TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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39 最強のマイラー

 5月。

 天皇賞(春)での敗北から数週間。

 季節は初夏へと移り変わりつつあったが、ボク、ロールフィヨルテの周囲には、どこか湿った空気が停滞していた。

 

 学園のカフェテリア。

 昼下がりの喧騒の中、ボクは一人、山盛りの食事と格闘していた。

 大盛りのパスタ、特大ハンバーグ、丼飯、プロテイン。

 周囲の生徒が引くほどの量だが、これは必要な儀式だった。

 ライスシャワー先輩との特訓で、3200mを走るために極限まで削ぎ落とした脂肪と筋肉。それを今度は、1600mのマイル戦仕様へ一気に「戻す」作業だ。

 持久力特化の遅筋から、爆発力を生む速筋へのビルドアップ。

 内臓が悲鳴を上げそうな暴挙だが、小さいころから体づくりをしているボクには無理でも無茶でもなかった。

 

「……ん、美味い」

 

 ボクは能天気にパスタを啜った。

 天皇賞での敗北。

 クビ差の3着。悔しくないと言えば嘘になる。

 だが、それ以上に「メジロブライトの執念」と「ステイゴールドの奇策」、そして「ライス先輩の技術の高さ」に感心してしまった自分がいる。

 全距離制覇という勲章があるせいか、どこか「挑戦者」ではなく、歴史の証人としての「品評者」のような気分が抜けないのだ。

 負けてなお、「いいレースだった」と笑えてしまう。

 

「……ロールさん。お隣、よろしいですか?」

 

 ふと、鈴を転がすような、しかしどこか不思議な響きを持つ声がかけられた。

 顔を上げると、そこには大きな水晶玉を抱えたウマ娘が立っていた。

 マチカネフクキタル。

 昨年の有馬記念を制し、神懸かり的な末脚で頂点に立った「福の神」。

 

「やあ、フクちゃん。どうぞ」

「失礼しますぅ~」

 

 彼女はボクの向かいに座ると、じっとボクの顔……ではなく、ボクの少し上の空間を見つめ始めた。

 

「……やっぱり、変です」

「え? 何が?」

「ロールさんのオーラです。……以前は、もっとこう、いろんな色が混ざり合って、カオスだけど力強い渦を巻いていたんですが」

 

 フクキタルは水晶玉を撫でながら、眉を寄せた。

 

「今は……綺麗すぎるんです。磨き上げられた鏡みたいにピカピカで、でも……中身が空っぽに見えます」

「空っぽ?……?」

「はい。先日シラオキ様も言ってました。『器は立派になったが、中身がねえぞ』って」

 

 彼女の言葉は、抽象的だが核心を突いている気がした。

 ライス先輩との特訓で、ボクは「器」としての完成度はさらに極めた。だが、その中に入れるべき「ハングリー精神」が欠けている。

 

「……考えすぎだよ、フクちゃん。ボクは絶好調さ。ご飯も美味しいしね」

「むぅ……。心配して損しました。これあげるんで、精をつけてください」

 

 彼女は懐から「大吉」と書かれたお守りをボクに押し付けた。

 

「次の安田記念、占ったんですけど……『大嵐』と出ました。物理的にも、運命的にも。……気をつけてくださいね」

「ありがとう。大事にするよ」

 

 フクキタルは去っていった。

 彼女なりの不器用なエールを受け取りつつ、ボクは改めて次走へと思考を巡らせた。

 

 安田記念。マイル1600m。

 相手は、高松宮記念を制し、今や手が付けられない強さを誇る同期、タイキシャトルだ。

 彼女はその後、フランス遠征を控えている。この安田記念は、世界へ向かうための壮行レースでもある。

 生半可な状態では勝てない。

 

(さて……マイルなら、やっぱり彼女にお願いしないとな)

 

 ボクは食事の手を止め、脳内の通信を開いた。

 相手は、昨年のマイルCSで共に勝利を掴んだ相棒。

 マイルの絶対女王、グランアレグリア。

 彼女の爆発的なスピードがあれば、パワーアップしたタイキシャトルとも渡り合えるはずだ。

 

(……もしもし、グランさん? 聞こえますか?)

