TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

54 / 79
40 安田記念

 6月。東京レース場。

 空は厚い鉛色の雲に覆われ、地面を叩きつけるような豪雨が降り注いでいた。

 安田記念。マイル1600m。

 春のGⅠシリーズを締めくくる一戦は、視界すら霞む最悪のコンディションの中で行われようとしていた。

 

 パドックは傘の花で埋め尽くされている。

 ボク、ロールフィヨルテは降りしきる雨に打たれていた。

 足元の芝は水を吸って重く、所々に水たまりができている。いわゆる「田んぼ」状態だ。

 

『……最悪。信じられない』

 

 脳内で、アーモンドアイが低い声で呻く。

 彼女の美しい幻影が、泥水に濡れるのを極端に嫌がってスカートの裾を持ち上げているのが見えた。

 

『なんで雨なのよ。私、濡れるのも泥が跳ねるのも大っ嫌いなのに。……あーあ、テンション下がるわ』

(すみませんアイさん……でも、お願いしますよ。貴女の技術だけが頼りなんです)

『分かってるわよ。……プロだもの、仕事はするわ。でも、期待しないでね。この泥濘じゃ、私の「翼」は広げられない』

 

 彼女は史実でも、極限のスピード勝負や良馬場での瞬発力を武器としていた。

 この泥んこ馬場は、彼女の繊細なスピードを殺し、精神力を削ぐ最悪の条件だ。

 

 そんなボクたちの前を、太陽のようなオーラを放つウマ娘が歩いていた。

 タイキシャトルだ。

 彼女は雨など気にする様子もなく、むしろ水を得た魚のように活き活きとしている。

 そして、彼女の横には、楽しそうに飛び跳ねるグランアレグリアの姿があった。

 

「グラン! 今日のコンディション、ヘビーですが、パワーが唸ってマス!」

『うんうん! タイキ先輩の筋肉なら、こんな雨馬場なんて関係ないよ! むしろ他の子が走りにくくなってチャンスじゃん! 泥遊びしよっ!』

 

 二人は完全にリンクしている。

 世界最強のフィジカルを持つタイキシャトルに、マイルを知り尽くしたグランアレグリアの頭脳。

 しかも、この雨。パワータイプのタイキには追い風となる。

 

(……勝てるのか、これ)

 

 ボクが弱気になりかけた時、背後からピチャッ、ピチャッとわざと水たまりを踏む音が近づいてきた。

 

「ヒャーッハッハッハ!!」

 

 ステイゴールドだ。

 彼女は顔に泥がついているのも気にせず、ニタニタと笑いながらボクの横に並んだ。

 

「よう優等生! 綺麗な顔が台無しだなぁ! 今日はその体、泥パックでエステしてやるよ!」

「……お手柔らかに頼むよ、ステイゴールドさん」

「へっ、余裕ぶっこいてんじゃねぇぞ。……この雨だ、何が起こるか分からねぇからなァ」

 

 彼女の目は笑っていなかった。

 天皇賞(春)での2着。彼女の中で、ボクに対する評価は「実力はあるが張り合いのない壁」として定着しつつある。

 だからこそ、今日こそはその壁を叩き壊し、あるいは踏み台にして、GⅠのタイトルをもぎ取るつもりなのだ。

 

 

 

 ファンファーレが雨音にかき消されそうになる中、ゲートイン。

 視界が悪い。雨粒がまつ毛に絡みつく。

 

『……集中なさい。視界が悪くても、私の「眼(コース眼)」があれば道は見えるわ。……できるだけ綺麗な場所を選んで走るのよ』

 

 アーモンドアイが冷徹に告げる。

 彼女は文句を言いながらも、やるからには完璧を求めるプロフェッショナルだ。

 

 ガシャン!!

 

 ゲートが開いた。

 水飛沫が上がる。

 好スタートを切ったのは、やはりタイキシャトルだ。

 

「Go! Go! Go---ッ!!」

 

 『地面を掘るイメージ』。

 グランの助言通り、タイキの蹄はぬかるんだ芝を深々と捉え、滑ることなく推進力に変えていく。

 重戦車のような加速。一気に先頭集団へ躍り出る。

 

 対するボクは――。

 

『うわっ、冷たい! 泥が!』

 

 前の馬が跳ね上げた泥の塊が、ボクの顔や胸に直撃する。

 アーモンドアイが悲鳴を上げ、反射的に顔を背けそうになる。

 そのわずかな躊躇が、初速を鈍らせる。

 

(くっ……アイさん、我慢して!)

