TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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41 宝塚記念の前に

 6月中旬。

 安田記念での敗北から数日。梅雨の晴れ間が覗くトレセン学園の中庭は、初夏の日差しに包まれていた。

 だが、ボク、ロールフィヨルテの心は、未だ厚い雨雲の下にあった。

 

 天皇賞(春)での3着。

 安田記念での3着。

 全距離制覇という偉業を成し遂げた直後の、立て続けの敗北。

 世間は「王者の休息」「調整不足」と好意的に解釈してくれているが、一部の鋭い評論家や、何よりボクと肌を合わせたライバルたちは気づいている。

 ボクの中にある「芯」が、燃え尽きて灰になっていることに。

 

「……はぁ」

 

 ベンチに座り、ボクは炭酸の抜けたサイダーのような気分で空を見上げていた。

 勝つことへの渇望がない。

 負けても「相手が強かった」と納得してしまう。

 それは生物としては成熟かもしれないが、勝負師としては「死」と同義だ。

 

 そんなボクの視界の端に、見慣れた、けれど最近は遠ざかっていた紫紺の髪が見えた。

 

「……あ」

 

 メジロドーベルだ。

 彼女はボクに気づくと、ビクリと肩を震わせ、そして視線を逸らして足早に去ろうとした。

 あからさまな拒絶。

 それが胸に突き刺さる。

 

「待ってくれ、ドーベル!」

 

 ボクは反射的に立ち上がり、彼女を追いかけた。

 腕を掴む。

 彼女の細い腕は、強張っていた。

 

「……離して」

「少しでいい。話をしよう」

「話すことなんてないわ」

 

 ドーベルはボクを見ようとしない。

 その横顔はやつれていた。ボクの連敗が始まってから、彼女もまた自分を追い込み、苦しんでいるのが分かる。

 

「宝塚記念……ファン投票、見たよ。ボクが1位で、君が2位だ。……一緒に出よう」

「……嫌よ」

 

 彼女は絞り出すように言った。

 

「私がいたら、またアンタは負ける。……私の『重い愛』が、アンタの足を引っ張ってるんでしょ? だったら、私が消えるしかないじゃない」

「違う! そんなことは……」

「違わない! 事実、アンタは変わっちゃった! 私と付き合い始めてから、アンタは牙を失ったのよ!」

 

 彼女が叫んだ、その時だった。

 

「――醜いわね」

 

 凛とした、しかし絶対零度の冷気を孕んだ声が、二人の間に割って入った。

 空気が凍り付く。

 ボクとドーベルが同時に振り向くと、そこには腕を組み、蔑むような目でこちらを見下ろす「魔性」が立っていた。

 

「……ラ、ラモーヌさん……」

「……ラモーヌさん……」

 

 メジロラモーヌ。

 史上初のティアラ三冠を達成した、完全無欠の女王。

 現在は一線を退いているが、その威圧感は現役時代よりも増しているようにさえ見える。

 彼女はゆっくりと、ヒールの音を響かせて近づいてきた。

 

「ついてらっしゃい。……公衆の面前で痴話喧嘩なんて、メジロの名折れよ」

 

 

 

 連れてこられたのは、学園近くにある隠れ家的なレストランだった。

 最高級の茶葉で淹れられた紅茶の香りが漂うが、今のボクたちには針の筵(むしろ)でしかない。

 ラモーヌさんは優雅にソファに腰を下ろし、ボクとドーベルを立たせたまま、冷徹な視線で射抜いた。

 

「さて……。聞くに堪えない茶番だったけれど」

 

 彼女はティーカップを置き、カチャン、という音と共に口火を切った。

 

「まずは貴女、ロールフィヨルテ」

「……はい」

「全距離制覇、おめでとう。偉業だわ。誰も成し遂げられなかった伝説よ」

 

 言葉とは裏腹に、彼女の声には称賛の色が欠片もなかった。

 

「で? それで終わり?」

「……え?」

「全部の距離を勝ったから、もうゴール? あとは余生をのんびり過ごして、たまに負けても『いいレースだった』なんて笑って済ませるつもり?」

 

 彼女の視線が鋭くなる。

 

「だとしたら……随分と底の浅い『器』だったのね」

「っ……」

「私はね、三冠を獲った後も走り続けたわ。……頂点に立った者にしか見えない景色、その先にある『虚無』すらも愛して、走り続けた。なのに貴女はどう? たかが数個のGⅠを獲ったくらいで、満足して座り込んでいる」

 

 ラモーヌさんは立ち上がり、ボクの目の前に立った。

 その手には、扇子が握られている。

 

「ステイゴールドにも言われたのでしょう? 『空っぽ』だと。……今の貴女の走りは退屈よ。見ていて欠伸が出るわ」

「退屈……」

「ええ。技術はある。体も仕上がっている。でも、そこに『色』がない。……私が見込んだのは、もっと貪欲で、何色にでも染まれる、けれど誰にも染まらない……そんな強欲なウマ娘だったはずよ」

 

 彼女は扇子の先で、ボクの胸を突いた。

 

「今の貴女は、ただの『上手な優等生』。……そんなつまらない子に、私の可愛い妹分を預けた覚えはなくてよ」

 

 痛烈だった。

 何も言い返せない。彼女の言う通りだ。ボクは「全距離制覇」という結果に満足し、その先の「最強の証明」から逃げていたのだ。

 

「そして……ドーベル」

 

 矛先が、隣で震えているドーベルに向いた。

 

「は、はい……」

「貴女も大概になさい。……いつまで『悲劇のヒロイン』を気取っているの?」

 

 ラモーヌさんの声が、さらに一段低くなった。

 