 

 呼び出し音が鳴る。

 だが、応答がない。

 何度かコールして、ようやく繋がったと思ったら――回線の向こうから、聞き覚えのある豪快な声が漏れ聞こえてきた。

 

『HAHAHA! グラン、今のタイミングで合ってマスカ!?』

『うんうん! 完璧だよタイキ先輩! 今の踏み込み、地面が割れるかと思った!』

 

(……は?)

 

 ボクは箸を取り落としそうになった。

 グランアレグリアの声だ。

 だが、それはボクの脳内から響いているのではない。

 ボクの聴覚(外部入力)を通して聞こえてきている。

 そして、その相手は――タイキシャトル?

 

(グランさん、今どこに?)

『あ、ロール? ごめーん、今ちょっと手が離せないの!』

 

 彼女の声は弾んでいた。ボクといた時よりも数倍楽しそうだ。

 

『今ね、タイキ先輩のトレーニング見てるの! ていうか、一緒に走ってるの!』

(一緒に走ってるって……どういうことですか)

 

 ボクは慌ててカフェテリアを出て、声のする方――トレーニングジムへと向かった。

 ガラス越しに中を覗くと、そこには信じがたい光景があった。

 

 サンドバッグに向かって強烈なラッシュを叩き込むタイキシャトル。

 その横に、半透明の、しかし確かに実在感を伴ったウマ娘の姿があった。

 グランアレグリアだ。

 彼女はタイキの動きに合わせて体を動かし、手取り足取り指導している。

 そして何より驚くべきことに、タイキシャトルが時折グランの方を向き、頷いたり、言葉を交わしたりしているのだ。

 

「フゥーッ! いい汗かきマシタ!」

『お疲れ様先輩! やっぱり藤沢厩舎の最高傑作は伊達じゃないわ! 筋肉のキレが最高!』

「サンキュー、グラン! ユーのアドバイスのおかげで、マイルの呼吸(ブレス)が掴めてきマシタ!」

 

 見えている。聞こえている。いや前から結構話してたかこの二人。

 本来、異なる時代の魂は干渉しないはずだ。だが、同じ厩舎の縁か、それとも魂の波長が合いすぎたのか。

 グランアレグリアは完全にタイキシャトルの「専属コーチ兼パートナー」として具現化していた。

 

(……もしもし、グランさん。ちょっといいですか)

 

 ボクが脳内通話で割り込むと、グランは面倒くさそうに応答した。

 

『なにー? 今いいところなんだけど』

(あの、次は安田記念なんですけど……戻ってきてもらえませんか? ボクにはマイルを走るための貴女が必要なんです)

 

 ボクの懇願に対し、彼女の答えは即答だった。

 

『えー? やだ』

(は?)

『だって、今回のタイキ先輩、マジで仕上がってるもん。アタシ、この人の背中を押してあげたいの。「世界」に行くための翼になりたいのよ!』

(いや、ボクのパートナーですよね!? 約束違反じゃありませんか!?)

『ロールはもう全距離制覇したじゃん。十分でしょ?』

 

 彼女はジムの中で、タイキシャトルの肩に手を置いた。

 

『今回は敵同士! アタシはタイキ先輩につくから、覚悟しなさいよね! じゃ!』

 

 ブツン。

 一方的に通話が切られた。

 ボクはガラスに張り付いたまま、呆然と立ち尽くした。

 主力武器であるグランアレグリアが、あろうことか敵側について就任してしまった。

 世界最強のフィジカルを持つタイキシャトルに、未来のマイル女王の知能と技術が加わったのだ。

 これではこちらの戦力ダウンだけではなく、チート級のボスキャラ誕生だ。

 

(……困った。マイルを走れる魂がいない)

 

 ロードカナロアは相変わらずカレンチャンと行方不明だし、ニシノフラワーやダイタクヘリオスなどのマイラーもいるが、今の「覚醒したタイキシャトル+グランアレグリア」に対抗するには火力が足りない。

 

 頭を抱えそうになった、その時だった。

 

『……無様ね』

 

 脳内の奥底から、絶対零度の冷ややかな声が響いた。

 静寂と共に現れたのは、凛とした知性を感じさせる美女の幻影。

 九冠の女帝、アーモンドアイ。

 

『飼い犬に手を噛まれるどころか、逃げられるなんて。……管理能力を疑うわ』

(アイさん……。笑いに来たんですか?)

