライトには届かなかったが、ボクには先着した。

 だが、その表情は晴れない。

 

「なんだい? おめでとう、2着だね。……ボクを踏み台にした感想はどうかな?」

「最悪だ」

 

 彼女はボクの胸倉を掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。

 

「テメェ……なんで押し返してこなかった」

「え?」

「最後の直線だ!!!あそこでテメェが熱くなって、俺を弾き返すくらいの勢いで競り合ってくりゃ……俺たちはもっと加速できたんだよ! ブライトなんぞ置き去りにできるくらいにな!」

 

 彼女は悔しそうに地団駄を踏んだ。

 

「なのに、なんだありゃ! 柳に風かよ! 綺麗にいなしやがって! おかげで俺の計算より加速が乗らなかったじゃねぇか!」

 

 彼女の計算では、ボクともっと激しく火花を散らし、その相乗効果でブライトを捲るつもりだったのだ。

 ボクの「大人な対応」が、結果としてレース全体の熱量を下げ、ブライトの独走を許してしまった。

 

「……テメェが本気なら、テメェが勝ってた。……そして俺も、もっといい夢見れたかもしれねぇのに」

 

 ステイゴールドは、吐き捨てるように言った。

 

「あーあ、つまんねぇ。……立派なのはガワだけかよ。中身が空っぽの『綺麗な置物』なんぞに用はねぇ」

 

 彼女は興味を失ったように背を向けた。

 

「次は本気出しな。……じゃないと、踏み台にもなりゃしねぇ」

 

 去っていく彼女の背中は、小さかったが、誰よりも「生々しい」熱を帯びていた。

 

『……ロールさん』

 

 脳内で、ライス先輩が悲しげに呟く。

 

『ごめんね。私の助言が、裏目に出ちゃったかな……』

(違います、先輩。先輩の技術は完璧でした。……足りなかったのは、ボクの「魂」です)

 

 ボクは自分の胸に手を当てた。

 そこに空いた穴の大きさを、初めて自覚した気がした。

 技術で凌ぎ、計算で走った。

 だが、勝負の世界では、時に理屈を超えた「熱」が必要なのだ。

 

 春の陽気が、今のボクにはやけに寒々しく感じられた。

 初めての敗北。

 それは、ボクの「黄金の旅路」が、暗雲に覆われ始めた合図でもあった。




本日11時に掲示板回更新します。

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