 

 ボクは必死に体勢を立て直す。

 アーモンドアイの技術で、蹄の角度を調整し、滑りやすい路面をグリップさせる。

 繊細な作業だ。神経をすり減らす。

 

 だが、そんな精密作業をあざ笑うかのように、外から「異物」が突っ込んできた。

 

「オラァ! 水遊びの時間だぜぇ!」

 

 ステイゴールドだ。

 彼女は、あえて水たまりの多い荒れた内側を突いてきた。

 そして、ボクの斜め前に出ると、盛大に泥水を巻き上げて進路をカットしてきた。

 

 バシャッ!!

 

 茶色い水しぶきが、ボクの視界を覆う。

 

『きゃあああっ!? ちょっと、何すんのよこの野蛮人!!』

 

 アーモンドアイがブチ切れた。

 精神的な動揺が、ボクの体に伝播する。

 フォームが乱れ、足がもつれそうになる。

 

「へっ、ざまぁねぇな! お姫様には刺激が強すぎたか!?」

 

 ステイゴールドは嘲笑いながら、さらに体を寄せてくる。

 天皇賞の時と同じだ。

 ボクを壁にして、コーナーを回る遠心力を殺し、自分だけ加速しようとするラフプレイ。

 

『……ふざけないで! どきなさいよ!』

 

 アーモンドアイが叫ぶ。

 彼女はプライドが高い。売られた喧嘩は買うタイプだ。

 だが、この状況では分が悪すぎる。

 泥を嫌がり、腰が引けているアーモンドアイと、泥を友として暴れ回るステイゴールド。

 気迫の差が、物理的な圧力となってボクを押し込む。

 

(アイさん、張り合っちゃダメだ! 冷静に!)

 

 ボクは必死に手綱を抑え、ステイゴールドとの接触を避けた。

 ぶつかれば、今のボクたち(特にアイさん)はバランスを崩して終わる。

 一歩引く。

 その判断は正しかったはずだ。安全策としては。

 

 だが、それが決定的な遅れを生んだ。

 

 第3コーナーから4コーナー。

 先行するタイキシャトルは、全くペースが落ちない。

 グランアレグリアが常に的確なラインを指示し、タイキがその通りに走る。

 後続との差は開く一方だ。

 

 直線。

 東京の長い直線が、泥の海と化している。

 

「レッツ・パーティ!!」

 

 タイキシャトルが抜け出した。

 早い。早すぎる。

 残り400mで、後続を突き放しにかかる。

 

『今よ! 外へ!』

 

 アーモンドアイが叫ぶ。

 ボクはステイゴールドの外へ持ち出し、馬場の比較的綺麗な大外へと進路を取った。

 視界が開ける。

 アーモンドアイの「九冠」の底力が発動する。

 地面を掴むのではなく、滑るように、飛ぶように。泥濘を無効化する超絶技巧のストライド。

 

 グングンと加速する。

 前を行くステイゴールドに並びかける。

 

(行ける……!)

 

 だが、ステイゴールドは死んでいなかった。

 

「行かせるかよォォォッ!!」

 

 彼女は、泥だらけの顔を歪め、鬼のような形相で食らいついてきた。

 綺麗なフォームではない。手足をもがくように動かし、泥を掻きむしるような走り。

 だが、その一歩一歩には「負けたくない」という怨念のような力が籠もっている。

 

 並走状態。

 ボク(アーモンドアイ)の華麗な走りと、ステイゴールドの泥臭い走り。

 本来なら、能力値で勝るボクが突き放すはずだ。

 しかし、抜けない。

 彼女の気迫が、見えない壁となってボクを阻む。

 

『くっ……なんなのよコイツ! しつこい!』

 

 アーモンドアイが焦る。

 そして前方では、タイキシャトルが悠々とゴールへ向かっている。

 

「先輩! そのまま! 世界へ一番乗りだよ!」

「イエッサー!!」

 

 グランとタイキの歓喜の声。

 それが決定打だった。

 ボクの心に、「あ、これはもう届かないな」という諦めがよぎってしまったのだ。

 一瞬の弛緩。

 全距離制覇者の余裕という名の、慢心。

 

 その隙を、黄金の暴君は見逃さなかった。

 

「そこだァァァッ!!」

 

 ステイゴールドが、最後の一押しでボクの前に体を入れた。

 泥水がボクの顔面を直撃する。

 視界が塞がれる。

 

 ――ゴール!!