『まさか。……腹が立っているだけよ』

 

 アーモンドアイは不愉快そうに腕を組んだ。

 

『あの我儘娘、私のサポートを受けてマイルCSを勝ったくせに、調子に乗って敵に寝返るとはね。……それに、あなたもあなたよ。天皇賞でのあの不甲斐ない負け方。私の契約者としての品格に関わるわ』

 

 彼女は完璧主義者だ。

 ボクの「中途半端な敗北」と、グランの「裏切り行為」が、彼女のプライドを刺激したらしい。

 

『いいわ。……マイルも適性範囲内よ。貸しなさい、その体』

(えっ、アイさんが走ってくれるんですか?)

『ええ。あの馬鹿娘に、そして調子に乗っているタイキシャトルに、「格」の違いを教えてあげる。……ヴィクトリアマイルと安田記念を制した私のスピード、錆びついてはいないわ』

 

 強力すぎる助っ人が現れた。

 アーモンドアイ。芝GⅠ9勝の金字塔。

 彼女の瞬発力があれば、あの最強タッグとも渡り合える。

 

『ただし、急ピッチで仕上げるわよ。……今のあなたの体、まだ少し軽すぎる。もっと筋肉を乗せて、バネを強化しなさい。私の出力に耐えられるようにね』

(はい! お願いします!)

 

 

 

 数日後。

 トレーニングコースで、ボクはタイキシャトルと鉢合わせた。

 彼女の体からは、目に見えるほどの湯気(オーラ)が立ち上っていた。

 

「ヘーイ! ロール! 調子はどうデスカ!」

 

 タイキが満面の笑みで近づいてくる。

 その背後には、楽しそうに浮遊するグランアレグリアの姿があった。

 ボクと目が合うと、グランは「べーっ」と舌を出して挑発してきた。

 

「ボクも順調だよ。……そっちは、二人三脚みたいだね」

「イエス! グランのアドバイス、ベリー・エキサイティング! 彼女、マイルの走り方をよく知ってマス! ミーのパワーに、彼女のキレが加われば、無敵デース!」

 

 タイキは純粋に喜んでいる。

 悪気など微塵もない。ただ「強くなれること」が嬉しいのだ。

 そんな彼女を見て、ボクは恐怖するどころか、口元が緩むのを止められなかった。

 

「ははっ、すごいな。世界最強のマイラーに、未来のマイル女王がついてるなんて。……漫画のラスボスみたいだ」

「ラスボス? No、ミーはヒーローデース! 安田記念、楽しみにしていてクダサイ! 雨が降っても槍が降っても、ミーが勝ちマース!」

 

 タイキは嵐のように去っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、ボクは武者震いをした。

 勝てるか? 分からない。

 だが、あんな「規格外」と戦えるなんて、ワクワクするじゃないか。

 

「……へっ、楽しそうじゃねぇか」

 

 その時、ボクの背後からしゃがれた声がした。

 ステイゴールドだ。

 天皇賞で2着に入った彼女は、まだボクへの執着を捨てていないようだった。

 

「ステイゴールドさん」

「アンタ、またヘラヘラしてやがるな。……こないだ負けたばっかだってのに、危機感とかねぇのかよ」

 

 彼女はボクの周りを回りながら、値踏みするように鼻を鳴らした。

 

「ま、体つきは戻ってるみたいだな。ガリガリの幽霊みてぇな体よりはマシだ。……だが、中身はどうだ?」

「中身?」

「空っぽなんだよ、アンタは」

 