「『私のせいで彼が弱くなった』? 『私が身を引けばロールは戻る』? ……傲慢ね。貴女ごときが離れたくらいで戻るようなら、彼女の才能はその程度だったということよ」

「で、でも……実際に……」

「違うわ。貴女が逃げているだけよ」

 

 ラモーヌさんは、ドーベルの頬を両手で包み込み、無理やり顔を上げさせた。

 

「彼女が腑抜けているなら、なぜ貴女が尻を叩かないの? なぜ『しっかりしなさい!』とロールを引っ張らないの? ……ロールが立ち止まっているなら、貴女が先に行って、背中で語ればいいじゃない」

「……っ!」

「愛する相手が弱った時に、めそめそ泣いて身を引くなんて、三流のすることよ。……メジロのウマ娘なら、愛さえも燃料にして、相手を焼き尽くすくらいの熱量でぶつかりなさい」

 

 ラモーヌさんの瞳には、狂気にも似た情熱が宿っていた。

 かつて「魔性」と呼ばれた彼女の愛の形。

 それは、相手を縛り、焦がし、共に堕ちることも厭わない、激しく重い愛。

 

「この子が『負けてもいい』なんて顔をしていたら、貴女が勝ち続けて、この子に『置いていかれる恐怖』を植え付けなさい。……それが、対等なパートナーというものでしょう?」

 

 ドーベルの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。

 それは悲しみの涙ではなく、自分の弱さを自覚した悔し涙だった。

 

「……すみません、ラモーヌさん。……私、間違ってました」

「分かればいいわ」

 

 ラモーヌさんは手を離し、再びソファに座った。

 

「宝塚記念。……出なさい、二人とも」

 

 それは命令だった。

 

「ロールフィヨルテ。貴女は証明しなさい。自分が『終わったウマ娘』ではないことを。……そしてドーベル。貴女はロールを倒すつもりで走りなさい。遠慮はいらないわ。ロールをねじ伏せるくらいの気概を見せなさい」

 

 サロンに沈黙が落ちる。

 だが、それは重苦しいものではなく、嵐の前の静けさのような、張り詰めた空気だった。

 

 ボクはドーベルを見た。

 彼女は涙を拭い、真っ赤な目でボクを見つめ返した。

 その瞳には、もう「迷い」はなかった。

 

「……ロール」

「うん」

「私、出るわ。宝塚記念」

 

 ドーベルの声には、初めて聞くようなドスの利いた響きがあった。

 

「アンタが隠居気分でいるなら……私が目を覚まさせてあげる。レースで、アンタを負かすわ」

「……お手柔らかに頼むよ」

 

 ボクは苦笑した。

 だが、その心臓は、久しぶりに高鳴っていた。

 ドーベルに「倒す」と言われた。

 守るべき対象だった彼女が、牙を剥いて向かってくる。

 その事実に、ボクの中の「ウマ娘」としての闘争心が、ピクリと反応したのだ。

 

(……ああ。やっぱりラモーヌさんには敵わないな)

 

 ボクたちは頭を下げ、サロンを後にした。

 背後で、ラモーヌさんが優雅に紅茶を啜る音が聞こえた気がした。

 

 

 

 その日の夜。

 ボクは自室のベッドで、天井を見上げながら「彼」を呼び出した。

 

(……おい、ゴルシ。起きてるか?)

 

 しばらくの沈黙の後、あくび混じりの声が返ってきた。

 

『あぁ? なんだよマスター。湿っぽい話は終わったのか?』

(ああ。……目が覚めたよ。ボクは馬鹿だった)

 

 全距離制覇なんて、ただの通過点だ。

 そんなもので満足して、大切なパートナーを不安にさせて、ライバルたちを失望させて。

 本当に、どうしようもない阿呆だ。

 

(次は宝塚記念だ。……頼めるか?)

『ケッ、今更かよ』

 

 ゴールドシップ。

 ボクの「原点」にして、最初の相棒。

 彼は、ボクの身体の基礎を作り上げ、常識外れのタフネスを与えてくれた。

 そして、宝塚記念は彼の得意舞台だ。史実では連覇し、そして歴史的な出遅れをやらかした、因縁の地。

 

『いいぜ。……ただし、条件がある』

(条件?)

『小細工はなしだ。……ライスのみてぇな綺麗なレース運びも、アーモンドアイみてぇな優等生なレースも忘れろ』

 

 ゴルシの声が、楽しそうに歪む。

 

『本能のままに走れ。……ゲートが開いたら、あとは野となれ山となれだ。理屈じゃねぇ、「強さ」を見せつけてやろうぜ』

(……望むところだ)

 

 ボクは拳を握りしめた。

 そうだ。ボクの原点はここにある。

 綺麗に勝つ必要なんてない。

 泥臭くても、無様でも、最後に前にいればいい。

 あの頃の、がむしゃらに走っていた自分を取り戻す。

 

 宝塚記念。

 相手は、完成されたサイレンススズカ。女帝エアグルーヴ。

 そして、覚悟を決めた恋人、メジロドーベル。

 さらに、まだ諦めていないであろう黄金の暴君、ステイゴールド。

 

 役者は揃った。

 あとは、幕を開けるだけだ。

 

 ボクは深く息を吐き、目を閉じた。

 脳内で、ゴールドシップがシャドーボクシングを始める気配がする。

 その荒々しい闘気が、冷え切っていたボクの魂に、再び火を点けていくのを感じた。




 ラモーヌ姉さまはなんだかんだ言いながら二人が心配でわざわざ卒業したトレセン学園に用もないのに来ています。
 タイミングはただの偶然ですが。

本日11時に掲示板回更新します。

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