 

 1着、タイキシャトル。

 2着、ステイゴールド。

 3着、ロールフィヨルテ。

 

 天皇賞と同じ。またしても、3着。

 

          *

 

「……はぁ、はぁ。……負けた」

 

 ゴール板を過ぎ、ボクは泥を拭いながら雨空を見上げた。

 アーモンドアイは『もう最悪。泥の味がするわ……』と呻いて沈黙してしまった。

 

 だが、不思議と気分は悪くなかった。

 前方では、タイキシャトルがガッツポーズをしている。

 強い。本当に強い。

 ボクが全距離制覇した時と同じくらいの衝撃を、世界に見せつけるだろう。

 

「おめでとう、タイキ。……完敗だよ」

 

 ボクは素直に称賛を送ろうとした。

 だが。

 

「ふざけんなァァァッ!!!」

 

 絶叫が、雨音を切り裂いた。

 ステイゴールドだ。

 彼女は2着に入ったにも関わらず、泥を蹴り上げ、激昂していた。

 

「なんでだよ! なんでそこで引くんだよテメェは!」

 

 彼女はボクに詰め寄り、胸をドンと突き飛ばした。

 

「直線! 俺と並んだ時だ! なんで死に物狂いで競ってこねぇ!? テメェの力がそんなもんじゃねぇことぐらい、分かってんだよ!」

「……ステイゴールドさん、落ち着いて。結果は貴女が勝ったじゃないか」

「勝ってねぇよ! 2着だ! また2着だ!」

 

 彼女は髪を振り乱し、悔し涙とも雨ともつかない雫を流しながら叫んだ。

 

「俺はな……テメェを利用してでも、テメェと殺し合いをしてでも、その先にある『1着』が欲しかったんだよ! テメェが最後で諦めたせいで……俺の闘争心まで冷めちまったじゃねぇか!」

 

 彼女の言いたいことが、ようやく分かった。

 彼女はボクとの競り合いを燃料にしていた。ボクが最後まで食らいつき、あるいは彼女をねじ伏せようとするエネルギーがあれば、彼女もまた限界を超え、タイキシャトルに届き得たかもしれない、と。

 ボクの「諦め」が、彼女の可能性をも閉ざしてしまったのだ。

 

「……ふざけんなよ。綺麗な顔して、余裕ぶっこいて……」

 

 ステイゴールドは、子供のように癇癪を起し、地団駄を踏んだ。

 

「俺みたいな、勝ちたくても勝てねぇ奴の前で……『負けてもいい』なんて顔して走ってんじゃねぇ!」

 

 彼女の悲痛な叫びは、周囲の空気すら凍らせた。

 タイキシャトルも、グランアレグリアも、その剣幕に言葉を失っている。

 

 ボクはただ、立ち尽くすしかなかった。

 泥だらけのユニフォーム。

 だが、心の中は、相変わらず綺麗で、傷一つついていない。

 それが、どうしようもなく情けなかった。

 

「……悪い。次は、本気出すよ」

 

 ボクが絞り出した言葉に、ステイゴールドは「ケッ」と唾を吐いた。

 

「信用できねぇな。……次もその腑抜けたツラしてたら、背中から蹴り倒してやる」

 

 彼女は去っていった。

 残されたボクは、冷たい雨に打たれながら、自分の手のひらを見つめた。

 全距離制覇。

 その栄光が、いつの間にか呪いのようにボクを縛り、感情を麻痺させている。

 

 スタンドの片隅。

 ドーベルの姿は見えなかった。

 きっと、見るに堪えなかったのだろう。

 恋人が、戦う前から負けを認め、泥にまみれても平然としている姿なんて。

 

 連敗。

 そして、タイキシャトルは世界へ。

 ボクは日本に取り残され、空っぽのまま、雨の中に立ち尽くしていた。




評価お気に入り・感想お待ちしております

雑談等はディスコード鯖
https://discord.gg/92whXVTDUF

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。