 彼女はボクの胸を指差した。

 

「天皇賞の時もそうだった。技術はある。力もある。だが『芯』がねぇ。……だから、あんな風に簡単に押し負けるんだよ」

 

 彼女の言葉は、フクキタルの予言と重なった。

 

「次はマイルか。……俺も出るぜ」

「えっ、貴女も?」

「ああ。距離なんか関係ねぇ。強い奴がいるところに行くのが俺の流儀だ。……覚えとけよ優等生。俺は何度でもアンタの邪魔をする。アンタが本気になるまで、何度でもな」

 

 ステイゴールドは不敵に笑い、去っていった。

 彼女の粘着質な闘争心は、ある意味でボクへのエールなのかもしれない。不器用すぎるが。

 

 

 

 夕方。

 ドーベルとの待ち合わせ場所へ向かう。

 ボクの体は、アーモンドアイの指導と食事療法のおかげで、みるみるうちに以前のボリュームを取り戻しつつあった。

 頬のコケも消え、服の上からでも分かる胸板の厚みが戻っている。

 

「やあ、ドーベル。待たせたね」

 

 ボクが声をかけると、ベンチに座っていたドーベルが顔を上げた。

 彼女はボクの体をじっと見つめ、少し安堵したような、でも複雑な表情を浮かべた。

 

「……体、戻ってきたわね」

「うん。次はマイルだからね。パワーが必要なんだ」

「そう。……よかった。あのまま消えちゃいそうだったから」

 

 彼女はボクの隣を歩き出した。

 だが、繋いだ手から伝わってくるのは、以前のような全幅の信頼ではなく、微かな緊張感だった。

 天皇賞の後、ボクたちの間には薄いガラスのような壁がある。

 

「ねえ、ロール。……今度の安田記念、どういうつもりで走るの?」

「どういうつもりって……もちろん、勝ちに行くよ。相手はタイキだ。生半可な走りじゃ勝てないからね」

「……そう」

 

 会話が続かない。

 ボクは「勝つ」と言った。嘘ではない。アーモンドアイと共に最善を尽くすつもりだ。

 でも、ドーベルが見透かしているのは、その奥にある心理だ。

 「勝ちたい」ではなく「いい勝負がしたい」。

 「負けたくない」ではなく「負けても相手を称えたい」。

 そんな、一歩引いた感情。

 

「タイキは凄いよ。グランまで味方につけて、鬼に金棒だ。……もし負けても、彼女なら世界に胸を張って送り出せる」

 

 ボクが何気なく言ったその言葉に、ドーベルの足が止まった。

 

「……負けてもいいって、思ってるんでしょ」

「え?」

「『タイキさんなら仕方ない』『世界に行くなら彼女が相応しい』……そうやって、最初から一歩譲ってるじゃない」

 

 ドーベルは俯いたまま、ギュッとボクの手を握りしめた。

 痛いほどに。

 

「私の好きなロールは……たとえ相手が誰だろうと、自分が一番だって信じてた。……今のアンタは、優しいけど……遠いよ」

「ドーベル、そんなことは……」

「今日は、もう帰る」

 

 彼女は手を離し、逃げるように走り去ってしまった。

 ボクの手には、彼女の冷たい指先の感触だけが残った。

 

『……重症ね』

 

 脳内で、アーモンドアイがため息をつく。

 

『肉体は戻っても、心のピントが合っていないわ。……このままじゃ、雨の府中(東京)で痛い目を見るわよ』

(……分かっていますよ。でも、どうすればいいのか……)

 

 ボクは立ち尽くしていた。

 体調は万全。魂も最強。

 だが、一番大切なパートナーとの溝は、埋まるどころか深まるばかり。

 そんな状態で迎える安田記念。

 空からは、早くも不穏な雨粒が落ち始めていた。

 それは、ボクたちの行く末を暗示するような、冷たい雨だった。




なお、アーモンドアイは安田記念は勝っていないので嘘ついてます。

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